原作は井上ひさし。「父と暮らせば」は舞台で上演中から新聞記事で気になっていた作品でした。
1948年の広島。
原爆の8月6日、ふとした偶然で命が助かった娘(23歳)と、亡くなった父の物語。
娘は、当たり前のように父に語りかける。当然、その父、というのは、現存しないはずだから、幽霊と言うことになるのだろうか。
その父と娘の、広島訛りの会話が美しい。
井上ひさし氏の舞台作品として書かれたものであることもあって、場面の殆どが父娘の家の中での会話。
娘役の宮沢りえの長台詞、彼女の風情が美しいこともあるからか、その話し振りにも引き込まれてしまいます。
日本の言葉って、こんなにも美しいものだったのか、と改めて思いました。
論理的に語りつくすのではなく、言葉の後先に、空気のように相手を思いやる「気」のようなものを纏っているようにすら感じました。
きっと、日本語のせい、というより、その父と娘のお互いを思う「気配」が、言葉を美しくしているのでしょう。
ふと、かつて、30年以上前ですが、テネシー・ウィリアムズの「ガラスの動物園」の家族の話を録音テープで聞いて、英語って美しいな、と感嘆したことを思い出しました(ビデオなんてない時代です)。
英語がわかるわけでもないのだけれど、抑揚、音調。音ですから、目には見えないのだけれど、美しいものに囲まれている、そんな気分になる会話のやり取りでした。
井上やすしさんって、本当に言葉の良い使い手、ですね。
こんな風に彼が言葉を紡ぐと、ポン、もうひとつポン、と日本人の文化の発進となるような作品が生まれるのかと思うと、作家ってすごいな、と思います。
映画、としても、描いている時代が時代ですから、色も抑えられていて地味なのですが、宮沢りえさんのか細い美しさがひときわ映えました。
1948年の広島。
原爆の8月6日、ふとした偶然で命が助かった娘(23歳)と、亡くなった父の物語。
娘は、当たり前のように父に語りかける。当然、その父、というのは、現存しないはずだから、幽霊と言うことになるのだろうか。
その父と娘の、広島訛りの会話が美しい。
井上ひさし氏の舞台作品として書かれたものであることもあって、場面の殆どが父娘の家の中での会話。
娘役の宮沢りえの長台詞、彼女の風情が美しいこともあるからか、その話し振りにも引き込まれてしまいます。
日本の言葉って、こんなにも美しいものだったのか、と改めて思いました。
論理的に語りつくすのではなく、言葉の後先に、空気のように相手を思いやる「気」のようなものを纏っているようにすら感じました。
きっと、日本語のせい、というより、その父と娘のお互いを思う「気配」が、言葉を美しくしているのでしょう。
ふと、かつて、30年以上前ですが、テネシー・ウィリアムズの「ガラスの動物園」の家族の話を録音テープで聞いて、英語って美しいな、と感嘆したことを思い出しました(ビデオなんてない時代です)。
英語がわかるわけでもないのだけれど、抑揚、音調。音ですから、目には見えないのだけれど、美しいものに囲まれている、そんな気分になる会話のやり取りでした。
井上やすしさんって、本当に言葉の良い使い手、ですね。
こんな風に彼が言葉を紡ぐと、ポン、もうひとつポン、と日本人の文化の発進となるような作品が生まれるのかと思うと、作家ってすごいな、と思います。
映画、としても、描いている時代が時代ですから、色も抑えられていて地味なのですが、宮沢りえさんのか細い美しさがひときわ映えました。