新元号、4月1日に発表
(産経新聞より)
平成・元号をふり返る、次なる元号間近に迫って。
平成制定は、目が回るような1日でした。
昭和天皇 崩御 ・・ 1989(昭和64年)1月7日、午前6時33分崩御
元号に関する懇談会 ・有識者からの意見を聞く
臨 時 閣 議 ・・ 7日午後2時から臨時閣議で「平成」決定
発 表・・ 1989年1月7日、2時36分。
小渕恵三官房長官が記者会見室で、
「平成」と墨で書かれた生乾きの2文字を掲げた。
元 号 ・・ 『平成』 出典「史記」 「書径」
「内平らかに外なる」 「地平から天なる」
施 行 ・・ 翌日8日施行すると政令で決定
1989年(号外)から
昭和天皇の崩御を受け、7日朝かねてから考案を依頼していた学者数名に、元号候補名考案を
正式に依頼候補名が提出された。有識者らの意見を聴きさらに絞り込み、衆参両議院の正副議長
の意見を聞いたうえで正式に決定した。
「平成」は、247番目の元号で、大正、昭和の即日改元と違い、翌日改元となったのが特徴です。
≪1989年(昭和64年)1月7日読売新聞「号外」から抜粋≫
上2枚の画像は、わが保管スクラップから転載しました。
平成元号発表、当時の小渕官房長官。
平成は残り僅か。残された時間をどう過ごすか。
周囲の人々との何気ないやりとりが、また平成という年代をどう生きてきたか
あなたえの私えの評価、振り返る時であるかもしれない。
この記事を綴って思ったこと
平成も間もな暮れていく。
たまたま本棚を整理していたら、平成元号制定の当時の新聞(号外・関連紙面)あれよあれよと出てきました。当時新聞スクラップをしていたもので、それがそっくり保存されていた。数紙が出てきた。
これらの新聞の古の匂いと内容を読み取ると、如何に慌ただしかった平成制定の様子が時系列で読み取れた。やらなければならない!!何が何でも終わらせなければ。施行の段取りしなければ・・・・・・!!
上記の文章は、読売新聞号外から抜き取ったもので、次なる元号がどう制定されるであろうか・・・?
携わった方の労苦、生みの苦しみが少しでも理解出来たら・・・。そして平成とはいかなる30年であったか、反省の機会がそれぞれの方に得られれば幸いと思い掲載した。
昭和が戦争の時代、そして終戦で苦い辛酸をなめた時代でした。平成の時代は戦いがなかったことが唯一の幸せであったと思います。
「平成のその先」は、間近に迫っている。
・ 平成の号外セピア色濃くし
昭和平成新元号に生き (縄)
コメント欄は開けています。
年が明けて、この時期義父が入院していました。
病室のTVが病状を伝えていました。
義父は義母が見舞っても娘が皆っても反応がなくなりかけていました。
私は義父の身体に触っていましたから、「お父さん 来たよ!」と声をかけると「おぉっ!」と声を出して涙ぐんでいました。
付き添いさんが看護師さんが「まぁ~お嫁さんが来たら、よう~判られるんじゃな~」と驚いていました。
そんな状態の義父でしたが、TVの天皇陛下のニュースには涙ぐむ様子がみられました。
も~30年も前の事になるのですね!
義父が逝ったのは7月でしたが、当時の様子を色々思い出させていただきました。
新しい元号はすでに・・・気になりますね!
よく覚えていますが 平成が終わるんですね~
私の 昭和から平成。。。
唱和の最後 父が亡くなり 平成元年 momoと出会いました。
もうすぐ新しい元号 もうすぐ・・・
さっ テレビ体操の時間です。
いい日でありますように・・・
わが母は、H 7、3に亡くなりました。
親不孝ばかりしておりましたから、東京から行くと、お前は早く東京へ帰れ。家のことをしっかり守るんだよ!!
それが遺言のようなものでした。
翌日亡くなりました。
次なる元号の制定は、平成と違って慌ただしいこともないですから、
しっかりと受け止めることができます。
これからはきっとこのような形をとるでありましょう。
平成・象徴天皇あちこち日本とよくお出ましになりました。
ゆったり、ゆっくりした生活を送られますよう・・・・・・・・・・・。
、
今朝は寒かったです。
ラジオ体操に行き、皆さんおう寒い!!
そう言いながら手足を動かしていました。
ラジオ体操の公園の桜何輪か咲いていました。
誰かが、「靖国神社の桜標準木と同じだね」
・・・・・・・・と、いう声が聞こえてきた。
2~3日寒さが続くのかな?
、、