日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

雛の節句も過ぎて・・・。

2008-03-04 11:17:36 | 私の雑感あれこれ
今日は、急いで片付けの日なのでしょうか(笑)。
日本は随分豊かになり、ものであふれています。
昨日、テレビニュースで、古いお雛様を舟に乗せて流すという行事を報道していました。
画面に映ったお雛様は、遠目には充分きれいなのですが、不要は不要なのでしょう。

私が子供だった昭和20年代から30年代(テレビは普及前)は、お雛様の段飾りは贅沢品で、幼稚園で見るものでした。
まちで、多分裕福なのであろう誰かさんところにあっても、それを羨ましいと思うことすら思いもよらない、そんなものでした。
もちろん、一世代上の、私たちの親世代に浸透していたわけでもないのでしょう。

それが、20年ほどで、あっという間に段飾りが普及し、7段飾り、いや8段飾りと、取りざたされる時代がやってきました。
そのちょうど、真っ最中にあたった昭和50年からの私の子育て時代。

「お雛様を眺めながら育つとやさしい子に育つ。お雛様を見ながら育たないと、女の子はロクな子に育たないよ」
そう言って、プツンと電話を切られました。
「転勤族だから、段飾りは揃えない」といっても、「嫁の実家が用意するものだ」の考え方です。
私は、自分の親にウン十万円もする段飾りを買ってくれ、といえませんでした。
だから、我が家のお雛様は、一対の立雛だけ。
それでさえも、飾らなくなって随分になります。

そんな思いをしてから、大分後になって、同じ県に住むご婦人が、「鯉のぼりを揚げない運動」をしている、という記事を全国版で読みました(その頃は、別の地方で暮らしていた)。
この県では、「鯉のぼりも嫁の実家から持ってくるべきもの」男の子が生まれたことを誇り、嫁の実家が恥ずかしくないように、大きな幟を用意せざるを得ないのが実情だから、その習慣をなくそう、というのかその女性の主旨でした。

子供が誕生したことを喜び、元気に育つことを願う、これは理解できるのですが、それが豊かさを競う、負担を強いるものになっていったのか、と想像します。

豊かなことにあこがれる時代から、ものが溢れる時代へと、世の中はすっかり変わって、段飾りを何年も経験済みの今40代のお母様方と話すと、飾り付けも大変、一年中場所をとるし、とマイナス意見も続出。

昭和40年代から30年間程は、お雛様の生産者の栄華の時代。
お金は、こうして流れ、経済が盛んになったのでしょう。
この風習が下火になると、業者さんの景気は下降してしまうのでしょうが、
どっちが良いか。

昨日の舟に乗った溢れんばかりのお雛様の姿を思うと、人って、賢いようで、罪つくりなことしてきているものだと、思ってしまいます。








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