日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

「極光のかげに」高杉一郎著 読了。

2008-03-05 07:46:58 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
2月24日、ブログ記事続き。

1944年(昭和19年)に召集をうけ、36歳で兵隊となる。
関東軍に配属され、終戦後はシベリアで俘虜4年余り。
帰還したのは1949年9月。
帰還してから半年ほどあとから、一気に書き上げられたシベリア体験記です。
50年に雑誌連載され、その後出版。
ベストセラーになったとあります。

作者はソ連の捕虜です。
連行されたわけですから、身一つです。
でも、彼の知識量の豊富さ、手探りでのロシア語習得のさま(英語、ドイツ語はできる方だった)をみても、その時代の日本の文科系インテリであったという思いを持ちます。
シベリア生活では、捕虜達はこぞってソ連型の民主主義運動を学び、傾いていく。あるものは本心から、あるものは生き延びる方法として。
そのまま肯じることができない旧日本軍将校達や、インテリ層は懲罰部隊に分類され、課せられる労働もきつかったり、警備の目も厳しい。
作者は語学力が幸いして、接する当地の人たちの個性をくみ取った交わりをしている。それはユダヤ人だったり、ドイツの捕虜を体験したロシア人だったり、アゼルバイシャンからシベリア送りになった人だったり。
お互いが立場に拘束されている状況でありながら、幾人もとの交流が芽生えたりするところは、さく。
民主主義体制にすっぽりオルガナイズされた捕虜である日本人が多勢の組織となり、ソ連スターリンに傾倒しない日本人をファシズムだと批判し、批判に晒す。
こんな世界が出来上がっていたのかと、教えられる。
ソ連体制とシベリアに来ているロシア人は、同一ではないってことも…。
それはそうですね。
だから、鉄のカーテンを敷いたのでしょう。
ああ、この言い方も、時代的にはこの本が書かれの後から使われるようになったのではないでしょうか。

日本に帰還してまもなく書かれた、というか、作者が書きとめて、吐き出さないとたまらない、そういうものに突き動かされて書かれた話です。
だから、話は、体験した時期から時間を経ていないから新しい。

戦後5年で、生活物資も不足していたであろう当時にあって、ベストセラーとは、どのような人たちがこぞって、この本を読もうとしたのか、そして数はどれぐらいか、など、自分がやっと生を受けたその頃を思い巡らせながら、ページをめくりました。


コメント
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