WOWWOWで。
なんとなしに付けたテレビで、途中から見て、所用で最後まで見られなかったので、
翌日、録画で見直す。
見始めは、オードリーの美しさを堪能するつもりで、見ていたのだけれど、
字幕の台詞を追っているうちに、そういうことを言いたい映画か、と気になりだし、映画のはじめと終わりもきちんと鑑賞しました。
カソリック教会が修道女に求めている規律、修道女の世界を知ることが出来ました。
―以下ネタばれなので、ゴメン―
「お父さんが誇りに思う娘になれるよう目指します」と娘
「いつまでもお父さんの娘なのだから、ガブリエル(オードリーヘップバーン)には幸せでいて欲しい。・・・いつでも、ここに戻ってきていいよ」と父
(再現しようと思わなかったので、ルーズにしか見ていなかった、いい加減でゴメン)
そんな会話を取り交わして、彼女は修道院に入る。
ガブリエルは看護婦としてコンゴの修道院が運営する病院で働くのだけれど、看護婦の仕事よりも、修道女としての祈りが優先するように指導され。。患者のために頑張っても、《自分をよく見せたいという世俗の欲にとらわれている》と看做され懺悔しなくてはならない世界。
ふーん、カソリックの世界ってそういう考え方なのか、と私(わたし)的な一知識の仕入れ(苦笑)。
これは実話に基づく原作があって、ローマカソリックに配慮しながら製作されたと書かれた映画案内も読んだから、当時のキリスト教社会にあっては、映画製作は微妙さも含んでいたのかもしれない。
自分と話したがっている患者が目の前にいても、治療をもう少し続けたくても、お祈りの鐘が鳴ると、なにより礼拝が大事で、遅れると懺悔しなくてはならない生活が続く。
外科医の娘で有能な看護婦である彼女には、そのルールになじめない。
ドイツ軍にブルッセルの街が陥落し、ベルギーも降伏。父親が内密にけが人の治療中のところを機銃掃射に遭い死亡との連絡を受ける。修道院では手紙も検閲を経るのが本来のルールらしい。
湧き出る感情も否定しなくてはならない世界に耐え切れなくなって、終章でガブリエルは教会を出て行く。
尼僧姿のオードリー・ヘップバーンは、やはり美しかった!
なんとなしに付けたテレビで、途中から見て、所用で最後まで見られなかったので、
翌日、録画で見直す。
見始めは、オードリーの美しさを堪能するつもりで、見ていたのだけれど、
字幕の台詞を追っているうちに、そういうことを言いたい映画か、と気になりだし、映画のはじめと終わりもきちんと鑑賞しました。
カソリック教会が修道女に求めている規律、修道女の世界を知ることが出来ました。
―以下ネタばれなので、ゴメン―
「お父さんが誇りに思う娘になれるよう目指します」と娘
「いつまでもお父さんの娘なのだから、ガブリエル(オードリーヘップバーン)には幸せでいて欲しい。・・・いつでも、ここに戻ってきていいよ」と父
(再現しようと思わなかったので、ルーズにしか見ていなかった、いい加減でゴメン)
そんな会話を取り交わして、彼女は修道院に入る。
ガブリエルは看護婦としてコンゴの修道院が運営する病院で働くのだけれど、看護婦の仕事よりも、修道女としての祈りが優先するように指導され。。患者のために頑張っても、《自分をよく見せたいという世俗の欲にとらわれている》と看做され懺悔しなくてはならない世界。
ふーん、カソリックの世界ってそういう考え方なのか、と私(わたし)的な一知識の仕入れ(苦笑)。
これは実話に基づく原作があって、ローマカソリックに配慮しながら製作されたと書かれた映画案内も読んだから、当時のキリスト教社会にあっては、映画製作は微妙さも含んでいたのかもしれない。
自分と話したがっている患者が目の前にいても、治療をもう少し続けたくても、お祈りの鐘が鳴ると、なにより礼拝が大事で、遅れると懺悔しなくてはならない生活が続く。
外科医の娘で有能な看護婦である彼女には、そのルールになじめない。
ドイツ軍にブルッセルの街が陥落し、ベルギーも降伏。父親が内密にけが人の治療中のところを機銃掃射に遭い死亡との連絡を受ける。修道院では手紙も検閲を経るのが本来のルールらしい。
湧き出る感情も否定しなくてはならない世界に耐え切れなくなって、終章でガブリエルは教会を出て行く。
尼僧姿のオードリー・ヘップバーンは、やはり美しかった!