大都市東京下水のゆくえ
(小菅水再生センター見学)
都市と下肥
江戸の町から排出された人糞尿は、どのように取り引きされ、
どのように運ばれてきたのでしょうか。
大正時代の終わりには東京の人口がいっそう増え、
東京の人糞尿は近郊の農村で肥料として使うだけでは処理しきれなくなります。
東京を始め、日本の大都市では現代も使われている
下水道などの施設を使って人糞尿を処理することを研究するようになりました。
その過程で設立された葛飾区小菅の綾瀬衛生研究所の資料が、このたび発見されました。
こうした近代都市の衛生行政が下水処理として設備を持つようになった。
(葛飾郷土と天文博物館資料から抜粋)
特別展を示す垂れ幕
小菅水再生センターのパンフから
水再生センターの係官、お世話になりました。
デジブック
『小菅水再生センター』
今 こちらでも工場見学が流行っていますよ。
それにしても 肥しとは・・・
きれいだから結びつかない感じですね。。
子供のころ 祖父の家の近くには どうつぼ っていって
糞尿をためてるところがありました。。
畑にまいてた・・・
珍しいものをみられて貴重な体験でしたね。。
こちら やっと大雨が終わったら・・・台風が近づいてます
はやばやお越し何時もありがとう御座います。
あまりつまらない記事ですが、
人間の出もの腫れ物裂けて通れないことなので・・・・・・・・・・・
》珍しいものをみられて貴重な体験でしたね。。
全くそのとおりです。
小菅の水再生センターは、葛ハイの山の帰りに高速の車窓からはよく見ていますが、中を見たことはないので、貴重な映像をありがとうございます。
私の子供のころに、町内に肥溜めがあり、石を投げ入れたりして、いたずらをした記憶があります。
なつかしいです。
こちらでも炭坑の社宅などへ
農家の人はリヤカーに肥桶を積んで運んでいました。
逆に自分の畑で取れた農作物をお礼の持参していましたよ。
社宅の住人は糞尿をタダで汲んでもらったうえに
お礼まで貰えたのですから一挙両得でしたよね。
住人にとっては今は考えられないほど、ウンのいい時代でした!
下水処理場 興味深く拝見しました。
小学校の頃 浄水場の見学に行ったことを思い出しました。
とても広い敷地なんですね~
美化に努めて 池には木々や魚 鳥たちがやってくるのですね。
最後に出てくる水のきれいなこと!
これも大事な施設ですね。
バスの行き帰りに『小菅水再生センター』なる看板を見かけます。
表だけでなく中に潜入することができました。
下水は流れて何処へ行くのだろう、と、思うと夜も眠れない????イヤハヤ・・・・・・。
奥戸・細田は、この小菅処理場に行くのではなく幹線下水を通り、葛西(江戸川)処理場に行くとの事です。
葛飾の昔は、やはり農村地帯、糞尿を使い野菜を栽培。
中川を汚わい船が通ったということです。
面白い話が、
柳橋や向島の糞尿と、一般庶民の糞尿とは価格が違い前者が高かったようです。
理由は、前者は芸者集が多いため料亭で美味しいものを食べていたので、畑にまいたときそれだけの値打ちがあったとか・・・・・・・・・??。
臭い臭い話です。
、
いつもコメありがとう御座います。
この様な臭い話まで!!
仰るとおり昔は堂々と、車やリヤカーに積んで町のなかを運び、それが畑に役に立ち、
》逆に自分の畑で取れた農作物をお礼の持参していましたよ。
時代という移り変わりを改めて感じます。
≫住人にとっては、今は考えられないほど、ウンのいい時代でした!
座蒲団3枚、イヤイヤ1枚+4枚です。
、
何時も高速道路からは、シゲシゲと眺めていました。
しかしこの様な機会があったので、喜んで参加しました。
いまは水再生センター、昔は下水処理場。
原理は簡単なんです。
同じような青い蓋がたくさん被さっていました。
仕様は、
入ってきた下水を障害物を除去してから、
沈殿池、反応槽、沈殿池、と同じ過程を繰り返すことにより、下水が浄化されます。
浄化された水を荒川に放流。
浄化されて残るのが≪汚泥≫です。
汚泥は集中管理されて、セメンとの原材料になるそうです。