真夏の日曜日。友人に誘われて街中に絵を見に行く。
普段、仕事で街中に通勤しているのだけれど、そうまめに展覧会めぐりをすることもなくなった。
気の向いたときに、ふらっと立ち寄ったり、友人のお誘いに乗ったりする程度。
で、今日の収穫は2枚のパステル画。
市民ギャラリーで予定のグループ展を見終わり、隣の部屋も覗こうかしらと、見やった時、目に飛び込んできた風景画。
靄だったか霞、だったか、そんな題名だった。
森といえばいいのか、林なのか、道が画面中央から奥に向けて、見るものの視線を辿らせ、画面中央が木々の幹の向こうに明るくぼんやりとした、朝もやを思わせるひと時を描き留めている。
木漏れ日に当たるのだろうか、一箇所明るい色が置かれているが、多すぎもせず、控えめで、その控えめ加減が静けさを語っている。
画面を立てに10本ほどの幹が、太く細く、手前に中ほどに、輪郭もぼんやりと、描かれている。その木の種類を語りもせず、見るものも知ろうとも求めず、ただ、その静かさと、霞の色合いを満喫できる。それで充分。
木がよく描けているからでもなく、奥行きを表現できているからでもなく、風景をこんな風に表現できるのだと、そう思える絵に今日出合えたことが、嬉しかった。
贅沢なことに、画集に載っているような有名な絵を見る機会も度々ある。
でも、今日にように、作者は素人絵描きさんであっても、好きな絵に出合うと、結構何年間も、心のポケットにしまいこんで、時々思い出したりする癖が私にはある。
普段、仕事で街中に通勤しているのだけれど、そうまめに展覧会めぐりをすることもなくなった。
気の向いたときに、ふらっと立ち寄ったり、友人のお誘いに乗ったりする程度。
で、今日の収穫は2枚のパステル画。
市民ギャラリーで予定のグループ展を見終わり、隣の部屋も覗こうかしらと、見やった時、目に飛び込んできた風景画。
靄だったか霞、だったか、そんな題名だった。
森といえばいいのか、林なのか、道が画面中央から奥に向けて、見るものの視線を辿らせ、画面中央が木々の幹の向こうに明るくぼんやりとした、朝もやを思わせるひと時を描き留めている。
木漏れ日に当たるのだろうか、一箇所明るい色が置かれているが、多すぎもせず、控えめで、その控えめ加減が静けさを語っている。
画面を立てに10本ほどの幹が、太く細く、手前に中ほどに、輪郭もぼんやりと、描かれている。その木の種類を語りもせず、見るものも知ろうとも求めず、ただ、その静かさと、霞の色合いを満喫できる。それで充分。
木がよく描けているからでもなく、奥行きを表現できているからでもなく、風景をこんな風に表現できるのだと、そう思える絵に今日出合えたことが、嬉しかった。
贅沢なことに、画集に載っているような有名な絵を見る機会も度々ある。
でも、今日にように、作者は素人絵描きさんであっても、好きな絵に出合うと、結構何年間も、心のポケットにしまいこんで、時々思い出したりする癖が私にはある。