日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

「ローマ人の物語」文庫3巻 読了

2011-09-22 07:52:14 | 
ローマはカルタゴとの戦いに次ぐ戦いの明け暮れ。
シチリア島の領地争いの年月が書かれている。
第1次ポエニ戦争で、シチリアからカルタゴを撤退させたところまで、読み進んでいる。

ローマの執政官(二人が毎年選抜される)は、大軍を指揮してカルタゴとの攻防にあたる。
この為政者とは、領土を守る(拡大していく)使命に尽きる。そんな戦闘の最中であっても、1年ごとに選出されたものが執政官を努めるのだから、昨今の1年後との日本の政権交替も、古代ローマまで遡れば、似た事例はあるということか。
そして思う。平時の社会福祉や、災害復興に政治が全力でかかわっている時代の幸せを。

戦で負ければ奴隷になる、そんな時代に本の中で出会っているものだから、賠償金が少ない!などの新聞見出しに、一瞬「・・・」です。

イタリアは、南北格差があって、南部地域は停滞気味という情報と、シチリア島は、イタリアでもマフィアの排出した地域、なんてイメージが強かったけれど、古代においては、ギリシャのあぶれ者(塩野さんはこんな書き方をしている)が作った都市国家が栄え、カルタゴが良港を築き繁栄していたという。
映画「山猫」で描かれたのも、シチリア島の没落貴族の周辺に起こる変革の話だった。

いつか、いつか、尋ねてみたい地域のひとつに加わった。

租庸調…昔、日本史で教わった。ローマでは、まず「庸」があった。
ローマ市民17歳から45歳まで、税は兵役に徴されることだった。
45歳を過ぎると60歳までは、予備役。
勿論男性の話。市民の選挙権も勿論男性に限られていた。
軍装も自分で用意して参戦するわけで、当然身分高く裕福であれば、重装備も出来ようが、庶民は軽装で戦争に向かう、という。
それが、紀元前3世紀頃になると、軍装を揃えるようになり、支給されるようになる。
また、給金も支払われるようになる。

属州などについても、すべてルールが決められていて、何万もの戦士を力が偏らないように各師団に配属するなど、ローマの指揮官はシステム化に長けていたという。

コメント (3)
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