電車の音小岩の渡し春浅し (縄)
市川への河津サクラ見物と決め込んだ。
小岩⇔市川の関所を通らないと向こうの川岸にたどり着けない(昔のこと)。
「市川さくら堤」ヨッコラショッと市川橋を一跨ぎ、春浅き川風に吹かれながら渡りました。
この渡し小岩の関所は、
江戸川区を通る千葉街道(元佐倉道)、葛飾区に至る
佐倉道へと通じ、明治8年(1875)開通のころは、成田詣が盛んで
多くの人達でにぎわった。
江戸幕府により「佐倉道」「佐倉街道」と命名された街道であり、水戸街道新宿から佐倉城に至る。
しかし、この街道を経由して成田山新勝寺へ至る成田参拝が隆盛するに従い、文化年間頃より
「成田道」「成田街道」という愛称で呼ばれるようになった。
小岩の渡し(関所跡)地図
小岩関所前の旅籠(角屋旅館)です。
家を建て替えて綺麗になりました。玄関入り口わきには、下記の様な街道筋の
旧跡の掲示板が。
往時を知る教育委員会の旧跡表示
御番所町跡
御番所町とは関所前の界隈のことですが、京成江戸川駅から南へ蔵前橋通りに至る道路部分を区史跡として登録しています。ここは佐倉道と元佐倉道の合流するところで、南北に走る岩槻道にも接する交通の要衝でした。
小岩市川の渡しが定船場となり、御番所(関所)が置かれたことから御番所町と称したと思われます。江戸時代後期の地誌『新編武蔵風土記稿』(1828年成立)の「伊予田村」の項にも、関所は「新町内江戸川の傍にあり、ここを御番所町とも云」と書かれています。
『徳川実紀』延宝2年(1674)の記事にある佐倉道(元佐倉道)の小岩の駅(宿場)に当たるものと考えられます。角屋、筑前屋、清水屋などの旅籠を兼ねた小料理屋をはじめ、井熊鮨、あめ屋、豆腐屋、ぬか屋、掛茶屋などがならんでいたと伝えられます。角屋は近年まで同じ場所で旅館を営業していました。江戸川につきあたる付近が関所跡で、関所から来ると正面左に大きな道標が望めました。(江戸川区文化財・史跡から転載)
土手に登ると市河関所跡が一望です。
昔は渡し今が橋、鉄橋で一跨ぎ。
旧跡表示の内容
河川敷には12面と広大な広場です。
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