少しずつ時代は下る。ローマだけじゃなく、同時代のギリシャについての記述もあり。
紀元前460~430年にギリシャを治めたペリクレスの言が、同時代の歴史家ツキディディスの筆によれば、として引用してある。
まだ読み始めたばかりで、つい線を引きたいと思って、引きそびれて1冊を読み終え、2冊目の上記の箇所で、やはり、と自分なりに気になってインデックスを張った。
この巻のあとがきでも、塩野さんご自身が、ペリクレスの思想に言及しておられる。
世界史に疎い私などは、ペリクレスなね個人名は初めて。勿論こんな思考が紀元前に育っていて、歴史家がそれを残していたということに、ただすごい!と思うひとり、だということですが、ここに、その箇所を書き記します(だから、引用の引用です)。
「われわれアテネ人は、どの国の国体をも羨望する必要のない国体をもっている。他国の物まねをしてつくった、政体ではない。他国のほうが手本にしたいと思う、政治体制である。少数の者によって支配されるのではなく、市民の多数が参加するわれわれの政体は、民主政(デモクラツィア)と呼ばれる。
この政体下では、すべての市民は平等な権利を持つ。公的な生活によって与えられる名誉も、その人の努力と業績によって与えられるものであり、生まれや育ちによって与えられるものではない。貧しくとも、国家に利する行為をした者は、その貧しさによって名誉からはずされることはない。
われわれは、公的な生活にかぎらず私的な日常生活でも、完璧な自由を享受して生きている。アテネ市民の享受する自由は、疑いや嫉妬が渦巻くことさえ自由というほど、その完成度は高い。・・・(中略)・・・
子弟の教育に関しても、われわれの競争相手(スパルタ人を暗示している)は、ごく若いときから子弟に厳しい教育をほどこし、それによって勇敢な気質の持主の育成を目指しているが、われわれの国では、彼の国ほどは厳格な教育を子供に対して与えていない。それでいながら、危機に際しては、彼らよりおとる勇気を示したことはなかった。
われわれは、試練に対するにも、彼らのように非人間的な厳しい末の予定されたけっかとして、対するものではない。われわれのひとりひとりがもつ能力を基とした、決断力で対する。われわれが発揮する勇気は、習慣にしばられた法によって定められたから生まれるのではなく、アテネ市民一人一人が日常の生活を送るうえでもっている、各自の行動原則から生まれる。・・・(中略)・・・
われわれは、美を愛する。だが、節度をもって。われわれは、知を尊ぶ。しかし、おぼれることなしに。われわれは、富を追及する。だがこれも、可能性を保持するためであって、愚かにも自慢するためではない。アテネでは、貧しいことは恥ではない。だが、貧しさから脱出しようと努めないことは恥とされる。
われわれは、私的な利益を尊重するが、それは公的利益への関心を高めるためである。なぜなら、私的利益追求を目的として行われた事業で発揮された能力は、公的な事業でも応用可能であると思っているからだ。ここアテネでは、政治に無関心な市民は静かさを愛する者とは思われず、市民としての意味をもたない人間とされるのである。・・・(中略)・・・
結論を言えば、われわれのポリスであるアテネは、すべての面でギリシャの学校であるといえよう。そして、われわれの一人一人は、このアテネの市民であるという名誉と経験と資質の総合体であることによって、一個の完成された人格をもつことになるのだ。
これは、単なる言葉のつらなりではない。確たる事実である。われわれのこの考え方と生き方によって強大になった、現在のアテネがそれを実証している。」
以上、引用――
数ヶ月前、高野山の宿坊で、般若心経の写経をしました。漢字だし、表意文字の意味はなんとなくわかるけれど、お経としての意味はまったくわかりませんでした。
それでも、ひとり黙々と筆写したのです。
いつも、書きなぐりの文章ばかりの弊ブログですが、
したこともない長文引用は、意味のわかる写経のよう、そんな感じもすこしします。