詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池澤夏樹のカヴァフィス(123)

2019-04-21 08:57:09 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
123 小アジアのあの町で

 アクティウムの海戦。予想しなかった結果をどう書くか。最初から改めて書き直す必要はない。

名前だけ入れ替えればいいのだ。
最後のところの「カエサルの紛い物である
オクタヴィアヌスの災厄から
ローマを解放した」を
「カエサルの紛い物である
アントーニウスの災厄から……」とすれば
きちんと帳尻が合う。

 こういうことは、あらゆる歴史に適用できるだろう。戦いの結果など、市民には関係がない。市民に関係があるのは、自分の存在、自分のアイデンティティだけである。

ゼウスが彼に与えし才能を尊び、力強きギリシャの保護者にして、
ギリシャの風習の名誉を尊重し、
ギリシャの領土全体で敬愛され、
(略)
業績をギリシャ語によって、韻文と散文の両方によって、
栄誉の正しき器であるギリシャ語を用いてこそ
永く伝えるであろう」

 繰り返される「ギリシャ」。それだけが市民の求めるアイデンティティだ。だれが統治しようが知ったことではない。ここに「市民の知恵」がある。
 カヴァフィスは「ギリシャの慣用句」を多用しているのではない、ギリシャのシェークスピアではないか、と私は勝手に推測しているが、この「市民の知恵」にもそれを感じる。「慣用句」とは「市民の知恵」の結晶である。

 l池澤は、こんなふうに書いている。

 彼らにとって戦いの帰趨はどうでもいい。ローマの勢いの前でいかにギリシャ文化を守るかだけが関心事なのだ。

 カヴァフィスは「慣用句」を多用することで、ギリシャ文化を守っている、守ろうとしているのだろう。「永く伝える」のは「オクタヴィアヌスの業績」ではなく「ギリシャ語」の強さだ。




カヴァフィス全詩
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池澤夏樹のカヴァフィス(122) 

2019-04-20 10:59:08 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
122 クレイトーの病気

 クレイトーが病気になった。「若い俳優が/もう彼を愛さない、彼を求めないと言ったから」。しかし、詩の主眼はそこにではなく、後半にある。病気を心配した「老いた召使」がいる。彼女が彼を育てた。

彼女はこっそりとケーキとワインと蜂蜜を用意して
偶像の前に置き、昔よく覚えていた
祈りの文句をとぎれとぎれに思い出して
唱える。だが彼女は知らない、
黒い神がキリスト教徒の病が治るか否かなど
まるで気にかけていないことを。

 池澤が「黒い神」につけた註釈。

キリスト教への改心が趨勢となった時に古い偶像崇拝がどういう運命を辿ったかにカヴァフィスは強い関心を寄せている。背教者ユリアヌスに関わる詩が多いのもその現れだろう。この異教の「黒い神」は明らかに拗ねている。

 「拗ねている」はなんとも人間臭い表現だが、たしかにギリシャの神の方がキリスト教よりは人間臭いだろう。嫉妬もする。
 私の印象では、ギリシャの神はみんなわがままだ。自分のことしか考えない。
 そのことをカヴァフィスは、どう考えていたか。
 私は、自己中心的なギリシャの神をカヴァフィスは肯定していると感じる。人間なんか、どうだっていい。どうせ死んでいく。人間の病気なんか、気にかけるはずがない。もし気にかけるものがあるとするならば、「ドラマ」そのものを気にしただろうなあ、と思う。だれが、だれに対して何をするか。その結果、世界(人間関係)がどうかわるか。これは、見飽きることがない。ギリシャの神は、それを「娯楽」のようにながめている。
 というところからこの詩を見つめなおすと。

思うに彼は既に
心疲れていた。友人が、若い俳優が
もう彼を愛さない、彼を求めないと言ったから。

 この二連目の方がカヴァフィスの詩にとっては、やはり重要なのだ。どうして病気になったか。もし単なる熱病ならカヴァフィスは詩にはしなかっただろう。ギリシャの神を登場させなかっただろう。「主眼」をわざとずらしている。そういうおもしろさが隠されている。



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池澤夏樹のカヴァフィス(121)

2019-04-19 10:49:32 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
121 ロードス島におけるティアナのアポロニオス

 ティアナのアポロニオスが若者相手に教育と教養を説いた。

「私が寺院に入る時は」と彼は最後に言った、
「たとえ建物は小さくとも
黄金と象牙の像をそこに見たい。
大きな建物にただの粘土の像をではなく」

「ただの粘土」とはよく蔑んだもの。
しかし(しかるべき訓育を得ない)人々は
偽物にこそ感服するのだ。ただの粘土に。

 この前後の関係がよくわからない。アポロニオスのことばに反して、若者は大きな寺院と粘土の像をつくったということだろうか。ことばを聞くだけ聞いたが、自分のものにしなかった。教育がないので、大きな寺院、粘土であっても大きな像がいいと思って。

「ただの粘土」とはよく蔑んだもの。

 わからない原因(?)は、この一行の「口調」にある。
 これは、だれが言ったのだろうか。若者だろうか。アポロニオスに対して「あなたはそう言うが、教育のない人間は巨大な寺院、巨大な像に感服する。それが偽物であっても」と反論する前に、「『「ただの粘土』とはよく蔑んだもの」と言ったのか。
 それならそれで、私はこの若者は「豪快」だと思う。彼は彼なりの判断基準を持っている。アポロニオが何と言おうが関係ない。普通の人々(訓育を得ない人々)のこころをちゃんとつかんでいる。普通の人々のこころをつかむことができない人間だけが、教育だとか「本物」だとかにこだわる。

 池澤の註釈。

 この若者は自分の家の建築と装飾にすでに十二タラントを費やし、さらに同じ金額を投じるつもりだが自分の教育には一銭も遣わないと言った、と『ティアナのアポロニオス』の第五巻第二二章に書いてある。

 つまり、一連目はアポロニオスが主人公で、二連目は若者が主人公。対話が書かれているということなのだが、二連目の「主語」がだれなのかわかるような翻訳は不可能だったのだろうか。こういう若者はカヴァフィスの主役にはなり得ないようにも感じるが……。




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池澤夏樹のカヴァフィス(120)

2019-04-18 08:24:49 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
120 退屈な村で

 詩は前半、後半の二部に分かれている。

彼は退屈な村で働いている。
ある会社の事務員で、とても若い。
二、三か月先の日を彼は待っている。
二、三か月すれば仕事が減る。
都会へ出て行って、あそこの活気、
あそこの娯楽に頭から飛び込める。
退屈な村で彼は時が過ぎるのを待っている。

 ここまでが前半。後半は、彼の性の夢である。後半にカヴァフィスの特徴が出ているのだが、前半もおもしろい。
 男色は「都会」と結びついているが、「退屈な村(田舎)」にも男色家、。若くて美しい男はいる。あたりまえのことなのだが、忘れられがちである。人の少ないところでは男色の機会が少ない。そのために田舎を舞台に男色が書かれることが少ないのだろう。
 田舎では、若い美しい男色家はどうしているか。
 ひたすら都会へ行ける日を待っている。「二、三か月」が繰り返される。「待っている」が繰り返される。そして「待っている」の「目的語」が「二、三か月」「仕事が減る」「時が過ぎる」とことばをかえながら動いている。
 繰り返しても「意味」は変わらない。言い換えても「意味」は変わらない。
 とは、言えない。
 そこが散文と詩の違いだ。散文では、こういう繰り返しは「むだ」である。整理すればもっと簡潔になる。けれど、詩は簡潔を好むと同時に、繰り返しの音楽を好む。

美しい若さ全体が肉体の情熱に燃え上がる。
美しい若さは美しい脅迫に場所を譲る。

 後半には、こういう繰り返しもある。

 池澤は、註釈で若者の仕事を推測している。

 おそらくこの会社は木綿の仲買業者なのだろう。収穫の季節が終ると仕事はぐんと減る。またこの当時、エジプトの木綿を売買していたのはもっぱらギリシャ人だったから、この若者もギリシャ系と考えられる。

 そうなのだろうが、若者をギリシャ系に限定してしまうのはつまらない。
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池澤夏樹のカヴァフィス(119)

2019-04-17 10:56:48 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
119 イタリアの岸辺で

キモス、父はメネドロス。若いギリシャ系イタリア人。
彼の人生は、ひたすら享楽の中にある。
大ギリシャ圏のこの一角の若者たちと同じように
贅沢の中で育ってきた。

 書き出しだけを読むと、カヴァフィスの一連の「官能」を描いた作品群を連想する。しかし、この詩の展開は違う。港に戦利品が降ろされる。それを見て動揺する。

ギリシャからの戦利品、コリントから略奪された品々。
どう考えても、今日は遊ぶ日ではない。
この若いギリシャ系イタリア人が
愉快に過ごすことは今日はできない。

 ギリシャ人の血が騒ぐ、ということなのだろう。「意味」はわかるが、私は、この詩のリズムの方に驚く。
 「ギリシャからの戦利品、コリントから略奪された品々。」は抽象的で、具体的な品物が何かわからない。
 そういうことは一行ですませてしまって、主人公の「動揺」に焦点を当てるのだが、その当て方が尋常ではない。「今日は遊ぶ日ではない。」と「愉快に過ごすことは今日はできない。」はほとんど「意味」としては同じだ。繰り返さなくても「意味」は通じる。しかし、カヴァフィスは繰り返す。カヴァフィスの短い詩は、こういう繰り返しが多い。繰り返すことで「意味」を「音楽」にしている。カヴァフィスが書きたいのは「音楽」なのだ。
 同じことばを繰り返すしかないこころ、そのこころのなかで繰り返しうねる苦悩の音楽。そこに「陶酔」というか「愉悦」がある。苦悩さえも愉悦にかわってしまうという不思議がある。
 「若いギリシャ系イタリア人」というのも繰り返しである。繰り返すことで、カヴァフィスは起きていることを「事実」に結晶させる。「音楽の愉悦」のなかで結晶させる。魔術師である。

 池澤の註釈は史実を要約している。

 紀元前一四六年、アカイア同盟を撃破したローマ提督ムンミウスはコリントの死骸を攻略、男をすべて殺し、女と子供を奴隷に売り、家を破壊した。そこからの荷を積んだ舟がこの港に入った。




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池澤夏樹のカヴァフィス(118)

2019-04-16 08:27:25 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
118 その人生の二十五年目に

 偶然会った男のことが忘れられずに、「彼は足肢しげく」男に会った場所へ「三週間」通い続ける。しかし、誰も男のことを知らない。

願望で心はほとんど病気のよう。
あの口づけがまだ唇の上に残っている。
何よりも、彼の肉体は無限の欲望に苦しめられた。

 自分自身のことを「彼」と呼び、客観化して書こうとしている。しかし、それが三連目に来て崩れる。

自分の思いを外に漏らそうとは思わない。
しかし時にはもうどうでもいいという気になる。
自分がどういうことになっているのかはわかっている。
それは受け入れるしかない。ことが知れたら
この醜聞は身の破滅を招くとしても。

 ギリシャ語の原典はどうなっているかわからないが、ここには「彼」はいない。「主語」は「自分」に変わっている。この変化がとてもおもしろい。切実だ。「しかし時にはもうどうでもいいという気になる」という思いは、主人公の思いとは逆に、「自分の外に」にもう漏れてしまっている。

 この詩に対して、池澤は、とても興味深い註釈を書いている。

短編小説ならば帰結まで書かねばならないが、詩ではこの男の煩悶だけで一つの情景として完成する。

 「短編小説」には「帰結」が必要なのか。そして、この詩の姿(三連目)は「帰結」ではないのか。
 「醜聞」がばれて主人公が破滅すること、あるいは醜聞はばれず主人公が男と再会するというハッピーエンドが「帰結」なのか。何が起きようと、人生に「帰結」などないだろう。死んだって、終わらない。「短編小説」ではないが、鴎外の「渋江抽斎」は、鴎外が追いかけていた抽斎が途中で死んでしまったあとも、ことばの運動はその後も延々とつづいていく。抽斎が死んでも、ことばのなかで生きている。
 「ことば」に「完結」などない。あるいは逆に、「ことば」はいつでも「完結」する。「情景」は情景として、「煩悶」は煩悶として「完結」し、その世界へ読者を引き込む、。


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池澤夏樹のカヴァフィス(117)

2019-04-15 09:52:02 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
117 色ガラスの

イオテアニス・カンタクジノスと
アンドロニコス・アサンの娘イリニとの
ヴラケルナイに於ける戴冠式の細部にわたしは魅了された。
彼らはほんの僅かしか宝石を持っていなかった。
(我らが帝国は倒産に瀕し、極貧であったから)
二人は模造の宝石を身にまとった。
赤や緑や青のガラス玉。

 散文的なことばだ。余分がない。「細部にわたしは魅了された」と、「細部」を描くよりより先に「魅了された」という動詞で、「肉体」を描いてしまう。「動詞」が「音」を引き締めている。こういう響きをバネにして「論理」が動く。「意味」が動く。

そこには屈辱も不名誉もなかった。
まさにその逆なのだ、それらは
冠を授かろうとする二人を見舞った
不正と不運への抗議だった。

 「まさにその逆なのだ」が「論理」である。「屈辱と不名誉があった」と言う声を否定し、入り込む余地を消してしまう。そして、ことばを動かす。「論理」をつくっていく。すきのない「論理」は「事実」になる。「抗議 (する) 」ということばに結晶する。「真実」など、誰も知らない。「真実」というのは「事実」の解釈に過ぎない。つまり、何とでも言える。
 詩と同じように。
 これは「116 アンティオキアのテメトス 紀元四〇〇年」と重なる。「事情」と同じように「真実」は知っている人は知っている。
 カヴァフィスのことばは「事実」と「真実」の行き来の仕方にスピードがある。

 池澤は、こう書いている。

 この皇帝は評判が良い。この作品に見るようにカヴァフィスは明らかに贔屓にしているし、ギボンも彼の財産について「相続によって継承されたもので強欲による蓄財の結果ではなかった」(九の四一二)と書いている。

 「贔屓にしている」は「論理」で擁護している、ということか。
 いままで書いてきたことと矛盾するようだが、池澤のことばを読むと、「論理」をつくることよりも、「魅了された」と打ち明ける率直さにこそ「贔屓」を読み取るべきかもしれないと思う。



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池澤夏樹のカヴァフィス(116)

2019-04-14 08:38:49 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
116 アンティオキアのテメトス 紀元四〇〇年

恋に溺れたテメトスが詩を書いた。
表題は「エモニディス」--これは
アンティオコス・エピファニスの寵児だった
サモタナ出身の美しい青年の名。(略)

 しかし、それは「借り物」のタイトルである。主人公はエモニディスを描いたのではない。歴史を描いたのでもない。自分の恋を書くために、名前を借りたのだ。
 池澤は、註釈でこう書いている。

 おおっぴらに言えない恋を歴史ないしフィクションに託して語るという例は文学史に無数にある。多くの詩人が身につまされることだろう。

 私は、むしろ終わりの数行がおもしろいと思う。

詩はテメオスの愛に声を与えた、
いかにも彼にふさわしい、美しい愛に。
しかしながら彼と親しい我ら、事情に通じた我らは
この詩が誰のことを謳っているかを知っている。
アンティオキアの人々はただ「エモニディス」と読むのだが。

 「事情に通じた我ら」によって詩は完成する。読まれることによって完成する。名前は借り物だが「事情」は借り物ではない。
 あるいは、こういうべきなのだろう。
 何が書かれていても、それはことばにすぎない。ことばを「事情」に変えて読む読者がいてこそ詩は生き残る。
 詩を書く人が「身につまされる」というよりも、詩を読む人、読者が「身につまされる」。言い換えると、読者は詩人のことばを通して詩人になる。ことばを自分のものにする。「エモニディス」という名前など、読者にとってはもともと「借り物」。「事情」だけが借り物ではないということが、読者に起きる。
 ひとはことばから「未知」のものを発見するのではなく、「知っている」ことを確認する。それは自分を「確かなものにする」ということでもある。
 これはテメトスについても言える。彼が詩を書いたのではなく、詩が彼の恋を書いたのだ。形にしたのだ。テメトスの愛が詩を生み出したのではなく、「詩はテメオスの愛に声を与えた」、詩はテメオスの愛に「ことば」を与えた。
 詩は現実に先立って存在し、ことばを動かす。詩は現実から独立し、ことばを生み出す。ことばによって、詩人は知っていることを、知っていると確かめる。



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池澤夏樹のカヴァフィス(115)

2019-04-13 08:09:26 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
115 イオアニス・カンタクジノスが勝ったので

 カンタクジノス側に負けた語り手が語っている。その声が、連がかわるごとに変わっていく。

彼はまだ自分のものである畑を見やる。
小麦と家畜、実をつけた果樹、
その向こうに先祖代々住んできた屋敷、
たくさんの衣装、高価な家具、銀器。

 この書き出しでは何があったのか、わからない。しかし、そのあと「行って足元にひれ伏したら」「イリニ令夫人の前に身を投げ出して赦しを乞うべきか?」と言うことばをはさみ、

アンナの一味に加わったのが間違いだった!
アンドロニコス卿があの女と結婚などしなかったら!
あの女が善行を施し、人間味を見せたことが一度でもあったか?

 と、怒りに変わっていく。しかも怒りの矛先はアンドロニコス卿夫人に向けられていく。その直前の嘆願の相手も「夫人」である。あらゆる争いは女が原因ということか。
 ほんとうの原因は、

もしもイオアニス卿の側を
選んでいたならば! そうしたら今も幸福だったのに。

 と主人公の判断なのだが、ひとはいつでも不幸を他人のせいにする。
 そのときの口調、「アンドロニコス卿があの女と結婚などしなかったら!」の「あの女」といいう言い方は、怒ったときの「常套句」だろう。カヴァフィスは、こういう常套句をつかうのが得意だ。ギリシャのシェークスピアだ。人が口にすることばをそのまま文学に持ち込み、ことばを活気づかせる。

 池澤は、

ビザンティン帝国末期の宮廷の政争を素材にしている。嘆く語り手は架空の存在だが、他の名前は実在のものである。

 と書いている。歴史に精通している人なら状況を思い浮かべることができるかもしれない。私は無知なので、読んでも何もわからない。「あの女」という口調だけで充分だ。



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池澤夏樹のカヴァフィス(114)

2019-04-12 10:21:51 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
114 紀元前三一年、アレクサンドリアで

郊外の、あまり遠くない小さな村から
道中の埃にまみれたまま

一人の行商人が町に着いた。「香木!」とか「ゴム!」、
「最高級のオリーヴ油!」「髪につける香水!」

と道々叫びながら彼は行く。しかし、大変な雑踏と
音楽とパレードのさなかでは、その声は誰にも聞こえない。

 池澤は、

 主人公の行商人はもちろん架空の人物。プトレマイオス朝の最後の日々をアレクサンドリアという街の雰囲気とともに見事にとらえた作品。/歴史のドラマはアクティウムの海戦そのものであったろうが、私的なドラマはそこから少しずれたところに成立する。

 と書いている。ほんとうは海戦に敗れたのに、クレオパトラが嘘を言った。知らずに町中が大騒ぎした。

 「118  彼は読もうとした」について「映画芸術の影響」を指摘していたが、この作品の方が「映画的」だ。
 特に二連目がいい。
 群集に揉まれて、叫んでも何も聞こえない。それでも大声で行商の品が何かを叫んでいる。
 クローズアップだ。
 このクローズアップを、カヴァフィスは「声(商品名)」で詩に再現する。ギリシャ語の音がわからないが、きっと「音楽的」だ。「香木」「ゴム」は短い響き。つづく「最高級のオリーヴ油」「髪につける香水」は「修飾語」がある分だけ長い。うねりのような響きがある。
 短い音から長い音へと動き、それにあわせてクローズアップが徐々に視野を広げ、群集とらえる。パレード かスクリーンに映し出され、町の全体がわかる。

彼はつきとばされ、引きずられ、こづかれたあげく
最後に当惑してたずねた、「この大騒ぎは何ですか?」

 そして、「事実」が知らされる。小さなものから大きなものへ、視点が拡大される。この展開のリズムは映画のカメラの動きそっくりである。




カヴァフィス全詩
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池澤夏樹のカヴァフィス(113)

2019-04-11 08:26:55 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
113 彼は読もうとした

彼は読もうとした。歴史家や詩人の本など、
二、三冊が開いて置かれていた。
しかし読書はせいぜい十分しか続かなかった。
そこで諦め、ソファーで眠りに落ちた。

 こうはじまる詩に、池澤は、

激しい官能の午後を過ごした美青年の夜の一シーン。

 と註釈している。どうも納得がいかない。詩の後半は、こうである。

その日の午後、エロスが
彼の理想の肉体を、その唇を
通り過ぎて行った。
エロスの熱が愛の肉体を通り過ぎた、
快楽の形についての愚劣なためらいなど知らぬ顔で。

 池澤は、午後のことを思い出していると読んでいるのだが、カヴァフィスは時系列通りに書いているのではないだろうか。
 朝、あるいは昼飯後かもしれないが、読書しようとしたが、続かず昼のうたた寝をしてしまった。そのあと、エロスを体験した。街へ出かけたのか、だれか訪ねてきたのか。
 夢のなかから、あるいは本のなかから、だれかが抜け出してきたのかもしれない。
 それは「現実の人間」というよりも、そこに描写されていた「人間の行為」が抜け出してきたのである。本に書いてある通りに、青年は、伝統のエロスを味わった。いや、味わったというのは違うか。だれかが本に書いてある通りに青年を味わった。だれかの官能が通り過ぎた。青年はだれかが与えてくれたものに酔った。
 この「午後の夢」は夜の夢よりも官能的だ。
 池澤は、

このような情景の切り取りかたに映画芸術の影響を読み取るのは無理だろうか?

 と書いている。「映画」というよりも、「メタ文学」だろうと思う。本に書かれていることが現実になり、その現実が再びカヴァフィスの手によって詩にもどっていく。
 映画的なのは、カヴァフィスよりも、もうひとりのギリシャの詩人、リッツォスだろうと私は思う。



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池澤夏樹のカヴァフィス(111)

2019-04-09 00:00:00 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
111 ニコメディアのユリアヌス

 私は歴史には関心がないので、ユリアヌスのことは何も知らない。カヴァフィスは、なぜユリアヌスに関心を持ったのか。

分別を欠く危険なふるまいだ--
ギリシャの理想や超自然の魔法などを
讃え、異教徒の神殿に参り、
古代の神々に熱狂し、
クリサンティウスなどと頻繁に語り合い、
明敏なる哲学者マクシムスと思索にふける。

 ユリアヌスというよりも、クリサンティウス、マクシムスに関心があったのか。カヴァフィスは、彼らのことばを読んだのだろうか。
 ユリアヌスがギリシャに関心を持ったということ以上に、彼の「思想」がふらふらしていることに興味を持ったのではないか。ギリシャに溺れる(?)ことをいさめられたユリアヌス。彼がどうしたかを、詩の後半は簡潔に描いている。 

そこでユリアヌスは朗唱役として
再びニコメディアの教会に赴いた。
そこで、聖なる書物の文章を
心を込めて敬虔に読み上げる。
人々はみな彼のキリスト教への熱意に感動する。

 ユリアヌス個人のなかにおける「裏切り」。自分自身に対する「裏切り」。ほんとうにしたいのは何か。そのしたいことをしないで生きるという瞬間がある。そういうとき、ひとは弱いのか、強いのか。変節するから弱いというのが普通の考え方かもしれないが、変節をかかえこんで生きる強さをもっているとも言うこともできる。「論理」とは、めざす結論のためなら、どんなふうにでもことばを動かしてしまうものだ。
 でも、詩は違うだろうなあ。
 「論理」をほうりだして、矛盾を矛盾のまま抱え込むことができる。矛盾を指摘されたら、「論理の整合性(論理の完結)」をめざしていないと開き直れるのが詩だ。

 池澤はいくつも註釈をつけているが、どの註釈も、註釈がないと私にはわからない類のものである。引用は省略する。




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池澤夏樹のカヴァフィス(110)

2019-04-08 08:41:04 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
110 シドンの劇場(紀元四〇〇年)

評判のいい市民の子であり、何よりも顔が美しく、
さまざまな魅力を備ええて、劇場に出入りするわたしは
時折、大胆きわまる詩をギリシャ語で書いて、
回覧に供する--もちろん匿名で

 詩の書き出し。古代、あるいはギリシャ文化のなかで、「自分の顔が美しい」と自ら言う、自らではないにしてもそういう「評判」をそのまま肯定して伝えるということが一般的なのかどうか知らないが、この詩の主人公はそうしている。そのあとの「さまざまな魅力を備えて」も同じ。
 ここに「自信」のようなものがある。自己肯定の強さがある。それが次の「大胆」につながっていく。なるほど、大胆なことができるのは、自己肯定する力が強いからだと知らされる。
 この場合、「匿名で」というのは「自分を隠す」ということとは違うだろう。「隠す」ふりをして、むしろ見せびらかす。「匿名」がだれであるかを探らせるということだ。そこに最初から明らかにされているのではなく、「自分で見つけた」という喜びが、主人公と「発見者」を強く結びつける。言い換えると、「困難」を承知で自分を見つけてくれる人を誘いだすために「匿名」にしている。

あの灰色の連中の目にこの詩がとまりませぬように、
特別な種類の、断罪と不毛の愛にしか至らない
性の悦楽を謳ったこれらの詩が。

 「灰色の連中」に中澤は「キリスト教徒」という註釈をつけている。詩の主人公は、キリスト教徒に見つかってもいいとさえ思っている。同じように、そういう覚悟のある人間とでないと主人公の望む「性の悦楽」は手に入らないからだ。
 それはまたカヴァフィス自身の思いだ。
 批判される覚悟がある人間といっしょに姓の悦楽のなかに入っていきたい。そういう「誘い」をこめた詩だ。

 池澤は、こう書いている。

カヴァフィスも自分の作品を友人たちに回覧ないし配布していた。

 カヴァフィスにとって詩は「実用」でもあったのだ。





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池澤夏樹のカヴァフィス(109)

2019-04-07 11:04:51 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
109 コマゲネ王アンティオクスの墓碑銘

 コマゲネ王アンティオクスの妹が作らせた、兄の墓碑銘。

一国の支配者として彼は、先見の明を備え、
公正であり、賢明であり、さらに勇敢であった。
しかのみならず、彼は何よりもヘレネスの人であった。
人間にはこれを超える徳は望めない。
その先にあるものはなべて神々に属する」

 カヴァフィスの主眼は、おわりの三行だろう。この三行は「散文」でしか言えない。つまり、「論理」がある。ことばを「音楽(音の響き)」ではなく、「意味の動き」で支える。もちろん「散文」にも音楽もあれば響きもあるのだが、それは「詩」とは違う。
 この違いを際立たせるために、

公正であり、懸命であり、さらに勇敢であった。

 がある。
 しかし、池澤の訳では、この一行の「音」が独立して響いてこない。「公正」「賢明」「勇敢」という名詞の並列が、「である」という動詞の繰り返しによって死んでしまう。だらだらと接続してしまう。
 「ある」をずるずるひきずって螺旋階段を上るように動くのではなく、体言を積み重ね、高速エレベーターで上昇し、加速したスピードを借りて異次元へ飛翔する。その飛翔をしっかり見せるということばの運動が、カヴァフィスの狙いではなかったのか、と「原文」を知らない私は想像する。

 池澤の註釈。

 このアンティオクスも含めて登場する人物はすべて架空である。

 そうならばなおのこそ、「事実(歴史)」とは無関係に、カヴァフィスはことばの魔術を展開するために墓碑銘というスタイルを借りたのだと思う。称賛はどのようなリズムであるべきか、という「手本」(ギリシャの常套句)を引き継ぎ、発展させようとしているのだと思う。




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池澤夏樹のカヴァフィス(108)

2019-04-06 10:50:35 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
108 ユリアヌスが軽蔑について

「さて、鑑みるに、我らの間には神々への軽侮の念がある」
と彼はもったいぶった口調で言う。
軽侮? しかし彼は何を期待していたのだろう?

 書き出しの三行である。タイトルを参考にすると、ユリアヌスが「さて、鑑みるに、我らの間には神々への侮蔑の念がある」と言ったということだろうか。このときの「言う」は、単に言うというより「指摘した」ということか。その指摘は、何のための指摘? それこそ「何を期待して」そう言ったのだろうか。

 池澤は、こういうことを書いている。

 ユリアヌスは四世紀のローマの皇帝。すでにキリスト教を国教としていたローマ帝国で、ネオプラトニズムに基づくギリシャ風の多神教へ回帰しようとした。そのために「背教者ユリアヌス」と呼ばれる。

 多神教(神々)を「軽侮」するのは、よくない。尊敬すべきだ。池澤が書いているように「多神教に回帰する」ことを期待したのか。
 後半部分。ユリアヌスは、多くの「友人」に書簡を送った。

それらの友人たちはキリスト教徒ではない。
そこは間違いのないこと。それでも彼らは、
(キリスト教徒として育った)ユリアヌス自身のようには、
理論においても具体的にも滑稽な代物にすぎない
宗教組織を相手には遊べない。

 何度読んでも、わからない。
 わからないけれど、(キリスト教徒として育った)が括弧でくくられていることが気になる。なぜ括弧にいれたのか。補足? 補足というよりも、補足を装った「強調」かもしれない。ユ「リアヌスはキリスト教徒として育った」を強調したい。多神教(ギリシャ)とは無関係だ、と言いたいのか。




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