ユーチューブをサーフィンしていて、出会った。
当事者が語る体験。
戦後、満州から200人ほどの引揚者を引率してきたという話を聞いたことはある。
娘たちは髪の毛を切って坊主頭にして、顔に墨を塗って、ロシア兵からの被害を受けないようにした、と。
それでも、被害はあったわけで、なかにし礼著「赤い月」にそんな話が書かれていたことを記憶している。
確か作家の五木寛氏だったと思うけれど、戦後の引き上げ途中で群れの中で泣く赤子の声から敵に見つかってはいけないと、、、、という話を読んだこともある。
両親がなく、兄弟だけだったけれど、引き上げグループの中で皆さんと一緒に本土に戻っこれた話も、ご近所の方(引き上げご本人)から、聞いたことがある。
藤原てい著の「流れる星は生きている」も読んだ。
それだけれど、この事実は初めて、数日前に知った。
言葉を失います。
ひとは、ギリギリでこういうことまでして生き延びる、、、、。
そして、差別という追い打ちまで背負わされるなんて。
せめて知ることは大事なことだと思います。
よくぞ語ってくださいました。
当事者が語る体験。
戦後、満州から200人ほどの引揚者を引率してきたという話を聞いたことはある。
娘たちは髪の毛を切って坊主頭にして、顔に墨を塗って、ロシア兵からの被害を受けないようにした、と。
それでも、被害はあったわけで、なかにし礼著「赤い月」にそんな話が書かれていたことを記憶している。
確か作家の五木寛氏だったと思うけれど、戦後の引き上げ途中で群れの中で泣く赤子の声から敵に見つかってはいけないと、、、、という話を読んだこともある。
両親がなく、兄弟だけだったけれど、引き上げグループの中で皆さんと一緒に本土に戻っこれた話も、ご近所の方(引き上げご本人)から、聞いたことがある。
藤原てい著の「流れる星は生きている」も読んだ。
それだけれど、この事実は初めて、数日前に知った。
言葉を失います。
ひとは、ギリギリでこういうことまでして生き延びる、、、、。
そして、差別という追い打ちまで背負わされるなんて。
せめて知ることは大事なことだと思います。
よくぞ語ってくださいました。