朝日新聞10月16日朝刊、声欄は「新聞と私」特集をしている。
昨日の先頭記事を、幣ブログをお訪ねくださる何人かの方にも読んでいただけたらと、勝手に思い、再録させてもらいます。
以下、引用
「若き父伝える変色した紙面」
主婦 折目恵子(愛知県豊橋市 57歳)
実家の父は、北海道の漁師だった。戦後、電気もガスも水道もなく「陸の孤島」と言われた知床半島でサケ漁をしていた。
私が小学生の頃、父が写真入りで新聞に載った。当時の漁場での生活を、記者のインタビューに答える形式で書かれた記事だったと思う。
20年前、65歳で父が亡くなったとき、家業を継いでいた弟が、その新聞記事を額に入れて飾った。改めて記事を読み、涙が止らなかった。
「なぜ知床で漁を始めたのか?」という記者の質問に、父は「戦争で取られたが、病気で帰された。親が恥ずかしがって帰ってくるなと言った」と短く答えている。
あの戦争さえなかったら、きっと父の人生は違ったものになっていただろう。父だけでなく、同じような環境の人たちは大勢いたはずだ、と変色した古い新聞を見て思った。
新聞と聞けば、必ず思い出す遠い記憶だ。
以上、引用終わり
こんな風に、思わぬ展開を強いられる人生もあるのですね。
父の新聞記事を額縁に、という心根をお持ちの息子さん(跡継ぎさん)が育ったことが、心暖かく思われます。
昨日の先頭記事を、幣ブログをお訪ねくださる何人かの方にも読んでいただけたらと、勝手に思い、再録させてもらいます。
以下、引用
「若き父伝える変色した紙面」
主婦 折目恵子(愛知県豊橋市 57歳)
実家の父は、北海道の漁師だった。戦後、電気もガスも水道もなく「陸の孤島」と言われた知床半島でサケ漁をしていた。
私が小学生の頃、父が写真入りで新聞に載った。当時の漁場での生活を、記者のインタビューに答える形式で書かれた記事だったと思う。
20年前、65歳で父が亡くなったとき、家業を継いでいた弟が、その新聞記事を額に入れて飾った。改めて記事を読み、涙が止らなかった。
「なぜ知床で漁を始めたのか?」という記者の質問に、父は「戦争で取られたが、病気で帰された。親が恥ずかしがって帰ってくるなと言った」と短く答えている。
あの戦争さえなかったら、きっと父の人生は違ったものになっていただろう。父だけでなく、同じような環境の人たちは大勢いたはずだ、と変色した古い新聞を見て思った。
新聞と聞けば、必ず思い出す遠い記憶だ。
以上、引用終わり
こんな風に、思わぬ展開を強いられる人生もあるのですね。
父の新聞記事を額縁に、という心根をお持ちの息子さん(跡継ぎさん)が育ったことが、心暖かく思われます。
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