昨日のサンデープロジェクトでの場面が、まだ頭の中で行ったり来たり。
田原総一郎氏の質問に対して
質問「民意と国益、どちらを優先しますか」
麻生氏「そりゃ、国益でしょう」とためらいもなく。そして「だって、松岡洋祐の国際連盟脱退にしても、あれは国民がみんな賛成したでしょう。朝日(新聞)だって、大いに賛成していたではないでしょうか」と話し、朝日の記者である星浩氏にダメ押しのような相槌を求めていた。
-朝日の星浩氏、穏やかな顔を崩すこともなく、反論もなし。
福田氏「(突然の質問に、一瞬返答に窮したかのような素振りは見えたものの)国益です」
えっ!これから宰相になろうと立候補している2人が、公開の場で
「民意より国益」と回答するのは、それでいいのかな?と引っかかってしまいました。
じゃあ、選挙って何よ。民主主義って何よ。と心の中でブツブツ。
自分の都合で宰相職を投げ出した人がいるかと思うと、
今度は、テレビ番組に出演して、「民意より国益」をあっけらかんと口にしてしまう。
そりゃ、100パーセント民意に問うていたら間に合わない問題があるでしょう。
だけれど、国民に説明しようともしないで、「国益だから」で通ってしまうとしたら、国民を愚民だとみなす、独裁国家の路線へと向かっているような気がします。
国際連盟脱退は教科書でしか知らないけれど、言論を統制して、新聞にも検閲が入る時代ではなかったでしょうか。
国民の意を端から無視してしまうこともあり、と、これからの仕事(首相)を目指す人がテレビ番組という場で平然と言いのけてしまう。
えっ!コレって、嫌な方向に向かっているのでは?
議院内閣制だから、さしあたっての総裁選には「民意」を考えることはないから、の発言でしょうか。
ちょっと、コレでいいのかな、と引っかかっています。
おふたりのさしあたっての懸案事項である「テロ特別措置法」を、どうしても通したい、中東に派兵している各国の軍隊に給油したい、という思いが、そういわせたのでしょう。
ああ、こんな風にして、国というものは、国民の意とは別で、流れに組み込まれていくのだと、その様を見せ付けられているようでした。
田原総一郎氏の質問に対して
質問「民意と国益、どちらを優先しますか」
麻生氏「そりゃ、国益でしょう」とためらいもなく。そして「だって、松岡洋祐の国際連盟脱退にしても、あれは国民がみんな賛成したでしょう。朝日(新聞)だって、大いに賛成していたではないでしょうか」と話し、朝日の記者である星浩氏にダメ押しのような相槌を求めていた。
-朝日の星浩氏、穏やかな顔を崩すこともなく、反論もなし。
福田氏「(突然の質問に、一瞬返答に窮したかのような素振りは見えたものの)国益です」
えっ!これから宰相になろうと立候補している2人が、公開の場で
「民意より国益」と回答するのは、それでいいのかな?と引っかかってしまいました。
じゃあ、選挙って何よ。民主主義って何よ。と心の中でブツブツ。
自分の都合で宰相職を投げ出した人がいるかと思うと、
今度は、テレビ番組に出演して、「民意より国益」をあっけらかんと口にしてしまう。
そりゃ、100パーセント民意に問うていたら間に合わない問題があるでしょう。
だけれど、国民に説明しようともしないで、「国益だから」で通ってしまうとしたら、国民を愚民だとみなす、独裁国家の路線へと向かっているような気がします。
国際連盟脱退は教科書でしか知らないけれど、言論を統制して、新聞にも検閲が入る時代ではなかったでしょうか。
国民の意を端から無視してしまうこともあり、と、これからの仕事(首相)を目指す人がテレビ番組という場で平然と言いのけてしまう。
えっ!コレって、嫌な方向に向かっているのでは?
議院内閣制だから、さしあたっての総裁選には「民意」を考えることはないから、の発言でしょうか。
ちょっと、コレでいいのかな、と引っかかっています。
おふたりのさしあたっての懸案事項である「テロ特別措置法」を、どうしても通したい、中東に派兵している各国の軍隊に給油したい、という思いが、そういわせたのでしょう。
ああ、こんな風にして、国というものは、国民の意とは別で、流れに組み込まれていくのだと、その様を見せ付けられているようでした。