詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

「現代詩手帖」12月号(13)

2022-12-22 11:42:30 | 現代詩手帖12月号を読む

「現代詩手帖」12月号(13)(思潮社、2022年12月1日発行)

 山崎佳代子「旅は終わらない」。一連目、

耳なれぬ国々の言葉たちが
通りすがりの町にあふれ
重い足音と混ざりあい
音楽となっていった
人の列はとぎれず
長旅の叙事詩に
終わりはない

 意味よりも、音よりも、一字ずつ減っていく連の形に目がとまる。そのために何が書いてあったか、印象に残らない。一字ずつの増減は、他の連でも繰り返されるから、これは山崎の狙いである。この形が崩れたら、その乱れが印象に残る。
 それが三連目。

この夢のなかへ
曇りガラスのむこうから
知らない男と女の声がとどく
やっと心が安らいできた、と女
だが、何一つ、解決したわけではない、と男

 突然、「ドラマ」になるのである。これは「わざと」である。そして、この「わざと」は一瞬だから、いい。

 青木風香「お前風俗行くなよな」。「お前」ということばが、ここにはドラマがある、と告げる。でも、それが「風俗行くなよな」ということばで閉ざされると、私は、とても窮屈に感じてしまう。風俗の客になるな、風俗の店員になるな、のどちらを言っているのかわからないが、とても古いドラマ、映画で言うと「赫い髪の女」(神代辰巳監督)の世界だな。四、五十年前の映画だから、いまは、これが新しいのかもしれないが。

自分を大事にしろよ
見栄なんて捨てろよ
二人で旅行にいこう

 これは「わざと」かなあ。「わざわざ」かなあ。私には、よくわからない。どちらにしたって、このことばは、「肉体」を要求している。つまり、「過去」という肉体をもった役者が、「ことば」を隠して肉体をさらけだすときにだけ輝く類のものだと思う。
 なぜだかわからないが、「赫い髪の女」で、女が「このあたり、卵がめちゃくちゃ安い」と怒るように言っていたシーンを思い出してしまう。肉体がそこにあるとき、どんなことばもドラマになる。
 詩は、役者の肉体に頼らず、ことばそのものの肉体を見せるものだ。青木のことばの肉体は、妙に古い感じがする。「わざと」? 

 暁方ミセイ「白椿」。

あなたをわたしが見
わたしをあなたが見

 「見つめ合う」ということばを拒絶しているところが、とてもおもしろい。「見」という単独の漢字が、ふたりの「関係」を象徴している。
 で、これは、こうつづく。

その関係のあいだで生じたものは
流れ流れて
いまごろ春の湊の渦の
永久にとどまる水滴の一瞬です

 意味なのか、イメージなのか、よくわからない。しかし、「あっ」と思う。それが「ことばの肉体」というものだろう。役者がスクリーンに出てきた瞬間、「あ、宮下順子だ、女が出てきた」と思うようなものだ。暁方の詩にふさわしい例ではないが、青木の詩を読んだあとなので、そんなことばが動く。山崎の書いていた女と男も、「赫い髪の女」の世界を生きているのかなあ、と思い出したりもする。
 私はいつでも何かの影響を受けながら、ことばを読んでいる。
 脱線したが。
 この「一瞬」は、最後に、こう言い直される。

白椿に似た
居もしないあなた あなたの気配が
ぽったりぽったりと
曇りの空から
温み 落ちてくる
 
 「白椿」に似ているのは「あなた」なのか、「あなたの気配」なのか、あるいは「居もしない」ということ自体なのか(だから気配というのか)、いろいろ思うのだが「ぽったりぽったり」はそういうことを消してしまって「白椿」そのものになっていく。「温み」にもなっていく。
 この「連続性」は、やはり「ことばの肉体」である。
 「肉体」というのは、手にしろ足にしろ、目にしろ耳にしろ、それは単独で取り出せない。どこかでつながることで「一体」(存在)になっている。こういう「切り離せない感じ」を感じる瞬間が楽しい。裸を見ている感じ。
 こんなことを書くと「セクハラ」と批判されてしまうかもしれないが。
 しかし、私は詩を読む(小説を読む、哲学を読む)というのは、私のことばと他人のことばがセックスすることだと思っているし、セックスの果に自分が自分ではなくなる(エクスタシーに達する)ことだと思っているので、「わざと」「わざわざ」、こう書いておくのである。
 

 

 

**********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、ネット会議でお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。

★ネット会議講座(skypeかgooglemeet使用)★
随時受け付け。ただし、予約制。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

 

 

問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「現代詩手帖」12月号(12)

2022-12-21 13:22:56 | 現代詩手帖12月号を読む

 福田拓也「垂直の聖地」は、ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」のようなものかと書くとジョイスのファンが怒るか、喜ぶか。

日々割れたレターの字づらから覗く日の火刈り蚊蛾焼苦る染み

 ことばは「表記」からどれだけ自由になれるか。ジョイスのこころみがどんなものかを理解できるほど私は英語を知らない。福田の書いている部分についてなら言える。
 「火刈り蚊蛾焼苦る染み」には、火に飛びこんできて死んでしまう蛾の苦しみが隠れているが、こういう常套句を「連想定型」のままの漢字をあてはめてみてもおもしろくないだろうなあ。「苦しみ」を「喜び」の漢字で、「官能の愉悦」を「苦しみ」の漢字で書かないことには、「わざと」にはならないし、「わざわざ」に発展しない。。
 福田の詩には、ときどきルビがある。私は引用するとき省略したが、「当て字」をルビつきで読むくらいなら、万葉集の、どう読むべきか特定されていない(いくつか説がある)歌を、万葉仮名で読む方が楽しいだろうと思う。

 細田傳造「まーめんじ」。これは、「わざわざ」の詩である。こんなことは書かなくてもいい。だから、書く。

てんねん好色児童の山崎が
ケッコンケッコンとわめきながら
むりやり美子と挙式しようとして
騒ぎになった
あれからぼくたちはみんな
野球少年になってそれを忘れた

 「あれからぼくたちはみんな/野球少年になってそれを忘れた」が特に「わざわざ」なのだが、「わざわざ」書いたことは、さらに「わざわざ」の方へ動いていく。そのとき、そこに、書かなければ存在し得なかったものが存在する。いや、書かなくてもほんとうは存在していたものが、書くことによって存在としてはじめて姿をあらわす。
 つまり、「発見される」ものがある。
 それは、何?
 それは読者が読んで考えればいい。読んで考えるために、詩集『まーめんじ』を買ってください。とてもいい詩集だ。詩集を売るために(読んでもらうために)、私は「わざと」詩の全体を引用しないのだ。引用を一部に留めているのである。「わざわざ」詩集を買うか、買わないかは、読者に任せる。詩が好きなら「わざわざ」買うだろう。ほんとうにいい詩集かどうか心配なら、「わざわざ」書店まで行って、立ち読みしてから、買うか買わないか判断するだろう。そういう「めんどう」のなかに、実は詩がある、といえば「わざわざ」の意味がよりいっそう伝わるかな?

 望月遊馬「ひょうたん島」。

だれと手をつないでも
つないだ相手が溶けて消える夢をみた

 この二行が簡潔で「わざと」詩に書いたという感じがしない。簡潔で、とても美しい。そのあと「溶ける」「消える」が「わざわざ」書かれているが、それは細田の「わざわざ」を読んだあとでは、別に読まなくていいなあと思う「わざわざ」である。
 こういうとき、私は「わざわざ」それを引用したりしない。

 

 

**********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、ネット会議でお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。

★ネット会議講座(skypeかgooglemeet使用)★
随時受け付け。ただし、予約制。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

 

 

問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「現代詩手帖」12月号(11)

2022-12-20 16:06:06 | 現代詩手帖12月号を読む

「現代詩手帖」12月号(11)(思潮社、2022年12月1日発行)

 岸田将幸「無題(ラブソング)」。

悲しいからこれ以上
何も言わないでほしい「生」を僕らは生きるのだから

 この二行目の書き方は「わざと」である。二行に分けた方がリズム的に読みやすい。しかし、それをあえて二行にせずに一行にしている。そして、それを「わざと」一行にしたとき、不思議なことが起きる。もし、あえて二行してみると、

何も言わないでほしい
「生」を僕らは生きるのだから

 なのか

何も言わないでほしい「生」を
僕らは生きるのだから

 なのか、わからなくなる。
 どちらでもないのだ。
 二行にしてしまったら、リズムは読みやすくなるが、それは「単なる「音」のリズムである。「音のリズム」を優先させたとき、「意味の連続のリズム」がくずれてしまう。
 「生」はどちらにつながることばなのか。
 わからないまま、一気に動いていく。
 これがこの「意味の連続のリズム」なのである。「意味のリズム」ではなく「意味の連続のリズム」が、「自然に」このことばが一行であることを要求しているのである。「ねじれ」のようなものを要求するリズムである。

信念なんてないさ
あるのは独り言だけた
賭けていよう
うまくゆく
このまま口笛を
口笛をこのまま

 「このまま口笛を/口笛をこのまま」は「意味の切断のリズム」であると言える。「ラブソング」というか、愛(恋)というのは、二人の人間のつくりだす「連続」と「切断」の交錯かもしれない。それが、そのまま行の形になっている。
 「わざと」と最初に私は書いたが、それは「自然」を優先させるための「わざと」であることがわかる。

 金時鐘「二つの部屋」。

鍵を下さい。
ご臨終の
母がいます。

ここを開けて下さい。
閉ざせない眼が
あいたなりです。

 部屋(扉)によって、切断されている二人。息子は、接続を求めている。死んでしまった母もまた接続を求めているだろう。それは「閉ざせない眼」によって象徴されている。「あいたなりです」という息子の絶望がそれをくっきりと浮かび上がらせる。
 「開ける」「閉ざす」「あいたなり」。この切断された接続は、とても強烈だ。つまり、「自然」がそのままあふれている。「あいたなり」の「なり(なる)」がとてもいい。
 この「なる」は、岸田のことばでいえば「生」である。英語で言えば「be」である。ハムレットの「to be or not to be」の「be」。それは「生きるべきか、死ぬべきか」と翻訳されるときもあれば「なすべきかなさざるべきか」と訳されることもある。

 竹内敏喜「L・Bに倣って 2」。「L・B」とは、何か。一時期「BL」という略語が飛び交った時代があった。「Boys Love (男の同性愛)」。
 詩のなかに、

きみは話をそらせるとき、たいてい異性に眼をむけさせたね
でもたしかに女性の後ろ姿はより女神に似ている

 この「きみは話をそらせるとき、たいてい異性に眼をむけさせたね」なかの、「わざと」の感覚が、「Boys Love 」の感覚か。「わざと」異性に眼を向けさせる。
 でも、「女性の後ろ姿はより女神に似ている」とは、どういうことか。「わざわざ」付け足している(?)ことばが、私にはピンと来ない。「わざと」とも感じられない。ただ、とても「不自然」だと感じる。
 「納得できない」を「不自然」と言っているだけなのかもしれないが。

 

 

**********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、ネット会議でお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。

★ネット会議講座(skypeかgooglemeet使用)★
随時受け付け。ただし、予約制。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

 

 

問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「現代詩手帖」12月号(10)

2022-12-19 21:08:25 | 現代詩手帖12月号を読む

「現代詩手帖」12月号(10)(思潮社、2022年12月1日発行)

 朝吹亮二「イチゴ、木イチゴ、黒スグリ」。

イチゴ
木イチゴ
黒スグリ(グーズベリーだね)
揺らす七月の朝

 (グーズベリーだね)は、「わざと」だね。「イチゴ、木イチゴ、黒スグリ」とたたみかけるリズムは、そのままつづけてもいいのだが、つづけるのはかなり緊張をともなう。そのリズムを一旦断ち切る。断ち切るといっても、完全にではなく、ふっと息抜きみたいな感じで。「だね」という口語の響きが効果的だ。
 朝吹は、この「わざと」を強調しない。繰り返さない。そこが、いいところだ。

 池井昌樹「放鳥譚」。ある朝を境に、見知らぬ鳥が部屋に飛びこんでくる。

未知の、未見の小禽。それは私自身が私を覗き込むような瞳で凝と私を視たのだ。

 これは、私なら「わざと」書くが、池井は「わざと」は書かない。「自然に」書く。「見る」「覗く」「視る」のつかいわけも「わざと」ではないし、「わざわざ」でもない。「自然」なのだ。繰り返される「私」によって、繰り返されただけ「私」が増えていく。つまり、

その朝から私は何処か、何処が、ではない何もかも凡て変わった。

 「何もかも凡て変わった」にことばを補うとしたら、何もかも凡て「突然に」変わった、ではなく、何もかも凡て「自然に」変わった、になる。
 このあと池井のことばはとまることを知らないモーツァルトの音楽のように「自然に」動いていく。この「自然に」というのは、なかなかむずかしい。「自然」はどうすることもできない。
 だから、読んでいる私の体調がいいときは、それはとても気持ちがいい。しかし、不機嫌なときにこれを読むと、いらいらする。

けれどもほんとうに遠退いてゆくらしい意識閾の外で囁く声が、さあお逃げ、おまえもはやく。

  進められるままに、私は逃げよう。

  川口晴美「光の中庭」。

夢のなかでツジツマをあわせると

  という一行が、書き出しから七行目に出てくる。このタイミングは、詩が長くなることを暗示している。そして、実際に長いのだが。
  夢のツジツマは、現実の論理とは違う。夢は辻褄をあわせなくても、辻褄が合ってしまう。池井の詩を読み返せばわかる。だから、池井の詩は「自然に」書かれた、と私は言うのである。夢のなかでは、辻褄は合わせるものではなく、合わせられるもの、自分ではどうすることもできないものなのである。

もういないわたし
それとも生まれたことのないわたしの子どもか
えいえんにいないものがそこで
朝の光を浴びている

  「もういないわたし」とは「かつてはいたわたし」であり、その瞬間の「時間」の挿入、夢のなかへの「時間」の挿入が、「過去」と「永遠」を「それとも」ということばでツジツマあわせ(論理の整合性)を求めて動く。
 最後は、

名付けられない
中庭は
わたしだけのもの

 と開き直る。「ツジツマ」はいつだって「わたしだけのもの」である。妙に論理的すぎて、夢の実感が私には伝わってこない。
 別な言い方をすると、川口の詩は、私の体調にかかわらず、同じ調子で読むことができる。それが、モーツァルトや池井の世界とは違う。

 

 


**********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、ネット会議でお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。

★ネット会議講座(skypeかgooglemeet使用)★
随時受け付け。ただし、予約制。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

 

 

問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「現代詩手帖」12月号(9)

2022-12-18 12:44:44 | 現代詩手帖12月号を読む

「現代詩手帖」12月号(9)(思潮社、2022年12月1日発行)

 関口隆雄「ごはんつぶ」には、「ある老夫婦の会話」という副題がついている。ふたりとも死んだのか生きているのか、ご飯を食べたのか食べていないのか、よくわからない(よくおぼえていない)というやりとりをしている。

わたしゃ このごろ いきているのか
しんでいるのか わからなくなりましたよ
ばあさん あんたはもうしんでいますよ
そうですか いつ しんだんですかね
きのう しんだんですよ
きのうですか よくおぼえていないですね
こまりましたね

 これは、「わざわざ」「わざと」書いているとも言えるし、「わざと」「わざわざ」書いているとも言えるが、私は「わざわざ」「わざと」書いていると読んだ。どう違うのか。どうも違わない。「わざわざ」書き始めたら、それが「わざと」を含みながら広がっていき、「わざわざ」にかわってしまった。長い長い「夫婦生活」そのままという感じだなあ。
 「わざと」余分なことを書かずに、「わざわざ」書かなくていいことを書いている。「わざわざ」読まなくてもいいが、読んだら「わざわざ」なんだなあ、と感じる。
 工芸品を見るよう味わいがある。手間と時間が美しい。

 建畠晢「昭和の恋」。

誰かが、きっと若い女が、階下で三味線を弾いている

 この書き出しの「きっと若い女が」が「わざわざ」である。三味線の音を聞いて、そこから「わざわざ」若い女を呼び出している。若い女を思い出したいのである。なぜか。これから書くのが「恋」だからである。恋には「若い女」が必要。若い女を思い浮かべないことには恋が動いていかない。
 というのが、「昭和の恋」であって、いまは若い女を「わざわざ」思い浮かべないかもしれない。というか、もっと恋の対象が広がっている。いま「若い女」と書くとしたら、それは「わざと」である。
 そして、「わざわざ」若い女を登場させるのは、

叔父の恋は終わったのだ

 と書くためでもある。「恋は終わる」というのが「昭和の恋」である。だから「わざと」若い女を登場させたのかもしれないが、短い詩には、そのことばがとても効果的である。「きっと」もとても効果的。
 8行の、短い詩なのだが、短いからこそ、私は「わざと」最初と最後の行だけ引用してみた。短いのに、二回「豚足」ということばが出てくるのがおもしろい。二回出てくることばは、あと「叔父」があるが、その重複が、他の一回しかつかわれていない多様なことばの多様性を印象づけるので、ちょっと、うなってしまう。非常に短い詩なのに、ことばが非常にたくさん、しかも充実した形で結晶している。細密なことばの工芸品である。

 山本育夫「水馬(あめんぼう)」。

銀色の水袋にシュッと穴をあける
アメに似た甘い臭気が
しばらく周囲にただよう

 「甘い臭気」の「臭気」が「わざと」である。これは西脇が言った「わざと」そのまま。「臭気」でなかったら、詩にならない。「しばらく」は「わざわざ」である。この「しばらく」によって「臭気」の「わざと」が落ち着く。手工芸品のように、とてもていねいな作品。ていねいさでは、建畠の作品に通じるものがある。

 

 

 

**********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、ネット会議でお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。

★ネット会議講座(skypeかgooglemeet使用)★
随時受け付け。ただし、予約制。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

 

 

問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「現代詩手帖」12月号(8)

2022-12-17 10:29:51 | 現代詩手帖12月号を読む

「現代詩手帖」12月号(8)(思潮社、2022年12月1日発行)

 山田兼二「病室のクリスマス・キャロル」。山田は、つい先日死んだ。この詩を書いたときは、生きている。あたりまえだが。入院中に書いた詩だ。
 その最終連。

職員が数人 開け放した扉の外を往来しているが
だれも近づいてこない 呼ぶこともできない
どこからか鐘の音が聞こえてくる
クリスマス・キャロルが遠ざかって
一年が去っていく 遠く 遠く 明後日の方へ

 「クリスマス・キャロルが遠ざかって」行く、と詩を終わらせることもできる。ふつうは、そう終わるかもしれない。しかし、山田は

一年が去っていく 遠く 遠く 明後日の方へ

 と書き足している。この一行が、非常に重い。「明後日の方」と、時間的に「未来」であることが、さらに重い。
 山田は、この一行を、力をふりしぼって、「わざわざ」書いたのである。この「わざわざ」書かれた一行のために、詩はある。この一行を受け止めるために、詩が必要だったのだ。

  河津聖恵「鳥の悲しみ-雪中錦鶏図」。

一羽の鳥の悲しみが雪を柔らかに溶かしている
それとも 溶けかけた世界をふたたび凍りつかせているところか

 「それとも……か」。これがこの詩のキーワードだ。「それとれ……か」は疑問であり、断定の回避である。あるいは保留というべきか。しかし、ほんとうか。逆に、それはより強い「断定」へ向かうための助走であるとも言うことができる。

分かるのは
いまもたった一羽の悲しみが秘かに世界を溶かしていること
あるいは凍りつかせていること

 そして、その「断定」とは、何かを「固定」することではない。「分かる」とは、「あるいは」を発見するためには、「回避」、あるいは「迂回」が必要だということである。「迂回」することが、詩なのである。「迂回」の中に詩があるということである。

 須永紀子「誕生」。

書かれていたかもしれない
「人間とこの世界についてのまだ語られていないこと
掬いとって並べなおす

 「かもしれない」が「迂回」である。それは「まだ語られていない」という「不在」への接近である。迂回するとき、強く認識される「不在」。「不在の認識」が詩であるか。そうだと仮定して。

一文が次行を誘い
水平線をこえて
続いていくと思われた

 私は、この「思われた」という表現が大嫌いである。なぜ「思った」ではいけないのか。「思われた」という「迂回」は、「わざと」か「わざわざ」か。たぶん「無意識」だろう。須永の癖(習慣)かもしれない。主観を押しつけないという、押しつけがましさ。このあいまいさは、

「人間とこの世界についてのまだ語られていないこと

 の鍵括弧が閉ざされていないところにもあらわれている。拒否を拒んだ、「思われた」というあいまいな主観の押しつけ。と、書き続けてくると、「わざと」だな、と「思われてくる」。
 ね、須永さん、いやでしょ、こんなふうに「思われてくる」なんて、書かれたら。
 私は「わざと」、「わざわざ」、須永がいやがることを書いている。意識的に、である。この私の「意識的」な行為には、もちん詩は存在しない。「わざと」「わざわざ」だけが存在する。

 


**********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、ネット会議でお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。

★ネット会議講座(skypeかgooglemeet使用)★
随時受け付け。ただし、予約制。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

 

 

問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「現代詩手帖」12月号(7)

2022-12-16 10:04:29 | 現代詩手帖12月号を読む

「現代詩手帖」12月号(7)(思潮社、2022年12月1日発行)

 蜆シモーヌ「乙女」。

あたしとても
きのこになりたい

 この二行は、小学生が「ぼくはきょうりゅうになりたい」と書くのに似ている。違うのは、そのあとだ。

きのこになるまでの
途方もないみちのりにいつかなりたい
森のしめりけの
ひふのうえを
かしこくかしこく
微分して
ひくくひらたく
へりくだるきのこの
実をむすぶあのやり方がとてもすき

 「きのこ」そのものよりも、「みちのり」、言い換えると「過程」になりたい。これはこどもには思いつかない。しかも、その過程は「途方もない」のである。長いのか、変化に富んでいるのか。
 それが「森のしめりけの」以下につづいていく。
 こういうことは「わざと」書いているのだが、その「わざと」はていねいなので、「わざわざ」になる。
 ほかの行はなくてもいいなあ。この十一行だけで、完璧な詩になっている。ほかの行を書いているのは、完璧を隠すためかもしれない。それならそれで、とてもいい。完璧なものは、完璧と言ってしまったらもう言うことはなくなる。

 中本道代「川のある街」については、ブログで書いたかもしれない。

廃屋の垣根にスイカズラが咲いている
スイカズラは二つの白い花が対になって開き
夏の初めに道端で強い薫りを放つ

 「スイカズラは二つの白い花が対になって開き」という一行がていねいだ。中本の視線が細部にまで注がれていることがわかる。しかも、その視線の注ぎ方は「客観的」なのである。「対になって」ということばが「客観的」だ。
 この「客観性」は、詩の途中で、もう一度発揮される。

どの坂を下っても川に突き当たるのだった

 川は低いところを流れている。それだけのことであるが、「低いところ」と言わずに「坂を下る」という動詞と結びつけて書いているところがとてもていねいだ。
 「対になる」も単に「客観的」と言うよりも、そこには「人間の行為」が反映されているかもしれない。どこかに「人間」をもとめるこころが動いているように感じられる。「人間」をもとめているからこそ「廃屋」も気になるのだろう。

キジバトの鳴くくるしさ

 という一行もとても印象的だが、「くるしさ」になにかしら「人間」の反映を感じるからである。
 印象的な行(ことば)は、いずれも「わざわざ」書かれている。そこに中本の個性、人間性を感じる。中本のことばには、主観と客観の静かなバランスがある。
 ところで。
 中本は「街」と書いているが、私は昭和の「村」を思い浮かべながら読んだ。

 牟礼慶子。彼女も新井豊美と同じく故人。「愚かな弁明」は「遺書」のような作品である。その終わりの四行。

しかし私の方は今度こそ
空よりもずっと低いと
ひげも生やしてなどいないと
大声をあげながらこの世から出て行ってやる

 「しかし」を説明するには、前の部分が必要なのだが、想像すれば、なんとなくわかるだろう。
 「大声をあげながら」がとてもいい。「遺書」というのは「わざわざ」書くのか、「わざと」書くのかわからないが、牟礼は「わざわざ」書いたのだと思う。「大声をあげながら」に切実さがある。

 


**********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、ネット会議でお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。

★ネット会議講座(skypeかgooglemeet使用)★
随時受け付け。ただし、予約制。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

 

 

問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「現代詩手帖」12月号(6)

2022-12-15 11:35:55 | 現代詩手帖12月号を読む

「現代詩手帖」12月号(6)(思潮社、2022年12月1日発行)

 福間健二「フミちゃんの眠らない夜」は、「後注」がついいてる。

二十三歳のフミちゃん、金子文子(一九〇三-一九二六)の没年を意識して。そこから書きはじめて、金子みすゞ(一九〇三-一九三〇)をひっぱりだして終わることになるとは思っていなかった。文子とみすゞ、同年生まれで、文子の方が少し上。

 これは「わざと」書いたのか、「わざわざ」書いたのか。「わざわざ」と私は思った。私はふたりの生まれた年も死んだとしも知らないが、そういう読者は多いだろう。その読者のために「わざわざ」書いてくれているのである。福間は、親切な人なのだろう。いまは、親切は親切とはいわずに、「おせっかい」というかもしれないなあ。
 詩のなかに、

キス、やたらにするもんじゃない。いまはとくに。

 ほら、「親切」ではなく「おせっかい」でしょ? おせっかいは「わざわざ」するものなのだ。
 でも、福間のために書き加えておくと「詩とは書き始めたときと書き終わったときとでは、思いがけず、世界が変わってしまっている」という定義を、「後注」で「わざわざ」言い直してくれている、読者を啓蒙しようとしているところが、なかなか親切である。「思っていなかった」が、とてもいい。「思っていなかった」のなら、それを破棄してもいいのだが、そうではなく「思っていなかった」からこそ作品として提出する。これが作品を評価するポイントになる。「思っていた通り」(予定通り)なら、それは詩ではないのだ。

 新井豊美「私は漁婦 ボラとりに行く」。

魚市場で
とれたばかりのボラの頭が切り落とされ
切り口からどっと赤いものが
あふれ出すのを見た
頭のないボラの銀色にくねる胴を
男はわし掴みにして立ち去り
男の動作はすばやく
血潮の中に頭と内臓がしんと残った

 「男は」「男の」と繰り返されるところがとてもおもしろい。私は反射的に、対極(?)の女を思い浮かべる。だから「血潮の中に」の血潮を月経のように感じてしまう。新井の肉体(生理)のなかに「頭と内臓がしんと残った」。それは魚市場の光景であって、魚市場ではない。

夢 とはいえ色彩と音と質量があり
夢 とはいえ鞭となって痛くしなる
ボラの血で指を染め
夢 という激しい暴力をあの男にならって
刃物でザクリと切り落としたい

 いいなあ。まるでセックスだ。セックスのとき、男は男でありながら女であり、女は女でありながら男である。したいこと、されたいこと、に区別がなくなる。
 「男は」「男の」と「わざわざ」書いたから、「夢」「夢」「夢」が「わざわざ」書かれたものではなく、自然になる。

 ところで。
 なぜ十年も前に死亡した新井の詩が「年鑑」に載っているのか。『新井豊美全詩集』が一月に出たからである。つまり、詩集を売るための宣伝のために、「わざわざ/わざと」古い作品を掲載しているのである。
 そういうことに新井の詩が利用されたからといって、新井の詩のことばの意味や音の響きが変わるわけではないし、これをきっかけに新井の詩を読む人が増えるとしたら、それはそれでいいことだが、私は感心しない。「年鑑」とは「記録」のことだろう。商売は「記録」ではない。
 それは、編集についても言える。現代詩手帖の「年鑑」は毎年、作品の掲載順序に気を配っている。基本的に発表月(今回は2か月単位)で区切り、その区切りのなかでは五十音順に作品が掲載される。そして、その区切りごとの掲載順のほかに、全体の最初と最後は、かなりの有名詩人(たいていのひとが知っている詩人)の作品が掲載されることになっている。今回は巻頭の作品選びに苦労したようだ。五十音順を守ると、巻頭は青野暦になる。これを避けて、谷川俊太郎の作品を最初に掲載している。(最後は吉増剛造である。)この操作は「わざわざ」なのか「わざと」なのか。「わざわざ」なのだが、そこから人間性があふれてこないので、どうしても「わざと」になってしまう。
 私は、編集方針をきちんと守り、谷川俊太郎のほかの詩人の作品の中に紛れ込ませた方が谷川に対して親切だと思う。「わざわざ」特別待遇をしない、ということが大切な場合がある。商売のために特別待遇をするのは、私には非礼な行為に思える。つまり「わざと」特別待遇しているように見える、ということである。

 倉田比羽子「交歓」。倉田は、ある時期、新井豊美と同じ歩調をとって作品を書いていたような印象がある。「仲間」という印象が私の記憶のなかにある。だから、というわけなのかどうかよくわからないが。

それは、まるでそこがはじまりであったかのようにふさふさした草むらに分け入ってゆく

 この一行「交歓」というタイトルの影響もあって、新井の描いていたセックスにつづけて読んでしまう。そして、『河口まで』『いすろまにあ』の新井豊美の詩は好きだったが、その後は次第に好きではなくなっていったなあ、というようなことを思い出してもしまう。好きではないことを「わざわざ/わざと」書くのも私は好きだが、きょうは、やめておこう。「年鑑」について書いたから、もういいだろう。

 


**********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、ネット会議でお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。

★ネット会議講座(skypeかgooglemeet使用)★
随時受け付け。ただし、予約制。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

 

 

問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現代詩手帖」12月号(5)

2022-12-14 12:35:49 | 現代詩手帖12月号を読む

「現代詩手帖」12月号(5)(思潮社、2022年12月1日発行)

 奥野埜乃「( とつとつと…」。書き出しから、私には、何が書いてあるのかわからない。

とつとつとシグナルを送る凹んだ臍のうえにわたしの指がなめらかな波紋を広げたとき、彼女は水面から、深く、深く、いつもの姿勢で沈んでいっている最中だった。
そう、いつもならわたしをハグするためのこと、彼女は陽が差し込まなくなる水底へとゆっくりゆっくり降りていく。

  何がわからないかといって、「わたし」のいる位置である。「わたし」は水底にいる。「彼女」は、水底にいる「わたし」とハグするために水中に降りていくということか。そうであるなら、「わたし」から見れば「沈んでくる」「降りてくる」だろう。「沈んでいく」「降りていく」というかぎりは、私は水の外にいる。それでは「ハグ」できないだろう。「ハグ」が「抱擁」だと仮定の話だが。
  これは「わざと」奇妙な動詞のつかい方をしているのか。「わざわざ」こんな書き方をしているのか。「わさわざ」と「わざと」と違う。
  このあと、

彼女は語気強く未知の言葉に応答し、全身の毛を逆立てる。

  という一行がある。「未知の言葉」は「沈む」「降りる」ではないかもしれないが、知っているように思えることばを「未知のことば」に変えてしまうのが詩であると私は信じているので、奥野の書いていることがわからない。
  さらに、こういう一行がある。

だいじょうぶ、彼女はあなたに告げるから。わたしを伝えるのがあんたの使命よ。

 「あなた」「あんた」が唐突に出てくる。「わたし」と「あなた/あんた」の関係はどうなっているか。「彼女」の存在によって「わたし」が「あなた/あんた」へと変化するということか。
 いずれにしろ、この書き方は「わざわざ」ではなく、「わざと」である。
 たとえば、葬儀。「遠いところをわざわざありがとうございます」という挨拶がある。一方、遠いけれど、「わざと」行くときがある。それは「わざわざ」とは全く違う意味である。
 西脇順三郎は、詩は「わざと」書くものであるというようなことを言っていたと記憶する。西脇の場合「わざと」書いても、それが「わざと」ではなく、自然に「わざわざ」にかわっていく。なぜかというと、西脇には私とは違って深い教養があって、それが人間性となり滲み出してくるからである。「わざわざ」は滲み出してくるもの。「わざと」はほんとうはそれが存在しないのに、存在するかのように装うことである。遠い葬儀に「わざと」行くのは、私は故人を尊敬していました、と嘘をつくためである。

 城戸朱理「凶兆」。

月がゆるやかに位置を変えるとき
星の座が定まる
あかあかと燃えるベテルギウスから
不吉の知らせが届いたのか
森が誰かを殺すために
           動き始める
それもまた伝承だが、もし現実になるならば
月もまた青ざめていくだろう

 これは「わざと」の大集合である。その証拠が、引用した終わりの二行にある「また」「また」の繰り返しである。「また」を繰り返さないことには、ことばが動かない。「また」によってことばを動かし、その動きによって「事実(それまで書いてきたことば)」を定着させる。
 ことばによって「事実」を別なものにしてしまう、というのは詩の特権であるが、それが

森が誰かを殺すために
           動き始める

 というような視覚に頼らないと成立しない特権ならば、私は、特権であることを放棄した運動にしか見えない。
 この直後に、

怒りがデジタルに拡散していく時代

 という一行がある。「ペテルギウス」のような音の美しさが「デジタル」にはない。「デジタル」からは、滲み出してくるものが何もない。
 最後の四行。

星の座が定まるとき
国境は揺らぎ
千年を経た大木が裂け
数千年を閲した山脈が崩れる

 「デジタル」なのに「数千年」か。概数を拒否してしまうのが「デジタル」ではないのか。城戸の書いているのは、「アナログ」でもなく「アナクロ」かもしれない、と私は感じる。
 西脇が「わざわざ」に高めた「わざと」を、わざわざ「わざと」に引き戻している。

 管啓次郎「西瓜の日々(My Watermelon Days)」。

西瓜の建築のなかに住めることがわかって
それは西瓜そのものなのだった。
装飾も家具もない。
むずかしいのはどうやって中に入るかで
表面に穴をあけると果汁がこぼれてしまう。
どうやって入ろうか、どうやって入ろうか
いろいろ考えて、試みていると、それが起きる。

 この「どうやって入ろうか、どうやって入ろうか/いろいろ考えて、試みていると、それが起きる。」という二行に集約されているのが「わざわざ」だ。
 ここから「わざと」が「わざわざ」にかわって、滲み出してくる。「千年」とか「数千年」とか言わずに、管の「生涯」(このことばが詩のなかにある)が滲み出してくる。それは、いつの時代の管なのかわからないが、わからなくて当然なのである。十年前か二十年前か、あるいはきのうか、さらにも明日かもしれない時間が、管をつつみこむ。時間は、いつでも、それを思った瞬間に、「いま」となって存在するものである。
 だから、管は、詩を、こんなふうにとじる。

そんなぼくの西瓜の日々は
はじまったばかりです。
西瓜で乾杯しよう。
生命のために。

 「千年」「数千年」ということばはなくても、千年、数千年、つまり「永遠」を感じる。それは「過去」ではなく、「いま」という限定を破壊する力だ。「いま」という限定を破壊し、「いま」とさえ呼べない充実した瞬間に変える。
 こういう瞬間のために、「わざわざ」遠回りをする、私は引用しなかったが、管のことばはいろいろな時空を動き回る。それが詩である。現代詩手帖か、詩集で、いちばんいいところを探して読んでみてください。


**********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、ネット会議でお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。

★ネット会議講座(skypeかgooglemeet使用)★
随時受け付け。ただし、予約制。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

 

 

問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「現代詩手帖」12月号(4)

2022-12-13 17:03:22 | 現代詩手帖12月号を読む

「現代詩手帖」12月号(4)(思潮社、2022年12月1日発行)

 井坂洋子「秋の廊下」。

夢からさめて 九歳
父母の寝室の
ドアの前で少しためらい
小声で母を呼ぶ

 九歳ともなれば、なんでもわかるからね。大人の会話の中身は。そして、聞きかじった会話から、耳年増の子どもが想像することは、ほとんど正確である。たぶん、本能が教えてくれるから、間違えようがないのだ。
 ということを井坂が書いているかどうかは、問題ではなく、私はそういうことを考えたということ。
 ここに書いてあることは、現実か、記憶のなかで「変形」したものかわからないが、私は意識のなかで変形した記憶だろうと思って読んだ。
 途中は端折って、最後の連。

ドアの前で少しためらい
透き通っていく 腰のあたりの
背骨のとがり
遠い時間が曲がってきそうなところを 何度も何度も撫でている

 いいなあ、この終わり方。人間はいつでも知っていることしか、わかることができない。

 うるし山千尋「ライトケージ」。『ライトケージ』にはもっといい詩があったと思う。その感想を書いた記憶があるが……。どの詩をいいと思うか、どの行(ことば)をいいと思うかは、まあ、人それぞれだね。

やわらかい
弦は
空気のような他人の
風景のような
音がまじる

 「空気のような他人の」と一行にしてしまったところが、井坂の書いた「遠い時間が曲がってきそうなところ」に通じると思う。
 最終行は、

暇が窓枠のかたちをしている

 何のことかわからないが、わからないからいい。「わざわざ」書いているのだ。きっと「二十年ぶりに」(書き出しの一行)「暇」になったのだろう。何もすることがない、暇。
 暇なとき、人間は何をするか。「わざわざ」何かを探してきて、何かをする。
 そういうことを意識しながら、小笠原鳥類「闇汁・きのこ汁・むじな汁」を読む。「闇汁」の句を集め、それに「きのこ汁」「むじな汁」をからめ、いろいろ感想を書いている。それは、あるいは「闇汁」の定義というべきか。で、その「定義」というと。

乾燥した電気ウナギや深海のサメとか、あるいはゴムでできたにわとりとかを、鍋に入れて、それらがドジョウのように動き回るゾンビであることを楽しむ恐怖の遊び。

 もちろん、これは「わざわざ」書いている。「わざと」書いている。西脇順三郎が言ったように現代詩とは「わざと」書くのだから、これは「正統な現代詩」なのである。しかし、いつでもそうだが、「正統な」という形容詞がつくものは、ときとして退屈である。「わざわざ」正当化する必要はないだろう。「暇だね」と思ってしまう。どうせなら、そして「きのこ汁」や「むじな汁」を出すくらいなら、「ゴムでできたにわとり」ではなく、コンドームくらい書いてほしかった。

 どうも、私はきょうは不機嫌なようだ。見るともなしに、次に感想を書く詩人の名前が見えてしまったからかもしれない。それは、だれ? あしたになれば、わかるでしょ。これは「わざわざ」(わざと)書いていることです。

 

**********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、ネット会議でお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。

★ネット会議講座(skypeかgooglemeet使用)★
随時受け付け。ただし、予約制。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

 

 

問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「現代詩手帖」12月号(3)

2022-12-12 20:21:14 | 現代詩手帖12月号を読む

「現代詩手帖」12月号(3)(思潮社、2022年12月1日発行)

 たかとう匡子「夜毎の夢」。

ひとびとが
スマホ片手にわめいている
アドレスがいつのまにか全部消えた
つながるものが何もない

 「スマホ」も「アドレス」も、「いま」どこででも語られることばである。昔は存在しなかった。その「日常のことば」が詩のなかにあらわれる。これは「わざわざ」書いたものなのか。無意識に書いたものなのか。「わざわざ」書いたものと読みたい。つまり、いままで詩に書かれていなかったから、新しいことばとして書いた、と。しかし、その書き方は、私には「わざわざ」には感じられない。
 だから、

四つ辻の角の100円ショップのおりたシャターに凭れて

 という「わざわざ」書いたと思われる一行まで、もしかしたら無意識に書いたのかもしれないと感じ、興味を持ち続けて読むことができない。
 だから、と言っていいのか、どうか。

わたしの毛髪の地肌を蟻が這ってる

 ということばの動きは、「わざわざ(作為=詩を書くぞ、という意識)」が目立って、ここは「わざわざ」を消した方がいいんじゃないか、と思ってしまう。

 時里二郎「風の手摺り」の書き出し。 

詩が言葉を借りるのは
それが 記憶の耳であるから

 あ、おもしろいなあ、と思う。「それが」とは何を指すか。「詩」か「言葉」か、あるいは「詩が言葉を借りる」ということ(前の一行)を指すか。即座には判断できない。テーマが「それ」と提示される。その「提示」の行為が、ここでは強調されている。そして直後に「記憶の耳」という、わかったようでわからない、いろいろな読み方ができることばがつづく。
 これは明らかに「わざわざ」書かれたことばである。
 私は「肉体」にこだわっている人間なので、「耳」に注目した。時里は「わざわざ」耳ということばを選んでいると思って読み始める、ということである。そうすると、詩の最後に、

風の手摺りが
伸びていく

 という二行がある。「手摺り」と「手」は同じものではないが、私は「手が/伸びていく」というイメージで「手摺り」を思うのである。「耳」はそれを「聞いている」というよりも「見ている」。「耳で(が)見る」というのは、学校文法で言うと「間違い」だけれど、「耳」の「聞きたい」という欲望が「手が伸びるように伸びていく」、そしてそれが「風の手摺り」をひきよせてしまう(リアリティーのあるのものにしてしまう)と感じるのである。
 「肉体」のなかでは、どこまでが「耳」、どこからが「手」かわからない(というと奇妙に聞こえるかもしれないが、それは肉体全体から切り離しては存在し得ない)から、「耳」に視力(目)があってもいいと思う。
 そういうことを「わざわざ(わざと)」書くのが詩なのである。

 新延拳「捨てる棄てるすてる」。

一切空の闇に捨てるべき記憶 しかし
あの日の君が立体絵本のように現れてくれないか
飛び出してこないかと
せめて影絵のようでも

 「現れてくれないか」の「くれないか」が切実でいいなあ。あまりに切実なので、書いていることを忘れる。意識できない。だから次の行では「飛び出してくれないか」ではなく「飛び出してこないか」になる。「飛び出してくれないか」のような、長いことばを言っているひまがない。無意識のなかでは「くれないか」が動いているが、省略する意識もないまま省略される。肉体になってしまっている。この「くれないか」は「無意識のわざわざ」である。いいなおすと、「くれないか」は新延のこの詩のキーワードということになる。


 

 

**********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、ネット会議でお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。

★ネット会議講座(skypeかgooglemeet使用)★
随時受け付け。ただし、予約制。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

 

 

問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「現代詩手帖」12月号(2)

2022-12-11 09:35:54 | 現代詩手帖12月号を読む

「現代詩手帖」12月号(2)(思潮社、2022年12月1日発行)

 倉橋健一「さらば、小箱よ」。

ツバメ印で長いあいだしたしまれてきた徳用マッチが
時勢に押されてついになくなるという噂を聞く前の日のこと

 「噂を聞く前の日」が「わざわざ」だね。「噂を聞く前の日」は、存在するようで、存在しない。特定できない、という意味である。あるいは「意識」のなかにしかない、と言い換えればいいか。
 だから、これからはじまるのは「意識の劇」なのである。そして、この意識というものも「わざわざ」書かないと存在しないものであり、書けば存在してしまうというものでもない。
 ほら。

朝焼け
一羽の火の鳥がひとりの天使(えんじぇる)をくわえると

 と書いたあと

(もっとも天使を見たというのは)私のまったくの主観で

 と書く。「主観」ということばで、存在するかもしれない「客観」を否定していく。ことばが動いていく。その動きだけがある。だから、ことばに「意味」を求めてはいけない。
 思い出してほしい。倉橋のことばが動いているのは「いま」ではない。「噂を聞く前の日」を、ことばは動いている。そして、それは動き始めると「噂を聞く前の日」のことではなく、「動いている今」のことになる。それは「今」さえも突き破ってしまう。だからといって、それが「未来」になるわけでもない。「今」でありつづける。
 この矛盾が「わざわざ」である。書かなければ「矛盾」しないことを、書くことで「わざわざ」矛盾にしてしまう。
 正気ではない。別なことばで言えば「ばっかじゃない?」なのだが、「ばか」であることが詩人の「正直」というものである。詩人は正気ではないが、ばか正直である、ということを「わざわざ」ことばを書くことで証明するのである。

 小林坩堝「NOWHERE」。

 分譲住宅か、マンションか、あるいは分譲宅地か。不動産を下見にゆく。売り手の「定型のことば」と、そのことばに触発されて動く意識が、

 地下鉄の地上駅を抜け、街灯の消された街を満員電車が走ってゆく。二駅のあいだだけ地上を走る車輌のリズム。

 というように、ちょっと「不動産業者」のことばに汚染されながら、それに拮抗して動く。この「拮抗」を「わざわざ」書いている。そして、それが、この詩のいい部分である。このまま走り続けてほしいと思うが、最後。

たった一度きりの今日の現在形を保持する為めに、--果たして錯誤とは生存の換言ではなかったか--私はペンを走らせ、空洞を満たすインクが血であると誤る。

 小林は「わざわざ」そう書いているのだが、「ペン」ではなく、地下鉄の電車を走らせつづけてほしかった。「血」ということばが出てくるが、においも色も感じない。「定型」だからである。さらに「誤る」と「定型」の念押しもしているが、それこそ「時代錯誤」というものかもしれないと、私は読んだこともない大正、明治文学を思い出すのである。

 佐々木幹郎「ばんごはん」。
 「1 少年期」「2 老年期」と二つのパートにわかれている。少年のことばとして、

ぼくはおなかがへっているけれど
たべたくない
おなかのなかで ねじれて
たおれるひとがいうんだ

 天の邪鬼(?)なこどもの意識、だね。
 一方で、老人は、どう言うか。

ばんごはんを あと4000回たべると
わたしも いなくなる

 晩御飯4000回というのは、10年以上だね。15年未満ではあるけれど。これは老人の無邪気な意識(?)。ある葬儀のとき、90歳を超す老人が「私もあと10年か」と漏らすと、近くにいた親族が「ばかを言っては困る。あすにでも死んでくれ」とつぶやいた。老人は、子どもと同じように自分しか見えない。
 だから、というと変かもしれないが。そして、回数も違ってくるが、「少年」と「老年」を入れ替えた方が「現実的」になると思う。〇歳で死ぬ。年ではなく、日にすると〇日、時間にすると〇時間、分なら〇分、秒なら……という「無意味」なのことを「意味」であるかのように、自分が発見したことであるかのように「わざわざ」ことばにするのは、子どもの行動である。
 もちろん、そうであるからこそ、その「定型」を拒絶し、佐々木は、このスタイルにしたのかもしれないが。


 

 

**********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、ネット会議でお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。

★ネット会議講座(skypeかgooglemeet使用)★
随時受け付け。ただし、予約制。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

 

 

問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする