日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

本日午後1時直前に、安倍首相辞意表明

2007-09-12 14:46:40 | 社会問題
月曜日に所信表明演説があって、本日1時から衆議院で代表質疑に入らんとする、その直前のこと。
昨晩の安倍首相の記者会見の最後の質問に、「体調がお悪いようですが」と聞かれて、「少し風邪を引いておりまして…」とかわしておられました。

「イヤー、風邪って、いう言い方で済ましたけれど、シンドイのだろうなー」と、いう印象を受けました。

いくら重職であっても、松岡さんのようになる必要はない。
タオルを投げるのは誰だろう。
母親の洋子さんかな。
昨晩は、そんな会話を交わしていた。

そして、今日の辞意表明。

テレビニュースは「どうして、今日という、この段階での辞意なのか、理由がわからない」と繰り返している。

いやー、よかった。
誰がタオルを投げたのかはわからないけれど、命までを賭す必要はないのですから。

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茂木健一郎氏と林望氏の対談から

2007-09-12 09:41:16 | 私の雑感あれこれ
今朝の朝日朝刊の広告特集で
茂木健一郎氏と林望氏の対談から

茂木氏の梅田望夫氏との最近の対談集「フューチャリスト宣言」の中でも、あの進化論のチャールズ・ダーウィンの探求姿勢に共感していると書いてあったけれど、イギリス文化のエッセイを数多く書いている林氏との対談でも、つい話はそちらの流れ、である。
両氏の認識では、この国では「いい変人」「正しい変人」がなぜ育たないのか。との方向で話はかみあい、「『アカデミックな変人』を待望する」に話は行き着いている。

茂木氏:(「アカデミックな変人」)みんな憧れると思うんですよ。ぜひ自分もああなりたいと。今は、学者を見る学生の目に憧れが宿っていないですから。

 -今は、学者を見る学生の目に憧れが宿っていないですから。ー

教壇で教えている先生の数は、この時代膨大な数になっているでしょう。
そのお一人、多分茂木先生の学生は、熱意に溢れているだろうけれど、その茂木先生が、こういう、フレーズで現実の学問の府を表現していらっしゃる。

私が大学生だった時(もう四半世紀以上前になってしまったけれど)でも、その大学は前身が旧制○高で、国立一期と言われるところだったけれど、私にとっての教壇の先生は、今日の紙面で茂木先生がおっしゃったフレーズ状態でした。

-個人的には、大学は仲間を、親友を得るところ、大学に来なければ、この友人に出会うことがなかった、本を片手に話し込むことはなかった、卒業当時は大学をでた意義をそう振り返ったりしていました。
-教師という職を得られたのは、大学を卒業し、教職免許を得たから、ですけれどー

「憧れを宿した目で教壇の学者の話を聞き、ノートをとる」そんな体験、してみたかったなと、この年になっても、そう思います。

ま、本を読むということは、その出会えなかった教師を、共感できる仲間を求めているのかも知れません。
私の場合は、遥か昔のことで、愚痴っても始まりませんが、
今、林立している大学での、学者と学生の形が、こうも醒めている、という現実
それでも、親はせっせと学費を振り込んでいると思うと、
うーん、です。




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