私もその町の育ちだから、どこか古いしきたりの尻尾を掴んでいるところがあるので、結婚して以来、「先ず」夫の実家、次に自分の親、という順番で暮らしてきた。
夫の父、私の父、そして夫の母が亡くなり、今は私の母だけ。
最後まで、夫の母からは、下座に座りなさいと移動させられる立場の嫁をやってきた。
夫の母が存命だったら、多分ムリだろうけれど、そうではない。私が頑張れることに夫はブレーキをかけない。だから、何とかなる、そんな思いで溢れていた。
で、先日のとおり、電話でやり取りして、一件落着ではあるものの、
今は、タイトルの通りの気分。
泣けてきた。
病院のケースワーカーさんに電話した。
聞きたかったことは、その地域での施設の入所希望の様子。
個別の施設に聞いても、自分のところオンリーの情報しか聞けないから・・・。
「遠いところの身内が一番厄介なのだよ」と外野からの忠告があったりするものだから、身を小さくして(電話では、小さくもあったものではないけれど)。
で、空気として伝わってきたことは、
「みなさん大部屋を希望されますよ」とのこと。
ええっ!
個室に入りたい、という人は少ないから、そのうち希望があれば移ったら・・・、といたって、普通に答えられるのです。
個室は費用がかさむから、ご家族の方は、費用負担の少ないほうを選択なさるのです。
「母の場合認知症ではないですし、そこが本人の居室になるのだから、個室をと思っているのですが・・・」
電話の相手は担当者だから、母を知っている人です。
「そこは、本人の希望で出されたらいい、でも本人は判断できないでしょうから、結局は皆さんご家族が決められます・・・」と。
母は、倒れて入院する前日まで、お金の管理も、通院日、常備薬の管理も全部自分でしてきた。年金から生活費として長男夫婦にコレだけ出すのだ、という、いわゆる自分のお財布も充分把握している。
なのに~、年寄りは同居の家族の(私の育った田舎町では殆ど、出費の少ないほうを選択する)判断優先、なのだ。
嫌い!
そこで生まれ育った兄夫婦も、その流れに応じた判断をして、なにも変ではないのだろう。むしろ「(勿論大金持ちではないけれど、母のお金で充分まかなえる)母の快適な生活を考えた」ワタシのほうが、ヤンチャをいっている、に思えるのだろう。
そんな社会、嫌い!
夫は、のんびりした田舎が好きと、常々言ってきた。
ワタシは嫌だ、と長年拒否し続けてきた。
その答えが、今日のコレ、こんなところが受入れられないのです。
年寄りは、若いもののいうとおりにするもんだ、という。
年寄りは、ツベコベ文句を言うな、という。
母が認知症になって、皆さんに迷惑をかけているのなら、無駄な出費を避けるのもOKです。
現実は、毎日知恵を絞って、迷惑をかけないようにやってきているのに。
背中に、ヘルペスが出来て、薬を塗らなくてはいけないとき、近所の友人に手伝ってもらったこと。その人が先に亡くなってからは、こうすれば背中にも塗布できたと、知恵を語ってくれたり。
この手のエピソードは山盛りです。
ああ、田舎町は嫌い。
こんど、個室に入居したら、気兼ねなく電話も出来る。
毎日絵手紙描くから、壁に貼ることも出来るよ。
勝手に、そんな生活を想像していたものだから、
田舎町の「本人は判断できなくなっているでしょうから、ご家族が決められるのが(普通)・・・」というやり方。
まさしく、私は都会にいる嫌な身内なのでしょう。
長男夫婦にしても、自分たちは一生懸命しているのに、なんで遠くから文句言われるのか、とカチンと来たでしょう。
あ~、「田舎のしきたりというか、思考パターン」が合わなくて、ワタシはずっーと逃げたかったのだな、と思った次第です。
因みに、夫の実家は、お母さんの意見優先でしたから、まったく私の里とは違います。
夫の父、私の父、そして夫の母が亡くなり、今は私の母だけ。
最後まで、夫の母からは、下座に座りなさいと移動させられる立場の嫁をやってきた。
夫の母が存命だったら、多分ムリだろうけれど、そうではない。私が頑張れることに夫はブレーキをかけない。だから、何とかなる、そんな思いで溢れていた。
で、先日のとおり、電話でやり取りして、一件落着ではあるものの、
今は、タイトルの通りの気分。
泣けてきた。
病院のケースワーカーさんに電話した。
聞きたかったことは、その地域での施設の入所希望の様子。
個別の施設に聞いても、自分のところオンリーの情報しか聞けないから・・・。
「遠いところの身内が一番厄介なのだよ」と外野からの忠告があったりするものだから、身を小さくして(電話では、小さくもあったものではないけれど)。
で、空気として伝わってきたことは、
「みなさん大部屋を希望されますよ」とのこと。
ええっ!
個室に入りたい、という人は少ないから、そのうち希望があれば移ったら・・・、といたって、普通に答えられるのです。
個室は費用がかさむから、ご家族の方は、費用負担の少ないほうを選択なさるのです。
「母の場合認知症ではないですし、そこが本人の居室になるのだから、個室をと思っているのですが・・・」
電話の相手は担当者だから、母を知っている人です。
「そこは、本人の希望で出されたらいい、でも本人は判断できないでしょうから、結局は皆さんご家族が決められます・・・」と。
母は、倒れて入院する前日まで、お金の管理も、通院日、常備薬の管理も全部自分でしてきた。年金から生活費として長男夫婦にコレだけ出すのだ、という、いわゆる自分のお財布も充分把握している。
なのに~、年寄りは同居の家族の(私の育った田舎町では殆ど、出費の少ないほうを選択する)判断優先、なのだ。
嫌い!
そこで生まれ育った兄夫婦も、その流れに応じた判断をして、なにも変ではないのだろう。むしろ「(勿論大金持ちではないけれど、母のお金で充分まかなえる)母の快適な生活を考えた」ワタシのほうが、ヤンチャをいっている、に思えるのだろう。
そんな社会、嫌い!
夫は、のんびりした田舎が好きと、常々言ってきた。
ワタシは嫌だ、と長年拒否し続けてきた。
その答えが、今日のコレ、こんなところが受入れられないのです。
年寄りは、若いもののいうとおりにするもんだ、という。
年寄りは、ツベコベ文句を言うな、という。
母が認知症になって、皆さんに迷惑をかけているのなら、無駄な出費を避けるのもOKです。
現実は、毎日知恵を絞って、迷惑をかけないようにやってきているのに。
背中に、ヘルペスが出来て、薬を塗らなくてはいけないとき、近所の友人に手伝ってもらったこと。その人が先に亡くなってからは、こうすれば背中にも塗布できたと、知恵を語ってくれたり。
この手のエピソードは山盛りです。
ああ、田舎町は嫌い。
こんど、個室に入居したら、気兼ねなく電話も出来る。
毎日絵手紙描くから、壁に貼ることも出来るよ。
勝手に、そんな生活を想像していたものだから、
田舎町の「本人は判断できなくなっているでしょうから、ご家族が決められるのが(普通)・・・」というやり方。
まさしく、私は都会にいる嫌な身内なのでしょう。
長男夫婦にしても、自分たちは一生懸命しているのに、なんで遠くから文句言われるのか、とカチンと来たでしょう。
あ~、「田舎のしきたりというか、思考パターン」が合わなくて、ワタシはずっーと逃げたかったのだな、と思った次第です。
因みに、夫の実家は、お母さんの意見優先でしたから、まったく私の里とは違います。
年寄り=もうろく、的な考えなのでしょうね。腕力では勝てない年齢は頭脳の方も衰えていると見なす傾向はご当人にしてみたら大変な侮辱です。案山子さんの板挟みの心境に同情はしても、何のアイデアも無く、いらだちを覚えます。
長男夫婦に決して悪意があるのではないのです。多分地元育ちのケースワーカーさんの発想が突飛でもないのでしょう。
むしろ、私のほうが「世の中そんなものだ、なにを文句つけるのだ」的に受け止められるのでしょうね。
結婚して以来ずっと、いわゆる小姑ですから、母と上手くやってほしい、これに尽きるので、トラブルなど一切ありませんでした。そして、ようやく、個室の介護施設での一人暮らしだと、いわゆる「気兼ねなく」母とやり取りが出来るのだ!と、楽しみにしていたところも、私にはあったのかも知れません。そんなこともあって、堰を切ったように涙が溢れました。
母は、「自分の母親を見舞いに行くと、『(姑さんが気にしているから)早く帰れ』と、娘を玄関の上がり框で追い返したものだ」と語っていました。今は、私が見舞うと、「ありがとう」と喜こび、しばらくすると「もう顔を見られたから充分」と、私の帰り時間を気遣います。
私が悪者になってもいい、私を育ててくれた人を思って、あがらうことが出来るのは、今しかないのですから。
介護される方の苦労を思うと、すこしでも早く施設に入居してほしい・・・というところも、本音だと思います。お母様には(その本音は)申し訳ないのですが。
もし、自宅で介護となると、お世話もそうですが、毎日、健康でいるか?我慢していないか?今辛くないか?という精神的な負担も、介護する人にはあるんでしょう。施設だったら、24時間なにかあってもすぐに対応してもらえるし、という、安心感もあるわけで。
もし、リハビリの様子が順調なら、個室のグループホームという選択肢もあるような気もしますが、いかがでしょうか?
「24時間面倒を見られない」「ポータブルトイレは臭いから使って欲しくない」と、いろいろ聞かされて、
「週3、4回デイケァが使えるのではないか」「ヘルパーさんに来てもらえるのではないか」と、話そうとしても聞く耳持たず、でした。
母のお金について、明朗会計ならいいのですが(苦笑)。
角を立てないで、負担感の偏りない着地点を見つけたいと思います。
親の考え方はまるで逆です。
義母は長く人に教える仕事をしていて、田舎に暮らしていますが非常に合理的な考え方の人です。
88歳の一人暮らしですが、自分で市の制度をフルに活用して、週に2回は掃除を人を雇って家中をきれいに快適にしているし、風呂場やキッチンのリフォームもさっさとやってしまいました。
もちろん息子たちに無心することもなく。
本人ははっきりと、「お金は残さないよ。自分はいつまで生きられるかわからないのだから、生きている間を少しでも快適に過ごせるようにお金は使うからね。」って言ってます。
わたしは、この考え方に大賛成。
年を取ったらこう言えるように、子供たちをしっかりと自律させねばいけないですね。
いい着地点が見つかるといいですね。
個室に入ることのデメリットがない以上、主張してもいいような気がしますが。
ご実家と街中の案山子さんのご自宅が近くなら、こんなにヤキモキすることもなかったんでしょうにね。
信じられない悪夢があって。
でも、今の母は勲章を授与されたようなものです。
母が、母らしく生きてきたから、捨てる神あれば拾う神もちゃんとあります。
宝くじに当たったような、ラッキーではなく、頑張ってきたから勲章が舞い込んだ、そんなような展開になりました。
当たり前のことなのに、その当たり前が通じなくて、長らく悲しい思いをしてきました。
また、おいおい整理して、書くこともあるかしら。
とりあえず、母に幸せが来るでしょう。
嬉しい~。
本当に本当にうれしい。
母は30日退院予定。
昨日(27日)の朝の母は、「4ヶ月半の入院生活でみんなによくしてもらった。ここはいいところだったー」リハビリの先生に会うのも今日が最後と名残惜しそうでした。
私と弟は、退院後は弟宅(県内1時間の距離)に引き取る、という話を伝えました。段取りもなにもこれからで、介護のイロハも環境整備も何をどうやら、から始まりました。
電話しまくり、キャンセルで挨拶にいって、弟宅の近くでケアマネージャさんと打合せをして・・・。
27日に変更になって、30日から自宅介護になるのです。
弟の奥さんには突然の話。
「母親がウチに来ることになった」とメールしたら、「わかった」と返信があったけど、どこまで理解しているのか、2、3週間のことと思っているかも・・・と。
そんな急展開で、今日はその翌日。
母が入院中どんな食事をして、どんなリハビリ状態なのか知るために、今日は朝から病院に行ってくれている。
(私はどうしても仕事に出なくてはならず、月曜の晩い列車で帰宅。ドアツードアで片道6時間あまり)
昨日の段階で、少しでも住環境を整えるために、入院を1週間伸ばせないかお願いしてみよう、と話し合っていました。
今晩の電話でわかったこと。
弟宅に行くことになったことを楽しみにしている母を見ていると、「1週間伸ばすからと母に言えない」と妻がいうから、予定通り30日の退院にすることにした」と。
前の日に突然メールを受取って始まった、介護する役割。ウチにきてもらうから「ウチでよかった、と思って過ごしてもらいたい」と。
夢見心地に聞こえるほど、素敵な言葉です。
ありがたい、に尽きます。ギクシャクの嫌なところは、肉親の私が引き受けようと思います。弟も「母の横で寝るよ」の心意気です。
こんな人間がちゃんと控えていたというのは母の勲章です。
「親の世話が出来るというのは幸せなこと」と私の夫もいってくれています。
今度の週末は引越しです。在宅100%でなく、ショートスティも、できれば施設入居もありです。
「入れてしまう」ではなく、「よかったと思える生活」のために、まだまだ道半ばですが、前進です。