朝遅く家を出て、東京に向かった。
13時からの国立演芸場の林家正藏がトリの上席を聞く為である。
本を読んでいて、九段下での乗り換えをミスって乗り越してしまったので、時間ぎりぎりとなった。
歳の所為ではないと思うのだが、この頃、専門書を読んでいても興味が湧いてくると、電車を乗り越すことが多くなっている。
最近、この国立演芸場で落語を聞く機会が増えたのだが、特別なプログラムの国立名人会などは別として、普段は、常設でもある上席や中席を聞いている。
ついでと言うと何だが、歌舞伎やコンサート、能・狂言の鑑賞が夜の場合、時間が合うとチケットを手配している。
貸切など特別な日を除いては、大体、1日から20日まで上演しているので、必ず、席は空いている。
正味3時間弱だが、プログラムの殆どは、落語で、奇術や曲芸、漫才や浪曲などもあるが、私にはあまり興味がないので、落語の話術を楽しみに行く。
大阪にいた時には、漫才を聞いていたが、ミヤコ蝶々南都雄二、いとしこいし、A助B助の時代で、実に面白かったが、やはり、今も漫才は吉本の全盛で、東京で聞く漫才は、今のところ、良い舞台に巡り合えておらず、面白くもおかしくもない。
さて、私は、トリを取る名人の落語を楽しみに行くのだが、真打は勿論、前座も二つ目も結構上手いし、同じ外題の古典落語を何回も聞きたいとは思はないが、噺家が、バカバカしくて役に立つ話ではないと言いながら、一生懸命に語るのが、面白く、また、聞きたいと思うので、通っている。
圓朝物など、芝居芸術の域に達していて、時には、近松やシェイクスピアにも負けないくらいに感動する噺もある。
さて、今回の正藏の落語は、「ねずみ」。
仙台を訪れた左甚五郎の話である。
12歳の男の子が客引きをする宿屋に泊ることにしたが、行ってみると実にみすぼらしい鼠屋と言う旅館。布団がないので借りて来るから前金20文欲しいと言うし、夕食の料理ができないので、自分たち親子の分まで入れて寿司を注文してほしいと言い出す始末で、訳ありと思って事情を聞くと、卯兵衛と言うもとは前の立派な旅館・虎屋のあるじだったが、五年前に女房に先立たれ、後添いにした女中頭と番頭・丑蔵に旅館を乗っ取られた。子供の卯之吉が、このままでは物乞いと変わらないからお客を一人でも連れてくるから商売をやろうと訴えるので、物置を二階二間きりの旅籠に改築したが、階段から落ちて動けないおやじと子供では商売にはならず、極貧芋を洗うがごとき状態。
宿帳に書いた名前から、日本一の彫り物名人左甚五郎と知って卯兵衛は驚くが、同情した甚五郎は、一晩部屋にこもって見事な木彫りの鼠をこしらえ、たらいに入れて上から竹網をかける。そして、「左甚五郎作 福鼠 この鼠をご覧の方は、ぜひ鼠屋にお泊りを」と書いて、看板代わりに入口に揚げさせ出発する。木製ながらチョロチョロ動く甚五郎のねずみが有名になって、鼠屋は、押すな押すなの盛況となる。
虎屋の主人・丑蔵の悪事の噂が広まり、虎屋は寂れたので、丑蔵は怒って、鼠を動かなくするために、仙台一の彫刻名人・飯田丹下に大金を積み大きな木の虎を彫らせてそれを二階に置いて鼠屋の鼠をにらみつけると鼠はビクとも動かなくなった。
卯兵衛は怒った拍子にピンと腰が立ったのだが、甚五郎に「わたしの腰が立ちました。鼠の腰が抜けました」と手紙を書いたので、不思議に思った甚五郎は、二代目政五郎を伴って仙台に駆けつけ、虎屋の虎を見たが、目に恨みが宿り良い出来とは思えない。鼠に向かって「わたしはおまえに魂を打ち込んで彫ったつもりだが、あんな虎が恐いのか」としかると、「え、あれ、虎? 猫だと思いました」。
こう言う人情噺を語ると、正藏は実に味があって上手い。
登場人物は、子供の卯之吉とおやじ卯兵衛と甚五郎と政五郎だけだが、特に、子供の卯之吉の声音が可愛いいのみならず陰のない健気な孝行息子を彷彿とさせていて嫌味がなく、それに、大人たちの善意の会話が爽やかで気持ちよく、しみじみと聞かせる。
単なる安直な人情噺に終わらせずに、上質な笑いを誘いだしながら、表情豊かに語りかける正藏の話芸は冴えわたっている。
私の聞いたのは、10日の最終日だったのだが、前の「正藏が正藏を語る」の時と違って、客の入りは、3~4割くらいで、一寸、惜しい気がしたのだが、平日だとこういうところなのであろうか。
1階の演芸資料展示室で、「ニューマリオネットの人形展」をしていた。
あの東欧などでポピュラーなマリオネットの日本版だが、糸繰りと言うことで、寄席の名物であったと言うから面白い。
チェコなどに何度か行きながら、まだ、マリオネットを観たことがないのだが、本場では、オペラもやればバレーもやるし、本格的な芝居もやるのだが、日本では、安来節などの人形踊りや寸劇のようである。
ヨーロッパでは、伝統的糸繰りが、人形遣いを隠す舞台機能を必要としたのだが、日本では、出遣いがタブーではなかったので、人形遣いが舞台に登場して直接人形を遣う人形浄瑠璃文楽のような高度な芸術が生まれたのである。
最近では、欧米の演出家たちが、文楽の手法を真似て、オペラやミュージカルの舞台にも、黒衣が登場して人形を遣うケースが出て来て面白い。
展示には、人形や、その細部の部材や資料が展示されていて、文楽の人形とは大分違っていて、興味深かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/8a/1b3390d56bbd165a5592397f8e78d9aa.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/63/8cd878e9ac07cdc85ddc7ef58b4393bf.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/52/109f2913fd18470a9e1d479e1e2a3f39.jpg)
6時10分開演の柿葺落四月大歌舞伎の第3部まで、時間があったので、何時ものように、神保町に出て、本屋散策で小一時間過ごした。
新しい本は、
ポール・アレン著「ぼくとビル・ゲイツとマイクロソフト」、そして、複雑系の本、
ジョン・キャスティ著「Xイベント」
そして、古書店で、新書の新古書本3冊 を買った。
歌舞伎座の周りは、夕刻であったためか、先日の芋の子を洗うような混雑ぶりはなく、劇場のなかも、ある程度正常に戻っていた。
しかし、やはり、こう言った記念興行になると、日頃歌舞伎などには縁のない金回りの良い俄か歌舞伎ファンが多くて、売店などは人盛りで一杯であり、それに、マナーが悪くて、最後の「勧進帳」など、富樫の菊五郎が、登場して、名乗りの口上を述べているにも拘わらず、客席のあっちこっちで私語が治まらず、歌舞伎を鑑賞すると言う雰囲気ではなかった。
仁左衛門・吉右衛門の「盛綱陣屋」と幸四郎・菊五郎・梅玉の「勧進帳」の素晴らしい舞台であったが、印象記は後日に譲りたい。
13時からの国立演芸場の林家正藏がトリの上席を聞く為である。
本を読んでいて、九段下での乗り換えをミスって乗り越してしまったので、時間ぎりぎりとなった。
歳の所為ではないと思うのだが、この頃、専門書を読んでいても興味が湧いてくると、電車を乗り越すことが多くなっている。
最近、この国立演芸場で落語を聞く機会が増えたのだが、特別なプログラムの国立名人会などは別として、普段は、常設でもある上席や中席を聞いている。
ついでと言うと何だが、歌舞伎やコンサート、能・狂言の鑑賞が夜の場合、時間が合うとチケットを手配している。
貸切など特別な日を除いては、大体、1日から20日まで上演しているので、必ず、席は空いている。
正味3時間弱だが、プログラムの殆どは、落語で、奇術や曲芸、漫才や浪曲などもあるが、私にはあまり興味がないので、落語の話術を楽しみに行く。
大阪にいた時には、漫才を聞いていたが、ミヤコ蝶々南都雄二、いとしこいし、A助B助の時代で、実に面白かったが、やはり、今も漫才は吉本の全盛で、東京で聞く漫才は、今のところ、良い舞台に巡り合えておらず、面白くもおかしくもない。
さて、私は、トリを取る名人の落語を楽しみに行くのだが、真打は勿論、前座も二つ目も結構上手いし、同じ外題の古典落語を何回も聞きたいとは思はないが、噺家が、バカバカしくて役に立つ話ではないと言いながら、一生懸命に語るのが、面白く、また、聞きたいと思うので、通っている。
圓朝物など、芝居芸術の域に達していて、時には、近松やシェイクスピアにも負けないくらいに感動する噺もある。
さて、今回の正藏の落語は、「ねずみ」。
仙台を訪れた左甚五郎の話である。
12歳の男の子が客引きをする宿屋に泊ることにしたが、行ってみると実にみすぼらしい鼠屋と言う旅館。布団がないので借りて来るから前金20文欲しいと言うし、夕食の料理ができないので、自分たち親子の分まで入れて寿司を注文してほしいと言い出す始末で、訳ありと思って事情を聞くと、卯兵衛と言うもとは前の立派な旅館・虎屋のあるじだったが、五年前に女房に先立たれ、後添いにした女中頭と番頭・丑蔵に旅館を乗っ取られた。子供の卯之吉が、このままでは物乞いと変わらないからお客を一人でも連れてくるから商売をやろうと訴えるので、物置を二階二間きりの旅籠に改築したが、階段から落ちて動けないおやじと子供では商売にはならず、極貧芋を洗うがごとき状態。
宿帳に書いた名前から、日本一の彫り物名人左甚五郎と知って卯兵衛は驚くが、同情した甚五郎は、一晩部屋にこもって見事な木彫りの鼠をこしらえ、たらいに入れて上から竹網をかける。そして、「左甚五郎作 福鼠 この鼠をご覧の方は、ぜひ鼠屋にお泊りを」と書いて、看板代わりに入口に揚げさせ出発する。木製ながらチョロチョロ動く甚五郎のねずみが有名になって、鼠屋は、押すな押すなの盛況となる。
虎屋の主人・丑蔵の悪事の噂が広まり、虎屋は寂れたので、丑蔵は怒って、鼠を動かなくするために、仙台一の彫刻名人・飯田丹下に大金を積み大きな木の虎を彫らせてそれを二階に置いて鼠屋の鼠をにらみつけると鼠はビクとも動かなくなった。
卯兵衛は怒った拍子にピンと腰が立ったのだが、甚五郎に「わたしの腰が立ちました。鼠の腰が抜けました」と手紙を書いたので、不思議に思った甚五郎は、二代目政五郎を伴って仙台に駆けつけ、虎屋の虎を見たが、目に恨みが宿り良い出来とは思えない。鼠に向かって「わたしはおまえに魂を打ち込んで彫ったつもりだが、あんな虎が恐いのか」としかると、「え、あれ、虎? 猫だと思いました」。
こう言う人情噺を語ると、正藏は実に味があって上手い。
登場人物は、子供の卯之吉とおやじ卯兵衛と甚五郎と政五郎だけだが、特に、子供の卯之吉の声音が可愛いいのみならず陰のない健気な孝行息子を彷彿とさせていて嫌味がなく、それに、大人たちの善意の会話が爽やかで気持ちよく、しみじみと聞かせる。
単なる安直な人情噺に終わらせずに、上質な笑いを誘いだしながら、表情豊かに語りかける正藏の話芸は冴えわたっている。
私の聞いたのは、10日の最終日だったのだが、前の「正藏が正藏を語る」の時と違って、客の入りは、3~4割くらいで、一寸、惜しい気がしたのだが、平日だとこういうところなのであろうか。
1階の演芸資料展示室で、「ニューマリオネットの人形展」をしていた。
あの東欧などでポピュラーなマリオネットの日本版だが、糸繰りと言うことで、寄席の名物であったと言うから面白い。
チェコなどに何度か行きながら、まだ、マリオネットを観たことがないのだが、本場では、オペラもやればバレーもやるし、本格的な芝居もやるのだが、日本では、安来節などの人形踊りや寸劇のようである。
ヨーロッパでは、伝統的糸繰りが、人形遣いを隠す舞台機能を必要としたのだが、日本では、出遣いがタブーではなかったので、人形遣いが舞台に登場して直接人形を遣う人形浄瑠璃文楽のような高度な芸術が生まれたのである。
最近では、欧米の演出家たちが、文楽の手法を真似て、オペラやミュージカルの舞台にも、黒衣が登場して人形を遣うケースが出て来て面白い。
展示には、人形や、その細部の部材や資料が展示されていて、文楽の人形とは大分違っていて、興味深かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/8a/1b3390d56bbd165a5592397f8e78d9aa.jpg)
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6時10分開演の柿葺落四月大歌舞伎の第3部まで、時間があったので、何時ものように、神保町に出て、本屋散策で小一時間過ごした。
新しい本は、
ポール・アレン著「ぼくとビル・ゲイツとマイクロソフト」、そして、複雑系の本、
ジョン・キャスティ著「Xイベント」
そして、古書店で、新書の新古書本3冊 を買った。
歌舞伎座の周りは、夕刻であったためか、先日の芋の子を洗うような混雑ぶりはなく、劇場のなかも、ある程度正常に戻っていた。
しかし、やはり、こう言った記念興行になると、日頃歌舞伎などには縁のない金回りの良い俄か歌舞伎ファンが多くて、売店などは人盛りで一杯であり、それに、マナーが悪くて、最後の「勧進帳」など、富樫の菊五郎が、登場して、名乗りの口上を述べているにも拘わらず、客席のあっちこっちで私語が治まらず、歌舞伎を鑑賞すると言う雰囲気ではなかった。
仁左衛門・吉右衛門の「盛綱陣屋」と幸四郎・菊五郎・梅玉の「勧進帳」の素晴らしい舞台であったが、印象記は後日に譲りたい。