詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池澤夏樹のカヴァフィス(138)

2019-05-06 10:18:20 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
138 ある大きなギリシャの植民地で、紀元前二〇〇年

 池澤の註釈によれば、「古代ギリシャの都市国家は地中海の各地に植民地を作った。」その植民地の改革について書いた詩である。池澤は、こうも書いている。

 政治改革はどこでも難しい。いつも誰かに不満が残る。あるいはこの詩、一九二〇年代後半のエジプトの政情を諷するものかもしれない。一九一九年のエジプト革命で独立は果たしたが、イギリス軍はそのまま駐留し、イギリスの密かな支配は続いた。

 どのことば、どの行がエジプトとイギリス(軍)を暗示しているのか、具体的な指摘がないのでわからない。
 私は次の部分にこころが動いた。

彼らが調査を進めるにつれて
破棄すべき不要のものが数限りなく見つかる。
不要であっても始末のむずかしいものが。

 なぜ始末がむずかしいか。「人間の感情」がからんでくるからだ。確かに絶対に不可欠なものではない。不要と言えるかもしれない。けれど「いつか、またつかうかもしれない」とふと思うのが人間である。思い出もよみがえる。
 これは、こう言いなおされている。

あるいは時がまだ来ていなかったのかもしれない。
あまり急ぐのはよろしくない、急ぐのは危険だ。
間の悪い処置は悔いにつながる。
不幸なことに植民地にはたしかに不合理なことが多かった。
しかし欠点のない人間がいるか。

 「人間」が出てくる。「人間」が出てくるから言うのではないが、(いや、「人間」が出てくるから言うのだが)、「植民地」を「恋人」の比喩とは考えられないか。
 もう縁を切りたい。手を切りたい。でも、なかなか簡単には行かない。恋人の欠点(いやなところ)はいくつでも数え上げることができる。でも、ここで別れてしまうと、あとで後悔するかもしれない。
 急いで別れる必要はない。
 欠点のない人間などいないのだから。
 「あまり急ぐのはよろしくない、急ぐのは危険だ。/間の悪い処置は悔いにつながる。」の「急ぐ」の繰り返しが「間の悪い」ということばを経て「悔い」につながることばのからみあい、粘着力が、あまりにも「人間」っぽい。





カヴァフィス全詩
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池澤夏樹のカヴァフィス(137)

2019-05-05 09:35:23 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
137 素人画家である同い年の友人によって描かれた二十三歳の若者の肖像

昨日の午後、彼はその絵を仕上げた。
今はその細部を丹念に見ている。
描いたのはグレーのジャケットを着て
ボタンは外した姿、
ベストもネクタイもなし、
バラ色のシャツの前をはだけて、
美しい胸元と首が見えている。
額の右側はほとんど髪に隠れている、

 二行目の「見ている」と七行目の「見えている」。ギリシャ語ではどういう言い方になるのかわからないが、この訳語の変化は絶妙だ。
 「見えている」は立場を変えれば「見せている」である。「見せている」のを「見ている」。それを「見えている」というとき、彼は「見せている」若者の「こころ」を「見ている」。きっと若者には、彼に「見せている」ことが「見えている(わかっている)」。見えていなければ、見せている意味がない。
 八行目の「隠れている」が、補色のように「視線」の絡み合いに強い輪郭を与える。
 この視線のドラマの渦中では、他の「細部」はほとんど意味を持たない。ボタンは「外した」、シャツを「はだけ」ているという動詞も、主役ではありえない。
 さらにおもしろいのは、いま彼が見ているのは「絵」であり、それを描いたのは彼なのだということ。
 彼が若者を、絵の中で、そういうふうに育てている。絵の中で、視線のドラマは燃え上がる。そして、それはカヴァフィスのことばのなかで、もう一度燃え上がる。

望むとおり完璧に捉えられたと思う、
あの眼、あの唇を描いて、
特別な種類のエロティックな快楽を約束する
彼の口、あの唇を描いて、
官能の色調を映すことに。

 これは、もう付録のようなものだ。消えない余韻と言いなおした方がいいか。
 池澤の註釈は、

 美しい若者の肖像というテーマはカヴァフィスに多い。

 とそっけない。まあ、いいか。「見えている」の一語が、この詩を強烈にしている。







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池澤夏樹のカヴァフィス(136)

2019-05-04 08:54:25 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
136 スパルタで

 詩の背景について、池澤が歴史を説明してくれている。

 スパルタの王クレオメネス三世(略)はマケドニアとアカイア同盟を相手の戦争で、エジプトのプトレマイオス三世の援助を求めた。それを受け入れる条件としてプトレマイオスはクレオメネスの子供たちと母クラテティシクレイアを人質としてアレクサンドリアに送ることを要求した。

 この要求をクレオメネスは「屈辱」と感じた。母は、どうか。

屈辱については、そんなものは気にしない。
言うまでもなく、ラギディス一族ごとき成り上がりに
スパルタの精神がわかるはずがない。
彼女のような高貴な女性にとって、
スパルタ王の母にとって、
彼らの要求は屈辱と受け取るにも値しないものなのだ。

 「屈辱」とは何か。自分よりも価値が低い人間(評価に値しない人間)の要求にしたがうことを、ふつうは屈辱と感じる。ところがこの母は「屈辱と受け取るにも値しない」と言う。
 なぜか。「ラギディス一族ごとき成り上がりに」

スパルタの精神がわかるはずがない。

 「精神」が重要である。さらに「わかる」が重要である。「精神がわかる」とは「精神を共有する」である。言い換えると「同じ価値観を生きる」である。
 「同じ価値観」を生きていない人に何を言われようが、それは「批評」にはならない。無意味だ。
 「スパルタの精神」はカヴァフィスには「ギリシャの精神」と言うに等しいのだろう。「ヘレニズム」と言い換えてもいいかもしれない。精神至上主義の強靱な思想をカヴァフィスは引き継いでいる。






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池澤夏樹のカヴァフィス(135)

2019-05-03 10:22:11 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
135 詩に巧みな二十四歳の若者

頭脳よ、いまこそ働きを見せてくれ。
片思いの情熱に身を滅ぼしそうなのだ。
この事態に気も狂わんばかりなのだ。
毎日、彼は熱愛する顔に口づけし、
彼の手はあの美しい肢体を愛撫する。
これほど深く愛したことはかつてなかった。

 「彼」とは誰なのか。「私(カヴァフィス)」が愛した相手なのか。「彼は」「口づけする」「愛撫する」。「これほど深く愛したことはかつてなかった。」の主語も「彼」だろうか。
 そうは思えない。
 書き出しの「頭脳よ」が問題だ。「彼の」頭脳ではないだろう。他人の頭脳に向かって呼びかけることはない。
 「頭脳よ」という呼びかけには、「頭脳」を自分から切り離し、客観化する視点がある。その「自己客観化」を引き継いで、自分のことを「彼」と呼んでいるのだろう。
 「片思いに」「身を滅ぼしそう」「気も狂わんばかり」というのも自分自身の客観的な描写だ。主観だが、主体を突き放してみている。「身が滅びそう」「気が狂いそう」ではない。
 池澤は、タイトルに註釈をつけている。

「詩に巧みな」という部分、直訳すれば「言葉の職人」となる。

 この註釈を参考にすれば、「頭脳よ」と呼びかけられているのは「ことば」と言いなおせる。「ことばよ、今こそ働きを見せてくれ。」詩の力で恋人を虜にしたいのだ。そう読み直すと、「彼」がカヴァフィスの「自画像」であることが、さらにはっきりする。唇は恋人の唇に触れた。手も恋人の肢体に触れた。でも、「こころ(愛)」には触れてはいない。「こころ」は一体になっていない。

あこがれの唇に口づけをし、
すばらしい肉体に心をときめかす。だがわかっている、
自分はただ黙認されているに過ぎない、と。

 この三行には、詩の力で恋人と一体になりたいというカヴァフィスの「焦り」(欲望)が動いている。




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池澤夏樹のカヴァフィス(134)

2019-05-02 10:07:44 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
134 あなたは理解しなかった

頭が空っぽのユリアヌスが我らの信仰について
こう述べた--「読んだ、理解した、
退けた」。愚かにも彼は我らがその
「退けた」ということばで降参すると思った。

この種の機知は我らキリスト教徒には通用しない。
即答しよう。「読まれたが理解されなかった。
理解したら退けるはずがないのだから」。

 二連目の「機知」は、訳詩を読んだだけではわからない。だから池澤は一連目の「読んだ、理解した、/退けた」について註釈をつけている。原文はギリシャ文字が含まれているので、趣旨を要約の形で引用すると……。

この三つの動詞は(カタカナで書けば)「アネグノン、エグノン、カテグノン」と韻を踏んでいる。そして、言葉の成り立ちとしては「アネグノン(知る)」の前に「上へ」「下へ」という意味の接頭辞をつけると、「理解した」「退けた」になる。対になっているとも言えるが、しかし生成された語意は大きく異なる。

 「上に置くに値すると知った/評価した/理解した」「下に置けばいいと知った/評価しなかった/退けた」と読み解けば「語意は大きく異なる」とは言えないと思うが、ようするに「機知」とは「韻を踏む」ことである。「韻」のなかに「意味」を交錯させる。瞬間的にことばとことばを渡って、意識が動く。遊びの中で「真実」をつかむ。
 だから、この「機知」とは、一連目の「言葉で降参する」(言葉で言い負かす)を言いなおしたものであることがわかる。
 キリスト教徒はユリアヌスをばかにしているが(批判しているが)、カヴァフィスは逆だろうと思う。「韻を踏むことば」に詩を感じ、それを評価している。そしてその刀で「機知は(彼ら)キリスト教徒には通用しない(理解できない)」と間接的に語る。

 さらに池澤は書いていないのだが、ユリアヌスの「機知」が「韻を踏む詩」なら、キリスト教徒の「機知」は「論理」である。「理解した(上に奥と値すると知った)」なら、それを「下に置く(退ける)」ということばを言えるはずがない。ギリシャ語ではどうなっているかわからないが、池澤の訳文の「……のだから」は「論理(散文)」のことば、ことばの運動を整え、「結論」へと動いていくことばである。
 詩と散文が「対」になっている。シェークスピアの「ジュリアス・シーザー」の「演説」の対比のようなものだ。「対」のなかに「劇」があり、「劇」のなかに真実がある。





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池澤夏樹のカヴァフィス(133)

2019-05-01 10:16:38 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
133 一九〇一年の日々

彼には他の者と違うところがある。
あれほどの放蕩三昧と、
数限りない性的な冒険、
いつもその年齢にふさわしく
ふるまうという事実、
などなどに相反して、まことに稀だが、
その肉体がほとんど無垢のような
印象を与えるのだ。

 「あれほど」は「数限りない」と言いなおされ、「放蕩三昧」は「性的冒険」と言いなおされ、さらに「その年齢にふさわしく/ふるまう」と言いなおされている。そして、それは書かれていないが「他の者」と「同じ」であって、カヴァフィスが書こうとしているのはそれとは「違うところ」である。つまり「無垢」に焦点を当てるために、カヴァフィスは同じことを何度も繰り返している。
 「無垢」に焦点を当てたあと、カヴァフィスは、こう言いなおす。

二十九歳の美青年が、
快楽の試練を経た身体を、
まるで純潔な身体を初めて
おずおずと差し出す少年のように
見せるのだ。

 「純潔な身体」「初めて」「少年」は、すべて「無垢」の言いなおしである。
 それを強調するのが「二十九歳」「快楽の試練を経た身体」という「補色」である。そしてこの「補色」は、一連目の「放蕩三昧」「性的冒険」「その年齢にふさわしく/ふるまう」の言いなおしである。
 ここにはモーツァルトの繰り返す旋律に似た音楽がある。違いは、モーツァルトは疲れを知らない子供のように果てしなく繰り返すが、カヴァフィスは繰り返しがわかった段階で音楽を断ち切る。
 繰り返し(言いなおし)よりも、この断ち切り方にカヴァフィスの音楽の強さがある。

 池澤の註釈。
 
 カヴァフィスは「……年の日々」という詩を五篇書いている。どれも彼の秘密の性生活をテーマにしたもの。ただしこの年号に具体的な裏付けがあるわけではないようだ。





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池澤夏樹のカヴァフィス(132)

2019-04-30 10:00:51 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
132 古代以来ギリシャの

 「アンティオキアが誇るのは、」と書き出され、さまざまなものが語られる。

だが、それらを差し置いてアンティオキアは誇る、
古代以来ギリシャの都市であったことを、
イオを通じてアルゴスに繋がる系譜を、
イナコスの娘の名誉のために
アルゴスの植民者たちによって造られた町であることを。

 「繋がる系譜」は「歴史」である。「時間」である、と言い換えた方がいいだろう。

 池澤は、この事情を簡潔に書いている。

ギリシャはローマのように統一された広大な領土は持たなかったが、地中海の諸地域に植民都市を築いた。シリアのアンティオキアもその一つである。

 ローマ帝国は「領土」(空間)を支配する。一方、ギリシャは「空間」の大きさは気にしない。「時間」が連続していればいい。精神(文化)は「時間」をつないで生きていく。精神が歴史そのものになる。言い換えるなら「歴史」を支配する。
 「領土」は「広がる」が「時間」は「つながる」。「繋がる」という動詞をカヴァフィスが次がんテイクことに注目したい。
 ことばは、その国民の精神の結晶である。カヴァフィスはギリシャ語を書くことで、ギリシャの歴史を書く。精神に新しいいのちを吹き込む。




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池澤夏樹のカヴァフィス(131)

2019-04-29 08:51:06 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
131 二人の若い男、二十三ないし二十四歳

 この詩にも「常套句」がすばやく動いている。夜、カフェで男が男を待っている。なかなかやってこない。

機械的に新聞を読むのにも
厭きはてた。三シリングという淋しい持金が
残りは一シリングだけ、長く待つために
コーヒーやコニャックに費やしたのだ。
煙草も全部喫ってしまった。

 「常套句」というより「常套行動」というべきか。待ちくたびれた、けれど待つしかない。そういうとき相手が誰であれ、同じようなことをしながら待つだろう。その行動(詩に書かれた肉体)に読者の肉体が重なる。重なりの中に、誰もが知っている「時間」が噴出してくる。
 自分のしていることがいやになった瞬間、待ち人が来る。しかも「賭博」で稼いだ大金(六十ポンド)を持って。大金は二人を(待っていた男を)よみがえらせる。二人は、

悪の館へ行った。寝室を一つ借り
高価な飲物を買って飲んだ。

朝の四時に近い頃、その
高価な飲物を空にして、二人は
幸福な愛に身をまかせた。

 「悪の館」「高価な飲物」「幸福な愛」。何一つ「具体的」には書かれていない。「抽象的」だ。しかし、その「抽象」には「世間」が知っている「具体」がつまっている。読者がそれぞれの体験を、その「抽象」に投げ込むようにしてことばを読む。あるいは、ことばが読者の体験した「具体」を詩の中に引き込んでしまう。
 「具体的」に描写されていたなら、読者は、この「体験」は自分のものではない、と冷めた感じで読んでしまう。「抽象」だからこそ、逆に「具体的」になる。それが「常套句」の力だ。

 池澤は「六十ポンドは百二十万円である」と教えてくれている。


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池澤夏樹のカヴァフィス(130)

2019-04-28 08:21:33 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
                         2019年04月28日(日曜日)
130 一八九六年の日々

 「彼の名誉はすっかり地に落ちた。」と始まる。「性的な傾向がその理由だった。」と説明した後、

世間というものはまこと了見が狭い。
やがて彼は持っていた僅かな金を失い、
社会的な地位を失い、評判を落とした。
三十歳近いというのに一年と続いた職がなかった。
少なくともまっとうな職はなかったのだ。
時には恥知らずと見なされるような取引の
仲立ちで稼いでその場その場を凌いだ。
一緒にいるところを何度か見られたら
その相手も悪評を被るような、そんな男になった。

 この素早い描写がとてもいい。ことばのスピードに詩がある。
 特に「少なくともまっとうな職はなかったのだ。」と書いた後、それを「時には恥知らずと見なされるような取引の/仲立ちで稼いでその場その場を凌いだ。」と言いなおす、その反復の切り詰めたスピードがいい。
 散文(小説)だと、実際に「仲立ち」のシーン、金のやりとり、あるいは「商談」が描かれる。当然、そこには「彼」以外の人間が出てきて、動く。他人の動きとの対比の中で「彼」の姿が鮮明になる。
 詩は、そういう余分を必要としない。むだを省いて「音」を響かせる。
 この一連目を受けて、二連目は「しかし話をここで終えてはならない。それは不公平だ。」という行から、「彼」の「美しさ」が語られる。
 このこと対して、池澤は、

 ものごとの評価の二面性を前半と後半で鮮やかに対比させる作品である。

 と書いている。
 たしかに対比させているが、後半は他のカヴァフィスの作品と似通っている。
 おもしろいのは、やはり前半だ。先に描写のスピードについて書いたが、このスピードは「世間(の了見)」のスピードである。言い換えると「紋切り型」、さらに言い換えると「常套句」。カヴァフィスは、ほんとうに「常套句」に精通している。シェークスピアだ。「常套句」というのは、世間の中を何度も何度も通り抜け完成されたもの。だから、そこには世間が凝縮している。「恥知らず」というひとことで、それがどんなものか、世間の読者は一読して「具体的」に納得する。どんなに「抽象的」に書いても、「具体的」になってしまうのが「常套句」の力だ。



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池澤夏樹のカヴァフィス(129)

2019-04-27 10:46:26 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
129 アンナ・ダラシニ

アレクシス・コムネノスは
母の名誉を讃えるべく出した勅令の中に
(その人こそ職務に於いても礼節においても
特筆に値する際だった知性の持ち主)
多くの修辞を並べた。
ここではその一つだけをお目にかけよう、
美しくもまた高潔な一つを--
「『私の』とか『あなたの』という冷たい言葉を決して使われなかった。」

 全行である。最終行「私の」「あなたの」は「冷たい言葉」なのか。「私の本」「あなたの目」は冷たい言葉か。
 前に書かれていることばと関連づけながら、「意味」を特定しないといけない。
 「職務」が重要だ。「職務」を「私物化しなかった」ということだろう。「職務」に「これは私のもの」「これはあなたのもの」という基準を持ち込まなかっただけではない。「自他」を区別しないというだけではない。「これは私のもの」「これはあなたのもの」を否定するのだ。すべては「国民のもの」。
 この「国民のもの」という基準をしっかりと持ち、守り通せるのが「知性」ということになる。「国民のもの」という基準しか持たないことが、国事において「高潔」であり、「美しい」と呼ばれるゆえんなのだ。

 この文章を書きながら、私はもちろん、いまの日本の首相、安倍を思い描いている。安倍には「国民のもの」という基準がない。すべては「私のもの」という認識である。すべては「私のもの」だから、利用できるときは利用し、邪魔になったらさっさと捨てる。天皇をも政治に利用している。

 池澤は、こう書いている。

 一〇八一年、東ローマ皇帝アレクシス・コムネノスは出陣に際して、後に残すすべての国事を母であるアンナ・ダラシニに託した。それを着実に果たしたのが讃辞の理由であり、「職務に於いても」の理由である。

 「も」をどう読むかはむずかしいが、私は「追加」ではなく「強調」と読みたい。
 カヴァフィスが、「多くの讃辞」のなかから、この「一つ(一行)」を取り出していることに、「あたたかな知性」を感じる。





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池澤夏樹のカヴァフィス(128)

2019-04-26 10:45:18 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
128 ユリアヌスとアンティオキアの民

美しい暮しぶり、日々の多種多様な
悦楽、肉体へのエロティックな傾倒と芸術との
究極の結びつきの場であるあのまばゆい劇場、
などなどをどうして彼らは
放棄することができたのだ?

 池澤の註釈。

この詩でユリアヌスは快楽主義者だったアンティオキア人がなぜ禁欲主義になったか問うている。

 「意味」はそうだろうが、詩は「意味」とは別なところにある。
 この一連目、「などなど」と書いてあるが、「などなど」がそれではなにかとなると、わからない。「劇場」(演劇/芝居)のことしか書いていない。
 「演劇」とは究極の芸術である。「肉体」がいちばんエロティックに輝く瞬間を取り出して見せるのが「演劇」ということなのだろう。「美しい暮し」も「日々の多種多様な/悦楽」も、「肉体」を修飾することばである。
 カヴァフィスは「芝居」は書いていないようだが、やっぱりギリシャのシェークスピアなのだ。「詩」を「演劇」と見ている。「肉体」を見せる。それから「肉体」にことばをぶつけ、動かして見せる。「肉体」が動くのか、ことばが動くのか、区別はできない。
 詩の最後、

彼らは間違いなくCを選び
間違いなくKを、百回でも、選んだだろう。

 Cはキリスト、Kはコンスタンティウスの頭文字。ユリアヌスは嫌われていた、と書いているのだが、どうにも不思議。
 池澤の「意味」を借りて言えば、ユリアヌスがアンティオキアの住民に嫌われていたということを詩にする理由はどこにあるか。
 むしろ、ユリアヌスを生き生きと描きたくて、わざとユリアヌスを批判しているアンティオキアの住民の姿を最後に対比させたのではないか、と思う。



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池澤夏樹のカヴァフィス(127)

2019-04-25 09:25:07 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
127 シリアを去るソフィストに

あなたはアンティオキアについて本を書こうと
考えておられる。それならばメビスのことを
必ずお書きになるよう。
間違いなくアンティオキアで最も美しい

 この前半のことばは、最後にこう言いなおされる。

アンティオキアで、とわたしは言ったけれど
アレクサンドリアでも同じこと、ローマにさえ
メビスほど魅力あふれた若者はいないのだ。

 街が比較される。規模としては、アンティオキアがいちばん小さいのだろう。アレクサンドリア、ローマと順に大きくなるが、そういう街の大きさ(人口の多さ)を超えて、メビスが傑出している。
 彼がアレクサンドリア、ローマへ行かないのは、彼を目当ての人がアレクサンドリア、ローマからもやってくるということだろう。
 詩のなかほど、

最も讃えられる有名な若者。彼と同じことをして
同じだけの報酬を得られる者は
他にいない。メビスと共にほんの二、三日
暮すだけで人は百スタテルも払うのだ。

 この部分が、他の街からも人がやってくることを証明している。よそから来た、もう機会がないと思うからこそ、大金をつかっても惜しくはない。
 メビスの魅力を書いているというよりも、その魅力にとりつかれた人のことを書いている。

 池澤は、こう書いている。

カヴァフィスに多々ある若者の美貌を讃える詩のひとつ。ただし彼は高等娼婦のようにプロフェッショナルである。

 この見方は、少し冷たくて、寂しい。「美貌」については、カヴァフィスは「アンティオキアで最も美しい」とありきたりの「慣用句」ですませている。あとは「金」のことが書かれているが、金は若者にではなく、彼を目当ての人間に属するものだろう。




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池澤夏樹のカヴァフィス(126)

2019-04-24 10:18:04 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
126 司祭と信徒の大いなる行進

街路を、広場を、城門を
それぞれの暮らしぶりを映した姿で練り歩く。
堂々たる行列の先頭を行くのは
見目よき白衣の若者が
両の腕を上げて掲げた十字架、
我らの力、我らの希望、聖なる十字架。

 「街路を、広場を、城門を」という畳みかけるリズム、それに呼応して響きわたる「我らの力、我らの希望、聖なる十字架」のリズム。この直前には「見目よく白衣の若者が/両の腕を上げて掲げた十字架」という長くてうねるようなリズムがある。このうねりが、うねりであることをこらえきれずに炸裂して「我らの力、我らの希望、聖なる十字架」になったことがわかる。
 カヴァフィスは、やっぱり耳の詩人だ。
 原文を読まずに(ギリシャ語の音を聞かずに)、こういうことは乱暴かもしれないが、「音」には二種類ある。物理的な音と、意識の音。ギリシャ語を聞いていないのだから、物理的な音はわからない。けれど、ことばの運動が明らかにする意識の音なら翻訳されたもの(日本語)でもわかる。私が聞いているのは、「意識の音」だ。
 対象をつかみとり、つなぎあわせ、世界に作り替えていくときの「意識」が聞いている「音」、「意識」が出している「音」。「音のスピード」が正確だ。乱れない。
 カヴァフィスとは異質の音だが、私は西脇にも「意識の音楽」を感じる。「物理的な音」も西脇の場合は美しいが、「意識の音」が「ほんもの」を感じさせる。まるででたらめを書いているようなのに、「手触り」がある。もちろん「意識の手触り」であるが。
 前半の「豪華」なリズムに対して、後半は対照的だ。

年ごとのキリスト教の祭礼だが
今年はまた格別に華やかだ。
帝国はようやく解放された。
神に背いた忌まわしいユリアヌス帝は
もういない。

 「華やか」ということばがあるにもかかわらず、聞こえてくるのは寂しい音楽。この寂しさは、カヴァフィスがユリアヌスに肩入れしていることを感じさせる。
 池澤の註釈によれば、

カヴァフィスはこの異端の皇帝について七篇の詩を書いている--



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池澤夏樹のカヴァフィス(125)

2019-04-23 00:00:00 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
125 酒舗や娼館を

ベイルートの酒舗や娼館を転々としている。
タミデスを失った以上
アレクサンドリアには居たくなかった。
彼はナイル川の別荘と市内の屋敷で釣られて
知事の息子のところへ行ってしまった。

 「酒舗や娼館」と「別荘と屋敷」が対比されている。タミデスが知事の息子に「釣られて」「別荘と屋敷」の方へ行ったということだが、その前には知事の息子が「酒舗や娼館」にやってきたということだろう。ベイルートではなく、アレクサンドリアでは。
 ここには「往復」がある。人の行き来がある。
 このあと、詩は、最初の一行を繰り返し、こう展開する。

ベイルートの酒舗や娼館を転々としている。
安っぽい遊蕩にふける下劣な日々。
変らぬ美のように、我が肉体に染みついた
香水のように、残る
救いはただ一つ、
世にも稀な美貌の若者タミデスが
二年の間、わたしだけのものだったということ、
屋敷もナイル川の別荘も持たないわたしなのに。

 ここでは「わたし(の肉体)」と「屋敷と別荘」が対比されているのかもしれない。かつてタミデスは「わたしの肉体」に「釣られた」のだ。
 「酒舗や娼館」と「屋敷と別荘」の間に「肉体」があり、「肉体」を通路として「酒舗や娼館」と「屋敷と別荘」はつながり、そこをタミデスは往復する。現実にもそうなのか、甘い思い出の中だけでそうなのか。いま、「わたし」は「肉体」を頼りに、アレクサンドリアとベイルートを往復している。記憶の中で。

 ベイルートに関する池澤の註釈。

アレクサンドリアから六百キロ、すなわち船でなら一、二日ほどの距離にある国産都市で、ギリシャ系の主人公にとってはカイロより行きやすい遊蕩の場だったのだろう。




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池澤夏樹のカヴァフィス(124)

2019-04-22 08:09:34 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
124 セラペイオンの神官

イエス・キリスト様、わたしは常に
思いと言葉と行いにおいて
聖なる教会の戒律を守り
あなたが否むものすべてを退けてきました。
しかし今、わたしは父の死を悼み、父の死を悲しみます。
父が(申し上げるのも恐ろしいことながら)
呪われたセラペイオンの神官であったとしても。

 私には「宗教感覚」がないのかもしれない。こういう、どちらの神を大切にするかというような問題は、どうもなじめない。どちらも同じと思ってしまう。
 私が関心を持つのは、

(申し上げるのも恐ろしいことながら)

 このことばが、(括弧)のなかに入っていること。日本の書き方では、括弧内は「補足説明」のことばがはいることが多い。カヴァフィスの原文はどういう表記なのか。外国の文章では( )をつかうことがあるのかどうかも私は知らないが、なぜ池澤がこういう表記にしたのか、とても気になる。
 日本でのふつうの書き方を踏まえて言えば、しかし、ここは「補足」を装った「強調」のように感じられる。主人公の「わたし」は、言いたいのだ。「恐ろしいことながら」という気持ちよりも、父が「セラペイオンの神官であった」ということを。それは、つまり、「わたし」はキリスト教徒であり、キリスト教徒の「告白」の仕方を踏まえて語っているが、意識のどこかではキリストとは違う神を生きている、と。

 池澤は、

「われは思いと言葉と行いとをもつて、多くの罪を犯せしことを告白し奉る」はカトリックの「告白の祈り」の文言である。

 と教えてくれている。




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