大袈裟なタイトル。
近頃は旅行企画の冊子が毎月送られてくる世の中になっているから、いつでも、どこへでも、という時代なのだろうけれど、
私にとっては、なんだか、ずっと若いころから行ってみたい旅先でした。
1泊2日の強行軍。
それも、始発の新幹線と終電の新幹線利用というのだから、60代にはキツイ(というか、私としては、です)。
カルスト地形の秋吉台と鍾乳石の秋芳洞。(パソコンすごい! 秋吉と秋芳を区別して変換する!私は子供のころから見聞きしていたけど、今になってその表記の違いを認識したのに~)
昭和38年に国立公園に指定されたのだとか。今を思えば、国立公園としての先発組だったのでしょうか。よく耳にしたものです。
天然フグ食べ放題の夕食。当然、お刺身(テッサ)と唐揚げお代わりしてたらふく賞味いたしました。
萩。
松下村塾。
行ってきました。
松下村塾の表札というか看板の文字の村は「邨」という漢字なんですね。
吉田松陰はここで教えたのは2年余りとの説明に、影響を与えるのは時間の長さではない、そのセオリーなんだろうな、と思う。
松陰神社と松門神社を参拝。
数多くの門下生たちも松門生としてまつられていることを初めて知る。
その後の明治政府での薩長勢力がいかに優勢であったか、という現れだろうけれど、崇拝するものの祀るためのよりどころを神社する発想(一神教的思考とは一線を画しているのでしょう)、するりと受け入れるところは、同じ民族なのでしょうね。
その後、津和野。
ガイドさんの前説通り、鯉はメタボでした。健康診断するとレッドカード出そうなぐらい、小豆島の二十四の瞳映画村の小川に泳いでいた魚の愛嬌がよかったことを思い出した。
私的には、津和野=森鴎外だったり、安野光雅、なんだけれど、なにせパック旅行なので、楽しむには時間短し、です。
旧藩校明倫館は訪問。11歳まで津和野で暮らした鴎外はここに学んだ、そうです。
今年の「萩、津和野」観光は大河ドラマのお陰で人気らしいのですが、現在ドラマの視聴率が伸び悩んでいるらしく、ガイド役を務めてくださった地元のお店屋さんの
「人口の少ない、山口、島根県民が一生懸命テレビをつけてもたかが知れたものです。人口の多い皆さん方にチャンネルを合わせてもらって、どうぞ視聴率アップにご協力を」と。
平家や長州は大河ドラマの舞台になりやすいので、地元の方々は、観光の恩恵を周知していらっしゃるのだけれど、ブームが過ぎるとどうなるかも併せて体験済みで、一生懸命でした。その手の連ドラを見ていないのですが、産業活性化の役割って大きいし、それも大事な役割なんだと思った次第です。
さて、萩から津和野へバスの中、
「右手に見える道が幕末時代からの道路、松陰が江戸送りになったときに、門下生たちが別れを惜しんでどこまでも追いかけてきたので、ここまでで、と弟子に説い他場所です」との説明で目をやった光景が残像に残っている。
2日目夕方6時過ぎて、山口市の大内氏の菩提寺瑠璃光寺へ向かう。
五重の塔の見事!
繊細。
国宝なのも当然でしょう。
曇りかげんだったけれど夜間照明がともり始めて、塔が池に映る。
手入れされた植木と相まって、格別の美の世界、でした。
なんと、こんな時間にまだ山口で観光しているなんて。
ハイ、終電の新幹線は新山口駅20時5分発だったのです。
当日ギリギリで自宅まで帰ることができました。
強行軍。
添乗員さんに「脚、どうなさいました?」と声をかけられたのが、自分的には、ショック。
鍾乳洞で歩いた疲れが膝に出て、ついつい「普通歩き」ではなくなっていたのです。
見え張って、気づかれないように、元気っぽく、していたいのに~~。
私のひざ痛処方箋は、「足腰の筋肉、鍛えなくってはならない」、合点なのですけどね。
以上。
■付け足し■
各所でであった歌(短歌)が心にしみました。
いいなぁ~、詠めるってことは。
できるじゃない、今からでも。なにも道具がいるわけじゃなし⇒自分へ
制約が多かった時代に生きている人が詠む歌には、歌でこそ伝えようという思いがこもっているから、響くということもあるのだろう、と、家人。
そう、かも。
作品でも芸術でもなく、
自分の湧き出る思いを文字に記したのだから。
すごい文化を持っている国だ、この日本という国は。