日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

母のこと

2015-11-16 07:08:19 | 母のことなど
庭で雑草取りをしていると、頭をよぎるフレーズがある。

「親指の先ほどの草の小さいときにむしっているんだよ」

とか、

「『お前がここに生えてきたことには罪はないのだけれど、申し訳ないね、摘み取らせてね』と心の中で詫びながら抜いている」

と。

母が常々私に語っていた。


考えてみたら、私は3人兄弟で、おんなは私だけ。
そうすると、こんな細やかなイロイロを語り継いでくれたのは、私ひとりに、なのだろう。他に誰にも言う当てもないだろうし。

その時は、若い私は

「またか」

と聞き流していたのに、今、60代になって花壇の草取りをしながら、
同じことをしている。

母は、いっぱい私に伝えたかった人で、相槌を打つこともあり、煙たがったこともあり、だったけれど、前述のような、極小のほんのささやかなことも、

ほら、伝わっている!

きっと、いっぱい、伝わっているよ。

ありがとう。


昨日、弟から電話があった。
今月に入って、ひざの力が入らなくなって、歩行器につかまり立ちしても、全体重をもたれかけているので、手で持って歩行器を前に出すことができなくなった、と。
ひざが一瞬も身体を支えられなくなったのです。
そして、こ朝も朝食が要らないといって、まだベットから茶の間に出てきていない、とのこと。食卓に着きさえすれば、普段通りに食事も進むし表情も元通りなのだけど、と。

先月顔を見に行ったとき
「ひざがダメになるのと、命の終わりが一緒に来てほしい」
と、ボソッと言っていたのが思い出される。

考えているのだろうな、と思う。

明治21年生まれの祖母(母にとっては姑)は94歳で自宅で老衰死だった。
祖母は、水だけにして食事をとりたくない、と介護する母に断って1週間で逝ったと言っていた。
その顛末も充分に記憶にあるはずです。

私が母の失敗の始末をしても、申し訳ないね、悪いね、お前にこんなことをしてもらって、と言葉をかさねる。
弟夫婦にたいしても、同じような思いでいることだろう。

どうしたらいい。

・・・
・・・

母本人が、一番考えていること。

とりあえず、来月半ばにある結婚式。
弟夫婦の長男の結婚式に出席するのが目標。

きっと、アレコレ一生懸命段取りしている弟夫婦に迷惑を掛けれない、そう思っているハズです。

どうしたらいい。

施設に申し込んだ?
と訊いたら、
なんて?そんなことしてないよ、と弟。

施設に入りたくない母
入れたくない弟

すごく、一致していて、私はラッキーです。

弟の奥さんの負担が気になります。

弟曰く
「Uさん(弟の奥さん)が言うんだよ。『齢とって次男と同居できるって幸せだね。私もそうなったら、どんなに嬉しいか』」と。
弟夫婦は息子二人なんです。

母は幸せ者です。
こんな生き方が展開するのは、母の行いの賜物かもしれませんね。

一歩一歩が痛みで耐えられないギリギリまで、歩行器を使い続たというのも、母のやり方なのですから。

12月にまた顔を見られるからね。

一昨年、昨年と私の庭を見に来ました。
初めて庭を見たとき、母は驚きました。
あんなに草むしりもしなかった娘が、たくさんのバラを育てていたから。

なんでおまえが…こういうことに、という思いだったのでしょうか。
次に出た言葉が、

「勉強したからかね~」

でした。

どういう脈絡かしら。笑

母には18歳までの私の姿がいつも去来しているのでしょう。













コメント (8)
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