日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

ソマリアのこと、海賊船のこと

2009-03-16 12:42:47 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
ソマリアの話は、「砂漠の女ディリー」という本で出合いました。
スーパーモデルとなって世界で活躍する著者が、ソマリアの風習である性器切除に異を唱えて、世論に訴え掛けた本です。ベストセラーになった本です。
その後、続編「砂漠に帰ったディリー」も読みました。
それらの本の中で、ソマリヤの無政府状態、働こうとしない若者たちが、昼間っから葉っぱを加えてしゃがみこんでいる。(葉っぱには、コカインのような、陶酔効果があるらしい)
混乱とやる気のなさを嘆き、その忸怩たる思いを、私がこの国の大統領になれたら…、と彼女が書いていたのを覚えている。
その後、アメリカで暮らしているソマリア出身の女性たちへの啓蒙活動をしているのを目にしたこともある。
彼女は、今どんな思いで、自分の故郷の現状を思っているだろう。
紙面にアフリカの角と呼ばれるソマリアが載っているのを目にするたびに、ディリーのことを思い出します。

海賊は、かの地の職業のひとつ、のようですね。
職業、食べていく手段、と考えれば、他に方法がないので、とりあえず、ということでしょうか。
ふーん、なんとかならないものか。

で、日本のタンカーなどもたくさん、ソマリヤ沖を通過しているらしい。
今度、日本の船を海賊から守るために、自衛隊が出動したらしい。
自衛隊が、海外に容易に行くことはまかりならぬ、という意見、出るでしょう。
分ります。
でも、自分の国の船が危険にさらされているのを、放置しておくのはどうでしょう。商船○○とか、日本○○とかの、船舶会社も行きかっているのでしょう。
家人の、つぶやき。
多分、これまではお金を出して、海外に警備を頼んでいたはずだ。
だって、自分の会社の船が危険海域を通らなくてはならない。
警備してくれるところがあるなら、頼むのが普通じゃないか。
・・・まさに、傭兵でも頼みたくなるのが本音でしょう。
経営者は、被害、損害の発生を手をこまねいて見ているわけにはいきませんから。

この状況の改善の見込みがないなら、国として自国の船を守りに向かう、当然必要なことだと思います。
その向う担当者を誰にするかで、もめているのでしたっけ?
しっかり、目的を果たせることが第一なんだけれど、大局的見地っていうのが、こんな時必要なのですよね。

出版されたのは10年程前ですが、ディリーの本は読みやすい本です。
お勧め本です。

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マスコミって! 中川元財務大臣の件

2009-03-15 08:26:26 | 社会問題
先日のローマでの「もうろう会見」が原因で辞任した中川元大臣。
その後のバチカンの美術館見学でも、進入禁止部分に入って、警報が鳴ったとか、報じられました。日本の新聞やテレビのニュースで。
それが、実は事実とは違うらしいのです。
ご本人が、(その記憶がないらしく)バチカン美術館へ連絡をとって確認したところ、警報が鳴った事実はないとの返答をもらっている、という。
では、何をもとに、日本のマスコミに、バチカンでの不品行のニュースになったのでしょう。
一緒に行った知人は、傍から離れたところにいたので判らなかった、とかと説明が付いていて、へぇー、あの会見から察して、千鳥足風でひとりにしておくのか、と想像をそこまでにしていました。

警報が鳴ったetc.のニュースは外国の三流マスコミがニュースソースとかと、耳に入りました。
なーんだ、日本の全国紙もNHKも、そんなニュースソースで、水に落ちた○を叩くのか、とそうも思えます。
クワバラクワバラ、です。
そして、もう一つ。
中川さんの記者会見、そして翌日の不品行のニュースが流れてから、誰も彼を守ろうというメッセージが出てこないのです。
ガセネタで、貶められても。
昨日の新聞に首相の外遊には、ウン十人の随行員が付いて、就任以来8回で既に6億(最近の3回は加算していない)かの支出とか。中川氏の会議出席にも関係省の随行員、日本及び当地の外務省の加勢が会ったハズです。なのに、バチカン見学する政府要人をガードする人は誰もおらず、根も葉もないニュースが流れても、誰も弁明者も出てこない。
コレって、何なのですか。
政府、そして官僚の方々の人間性が想像できません。
みなさん、護身に懸命だから、なのですか。
それが、省庁の流儀なのでしょうか。

ささやかな話。
一昨日、地下鉄ホームで、電車待ちの時、白杖を付いた20代の女性(視力障害者)がホームを歩いてきました。勿論点字ブロックを頼りに。
ぼっーと電車を待っている私の頭の中より、彼女の頭のほうが何倍も動いているのだろうな、そう思いながら一瞥したりしていました。
そして、ホームへ電車が入ってきたのはいいのですが、1メートル程ずれて停車したのです。
「あっ、誘導ブロックだと、電車の入り口とずれて、電車にぶつかる!」
そう思ったら、彼女の耳元に、咄嗟にそのことを伝えていました。

私が見えないわけですから、彼女、ビックリしたでしょう。
悪かったな、驚いただろうな、と、コレは後から思いました。

その一瞬に、彼女は
「はい、慣れていますから、大丈夫です」と。

そうか、日本の電車の正確さには、つくづく感心していたけれど、1メートルのズレは、白杖の人には真剣な問題で、彼女らはきっと、どれくらいの割合でそのズレがあるものだということも、身体で覚えているのだと、学びました。

こんな、一過性のささやかな出来事でも、危険を察すると、体が動くのに、体調不良の大臣の随行員という役目を持っていても・・・。
・・・ちがうんですねー。

政府は何かことがあると、大人数でコストをかけて、動くのに、公人としてのひとりひとりは、シレッとして、危機察知能力も低下するのでしょうか。
何故、世界にあんな記者会見が流れることが予想されなかったのか。
あの記者会見が流れることが、国益だというのが、外交の総意なのでしょうか。

ああ、未曾有というのは、こんなところにもはびこっているのかも知れません。
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今朝の朝日新聞 Be 「サザエさんをさがして」の記事から

2009-03-14 08:17:28 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
土曜版にサザエさんの漫画を取り上げて、時代考証の話題を提供している紙面がある。
今日のサザエさんは1968年3月4日掲載分
サザエさんを含むおばさん4人が姦しい。
隣の部屋で勉強していたカツオは、襖を開けて、
「ベトナムせんそうのそもそものホッタンをごぞんじですか?」と問いを投げかけ
女性人の会話は「・・・・・・」となる、という絵柄。

で、文章は当時のベトナム戦争中の日本の様子を記している。

ー引用ー
同じ月、世界で反戦デモが広がり、東京では高校生が反戦集会をした。中略
この作品の掲載日は国立大学入試の当日で、実は私も受験していた。受験生にはカツオの気持ちがよくかわる。幸い合格して翌月に入学したが、キャンパスを埋め尽くす「ベトナム反戦」のタテカン(立て看板)の多さに驚いた。
ー引用終りー
原子力潜水艦エンタープライズが佐世保入港で問題になったころです。
引用しながら、そうそう、と頷いている自分がいます。
わたしも、この日国立大学受験していました。
勿論、今のように、滑り止めなんてものはありません。
前夜はお雛様。
7,8人部屋に宿泊していたのですが、医学部受験生の人には付き添いのお母さんがいて、ひなあられも準備しておられて、みんなでお相伴に与りました。
 ↑
コレは、思い出の余談です。彼女が合格したかは知りません。

68年の年は、学生集会が連日催されるという有様で、9月半ばから、授業はなくなり、ヘルメット、角棒、火炎瓶が、キャンパス内では珍しくもない光景でした。

人は、思い出せば、覚醒してくる日をいくつも持っている。
読まなければなにもないのだけれど、同じ日に受験を体験していると、ふと目にして、あの日を思い出させてくれた記事でした。

この日は僕も大学受験をしていました、と署名記事のI氏。
あっ、そう、私も大学受験していました。
なんか、あの時代の空気を共有できたような、錯覚・・・でしょうね。
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加藤周一「羊の歌」を読む

2009-03-13 15:26:54 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
去年亡くなった、加藤周一氏の-わが回想ーと副題が付いた「羊の歌」を、通勤の行き帰りで読んだ。
朝日新聞に、夕陽妄語のタイトルで寄稿されていたのを、ときおり拾い読みしていた程度しか知らない人でした。
もともとは医学部卒なのに、文系の世界の文筆家として生きてこられたということも判り、回想記だったら読み通せるかと手にした。
というか、以前読んだ、同じく医師で小説を書いてこられた加賀乙彦さんに近い世代であり(彼の長編「永遠の都」は、ダイナミックで読み応えがあったから)、加藤さんの目にはどう映っていたのかと、そんな興味もあった。

1968年に新書本になっているから、もう40年以上前、40代後半に書かれたものです。
母方の祖父の事業が成功し、東京で資産を増やしたひと。複数の女中がかしずき、また妻以外にも女性がいる暮らし。洋行もするし、フランス語の使いこなす祖父。
長男は東大医学部に行くも早世。姉は埼玉の素封家の二男と結婚。この長男がまた東大医学部出の医師。二女は政治家に嫁がせる。
永遠の都でも、母方の祖父は病院経営と事業で莫大な資産を作ったし、あの頃の東京というのは、才覚ある事業家が割拠していたのだろうと、思い巡らしたり。…それは今もか。
二女の夫は学究肌。ところが大学から出て、開業したから、肌に合わないのだろう、患者が滅多に来ない医院となる。
その長男が著者であり、妹がひとりいる。
学究肌の父と誠実な母の作る家庭で育つ著者は、世間の荒波にもあわず、祖父の事業が傾くにしたがって、自分達の暮らし向きも、ダウンサイジングして質素になる程度で、華美に関心も示さず、求めもせず、そして、加賀氏の家と同じように、教育熱心な環境に育つ。
よく、親が勉強のことをとやかく言わない、という言い方をするけれど、それは、生活のことで一杯一杯だからであって、両家とも、中学受験の受験勉強に親が必死になるところが、面白い。
なーんだ、あの老紳士の子供の頃には、親は家庭教師をつけたり、予備校へ通わせたり、そんな風な子供時代だったのか、なんて風に、思ってみたりする。ふふふ。
だから、ここ何十年来の親が子供の受験に眦を決するのをとやかくは言えません。
全部ではないでしょうが、親とは、我が子のためには、そうなるものなのらしいです。もちろん、全部とは言いませんが。
で、飛び級で中学進学、旧制高校、大学医学部のコース。ここで戦争が、12月9日に出会うわけだけれど、ラジオ、新聞の報道を鵜呑みにすることはない。そう彼の家庭そのものが。そして、大学内でも、居心地は良くないだろうけれど、きつい思想統一、抑圧に会うこともなく終戦。
学徒動員で在学中でも徴兵になったと聞いたけれど、彼には徴収礼状はこなかった。優秀な人は残したんだと聞いたことがあるけれど、その一人だったのでしょうか。医学部に通いながら、文学部の講義を熱心に聴き、詩作仲間との交友に、その後世に作品を残した人たちの名前が並ぶ。
世俗的な暮らしに染まらないで生きている父を持ち、それを否定する声が聞こえてくることもなく、知的興味、好奇心を生涯にわたって耕した方なのでしょう。
彼は、自分の生きている階級を中産階級と表現しています。
大地主にのし上がった祖父の土地に、大きな屋敷を建てて医院をやっている暮らしが中産階級? 謙遜ではなくて、それは的確な言い方?そんな風に思ったことも記しておきます。

この本には続編もあります。

追記:そういえば思い出しました。故山田風太郎さんも、あの戦争の時期に医学部の学生だったけれど、文学三昧の生活しておられた様子を書いた「山田風太郎日記」(こんなタイトル?)を読んだことがあります。食べるものにもこと欠く学生生活の日々のなかでも、克明に記録してある日記には読み応えがありました。
読み手として、この時代を生きた人の描かれたものを読むときは、どんな状況下でも、心根までは、洗脳されない、されたくない、そんな声を探しているところがあります。


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テレビが伝える給付金交付の映像

2009-03-13 08:06:43 | 社会問題
衆議院3分の2を使って、再議決した定額給付金。
いの一番に交付されたところのいくつか(いずれも住民少人数の自治体)で、用意されていた「のし袋入りのお金」をありがたがる映像が流れていました。
そして、今日の朝日新聞の声欄の投稿で、「のし袋」に入れて準備しているというのは、おかしいという投稿を読みました。
同感です。

そのお金は、元はといえば国民が納付した税金です。
一昨年(?)までしていた定率減税(税額の20%、上限25万円)を無しにして、しっかり徴収することにして、12000円をコストをかけて交付するという仕組み。
なんだろう。
「お上が給付するからありがたく受取れ」という構図だろうか。
納税者には、年末調整や確定申告の書類で還付されるようにしたら、コストはかからないのに…。
この無駄は、政権与党に清き一票を、との宣伝か?
私たちの町は、どのような形で交付があるのかわからない。
きっと、事務作業が大変なことだろう。
8000億円超のコストとか耳にする。
紙(書類)の無駄、時間の無駄。

ただ一つ、寄付をするという声をよく聞く。
人々にそういう機会を作ったということで、それは清々しい瞬間を人々にもたらすのかもしれない。

決して、のし袋に入れて金一封もどきを、政府からもらったという、もらう側はそう捉える筋合いのものではない、その投稿に同感します。

ニュース記者さんは、どういう思いで取材し、その映像を全国に流されたのでしょうか。
ま、おもいもかけない現金を手にすると、ありがたく思う、本音を麻生政権は利用したのでしょうね。

まだ国会を通過する前に書いたものを読み返しました。
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「ご案内」というか、もしよかったら、覗いてみてください。

2009-03-12 13:43:08 | 家族
覚えておられるでしょうか。
いつか、ウェディングの写真を無断掲載したことがあります(笑)。
彼女は、去年から事業をする道を選択しました。
ラオス松で、無垢(合板ではない)のフローリング材の輸入販売です。
事業所名「JPwood」としたそうです。

自分の目で見ないと、買う人に納得のいく説明ができないでしょ、ということで、現地へ出向いたのは去年の夏です。
貯木場や、製造工程など、現地の写真もたくさん見ることができます。
ホントは、彼女の民族衣装姿をご紹介したほうが、アクセス多いかも知れないのにね。
で、もし、弊ブログにお立ちより下さり、もう一つ寄り道してもいいと思われましたら、「JPwood」のホームページも覗いてみてください。

サンプル品を大切に見せに来たこともありました。
節もない、4メートルの長さの無垢材だとのこと。

私のブログにお尋ねくだり、木材にご興味が、あってもなくても、一度クリックしていただければ幸いです。出来上りの輸入品は珍しくはないけれど、彼女が自分で写してきた写真ですから、ラオスの空気も写っていると思います(笑)。
もし、万一関心があって、説明などを、という場合は「街中の案山子」から来ました、と一言付け加えてください。
だからと言って、特典は、・・・ないですねぇ・・・(笑)。

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田口八重子さん関連のニュースから

2009-03-12 07:26:56 | 社会問題
昨日、韓国の釜山で、田口さんのお兄さんと息子さんが、金元死刑囚と面会したニュースが、何度も繰り返して報じられている。
ご本人達の一挙一動、言葉の一つ一つが、見るものに訴えてくる。
拉致家族の方々も、真剣にニュースをご覧になっているでしょう。金元死刑囚が、田口さんの家族に会う意思があると発してからも、5年の月日が経過しているという。
当事者の方々には、なんともどかしい月日だったろう。そしてまだ解決したわけではなく、細い糸が切れないように、手繰っていくばかり。
あえて、文字化はしないけれど、「ハッ!」と思うこともなくはない。
もし、拉致解決に不利に働くならば、私たち一般国民は知らなくていいですよ。
必ず、北朝鮮側も今回の面談で、どのようなことが金さんから田口さん家族、そして日本政府側に伝わっていくか、チェックしているはずです。
だから、私たちが、ネホリハホリ知る必要よりも、拉致者解放に有利であること、そこのところを第一義に、対応して欲しいものです。
きっと、画面を見ていらっしゃる拉致家族の方々の第一の願いは、情報開示が北朝鮮の気持ちを損ね、悪いほうへと行かないようにと、そう思っていらっしゃるでしょうから。
金元死刑囚も、航空機爆破で115名を死なせたという事実を背負って、生きなくてはならない、・・・国が暴走すると、弱い人を使って何でもしようと企む現実。
歯がゆいけれど、今、今日のニュースなのですね。
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政治ってなぁに?政治家ってなぁに?

2009-03-09 10:59:28 | 社会問題
つい、先日まで、未曾有の危機、だの、百年に一度の危機、と言っていたのに、西松建設がらみの件が持ち上がってからは、経済危機の話題はちょっとお預け気味です。
マスコミが政治をしているわけではないから、報道されていないところで、しっかりと采配がなされているとは思いたいのですが、さて、どうでしょう。

この国の企業献金の問題は、根深いものがあります。西松建設の裏金問題から端を発して、疑惑に捜査のメスが入ったのだとしたら、しっかりと公平に、捜査を進めていってもらいたいものです。
一国民、素人なのですが、検察の取り調べ対象は、象の右足の一つをつかんだようなものに思えます。
右足も象です。だから、その不正は摘発してください。
でも、この象には、左足も、後ろ足も、胴体も頭も耳も尻尾もあります。
右足を検挙しただけで終わりにしないで、他のところも同様に扱ってこそ、の国家権力です。
で、後ろ足やら、頭やらに関係している層の方々には、嫌な雲行きなのでしょう。
皆さん、政治家と彼らを取り巻く方々には大問題。
ケンケンガクガクの様相です。
自分に火の粉がかからないか必死の方々もおありでしょう。
この献金返すべきか否かで、検討中というのもあると思います。

でもさ、未曾有の経済危機の話、どこいったの?
という風さえ感じます。

朝のニュースの断片。
沖縄で演説中の麻生首相
定額給付金の話題をしておられるらしく
「・・・襦袢でも買って・・・」と。
演説の聴衆がどんな人たちだったか知らないけれど、
テレビ画面の、「襦袢」というテロップの文字を見ながら、
「今どき、時代錯誤じゃないかしら」またまたトンチンカンなものだと感じる私。ケンケンガクガクの最中にマイクを向けると、何を言うかわからないので、外国、そして日本の中央から遠い沖縄に行ってもらっているのかしら、
そう思ったりします。






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小沢民主党党首への嫌疑は?

2009-03-05 10:58:38 | 社会問題
第一秘書の逮捕までいったのだから、よほど不正への確信をつかんでのことだろう。
で、思うのは、民主党の議員よりも、自民党議員にこの体質が色濃いのではないか、ということ。
ゼネコンは仕事が欲しい。そのために画策するとしたら、権限のより大きい、政権政党の議員ではないだろうか。
そういう意味では、小沢氏は、民主党といえども、どこか自民党体質の部分を持っている人でした。若いころは田中角栄氏にも近い人だったし。

政権交代が話題になる選挙の近いこの時期に、交替しそうな政党の党首に司直の手が入るというのは、センセーショナルな事態です。
願わくば、ひとつのゼネコンだけでなく、競合する他のゼネコンについても、同様のチェックをしてほしいものだけれど、不正蓄財で取りざたされた場合でないと、資料も入手困難で、ダメなのだろうか。
他のゼネコンの方々。
多分、業界の暗黙のルールというものが、あるのではないでしょうか。
黙している関係者もあるハズ。

みんな挙って、浄化、透明化への流れができたらいいのになー。
ああ、政治献金、したことがありません。
そして、政党や政治家個人からの恩恵も記憶にありません。
マニュフェストとか、新聞テレビの情報などで、1票を入れるだけのウン十年です。献金のお金って、どんな所に使うのか。なぜそれほど多額のお金を必要とするのか、――遠いところから眺めているだけですが、不思議なことがいっぱいです。
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「おくりびと」は見ていないけれど・・・。

2009-03-02 12:31:34 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
話題作で、私が訪ねるブログの何人かの映画鑑賞記事を読んだりもしています。
その都度、私は、その感想に入り込めない部分を感じていた。
その後、アカデミー賞を受賞して、納棺師の話題がさらに、テレビでも報じられている。

日本の伝統文化が国際的にも評価された、という流れの賞賛のコメントが受賞の紹介につく。
少しだけ、「『納棺師』という日本に伝わる文化」という理解に違和感を覚える理由を書きとめたい。

この映画は、もともと青木新門氏の「納棺夫日記」という本を本木雅弘さんが目にとまって、映画化を考えていた、とのこと。

納棺の仕事をしていた青木さんは、私と同郷もしくは、その近辺らしい。
今も同県にお住いとかで、書かれている内容も、私の育った地域での葬儀のシーンなどなのでしょう。
祖母の死んだときの記憶がある。
祖母は94歳、入院することもなく自宅で最期を迎えた。
家族で見守っていたのだけれど、最期の息を引き取る際に立ち会ったのは私。
私は、お医者さんを呼びに走った。かかりつけ医によって臨終が告げられると、直ぐに兄嫁がてきぱきと、手を合掌の形にして、あごが開かないように手当てした。
私は診断書を持って役場へ火葬許可をもらいに行った。
遺体は北枕に寝かせ、屏風はさかさまに立てるというしきたりだと教えられたのもその時。屏風の絵柄を見て、逆さまだと注意してくれた人がいて、イヤこの場合は、これがシキタリ、と話題になった記憶がある。
亡骸の胸には、守り刀を置いて、魔物が取り付くのを防ぐのだと。その亡骸を守って、終日ロウソクの明かりを切らさず、葬儀まで亡骸の周りには、人が見張り番をするごとく、終始離れなかった。
納棺の日。
「おーい、○子、みんなで、ばあちゃんの湯潅(※ゆかん)をするからー」と声が聞こえた、3人の幼子を抱えて実家に戻っていた、私はむずがる末っ子の世話で、それどころではない、という風をよそって、二階から階下には下りていかなかった。
家族みんなですることが大事なのだ、そういうものだ、という空気が流れていたのに、私の中では、死んだ人の裸体を見ることが怖かったのです。
※納棺する前に死体を清めること。
高齢になった祖母は、生前に自分で死に装束の準備も整えていました。残された家族は周りを取り囲んで、祖母の体を拭き、その衣装に着せかえている様を、想像していました。
その場に行かなかった自分に、イヤなことから目をそむけた私、そういうジャッジを自分にしてきました。

その数年後。
夫の父が亡くなりました。
夫の郷里も、そう離れていません。
そのときも、納棺に際し、湯潅が行なわれました。
祖母のときの記憶があるものですから、他の人には、通り一遍の作業に思えるかも知れませんが、私はあのときを想い起こします。
そのときは、葬儀屋さんが、マニュアルにしたがって、見栄えよく執り行っていきました。そして、ほぼ済んだ頃に、ご遺族の方、どうぞ、と清拭のためのアルコールを含んだ脱脂綿を渡され、亡き義父の右足の踵を少し拭きました。
病気で体力を消耗し尽した父の右足の足先は、むくんで妙に分厚かったのを覚えています。
その時の葬儀屋さんの仕事を納棺夫と言うのでしょう。
そう、私が祖母のときに、「避けたい気持ちが湧きあがった」のは、平均的感情であって、よって、この地方では、葬祭業という業者ができて、遺族に替わって、その仕事をやってくれるようになったのです。だから、マスコミが映画を紹介するときに日本古来の文化、風習という言い方をすると、違うのではないか、そう思ってしまうのです。
ほんの昭和50年代頃までは、各家庭で、家族で行なってきていた、死者を送る手はずのひとつであったのだと、そう考えるのです。

納棺夫日記の作者青木氏は、私より更に一回りぐらい年配の方に見受けられます。
昨今、日本の伝統文化の一面、という言い方をマスコミはしていますが、50年ほど、いや30年ほど遡れば、その作業は家内で行なっていた事だとおもいます。
ま、こんな風に、風習の解釈も時代が下ると誤解が一人歩きする。コレが実態であり、民族学などにも類似の事項ってあるのでしょうね。




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