5月4日「ピースあいち」午後1時開館です。
公設資料館建設予定だったのが財源の見通しが立たなくなっていたところ、個人の方から、土地と資金の提供をうけ、さらに寄付金を募っての設立にこぎつけた施設です。家人が寄付をしていたことで、今日オープニングプログラム等の冊子が届きました。
私たちは、親から戦争の悲惨さを聞かされて育った世代です。
書物や映像、そして原爆資料館などで知った世代です。
だから、次の世代に平和の尊さを伝えるのも、体験した人たちほどの適任者ではあれ得ません。
次々と続く若い世代の方たちにも、身近にこんな資料館ができること、大切なことだと思います。
そして、戦争を体験した方々に、是非残して言っていただきたいと願うひとりです。
戦争を知らない世代ですが、父親がシベリヤ拘留中に使っていた、アルマイト製(?)の持ち手のついた器と、柄の先がひしゃげた匙(カレースプーンの大きさ)の記憶があります。
これが、シベリヤから持ち帰った品物だと、そう聞いた記憶と映像が鮮やかなのですが、その後どこかへ言ってしまったのでしょう。
「武運長久」の寄せ書きした日の丸の旗も見た記憶があります。
今思うと、まだ、戦後10年ぐらいの頃の記憶なのです。
幼い子供だった私の記憶は、親から聞いた話をもとに想像の範囲の戦争の様子を思うだけです。
同じ空間で語り合っていても、焼夷弾の炎を見た者と、聞くだけの者の違いを思います。仕方がないことです。
多分、時代が遠くなった分だけ体験者から直接語継ぐという機会が少なくなるでしょう。
だから、当時の資料の力を借りて、戦の悲惨さを平和の尊さを理解する場ができることは良いことだと思います。
子供たちの社会化見学の場にもなるのでしょうか。
戦後生まれの団塊の私たちも、定年まで後数年という今です。
若い先生たちが平和の尊さをより若い子供たちに伝えていって欲しいと願います。
公設資料館建設予定だったのが財源の見通しが立たなくなっていたところ、個人の方から、土地と資金の提供をうけ、さらに寄付金を募っての設立にこぎつけた施設です。家人が寄付をしていたことで、今日オープニングプログラム等の冊子が届きました。
私たちは、親から戦争の悲惨さを聞かされて育った世代です。
書物や映像、そして原爆資料館などで知った世代です。
だから、次の世代に平和の尊さを伝えるのも、体験した人たちほどの適任者ではあれ得ません。
次々と続く若い世代の方たちにも、身近にこんな資料館ができること、大切なことだと思います。
そして、戦争を体験した方々に、是非残して言っていただきたいと願うひとりです。
戦争を知らない世代ですが、父親がシベリヤ拘留中に使っていた、アルマイト製(?)の持ち手のついた器と、柄の先がひしゃげた匙(カレースプーンの大きさ)の記憶があります。
これが、シベリヤから持ち帰った品物だと、そう聞いた記憶と映像が鮮やかなのですが、その後どこかへ言ってしまったのでしょう。
「武運長久」の寄せ書きした日の丸の旗も見た記憶があります。
今思うと、まだ、戦後10年ぐらいの頃の記憶なのです。
幼い子供だった私の記憶は、親から聞いた話をもとに想像の範囲の戦争の様子を思うだけです。
同じ空間で語り合っていても、焼夷弾の炎を見た者と、聞くだけの者の違いを思います。仕方がないことです。
多分、時代が遠くなった分だけ体験者から直接語継ぐという機会が少なくなるでしょう。
だから、当時の資料の力を借りて、戦の悲惨さを平和の尊さを理解する場ができることは良いことだと思います。
子供たちの社会化見学の場にもなるのでしょうか。
戦後生まれの団塊の私たちも、定年まで後数年という今です。
若い先生たちが平和の尊さをより若い子供たちに伝えていって欲しいと願います。