10年前の3.11は金曜日だった。
あの日は定時に仕事を終えて、新宿で映画を見てから帰宅しようと思っていた。
当然そんなスケジュールはあっという間にどこかに行ってしまった。
持ち物を軽くするために読みかけの文庫本等を会社に残し、帰宅するために同じ方向へ向かう同僚にくっついて午後5時過ぎに竹橋にある会社を出た。
規制のロープが張られている九段会館の横を通り、靖国神社の前を通り市ヶ谷駅前の橋を渡ったのが5時半過ぎ。新宿に向かう途中、曙橋にあるガソリンスタンドでトイレを借りた際、キャスターの安藤優子氏がヘルメットを被りながら東京タワーの避雷針が曲がってしまった事を伝えている様子を皆で見て言葉少なになってしまった。
西新宿のドトールでもトイレを借りたついでにホットドックを購入し、時間短縮のために歩きながら食べ、丸ノ内線の新中野あたりで同僚とも別れて、一人青梅街道を歩き、荻窪駅前に着いたのが9時過ぎだった。
駅前のバス停には長蛇の列が出来ていたが、私はバスに乗っても家にはたどり着けない。誰かと話たいと駅前の交番で地図を見せてもらい「ここから青梅街道をまっすぐ歩けば大丈夫」という言葉に背中を押されたが、それでも次第に寒くなり腰も足も痛くなってくる。
街道沿いの自転車店には自転車5千円という手書きのポスターが見えるも、自転車を漕ぐ元気もその時は残っていなかった。電話ボックスを見つけたので、家に一人いる父に連絡しようにも、「今日ジムが休みになってしまった」と友人に報告している若者の電話がなかなか終わらずにちょっとだけ悲しくなったりし、寒さに耐えきれず手袋替わりにスーパーで軍手を購入しようと思ったがそれは思いとどまり、街道沿いにあるラーメン店の明かりに誘われてふらふらと店内に入りそうになるも、座ったら二度と歩けないと思いなおして歩き続ける。そんな風に歩き続けて、5時間半。
午後10時半過ぎ、近隣市役所の広報車が歩いている人に向かって「電車が動いていますので、歩いている皆さんは駅へ向かってください。」とアナウンスをしてくれていたので、無事途中から電車に乗ることが出来たのだ。
家にたどり着いた時は、12時を過ぎていた。結局6時間半以上かけて家まで戻って来たのだ・・・
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あの日はとにかく自宅に帰ることだけを考えていた。
「大地震、災害時は 72時間帰らない」あの日はそんな事を考えもしなかった。
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会社の机の下には72時間とは言わないが、1泊位は出来るようにスエットの上下、更には防寒着や暑い時用のTシャツなどを入れたスーツケースをこっそり隠している。恥ずかしいので同僚には秘密だ・・・