熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立演芸場・小柳真打から神保町、国立能楽堂

2015年07月03日 | 今日の日記
   何時ものコースで、夜に国立能楽堂で、定例公演や企画公演が予定されていると、上席とか中席公演があると、国立演芸場に出かけて行き、その後の合間を塗って神保町の古書店などを回って、国立能楽堂に向かう。
   土砂降りの雨の中を、今日もこのコースに従った。
   尤も、この日、迂闊にも、歌舞伎とダブルブッキングしていて、歌舞伎の方は、次女に代わりに行って貰った。
   玉三郎の「牡丹燈籠」をミスってしまったのだが、能・狂言の方に興味が移ってしまったということにしておこう。

   国立演芸場は、丁度、新しく真打になった噺家の襲名披露公演を行っていて、この日は、春風亭小柳であって、高座には、師匠の小柳枝や、小遊三などが登場する。
   襲名披露は、どうしても、文楽や歌舞伎では、多少、形式ばっていて面白みに欠けるが、そこは、お笑いの世界で、くだけた口上などがあって面白い。
   小遊三など、小柳は、声は良いが顔が悪いなどと紹介していた。

   襲名披露の司会を取り仕切ったのは、「袈裟御前」を語った女流噺家の春風亭鹿の子。
   歯切れの良い軽快な語り口が良く、私など、数は多くはないのだが、時々登場する女性の噺家の舞台を楽しみにして聞いている。
   
   同門の先輩春風亭柳好が、頑張って、早く、枝の字を付けて・・・と紹介したので、師匠の小柳枝が、いらんことを言うな、と言った仕草をしていた。
   この小柳枝、自分の「粗忽の長屋」のまくらで、交通事故にあって大怪我をしたにも拘わらず死ななかった師匠の小柳枝の話をして、死んでいたら、もう少し、自分の襲名が早かったのに、と語って笑わせていた。

   トリで語った小柳の噺は「天狗捌き」。
   米朝が掘り起し、志ん生が得意とした古典落語だとかで、中々、面白くて良く出来た落語で、流石に真打に昇進した小柳の満を持した舞台で、名調子が冴えて聞かせてくれる。
   この噺は、
   寝ている八五郎が笑っているのを見た妻が揺り起こして何の夢を見ていたのか聞くのだが、夢など見ていないと答えて話さないので大ゲンカとなる。その仲裁に入った隣人も、馬鹿らしい話だと思うのだが、その夢を知りたくて、また大ゲンカとなり、順繰りに、家主、奉行所、大天狗とエスカレートして、詰問する大天狗に殺されそうになって呻いているところを、妻に揺り起こされると言う話である。

   この日の小遊三の噺は、「鰻の幇間」。
   三遊亭遊喜は「看板の一」。
   客席は、殆ど、シルバー客で、かなりの空間があったが、面白かった。
   

   神保町に行った時には、雨は小降りとなっていた。
   交差点で、千代田区の区会議員の有志による「憲法違反の「戦争法案」は廃案・撤回を!」集会を開いて、街頭演説を行っていた。
   「リレートーク」と銘打った集会で、午後6時半にスタートして、「錦華公園から九段下」までパレードすると言う。
   ビラを配る運動員が20人くらいも街頭に立って通行人に呼びかけているのだが、ビラを受け取ったのは、私くらいで、総て、無関心を決め込んで素通りして行く。
   

   この日、神保町で買った本は、
   「小澤征爾 指揮者を語る」 PHP出版
   ヨアヒム・フェスト著「ヒトラー 最後の12日間」 岩波書店
   小澤征爾の本は、帰途、東横線とJRで読んだ。
   ヒトラーの本は、岩波の本だし、少しでも、あの大戦の状況への理解が深まればと思って手にした。
   
   能楽堂での公演は、
   大蔵流宗家大藏彌太郎と吉次郎兄弟の素晴らしい狂言「月見座頭」。
   能は、シテ観世銕之丞、ワキ殿田謙吉、アイ山本則秀、古本による「水無月祓」、しっぽりとした含蓄のある恋の物語で魅せてくれた。
   能楽堂中庭の宮城野萩は、まだ、ちらほら咲き。
   
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今日の日記・・・都響:「シューマン」から、歌舞伎「菅原伝授手習鑑」

2015年03月08日 | 今日の日記
   午後、池袋の芸術劇場での都響「作家肖像シリーズ」の最終回「シューマン」に出かけた。
   プログラムは、マンフレッド序曲、ピアノ協奏曲イ短調 op.54、交響曲第4番 ニ短調 op.120 でオール・シューマン
   指揮 エリアフ・インバル、ピアノ 川村尚子

   最近は、シリーズ・チケットは、昼のプログラムにしたので、劇場にも行き良くて、それに、リラックスできるのが良い。
   ロンドンなど海外に居た時には、アフターシアターなどの楽しみがあったり、気持ちの上でも余裕があったので、夜のコンサートやオペラ、観劇などはそれなりに楽しかったのだが、日本に帰って貧しくなった所為か、夜遅く家に帰る煩わしさなど、歳のこともあって、夜のコンサート鑑賞は苦痛になり始めたのである。

   都響とのマーラーやブルックナーで素晴らしい業績を残したインバルだが、シューマンも、都響を遺憾なく歌わせて、感動的なサウンドを紡ぎ出した。
   どうしても、ベートーヴェンやブラームスの交響曲に魅かれて、シューマンは少し影が薄くなるのだが、こんなに流麗で美しくて感動的な曲なのかと、心地よいサウンドに酔いしれていた。
   

   川村尚子のダイナミックで豪快なピアノタッチにも圧倒された。
   今回は、最前列で、やや右寄りの席からなので、ピアノに隠れてアップの表情や膝くらいしか見えないが、演奏に打ち込む上気した顔の表情や椅子におろした手の表情なども感じながら、目の前の大きなグランドピアノをあらん限り共鳴させて、美しいサウンドを叩き出す感動的なブラームスを聞いて幸せであった。
   熱狂した観衆に応えて、アンコールは、シューマン(リスト編曲)の”献呈”
   力強い演奏であった。

   感動もなんのその、4時半開演の歌舞伎座の夜の部に行かなければならないので、インバルがタクトを下ろして、去りかけた瞬間に席を立って出口に向かう。
   興味深いのは、私のように、演奏が終わった瞬間に会場を飛び出す客が、結構沢山いると言うことである。
   大急ぎで、メトロの丸ノ内線乗り場に向かって、乗り込む。
   会場から、歌舞伎座まで、30分での移動であるから、間に合う筈がない。
   銀座乗り換えで、乗継出口を間違えてあさっての方向に行ってしまったので、日比谷線を一台乗り過ごして、結局、劇場に入った時には、梅王丸と桜丸が対面していた。

   夜の部は、「菅原伝授手習鑑」の後半で、「車引」「賀の祝」「寺子屋」。
   「車引」は、様式美を魅せる感じの小編だが、「賀の祝」と「寺子屋」は、名狂言の中でも突出した舞台で、重々しいのみならずストーリ性も極めて豊かで感動的な芝居である。
   昼の部の菅丞相に仁左衛門等重鎮役者が登場するのだが、夜の部では、ベテランは、左團次や彌十郎や高麗蔵や錦吾など僅かで、松王丸の染五郎など重要な役割は、中堅から花形役者が演じており、世代交代を感じさせる清新な舞台で、一つ頭の出た孝太郎の好演が目を引く。
   武部源蔵の松緑の一寸芝居がかり過ぎる演技が気になるのだが、染五郎は勿論、梅王丸の愛之助、桜丸の菊之助の溌剌としてエネルギッシュな熱演が絵になって素晴らしいし、その妻を演じる梅枝など若い女形の名演も光っていて、魅せてくれる舞台である。
   感想は、後日書きたい。
   
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サントリーホールで都響プロムナードコンサート、国立劇場で文楽「国性爺合戦」

2015年02月22日 | 今日の日記
   今日の都響のプロムナード・コンサートは、私の一番好きな曲の一つであるモーツアルトの「クラリネット協奏曲 イ長調 K.622」、それも、小泉和裕指揮で、今最も注目されている若いクラリネット奏者アンドレアス・オッテンザマーが奏したのであるから、楽しくない筈がない。
   言わずと知れた、クラリネットの超名門オッテンザマー家の子息で、父エルンストは83年より、兄ダニエルは09年よりウィーン・フィルの首席奏者を務めており、2011年3月、22歳の若さでベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席奏者に就任した。
   もっと驚くのは、クラリネットのみならず、チェロ、ピアノ、室内楽部門においてオーストリア青少年音楽コンクールで12度の優勝。2007年、Musica Juventutisコンクールに優勝し、コンツェルトハウスでの受賞者演奏会に出演し、また、ハーヴァード大学にてリベラルアーツを修めたと言う。

   実にスマートな好青年で、舞台中央にすっくと立って、ハーメルンの笛吹きよろしく、長い脚をくねらせて巧みにリズムをとって、実に福与かで温かく慈愛に満ちた美しいモーツアルトを紡ぎ出していた。
   モーツアルトを聴くと、いつも思うのだが、特に、このクラリネット協奏曲やフルートとハープのための協奏曲を聴くと、天国からのサウンドのような感動を覚えて、たまらなく幸せを感じるのだが、私には、アンドレアス・オッテンザマーのそれは、正に、天国からの音楽であった。
   アンコールに、ハンガリー民謡の小曲を演奏した。

   父のエルンストの演奏は、ウィーン・フィルや小編成の室内楽などで、何度か実際に聞いており、CDなどもあって、楽しませて貰っている。

   この日のプログラムは、他に、ドン・ジョヴァンニ序曲と、ムソルグスキー(ラヴェル編曲)の組曲「展覧会の絵」。
   小泉の精緻で重厚なサウンドが、場内を圧倒する。

   その後、半蔵門の国立劇場に出かけて、文楽第3部の「国性爺合戦」。
   五常軍甘輝を玉女、錦祥女を清十郎、和藤内を玉志
   素晴らしい舞台を見せてくれたが、残念ながら空席が目立った。

   開演までに時間があったので、伝統芸能情報館で催されている「企画展示 文楽入門」を鑑賞していた。
   この文楽については、後日感想を書くことにしている。
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国立能楽堂、そして、世界らん展日本大賞2015

2015年02月14日 | 今日の日記
   今日は、午前中は、南青山の病院で定期的な検診、高血圧症の薬を貰うために年に何度か通院しているのだが、人気病院で、1時間半待たされて、1時からの能楽堂での開演に間に合わなかった。

   この日は、「能・狂言にみる危機と機転」と言うタイトルの企画公演で、林望先生のおはなし、大蔵流狂言「武悪」、観世流能「咸陽宮」であった。
   能楽堂に着いた頃には、林先生の話が始まっていて、「武悪」の説明の途中であった。
   大体、何時も、座席は、列の端の方を取っているので、遅れて入っても、それ程、ご迷惑はかけないと思う。

   狂言の「武悪」は、シテ/武悪は茂山千五郎、アド/主は山本東次郎、アド/太郎冠者は茂山七五三。
   とにかく、1時間近くの大曲で、全身に怒気をみなぎらせて凄い権幕で登場する主・東次郎から、全編、爆発せんばかりの迫力に圧倒されるような舞台で、正に、大蔵流トップ狂言役者の真骨頂とも言うべき圧倒的な舞台であった。

   主の言うことを聞かずに怠けてばかりいる雇人武悪に、しびれを切らして怒り心頭に達した主が、太郎冠者に、武悪を殺せと命令を下したので、太郎冠者は後ろから闇討ちにしようとするのだが、事情を聞いてしおらしくなった武悪を、長年知り合った同輩なので殺せない。他国へ逐電せよと見逃すのだが、お礼参りに清水に向かう武悪が、物見に出た主とばったり出くわしたので、困った太郎冠者が、そこは鳥辺山なので、幽霊に化けて出て来いと指図する。幽霊になって出てきた武悪と主の主客逆転した、頓珍漢なやり取りが、実に傑作で面白い。
   京都の茂山家の2巨頭と人間国宝の東次郎の丁々発止の舞台で、正に、最高峰の狂言であった。

   能「咸陽宮」は、秦の始皇帝の話で、中国古代の話ながら、平家物語から、題材を取っている。
   シテ/始皇帝は、野村四郎、ワキ/荊軻は、福生茂十郎。
   興味深い舞台なので、後日、感想を書くことにしたい。

   世界らん展は、今日が初日だが、千駄ヶ谷から電車で水道橋まで出て、後楽園ドームへ向かったので、会場に着いたのは、4時20分ころ。
   入場締め切りの寸前だったが、イブニングチケットを買って入場し、閉園まで、1時間だったが、入場者が殆ど帰った後だったので、かなり空いていて助かった。
   私は、花は好きだが、特に、らんに興味があるわけではなく、きれいな花の写真を撮るために出かけたようなものなので、どんな種類の花がどうだとか、花の名前などには無頓着で、日本大賞2015の写真を撮ったのだが、どんな花なのか、調べて来なかった。
   明日、NHKの園芸番組で紹介されるであろうから、それで分かると思っている。

   やはり、らんは綺麗で、楽しませて貰った。
   しかし、何となく、年々、らんの展示が縮小し続けている感じで、会場には店舗や関係のない出し物が多くなって来ているような感じがして、一寸寂しい。
   それに、NHKの放送の熱の入れ方も、消極的になってきているような気がしている。
   とりあえず、スナップを一寸掲載しておきたい。
   (写真に人影が少ないのは、閉園間際の為。カメラは、Nikon 1 J3。)
   
   
   
   
   
   
   
   
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歌舞伎座、神保町、そして、国立能楽堂

2015年02月04日 | 今日の日記
   久しぶりに、朝早く出て、歌舞伎座に向かった。
   大体、国立能楽堂や神保町に行くことが多いので、横浜から東横線に乗り換えて、渋谷からメトロで目的地に向かっている。
   今日も、中目黒から、日比谷線で、東銀座に出た。

   今月の歌舞伎は、夜の部では、吉右衛門の「一谷嫩軍記」や幸四郎の「筆屋幸兵衛」などで、これらは何回も見ており、マンネリ気味だろうと思って避けて、昼の部に出かけた。
   昼の部は、馴染みの「吉例寿曽我」、菊五郎の「毛谷村」、それに、幸四郎、菊之助、錦之介の「積恋雪関扉」
   ところが、「曽我」の方は、若返ってフレッシュな感じで、バックシーンも、雄大な富士を背景にした華やかな舞台で、面白かった。

   今月は、国立劇場の公演がないのにも拘らず、空席がかなりあって、何時も、長い列が並んでいて、売り切れの筈の鯛焼きが、売れ残っていた。
   私にも、毎月通っている歌舞伎座だが、昔、ロンドンのコベントガーデンに通って、毎月、ロイヤルオペラを楽しんでいた時のようなときめきが、なくなってしまっている。

   その後、どうしても、6時半開演の国立能楽堂の舞台には、時間が空くのだが、喫茶店で過ごすのも時間が惜しいので、東京駅の書店に立ち寄って、何時ものように、神保町に向かった。
   三省堂もそうだが、書店では、ピケッティとイスラム国関係の本、それに、芥川賞と直木賞受賞の本のコーナーが幅を利かせている。
   私には、当分、興味はない。

   ピケティについては、8月に書いた私のブログ”ピケティ「資本論」A Summary of Thomas Piketty's "Capital in the Twenty-first Century"が、結構読まれており、この知識と、来日時の講演や記事、それに、NHKのピケティのパリ講義などでの情報で、当分は十二分であり、気が向いた時に読めば良いと思っている。
   いつもそうだが、噂が広がると、結構難しい専門書が売れており、今回も、何故、ピケティの「資本論」が、13万部も売れるのか、不思議である。

   この日買った本は、
   新潮新書 辻芳樹著「和食の知られざる世界」
   橋本治著「大江戸歌舞伎はこんなもの」
   エドワード・J・エプスタイン著「ビッグ・ピクチャー」
   

   国立能楽堂の舞台は、
   蝋燭の灯りによる「国立能楽堂冬スペッシャル」で、
   京都の観世流井上裕久師たちによる「謡講」、
     謡講形式による「大晦日」「龍田」「蝉丸」
     衝立の背後で、能楽師が謡う素謡
   宝生流能「弱法師」
     シテ/俊徳丸 大坪喜美雄、ワキ/高安通俊 飯冨雅介
   

     俊徳丸の話は、歌舞伎の「摂州合邦辻」の舞台での印象が強いのだが、この能の舞台では、通俊が、他人の讒言によって追放し、盲目の乞食になって彷徨う息子俊徳丸に、天王寺で再会すると言うシンプルな話になっている。
   蝋燭の灯りに微かに揺れるシテの弱法師の面が悲しい。

   舞台が終わって、能楽堂を出たら、中天に、美しい満月が輝いていた。
   
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バラの剪定、神田神保町、そして、国立能楽堂

2015年01月16日 | 今日の日記
   午前中は、雨上がりでもあったので、冬のバラの剪定と、つるバラの誘引を行った。
   1年前に移転した時に、旧宅の庭に残したり、人に上げたりして、殆ど手放したので、鎌倉に持ってきたのは、イングリッシュ・ローズを主体にして、たった9鉢。
   それなりに、庭の植栽が整った庭なので、庭植えは、シャルル・ド・ゴールの行燈仕立てだけで、今のところ、ばらを植える空間がなく、当分、10号鉢くらいの鉢植えで、通す以外にはない。

   ハイブリッド・ティーは、思い切り切り詰めて、フロリバンダは、やや、軽く適当に、イングリッシュ・ローズは、3分の1程度切り詰めて、形を整える程度にした。
   つるバラは、オベリスク仕立てなので、適当に間延びした枝などを間引いて、残りの伸びた枝を、ぐるぐる巻きにした。
   寒肥をやって、薬剤散布をすれば、一応、冬の世話は終わりである。

   午後、遅く神田神保町に出かけて、久しぶりに、古書店を回った。
   やはり、紙媒体の出版物の斜陽傾向が止まらないのであろうか。
   古書店の撤退と言うのか、消えて行ったり、経営者が変わったりと、最近は、移動が激しいような感じである。
   
   古書店で買ったのは、1996年出版の
   ノーマン・レブレヒト著「巨匠神話 誰がカラヤンを帝王にしたのか」
   定価3,400円が、1,080円。第4刷だから、結構売れた本のようである。
   原書は、1991年刊で、20年以上も前のものだが、ハンス・フォン・ビューローから、フルトヴェングラー、トスカニーニ、ワルターを経て、ラトル、ヴェルザー=メストまで、
   とにかく、私が買って聞いた最初のレコードが、トスカニーニやワルターあたりからで、多くは、欧米に居た頃の大指揮者の話なので、、私にとっては懐かしい限りであり、それらの人たちの興味深い話題のオンパレードであるから、古書だったが、殆ど使用感がなかったので、喜んで買った。

   三省堂で買ったのは、NHK出版新書の
   ジョン・W・ダワー&ガバン・マコーマック著「転換期のにっぽんへ」
   ダワーの大著「敗北を抱きしめて 」は、まだ、積読なのだが、以前から読もうと思っていたのを忘れていて、新書コーナーを回っていて、気が付いて買ったのである。
   まだ、「対米従属」を続けるのか?と帯に大書された知日派の大家の警告の書で、帰りの車内で読み始めたのだが、面白い。

   夕刻は、国立能楽堂で、定例公演。
   大蔵流狂言「成上り」、金剛流能「山姥」である。
   能は、世阿弥作と言われており、「山姥」の登場だが、俗に言われている山姥とは違って、正に、自然と一体になったような神性を帯びた山姥で、都で名を馳せた曲舞の名手・百魔山姥(ツレ/豊嶋晃嗣)が謡い、本物の山姥(後シテ/豊嶋三千春)が舞うシーンが素晴らしい。

   梅原猛さんが、「能を観る」と「世阿弥の恋」で、この山姥を解説しているが、この都一の名人である百魔山姥の舞いも、真の山姥の舞にくらべれば、取るに足らない。世阿弥が、人気絶頂の能役者である自分の芸も真の芸になっているのかどうか、自己批判の曲だと言えようと言っているのが興味深い。

   北参道からメトロに乗って、東横線で横浜へ。
   大船経由で、自宅についたのは、11時前。
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ビザ取得、古書まつり、社会イノベーション2014

2014年10月29日 | 今日の日記
   ビザを発給してもらうために、朝一番に、ロシア大使館に向かった。
   申請ではないので、並ばずに、発給窓口に直行して、パスポートを受け取った。
   事前に、受領書を貰っていたので、それと交換に貰うのだが、取得は、後進国の銀行窓口によくあるような、ガラス窓で密閉された窓口から、金属製の箱型のトレイが目の前に出て来て、そこに受領書を入れると、その引き出しを引いて、代わりにパスポートを入れて押し出す。
   終始無言で、ヒューマンタッチの雰囲気全くなく、極めて簡潔。
   今まで、色々な国のビザを取ったが、単なるハンコを押しただけの簡素なものではなく、銀行券紙幣のように綺麗に印刷されたビザが、ページ一杯に張り付けられていて、中々立派なものである。

   その後、岩波のスーザン・ウッドフォード著「ケンブリッジ西洋美術の流れ」のシリーズ本が、古書まつりに出ていたので、欠本を補うために、神田神保町に向かった。
   先日行った時に、半分持っているのだが何巻が欠本なのか分からなかったので買わなかったのだが、今回行ってみたら、一部売り切れていて、結局、買えたのは、
   1 ギリシャ・ローマの美術
   7 20世紀の美術
   こんな場合は、既に廃版になっているので、ダブっても全巻見つけた時に買うべきだったと言うことである。

   もう、古書まつりも日が経っているので、引き上げた書店もあり、客もまばらで、大分見易くなっているので、そこは、本好きのサガ、結局、ちらちらワゴンを見ている間に、2冊買ってしまった。
   杉山正明著「ユーラシアの東西」日経
   植木雅俊著「思想としての法華経」岩波

   その後、渋谷に出て、東横線で、みなとみらいに直行した。
   日経BP社主催の「社会イノベーション2014」のコンファレンス聴講の為である。
   朝から開講されているので、午後のセッションからだったが、パシフィコ横浜のアネックスホールは、ほぼ満席に近い盛況であった。

   大和ハウス工業の樋口武男会長兼CEOの「創業者精神~アスフカケツの事業で社会の課題を解決する」が始まったところで、会場に入った。
   創業時代からの非常に興味深い逸話などを交えながら、劇的とも言うべき創業者の石橋信夫の経営哲学と大和ハウスの事業等について、熱っぽく語り続けた。

   
   
   大和ハウスは、石橋信夫が、戦時中にロシアで捕虜として抑留されて、極寒の地のシベリアの強制収容所で過酷な労働に苦しみながら九死に一生を得て、帰国後、創立した会社で、いわば、一代で築き上げたベンチャーである。
   それが、今や、連結で売り上げ2兆7千億円と言う巨大な事業体で、創業100年を越える巨大ゼネコン大手4社夫々のほぼ2倍の規模で、時価総額も、2倍以上で遥かにこれらを凌駕している。

   以前に、アベグレンの経営論を通して、総合家電や総合電機、あるいは、総合商社や総合建設すなわちゼネコンと言った、綜合と言う名のつく事業形態が日本の会社にとって如何に不都合かと言うことを論じたのだが、その件は、今回は、これ以上深追いは避けたい。

   しかし、大和ハウスは、1959年にプレハブ住宅で、住宅建設の常識を覆すなど、新規事業を立ち上げながら、事業のみならずビジネスモデルにおいても、挑戦に挑戦を重ねながら、イノベーターとしての経営革新に果敢に邁進してきた。
   今回、この大和ハウス・ウエイを、樋口CEOは、アスフカケツの頭文字で大和ハウスの事業を総括して、その事業の実像を語っていたが、最早、住宅産業の面影はなく、正に、豊かな環境づくりを企図した巨大事業体である。

   旧態依然として、ビジネスモデルを一歩も革新できなかった大手ゼネコンと、エネルギッシュなチャレンジ・スピリットを頑なに死守しながら、時代の潮流に果敢に挑戦し、独自の大和ハウス・ウェイを追求し続けてきた大和ハウスの躍進の秘密が、垣間見えた話を聞くことが出来たと思っている。

   次の「パネルディスカッション・・・人を幸せにする社会イノベーション」の「前半テーマ」ICTは、日経BPの河井保博氏の司会で、NEC,富士通、IBM,日立の担当者が、スマート・シティ構想などについて語っていた。
   何時も、感じていることだが、これらのICT企業の役割は、いくら素晴らしい高度な絵を描いても、あくまで黒衣であって、行政当局が、その気になってイニシャティブを取って推進しない限り、多少の進展があったとしても、中々前に進み辛い筈である。
   この後の「後半テーマ」暮らしは、積水ハウス、大和ハウス工業、三井不動産、セコムの担当者が登壇したのだが、同じような問題になるだろうと思って、中座した。


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ロシア・ビザ申請、神田神保町&NRIフォーラム

2014年10月15日 | 今日の日記
   台風一過、昨日は良い天気だったが、今日は、朝から冷たい雨。
   ロシア入国ビザ申請のために、麻布のロシア大使館の領事部に出かけた。
   昔の狸穴のソ連大使館の雰囲気は変わっておらず、飯倉の交差点にも門前にも警備が立っていて、門は固く閉ざされていて近づきがたい。
   尤も、多少はオープンのUK大使館なども同じで、謂わば、日本国であっても日本ではないのだから、当然かも知れない。

   領事部、と言うよりも、ビザ申請窓口は、正門外れにある小さな一角で、ロビーと待合室2室で30平米くらいであろうか、窓口は2つ開かれていて、申請と会計兼旅券交付で、いずれも係官は、ロシア人であり流暢な日本語を話す。
   普通は、旅行代理店がビザ申請を代行するのだが、私は、昔取った杵柄で、このあたりの処理は慣れているので、自分でやることにしたのである。
   他の国の入国ビザ申請と違うのは、旅費一切を支払ったと言うバウチャーとロシア外務省へ登録済みの現地旅行会社の旅行確認書を提出することで、申請書類は、旅券や個人情報や上記の情報などを、ロシア大使館指定のフォームにオンラン入力すれば、作成できる。
   少し待ったが、後日、無事にビザを発給して貰えることになった。

   その後、途中で昼食をとり、東京三菱UFJの貸金庫や郵貯に用事があったので、神田に立ち寄り、ついでに、何時もの習慣で、神保町を歩いた。
   買った本は、
   トニー・ワーグナー著「未来のイノベーターはどう育つのか」
   ケインズ学会編「ケインズは、≪今≫、なぜ必要か?」
   相変わらず、経営学と経済学の本だが、読みたいと思ったのだから仕方がない。

   ロシア大使館で時間を取って、神田神保町に立ち寄ったので、東京国際フォーラムの「NRI未来創発フォーラム」会場に着いたのは、1時間以上の遅れで、基調講演の後半であった。
   「創り拓く私たちの未来」と言うテーマで催された野村総研主催のフォーラムで、結構、格調高い問題提起で、好評のようである。

   私の聴講したのは、後半の「創り拓く、私たちの未来」と冠したパネルディスカッションで、モデレーターが、膳場貴子、パネリストが、石黒浩、田中浩也、古田敦也、金惺潤。
   膳場キャスターの司会は中々のもので、上手くパネリストの薀蓄を引き出しており、とにかく、パネリストが、その道のパリパリのエースであるから、興味深い話題に事欠かない。

   私が、興味を持った一点だけを述べれば、金氏の誘導で、アンドロイドの石黒阪大ロボット博士が、新しい発想なりイノベーションの生まれるきっかけとして、「一歩引いてみる」姿勢を強調していたことである。
   専門バカの習性か、問題を突き詰めて突き詰める程、暗礁に乗り上げて窮地に落ち込むのだが、一歩引くことによって、そして、引けば引くほど、繋がりが見えて来て視界が広がり、新しい発想が生まれると言うのである。
   したがって、最近では、哲学でも宗教でも、何でも読むし、石黒グループには、宗教家は勿論、あらゆる分野の専門家がいて、何でも聞けるのだと言う。
   新しい発想なり発見が出来なければ死ぬつもりでいたが、一歩引く法則にに気付いてからは、引くことに抵抗がなくなって、視野が広がっった、新しい発想なり発見が生まれなければ意味がないとも語っていた。
   この石黒教授の発想は、これまで、このブログで、メディチ・インパクト(メディチ・エフェクト)など、異文化異文明の遭遇、異分野の科学・技術・知の遭遇・爆発が、新しい知や発想、イノベーションを生み出すと言うことを、何度も論述してきたのだが、石黒グループそのものが、そのような集団であると言うのが、私には、新鮮な驚きであった。

   もう一つ、興味深かったのは、石黒研究室では、何でも、自分だけで新しい発想を生み出すと言っていた石黒教授の手法に対して、3Dプリンターを活用してファブラボで活躍している田中浩也慶大准教授の方は、広く人々の衆知を集めて新しい発想を生み出す共創、オープンイノベーション手法で、二人の手法は、対極にあるのではないかと、膳場キャスターが、問題提起していたことである。
   最後には、田中准教授は、最近では、すべて自分で考えなければならないと思っていると答えていたが、いずれも、アプローチの違いはあるが、新しい発想や発見は、周知の経験と知の融合爆発から生まれるのであるから、究極は、同じなのだろうと思う。

   また、田中准教授は、学生に何も教えていないが、沢山の失敗をすること、沢山の実験をして沢山失敗をすること、その環境を作っているのだと言っていたが、石黒教授の姿勢と言い、正に、今昔の感で、大学も凄く進歩したものだと思った。
   古田さんや金氏の話も含めて、非常に興味深い話を聞けて喜んでいる。
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国立演芸場、そして、歌舞伎座

2014年07月07日 | 今日の日記
   久しぶりの朝からの雨、梅雨とは言え、やはり、鬱陶しくて外出は苦痛である。
   しかし、今日の観劇は、午後1時から、国立演芸場で、講談師神田京子の真打襲名披露公演、その後、4時半から歌舞伎座での夜の部の鑑賞である。
   平河町の国立演芸場終演から、木挽町の歌舞伎座開演まで、30分も間がないのだが、このようなことは何時ものことなので、どちらかを多少ミスるだけなので気にはならないが、今回は、国立演芸場での席が、一番前でもあり、真打の神田京子がトリで演じるので、最後まで残ったので、歌舞伎座には少し遅れた。

   永田町からメトロ駅に入って赤坂見附で銀座線に乗り、銀座で日比谷線に乗り換えて東銀座へ、30分少しで歌舞伎座に着いた。
   既に幕が開いていて、「悪太郎」の市川右近が、花道で演じている途中だったので、席には着くのは遠慮して、暫く待っていた。
   この演目は、狂言の「悪太郎」を脚色した松羽目もの舞踊。
   この日の歌舞伎は、「修善寺物語」と「天守物語」で、現代歌舞伎なので、ストーリー性豊かな芝居であり、私の好きな舞台であったので、楽しませて貰った。

   さて、神田京子の公演だが、当然、口上があり、やはり、噺家や講談師の登場なので、話が面白くて、歌舞伎や文楽などの口上とは一寸違っているが、実に愉快なところが良い。
   新真打の挨拶があれば良いと思うのだが、演芸の場合も、確か、文楽の場合にも、頭を下げているだけである。
   この真打襲名披露公演は、上席や中席で行われているのだが、当然、口上には、師匠や協会の役員噺家などが登場するので、結構、力の入った舞台が続いて興味深い。

   神田京子の講談は、「大名花屋」で、その後、かっぽれを披露した。
   若くて、非常に溌剌としたパンチの利いた語り口で、スタイル良くチャーミングで中々魅力的。15年の経験だと言うから、この世界も修業が大変だと、いつも思っている。
   あの文楽の人形遣いも、足遣い10年、左遣い10年と言うくらいだから、日本の古典芸能で一人前の芸人・芸術家になるのには、大変な努力と修業が必要なのであるから、真打と言っても、実に、芸達者で上手いのである。
   
      
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夜桜能が、雨で、劇場能に

2014年04月03日 | 今日の日記
   今日は、朝に、歌舞伎座で、鳳凰祭四月大歌舞伎を観て、夕刻、靖国神社の能楽堂での夜桜能3日目を楽しむつもりで、楽しみにしていたのだが、残念ながら、朝からの久しぶりの大雨で、夜桜能は、急遽、新宿文化センターでの劇場能に変わってしまった。

   東京の桜は、少し、満開を過ぎた頃だが、まだ、豪華な桜を楽しめ、風が吹けば、多少の花吹雪を楽しめると言うことで、靖国神社の桜は有名だし、それに、隣接する千鳥ヶ淵のお堀端の桜並木は圧巻で、両方同時に、それも、風情のある夜桜を楽しみながら、最古の野外能楽堂で、能を楽しめると言うのであるから、願ってもないチャンスでもあった。

   1~2日目だったら、桜も満開に近くて良かったのだろうが、3日目を選んだのは、梅若玄祥の二人静を観たかったからであった。
   
   二人静も演出に差があるようで、2月に国立能楽堂で観た観世芳伸師の二人静では、同じ観世流でも、冒頭に、アイが登場して、ワキ/神主(宝生閑)との掛け合いがあったのだが、今回は、直接、ツレ/菜摘女(角当直隆)が登場し、また、相舞で、元章の創作を加味して、シテが、一の松で床几にかけて、ツレだけが舞うシーンがあるなど興味深かった。
   玄祥師が、橋掛かりに置かれた豪華な桜の生け花をバックにして舞うシーンが多かったので、実に優雅で美しかった。
   相舞で、シテがツレの後ろから近付いて、左手をツレの肩に乗せるところは、影と形が一体となるシーンとかで、印象的であった。

   この日の演目の最初は、梅若紀彰がシテの舞囃子「安宅」であった。
   「安宅」の舞台の弁慶も、直面なので、衣装をつけないだけで同じ舞姿なのだが、普段は能面の為に見えない緊張した精悍な能楽師の顏の表情を見るのが好きで、何時も感動しながら拝見している。
   文楽の人形遣いも、顔の表情を変えないと言うことだが、能楽師の場合には徹底しているようで、能面のような表情が実に美しいと思う。

   次は、和泉流の狂言で、「蚊相撲」。
   人間国宝の野村萬がシテの大名で、アドの蚊の精・孫の太一郎と、ダイナミックに相撲を取ると言う元気さで、何時も、矍鑠とした素晴らしい演技に感激する。
   狂言では、人間国宝の野村万作師や山本東次郎師もかなりの年輩だが、益々、芸が冴えていて、若い人よりも一味も二味も味のある芸を披露できるのは、やはり、芸への熱き情熱と厳しい修練の賜物であろうか。
   同じく、今日、観たワキの宝生閑師や、曽根崎心中で感動的なお初を演じた坂田藤十郎師にも言えることで、頭が下がる思いである。

   さて、この「蚊相撲」だが、前に、茂山千五郎家の舞台を観ているので、楽しませて貰ったが、大蔵流との演出の差などが興味深いのだが、滋賀の守山が、蚊で有名だったと言う話や、雇い人を探しに行ったら志望者が蚊の精だったと言う話、何か雇い人に芸があるかと言う発想など、狂言とは言え奇想天外な話を、大の大人が、くんずほぐれつ大真面目に演じる楽しさが、中々良い。
   
   

   この新宿文化センターでは、前に、野村万作・茂山千五郎ジョイント狂言で、能舞台を見ているのでお馴染みだが、橋掛かりが横長で短く、柱が、1メートルほどの目付柱とシテ柱があるだけで、大分雰囲気が違っており、何しろ、狭い能楽堂と違って、劇場が大きすぎて、臨場感に欠けるのが難である。
   尤も、能楽堂と違って、音響や照明など、劇場設備を活用できる点は、良いのかも知れない。
   やはり、靖国神社の能楽堂の客席は広いのであろうか、広い新宿文化センターは満席で、普段の能楽堂とは違って、若い観客が多かったのが印象的であった。
   
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豪雪、観劇断念、そして、オリンピック

2014年02月08日 | 今日の日記
   天気予報通りに、早朝から雪が舞い始めて、庭も真っ白の雪景色。
   まず、庭に出て、雪に埋まりそうになっている花にカメラを向けた。
   小さな梅の花は、殆ど雪に覆われてしまって、白梅などは、雪か梅か見分けがつかない感じで、一面雪の花である。
   
   
   
   

   椿も、殆ど雪に埋もれて可哀そうな感じだったが、二輪だけ葉の下に隠れていた花が、蕊を見せて綺麗に雪化粧をしていたので、写真になった。
   侘助など、比較的冬から咲き始める椿は、葉が花弁を覆っていて写真が撮り難いのだが、これは、実になる花を守るための椿の自衛本能であろう。
   写真集などには、雪を頂いた綺麗な椿の写真が掲載されているのだが、私のように、一切木や花に触れずに、綺麗な被写体を探してシャッターを切るものに対しては、中々、難しいことである。
   
   

   ボケやサザンカの花にも、雪が彩りを添えている。
   吹雪いた雪が舞っていて、かなり寒いのだが、サザンカの茂みをぬって、メジロが数羽敏捷に飛び回って、蜜を吸っている。
   千葉の庭では、メジロとシジュウカラが一緒に飛んで来ていたのだが、こちらのシジュウカラはどうであろうか。
   
   
   

   雪解化粧した庭を眺めながら、深夜にかけて、雪が降り続いて、風雪注意報が出ると言うことなので、午後からの東京行きを諦めることにした。
   サントリーホールでの東京都交響楽団のプロムナード・コンサートで、ハイドンの協奏交響曲やベートーヴェンの「運命」を聞けると楽しみにしていたのだが、ダメである。
   もう一つ、夕刻から国立劇場小劇場での文楽第三部の「御所桜堀川夜討」と「本朝廿四孝」の観劇も諦めざるを得なくなった。簑助の八重垣姫を見られなくなったし、奥庭猟火の段での勘十郎の至芸を鑑賞できなくなったのも残念であるが、自然相手では仕方がない。

   
   
   窓越しに、吹雪く庭の雪景色を眺めつつ、本を読みながら、あっちこっちの雪景色を思い出した。
   私など、関西で育ち、関東に長く住んでいる人間にとっては、雪には殆ど縁がなく、何年かに一度くらいは、周りが雪で真っ白になることはあるが、雪国のような経験はあまりない。
   一番、深い雪景色の中で何日か過ごしたのは、あの世界経済フォーラムで有名なスイスのダボスであろうか。
   会議の合間に、雪の積もった場外の会場を移動したり、裏山のスキー場に上って写真を撮ったり、私には、新鮮な経験であった。
   もう一回は、何年に一度だと言う大雪が降ったアムステルダムでの思い出で、娘に橇を買って遊ばせたが、大雪が降ったのは、その年だけであった。
   
   

   丁度、深夜に開会していたソチの冬季オリンピックの開会式のTVを録画していたので、代わりと言う訳ではないが、見始めた。
   ロシアも、ロシアの夢と言うタイトルで、壮大な歴史ショーを展開していたが、ボリショイ・バレーやボリショイ・サーカスのプロが見せる大ページェントなので、素晴らしい、そして、カラフルでダイナミックなショーであった。
   アンナ・ユーリエヴナ・ネトレプコが、オリンピック賛歌を歌っていた。
   それに、指揮者のヴァレリー・ゲルギエフが、オリンピック旗を持って入場して来たのを見て、やはり、芸術の国だと思った。
   前のロンドンの時にも、シェイクスピア役者の ケネス・ブラナーが登場したのだが、スポーツの祭典でも、私の知っている芸術家たちが登場すると嬉しくなる。
   
   
   
      
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国立能楽堂:ユネスコ能から国立名人会の落語へ

2013年12月22日 | 今日の日記
   今日は、鎌倉から千駄ヶ谷の国立能楽堂に向かった。
   移転の忙しさにかまけて、折角持っていたチケットを無駄にしていたのだが、やっと、その合間を縫って、今年の観劇見納めと言う思いも込めて、思い切って東京に向かったのである。

   国立能楽堂は、ユネスコによる「無形文化遺産 能楽」第六回公演で、宝生流能「杜若」大蔵流狂言「焼栗」金春流能「道成寺」であり、いずれも、再度見なので、非常に楽しむことが出来て幸せであった。
   その後、直行したのだが、開演には間に合わなかったが、半蔵門の国立演芸場で桂歌丸がトリの「国立名人会」を楽しんだ。

   ユネスコ能は、能楽協会が力を入れている公演なので、ロビーに、野村萬会長以下お歴々が威儀を正して整列し、客を出迎えていた。

 「杜若」は、伊勢物語の業平をテーマに取り入れた作品だが、「鬘物」に定評のあるシテ方宝生流の大坪喜美雄がシテを舞い、森常好がワキで、素晴らしい舞台を現出。
   旅の僧が三河の国八橋で、杜若の群生に見とれていると、里女が現われて「伊勢物語」の在原業平の歌「唐衣 きつつ馴れにし つましあれば…」を引き、僧を自宅に案内する。女は杜若の精(シテ)で、舞台上で物着して、業平の形見の初冠、二条后(高子)の長絹を着けて現れて、昔の恋の出来事をしのびつつ、静かに太鼓入り序ノ舞を舞う。業平は実は歌舞の菩薩の化身した姿で、業平の多くの情勢遍歴や二条の后への思慕も衆生済度のわざであり、女人や草木までをも歌の力で成仏させるのだと語る。
   一場物の夢幻能で、杜若の優雅な舞が感動的である。

   「焼栗」は、京都の茂山千五郎家の舞台で、千五郎がけがで休演し、七五三がシテ、千三郎がワキを務めた。
   主人が到来物の素晴らしい栗焼きを、太郎冠者に頼むのだが、あまりにも美味しいので、太郎冠者が栗を全部食べてしまって、言い訳に、竈の神親子に進上して家の安泰を願ったのだと口から出まかせを言って逃げようとする狂言である。
   その言い訳も面白いのだが、見ものは、栗を焼く仕草や栗を理屈をつけて一つ一つと食べて行くアクションである。
   この「焼栗」は、以前に二回野村萬のシテで見ているので、和泉流との違いが分かって面白いのだが、栗の焼き方については、野村萬の方が、はるかに詳細で芸が細かく、七五三の場合には、むしろ、屁理屈をつけながら栗を食べる方に滑稽さがあった。
   接客に使おうと栗焼を太郎冠者に任すのだが、所詮、猫に鰹節で、無理な話であるのだが、シテ七五三の独壇場の舞台であった。

   さて、「道成寺」だが、先に観たのは金剛流だったが、今回は、金春流で、シテ本田光洋、ワキ宝生閑、アイ山本東次郎・則俊。
   大槻能楽場のHPには、次のような説明がなされている。
   「安珍清姫」の道成寺縁起を題材にした激しい女の恋の執心を描いた作品。死んでもなお残る女の執念の恐ろしさが表現されている。現行曲の中でも最も大掛かりな大曲。舞台中央に数十キロの釣鐘を釣り上げる。<乱拍子>での小鼓の息を詰めた長い間と鋭い掛け声、シテの緊迫した動きと足使いが見所。<乱拍子>の静寂を破り<急之舞>で激しく舞、クライマックスでシテが鐘に飛び入る<鐘入り>は最大の見所。

   
   「道成寺」は、流派によって演出が違うようだが、今回は、アイの東次郎・則俊が、鐘を担ぎ込んで、鐘を吊りあげるのも、シテが鐘入りするのも、殆ど前回の金剛流の舞台と変わらなかった。
   しかし、気のせいか、金剛流の舞台も、正に、感激であったが、私には、随分違った印象が残っている。
   物着の後、橋掛かり中央に戻ったシテが、大鼓の激しい咆哮(急調のアシライ)に、一気に舞台中央に駆け込み、目付柱を前にして制止すると、変わって、挑発するように、激しい調子の裂帛の掛け声で打ち鳴らす小堤や笛の音にも、動じずに僅かに独特の足遣いの足拍子を踏みながら体を動かすが、殆ど棒立ち状態で動じない。
   10分、20分、間欠的に咆哮する小鼓にも、殆ど反応せずに、僅かに、脇柱方向に向きを変え、そして、鐘のある方向に向かい、時々、一気に両手を広げて激しいアクションを取るが、動じない。
   ところが、時至って、急之舞に転じると、鐘をキッと睨みつけて扇で烏帽子を払い落として、激しく、鐘に向かってアクションを取り、鐘の縁を扇で叩き上げて、鐘に飛び込み、飛びあがると、鐘が頭上から落下する。
   この30分近く(? 私には分からないが、そんな気がする)にも及ぼうとするこの、乱拍子から急之舞、そして、鐘入りに至る緊張感は、大変なもので、激しい女の執念を抉り出した舞台としては、秀逸であろう。
   シテ本田光洋の鬼気迫る激しい緊張感に満ちた舞台は、能楽初歩の私には、正に脅威であった。
   ワキの宝生閑、アイの東次郎の両人間国宝が矍鑠とした素晴らしい舞台を見せて感動的である。

   国立名人会は、三遊亭遊雀の「十徳」、桂竹丸の「光秀の三日天下」、春風亭小柳枝の「掛取り」、三笑亭夢太朗の「巌流島」、桧山うめ吉の俗曲、そして、最後は、桂歌丸の「小間物屋政談」で、3時間の舞台。
   夫々、名人たちの落語であり、面白かったし、うめ吉の俗曲や踊りも素晴らしかったが、私は、歌丸の語るしみじみとした人情噺が好きで、今回も、感動しながら聞いていた。

   京橋五郎兵衛町の長屋に住む、背負い(行商)小間物屋の相生屋小四郎が主人公で、箱根の山中で、追剥にあって縛られていた芝露月町の小間物屋・若狭屋の主人で甚兵衛を助けたのだが、一両と貸し与えた藍弁慶縞の着物を着たまま亡くなってしまい、江戸に帰ったら妻に返してくれと名前と所書を残していたので、検視に来た大家に小四郎が死んだと間違えられる。京都での行商を終えて帰ったところ、大家の計らいで、女房お時は、既に、同業の三五郎と結婚していて、覆水盆に返らず。腹を立てた小四郎は、奉行所へ訴え、名奉行大岡越前守のお裁きを受けて、若狭屋甚兵衛の後家でお時とは比較にならないいい女のおよしと夫婦となり、若狭屋の入り婿として資産三万両を引き継ぐ。オチは、「このご恩はわたくし、生涯背負いきれません」「これこれ。その方は今日から若狭屋甚兵衛。もう背負うには及ばん」
   
   

   能狂言の舞台鑑賞が多かったが、歌舞伎や文楽、それに、ミラノスカラ座のオペラ、都響のコンサートなど、随分楽しませて貰った1年であった。
   ただ、残念なのは、最近、RSCなど最高峰のシェイクスピア劇団の来日がなくなってしまって、良質なシェイクスピア戯曲を楽しめなくなってしまったことである。
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台風模様:国立能楽堂から歌舞伎座へ

2013年10月02日 | 今日の日記
   台風22号が関東近辺の太平洋を北上中のためか、かなり、雨足の強い中を、京成とメトロを乗りついて東京に出た。
   時間に余裕があったので、神保町に寄り道して、1時開演の国立能楽堂に向かった。
   台風襲来の時には、風や雨の激しさよりも、交通機関にトラブルの起こることが多いので、結構、観劇やセミナーなどを諦めることが多いのだが、今年は、今のところ順調に出かけている。

   今日の国立能楽堂は、定期公演で、狂言「茫々頭」と観世流の能「白楽天」。
   「白楽天」は、公演時間が2時間近い大作で、日本の知力を確かめに来た白楽天が、漁翁に姿を変えた住吉明神と、詩歌問答をして負けて、神風に吹き飛ばされて中国へ帰ると言う奇想天外な話。
   当時の「蒙古来襲」を話題に取り入れた話で、尖閣問題をテーマに、国威発揚の戯曲など作れば面白いと思って観ていた。
   狂言「茫々頭」は、茂山千五郎七五三兄弟の太郎冠者が京都見物をした話。

   ところで、この公演が終わったのが、3時35分で、次の歌舞伎座の夜の部の開演が、4時15分。
   東京のタクシーは、あてにならないので、メトロを乗りついて向かったのだが、急いだけれど、歌舞伎座に着いた時には、一幕目が開いたところだった。
   能・狂言の公演では、シテやワキが退場しても、最後に橋掛かりを帰って行く囃子方が揚幕に消えるまで、見所から客は立ち上がらないので、いくら急いでも、さっと会場を出るわけに行かないのである。
   メトロは急いだので、北参道47分発に間に合ったのだが、明治神宮前、日比谷で乗り継いで東銀座に着いたのは、4時15分。
   別に遅れても問題はないのだが、やはり、遅刻常習犯の私でも、開演前には席に座っていたいと言う気はある。

   歌舞伎座の夜の部は、通し狂言「義経千本桜」の後半で、「木の実・小金吾討死」「すし屋」「川連法眼館」で、前半は、仁左衛門のいがみの権太が主演の舞台で、後半は、菊五郎の源九郎狐・忠信が主演の舞台で、今や、現在の歌舞伎の決定版とも言うべき舞台である。
   劇評は、後日に譲るが、何度観ても、仁左衛門と菊五郎の至芸は素晴らしい。

   ところで、今日一寸気になったのは、能の舞台を観た後で、すぐに、歌舞伎を鑑賞すると言う観劇者としての心構えの落差の激しさである。

   例えば、今日の能「白楽天」の場合には、最後のシーンで、白楽天が乗った唐船が、漢土に帰るところだが、舞台の上では、囃子方の楽に乗って、シテの住吉明神が、ゆっくりと歩いているようなスタイルで舞っているだけ(?)なのだが、地謡の歌う「住吉明神が現われると、伊勢石清水賀茂春日、鹿島三島諏訪熱田等々日本中の明神が参集して舞い、厳島明神の舞って起こる手風神風に吹き飛ばされて白楽天が帰されて行く」と言う壮大な絵巻を想像しなければならないのである。

   一方、いがみの権太が、若葉の内侍と六代の身替りに、自分の妻と息子を差し出して、捕手に引かれて行くその後姿に号泣する仁左衛門の断腸の悲痛や、父母狐の皮で出来た初音の鼓との永久の別れに、全身のたうち回って悲しさを表現する菊五郎の源九郎狐の悲しさ哀れさなどは、舞台を観ていて直に胸を打つ。

   当たり前だと言えば当たり前だが、同じ、パーフォーマンス・アーツでも、表現が全く違うと、中々、すぐに、気持ちを切り替えろと言われても、中々、難しいのである。
   今日は、歌舞伎座に行ってから、一気に分かり過ぎた感じがして、一寸、不思議な気分であった。

   この頃、東京に出ることも少なくなったので、どうしても、ダブルヘッダーで観劇することが多いのだが、やはり、これまでのように、歌舞伎の昼と夜とか、文楽の一部と二部と言った形で同じ種類の観劇にするとか、多少気が置けないクラシック・コンサートや落語との組み合わせにするとか、考えた方が良いのかも知れないと思っている。

   ロンドンにいた時には、時間が取れなかった所為もあって、バービカン劇場で、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのシェイクスピア戯曲「マクベス」やギリシャ悲劇のマチネーを観て、夜、コベントガーデンで、ロイヤル・オペラのワーグナーなどを平気で観ていたのだが、若かった所為だったからかも知れない。
   
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東京オリンピックが決まった日

2013年09月08日 | 今日の日記
   朝方の5時前に眼が覚めて、テレビをつけたら、ブエノスアイレスでの2020オリンピックの開催地の投票が終わった時だった。
   決選投票は、東京とイスタンブールだと言うことで、下馬評で優勢であったマドリードの落選は意外であったが、あれだけ、経済情勢が悪くて、立ち上がれそうにもなければ、仕方がないと思った。
   クルーグマンも、スペインが一番心配だと言っていたが、現在でも失業が26%で、若者の失業が50%をはるかに超えるており、名にし負うドン・キホーテの国である。

   5時20分頃だったと思うが、ローゲ会長が、東京と言って、口絵写真のカードを掲げた時には、思わず大きな拍手をしたら、ワイフが飛んで来て、一緒にテレビを見ながら、喜びを噛みしめた。
   その日の朝は、どのチャンネルをプッシュしても、東京オリンピックの話ばかり。
   当分、日本中が幸せで包まれる。

   東京の最大の勝因は、元々、すべての条件を満たしているので勝って当然だった筈で、欧米のメディアが報じているように、一番ネガティブな要因であった福島原発問題を、安倍首相が自ら会場に乗り込んで、不安を一気に一蹴したと言う快挙であろう。
   トルコのイスタンブールも、昨今の激しい若者たちのデモや中東やイスラム圏での政情不安は勿論のこと、準備に不安視されているブラジルのリオデジャネイロでも懸念されているように、不安定な新興国の経済財政問題が、大きな足かせになったのであろう。

   スポーツの祭典と言うだけではなく、日本にとっては、2020オリンピックは、一世一代の大事業であり、世界に冠たる一等国の誇りを示す最大の好機となるであろう。
   日本の経済力は世界有数であろうが、歴史や伝統、文化文明と言った高度なソフトパワーにおいては、何処の国にも負けないくらいの実力が備わっている稀有な国であるから、正に、今こそ、世界に打って出る好機であり、そのような周到な準備が必要であろう。

   朝10時には、国立能楽堂の10月公演のチケットのあぜくら会の発売が開始される。
   早速、パソコンに向かって、ログインして、10時00分きっかりに、企画公演のプログラムを叩いた。
   627席の内、あぜくら会メンバーのインターネット用に用意されたチケットが何枚あるか分からないが、とにかく、凄いスピードで、ソールドアウト。
   結局、3公演はインターネットで取れたが、後の2公演は、電話予約した。
   ところが、夜遅くインターネットで調べたら、3公演チケットが残っていると言う状態で、本来のファースト・カム・ファースト・サーブ・ベースのチケット販売手法を踏襲せずに、後出しジャンケンと言うか、販売方法が不明朗な感じがする。
   9月は、国立能楽堂会場30周年記念公演であり、10月も、世阿弥生誕650年特集で素晴らしいプログラムが続いているので、どうせ完売するであろうから、買える時に買うしか仕方がない。

   午後から、都響のプロムナード・コンサートで、サントリーホールに向かった。
   小林研一郎指揮で、メンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟」と「ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品26」、それに、チャイコフスキーの「交響曲第4番ヘ短調作品36」
   何時もの通り、凄い熱演で、若きヴァイオリニスト三浦文彰の素晴らしい美音とエネルギッシュなボーイング捌きの魅力は圧倒的で、アンコールで演奏したパガニーニの爪弾きながら甘美なサウンドを奏でる超絶技巧(?)には、聴衆も舌を巻く。
   小林のチャイコフスキーは、都響のフルサウンドを如何なく引き出して、金管木管と打楽器の強烈なサウンドが、サントリーホールを圧倒、上気した小林への拍手喝采は長く続いた。
   東京オリンピックのお祝いを述べた後、アンコールは、ブラームスの「ハンガリー舞曲5番」。
   哀調を帯びた懐かしいブダペストでの小林のハンガリアン・サウンドが蘇って来て、ドナウ河畔の真珠のように美しい街の夜景が、走馬灯のように私の脳裏を駆け巡る。

   帰って来てからは、オリンピックのテレビも見なければならないし、何時も見ている「八重の桜」と「半沢直樹」も見なければならない。
   遊んでばかりだが、経済書を読んでいたのは、電車の中だけ。
   とにかく、いつの間にか、一日が終わっている。
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狂言「文荷」能「藤」を観て神保町、そして「国立名人会」

2013年06月05日 | 今日の日記
    今日は、観劇日と言うことにして、午後一番に、国立能楽堂に行って、狂言「文荷」能「藤」を鑑賞して、夜は、国立演芸場で、「国立名人会」で、トリは、落語協会会長の柳家小三治である。
   国立能楽堂主催の公演は、都合がつけば、毎回出かけているので、今日は、謂わば、今月の初日で、入場すれば、真っ先に、6月号のプログラムを買って読む。
   事前には、大概、演目の関係資料を見て、勉強して行くのだが、今回の能「藤」については、かなり持っている私の関係書籍には殆ど記されていないので、こんな場合には、詞章もあり、非常に丁寧に説明がされているプログラムが、重宝する。

   狂言の「文荷」は、こともあろうに、恋文を、主人に託された太郎冠者と次郎冠者が、恋の重荷だと竹竿にかついで謡いながら届けに行くのだが、途中で中身が読みたくなって読むうちに奪い合って手紙が千切れてしまう。
   風の便りだからと、扇であおいでいるところへ、帰りが遅いので見に来た主人に、見つかって、唾で張り付けた手紙を返事だと言って渡して逃げるのを、主人が追っ駆けて幕。

   これは、能の「恋重荷」のパロディ版と言うべきで、深刻な恋煩いの能とは雲泥の差で、恋し恋しとこれだけ書いてあれば小石でも重い筈だと言った駄洒落の連発だが、この恋文だが、実は、女性ではなく、稚児への手紙であるところが面白い。
   先月、この国立能楽堂で、片山幽雪の「関寺小町」を観たのだが、この時も、関寺の住僧たちが寵愛する稚児を連れて登場し、老女小町が、稚児に酒を注がれてほろりとして優雅な舞に触発されてよろよろしながらも、五節の舞を思いながら舞うと言うシーンがあるのだが、当時、乙女のように初々しく着飾った稚児に思いを馳せると言う男色趣味が普通であった名残であろうか。

   あのプラトニック・ラブ(Platonic love)だが、今では、「肉体的な欲求を離れた、精神的な愛」と言うことになってはいるが、元々は、「プラトン的な愛」と言うことで、男同士の愛で、
   ウイキペディアによると、プラトンの時代にはパイデラスティアー(paiderastia、少年愛)が一般的に見られ、プラトン自身も男色者として終生「純潔」というわけではなかった。プラトンは『饗宴』の中で、男色者として肉体(外見)に惹かれる愛よりも精神に惹かれる愛の方が優れており、更に優れているのは、特定の1人を愛すること(囚われた愛)よりも、美のイデアを愛することであると説いた。と言うことで、洋の東西を問わず、男色趣味が普遍であるのが面白い。
   義満と世阿弥、信長と蘭丸の男色関係は、有名である。

   話が脱線して長くなったが、能の「藤」だが、旅の僧(ワキ/森 常好)が、越中の多祜の浦の岸辺に爛漫と咲き乱れる藤の花を眺めながら古歌を詠ずると、美しい女人(シテ/里の女 梅若万三郎)が現れて、万葉集などの藤に因む和歌を語るうちに夕映えの花影に消えて行くと言う幻想的なシーン。
   月の出とともに、藤の花の精が美しい姿で現れて、四季の移ろいと花の美を語りながら序ノ舞を舞って、曙の薄明かりに消えて行く。
   藤の花を飾った天冠を頂き、藤色の装束に黄色い綺麗な衣を身につけた幽玄な能面の藤の精の美しさは格別で、序ノ舞の優雅さも感動的である。

   さて、次は、半蔵門で下りて、国立演芸場だが、時間があったので、どうしても、何時もの習慣で神保町で沈没して、書店めぐり。
   膨大な新しい本が出ているのだが、興味のある本のコーナーは決まっていて、判で押したように、同じルートを辿っている。
   買った本は、
   経営イノベーション50研究会編「競争に勝つ条件」
   藤原帰一著「戦争の条件」

   少し時間があったので、スターバックスよりマックの方が空いていそうだったので、マックに入って、読書しながら、小休止。

   さて、国立演芸場は、満員御礼で、何時もの、上席、中席の日とは違って、場内は一杯で、開演前まで、外で時間を待った。

   月に最低一度くらいは、落語を聞きに、この演芸場や他の演芸場に行っているのだが、まだ、それ程、年季が入っていないので、初歩の初歩と言うところだが、この頃、噺家は、実に話が上手くて、飽きさせない話術の冴えに吃驚している。
   関西にいた時には、漫才が主体だったが、東京は、演芸場では殆ど落語だし、まだ、面白い漫才を聞いていないので、最近では、落語の方に魅力を感じている。
   本題の古典落語の面白さもそうだが、落語の演題に合ったまくらも面白いのだが、カレント・トピックスをアレンジしたり、自分の経験や思いを適当にあしらって語るまくらの面白さも興味津々で、全く、他愛無くて、毒にも薬にもならない無駄話が多いのだが、それはそれで、一幅の清涼剤となって楽しめるのである。

   
   女性初の真打だった古今亭菊千代が、西行の歌道の旅での噺で「鼓が滝」
   信用金庫で働いていたと言う柳家〆治は、千葉のお大尽を嫌って会わない花魁が死んだと言って若い衆にお墓に行かせるのだが、いい加減な墓ばかり案内して、どの墓だと言われて、よろしいのをお見立てを、と言う「お見立て」
   面白いのは、「井戸の茶碗」を語った金原亭伯楽が、柳家小三治が、18人抜きで真打に昇進した時に、抜かれた18人が可哀そうだと言うので、次の会長が全員真打を乱発して、追加で真打になったのが、自分と林家木久扇だったと言って、その内幕本を書いたのが自分で、売店に並んでいると紹介。次の休憩時間に、売店に並んだ客に、「小説・落語協団騒動記」のサイン本を売っていた。
   柳亭小燕枝は、「万金丹」。江戸で食い詰めた二人の風来坊が、俄か坊主になって、住職の留守に葬式を行って、戒名が欲しいと言われて切羽詰って、万金丹の袋を渡して、言い逃れる話で、あの「ちはやぶる・・・」の話の類である。
   もう一つは、翁屋和楽社中の「曲芸」。

   最後は、大御所の柳家小三治の十八番とも言うべき「やかんなめ」。
   出囃子に乗って登場した瞬間から、観客の熱い期待と緊張感で場内は熱気を帯びるのであるから流石である。
   まくらは、同窓会の話から、「僕誰だか覚えている?」と言って来るのが一番困るんだと言いながら、本題が、「やかんをなめれば、癪が治る」と言う「癪の合い薬」の話であるから、ひとしきり、合い薬など薬の話などをするのだが、あっちこっち脱線して、本題に入ったのは、終演予定時間間際で、20分以上もオーバータイムの熱演で、流石に、日本一の噺家だと思って、話術の巧みさに聞き惚れてしまった。

   この話は、向島に梅見物に出かけた大家の奥様が途中で癪を起して七転八倒。この奥様の癪の合い薬は「やかんなめ」で、あいにくやかんはなかったが、通りかかったお侍の頭がやかんそっくり。決死の覚悟で、侍に頭を舐めさせてくれと頭を下げる女中と、無礼打ちだとカンカンになって怒る侍、笑い転げる侍の連れ、この錯綜した息詰まるような一部始終を、小三治は、舞台で頭を擦り付けたり仰け反ったり、百面相の表情よろしく、熱演の限りを尽くして感動ものである。
   仕方なく許した頭を、奥様は、侍の頭にしがみついて必死になって舐め回してかぶりつき、
   後で、侍の頭がヒリヒリと痛むので、連れの者に見させると頭に歯形がくっきり。「キズは残っていますが、漏(も)ってはいません」。と言うのがオチだが、とにかく、凄まじい。

   この話、侍ではなく、二人連れの江戸っ子と言うバージョンもあるようだが、やはり、侍だからこそ、面白いのであろうと思う。
   家に帰ったら、11時を回っていたが、面白かった。

 



   
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