私の育った家は、街道筋の町屋風。建物は南向きだけれど、全面道路に接しているので、当然庭は北側になる。だから、小学生時代、自分の家で育てたお花を教室に飾るために持ってくる人がうらやましかった。
中学生になったバラの季節。誰かが持ってきた臙脂の小輪のバラが飾られていた。多すぎたからか、花の盛りを過ぎたからか、そこのところの記憶は定かではないけれど、そのバラをもらって帰ったことがあります。
ちょうどそのころ、自宅の裏の田んぼ(水害の被害にあい易い、不良田圃だったらしいです)を購入して、母は家庭菜園と花壇にと思っているところだったのでしょう。
その不良田圃の土手を高くして、そこに、バラが数株植わっていた光景を覚えています。私の記憶に持ち帰った以降の顛末はないので、挿し木したのは母です。日当たりが悪くて、うちの裏庭では花が咲かない、そう思い込んでいたのに、土手に臙脂の花が咲き誇っている光景を思い出すことができます。
母の耳が聞こえていれば、こんな些細なことも、思い出話としてできるのに、それはかなわず、です。
挿し木で育つ、そこのところは、思えば経験者から、暗黙の伝授があったということになりますね。
中学生になったバラの季節。誰かが持ってきた臙脂の小輪のバラが飾られていた。多すぎたからか、花の盛りを過ぎたからか、そこのところの記憶は定かではないけれど、そのバラをもらって帰ったことがあります。
ちょうどそのころ、自宅の裏の田んぼ(水害の被害にあい易い、不良田圃だったらしいです)を購入して、母は家庭菜園と花壇にと思っているところだったのでしょう。
その不良田圃の土手を高くして、そこに、バラが数株植わっていた光景を覚えています。私の記憶に持ち帰った以降の顛末はないので、挿し木したのは母です。日当たりが悪くて、うちの裏庭では花が咲かない、そう思い込んでいたのに、土手に臙脂の花が咲き誇っている光景を思い出すことができます。
母の耳が聞こえていれば、こんな些細なことも、思い出話としてできるのに、それはかなわず、です。
挿し木で育つ、そこのところは、思えば経験者から、暗黙の伝授があったということになりますね。