熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立演芸場で正藏の落語、そして、夜の歌舞伎座

2013年04月10日 | 今日の日記
   朝遅く家を出て、東京に向かった。
   13時からの国立演芸場の林家正藏がトリの上席を聞く為である。
   本を読んでいて、九段下での乗り換えをミスって乗り越してしまったので、時間ぎりぎりとなった。
   歳の所為ではないと思うのだが、この頃、専門書を読んでいても興味が湧いてくると、電車を乗り越すことが多くなっている。

   最近、この国立演芸場で落語を聞く機会が増えたのだが、特別なプログラムの国立名人会などは別として、普段は、常設でもある上席や中席を聞いている。
   ついでと言うと何だが、歌舞伎やコンサート、能・狂言の鑑賞が夜の場合、時間が合うとチケットを手配している。
   貸切など特別な日を除いては、大体、1日から20日まで上演しているので、必ず、席は空いている。
   正味3時間弱だが、プログラムの殆どは、落語で、奇術や曲芸、漫才や浪曲などもあるが、私にはあまり興味がないので、落語の話術を楽しみに行く。
   大阪にいた時には、漫才を聞いていたが、ミヤコ蝶々南都雄二、いとしこいし、A助B助の時代で、実に面白かったが、やはり、今も漫才は吉本の全盛で、東京で聞く漫才は、今のところ、良い舞台に巡り合えておらず、面白くもおかしくもない。

   さて、私は、トリを取る名人の落語を楽しみに行くのだが、真打は勿論、前座も二つ目も結構上手いし、同じ外題の古典落語を何回も聞きたいとは思はないが、噺家が、バカバカしくて役に立つ話ではないと言いながら、一生懸命に語るのが、面白く、また、聞きたいと思うので、通っている。
   圓朝物など、芝居芸術の域に達していて、時には、近松やシェイクスピアにも負けないくらいに感動する噺もある。

   さて、今回の正藏の落語は、「ねずみ」。
   仙台を訪れた左甚五郎の話である。
   12歳の男の子が客引きをする宿屋に泊ることにしたが、行ってみると実にみすぼらしい鼠屋と言う旅館。布団がないので借りて来るから前金20文欲しいと言うし、夕食の料理ができないので、自分たち親子の分まで入れて寿司を注文してほしいと言い出す始末で、訳ありと思って事情を聞くと、卯兵衛と言うもとは前の立派な旅館・虎屋のあるじだったが、五年前に女房に先立たれ、後添いにした女中頭と番頭・丑蔵に旅館を乗っ取られた。子供の卯之吉が、このままでは物乞いと変わらないからお客を一人でも連れてくるから商売をやろうと訴えるので、物置を二階二間きりの旅籠に改築したが、階段から落ちて動けないおやじと子供では商売にはならず、極貧芋を洗うがごとき状態。
   宿帳に書いた名前から、日本一の彫り物名人左甚五郎と知って卯兵衛は驚くが、同情した甚五郎は、一晩部屋にこもって見事な木彫りの鼠をこしらえ、たらいに入れて上から竹網をかける。そして、「左甚五郎作 福鼠 この鼠をご覧の方は、ぜひ鼠屋にお泊りを」と書いて、看板代わりに入口に揚げさせ出発する。木製ながらチョロチョロ動く甚五郎のねずみが有名になって、鼠屋は、押すな押すなの盛況となる。
   虎屋の主人・丑蔵の悪事の噂が広まり、虎屋は寂れたので、丑蔵は怒って、鼠を動かなくするために、仙台一の彫刻名人・飯田丹下に大金を積み大きな木の虎を彫らせてそれを二階に置いて鼠屋の鼠をにらみつけると鼠はビクとも動かなくなった。
   卯兵衛は怒った拍子にピンと腰が立ったのだが、甚五郎に「わたしの腰が立ちました。鼠の腰が抜けました」と手紙を書いたので、不思議に思った甚五郎は、二代目政五郎を伴って仙台に駆けつけ、虎屋の虎を見たが、目に恨みが宿り良い出来とは思えない。鼠に向かって「わたしはおまえに魂を打ち込んで彫ったつもりだが、あんな虎が恐いのか」としかると、「え、あれ、虎? 猫だと思いました」。

   こう言う人情噺を語ると、正藏は実に味があって上手い。
   登場人物は、子供の卯之吉とおやじ卯兵衛と甚五郎と政五郎だけだが、特に、子供の卯之吉の声音が可愛いいのみならず陰のない健気な孝行息子を彷彿とさせていて嫌味がなく、それに、大人たちの善意の会話が爽やかで気持ちよく、しみじみと聞かせる。
   単なる安直な人情噺に終わらせずに、上質な笑いを誘いだしながら、表情豊かに語りかける正藏の話芸は冴えわたっている。
   私の聞いたのは、10日の最終日だったのだが、前の「正藏が正藏を語る」の時と違って、客の入りは、3~4割くらいで、一寸、惜しい気がしたのだが、平日だとこういうところなのであろうか。

   1階の演芸資料展示室で、「ニューマリオネットの人形展」をしていた。
   あの東欧などでポピュラーなマリオネットの日本版だが、糸繰りと言うことで、寄席の名物であったと言うから面白い。
   チェコなどに何度か行きながら、まだ、マリオネットを観たことがないのだが、本場では、オペラもやればバレーもやるし、本格的な芝居もやるのだが、日本では、安来節などの人形踊りや寸劇のようである。
   
   ヨーロッパでは、伝統的糸繰りが、人形遣いを隠す舞台機能を必要としたのだが、日本では、出遣いがタブーではなかったので、人形遣いが舞台に登場して直接人形を遣う人形浄瑠璃文楽のような高度な芸術が生まれたのである。
   最近では、欧米の演出家たちが、文楽の手法を真似て、オペラやミュージカルの舞台にも、黒衣が登場して人形を遣うケースが出て来て面白い。
   展示には、人形や、その細部の部材や資料が展示されていて、文楽の人形とは大分違っていて、興味深かった。
   
   
   
   
   6時10分開演の柿葺落四月大歌舞伎の第3部まで、時間があったので、何時ものように、神保町に出て、本屋散策で小一時間過ごした。
   新しい本は、
   ポール・アレン著「ぼくとビル・ゲイツとマイクロソフト」、そして、複雑系の本、
   ジョン・キャスティ著「Xイベント」
   そして、古書店で、新書の新古書本3冊 を買った。

   歌舞伎座の周りは、夕刻であったためか、先日の芋の子を洗うような混雑ぶりはなく、劇場のなかも、ある程度正常に戻っていた。
   しかし、やはり、こう言った記念興行になると、日頃歌舞伎などには縁のない金回りの良い俄か歌舞伎ファンが多くて、売店などは人盛りで一杯であり、それに、マナーが悪くて、最後の「勧進帳」など、富樫の菊五郎が、登場して、名乗りの口上を述べているにも拘わらず、客席のあっちこっちで私語が治まらず、歌舞伎を鑑賞すると言う雰囲気ではなかった。
   仁左衛門・吉右衛門の「盛綱陣屋」と幸四郎・菊五郎・梅玉の「勧進帳」の素晴らしい舞台であったが、印象記は後日に譲りたい。
   
   
   
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国立演芸場で落語鑑賞、千鳥ヶ淵から神保町へ

2013年03月04日 | 今日の日記
   今日は、朝遅くに千葉を出て、半蔵門の国立演芸場に出かけた。
   上席で、奇術、漫才、俗曲が入るが、大半は落語で、二つ目から真打、最後は、重鎮のとりで終わるのだが、大分、この国立演芸場に通っているので、かなり、落語の楽しみ方が分かってきた。
     
   今日の落語で面白かったのは、入船亭扇辰の「ちはやぶる」であった。
   若い頃に、ラジオか何かで聞いていて、実に、バカバカしいと言うか面白かったので、鮮明に記憶に残っており、それを、舞台で直に噺家から聞いたのであるから、旧友に会ったような懐かしさである。

   この話は、『古今集』の在原業平朝臣の、
   ”千早(ちはや)ぶる 神代(かみよ)もきかず 龍田川(たつたがは)
   からくれなゐに 水くくるとは”を題材にした落語である。
   不思議なことがいろいろと起こっていた神代の昔でさえも、こんなことがあったとは聞いたことがない。一面に川面に浮かぶ紅葉が、龍田川を真っ赤な紅色に、水をしぼり染めにしているとは。
   と言う実に綺麗な歌なのだが、歌の意味を聞きに来た八五郎に、何も知らない先生が、奇天烈な話をでっち上げて語ると言う無学同士の得も言われぬ可笑しみを滲ませた佳作である。
   竜田川と言う相撲取りが、千早と言う花魁にモーションをかけるのだが、振られて、妹分の神代にも嫌われる。竜田川が廃業して故郷に帰って家業の豆腐屋を開いていると、乞食に落ちぶれた千早がやって来ておからをくれと言うのだが、昔振られた千早と知った竜田川が、(お)からをくれずに突き飛ばしたら、飛んで井戸に落ちたので水をくぐった、と言うのである。
   それでは、最後の「とは」とは何かと聞かれて、苦し紛れに、千早の本名だと言うことでおち。

   最後の桂文楽の落語は、「猫久」。
   30分の熱演だが、この話も、やはり、教養のない熊五郎が、床屋で侍から聞いた話を、よく分からないのに、家に帰って女房に頓珍漢な話をすると言うことになる。
   元々は、猫のように大人しくて猫久と呼ばれている長屋に住む行商の八百屋・久六が血相を変えて帰ってきて、女房に脇差を出せと言ったら、女房が止めるどころか、神棚の前で、三ベン押しいただき、亭主に渡したので、あの女房は変わっていると言う話になるのだが、この話を床屋で話していると、立ち聞きしていた侍に、刀をいただいた女房は、「見上げたものだ、後世おそるべし。貞女なり孝女なり烈女なり賢女なり、あっぱれあっぱれ。」そんな女を倅に娶らせたいと褒め上げるので、熊は、なんだかわからないが、つまり、いただく方が本物なんだと感心して、家に帰ると言う展開である。
   女房と馬鹿話をしている間に、ホンモノの猫が、おかずのイワシを取って逃げるので、熊が、擂り粉木を持って来いと言うと、女房が、両手ですりこ木を、ていねいに神棚の下で三度も押し戴き「待っといでよう。いま、あたしゃいただいているところだ」。

   
   正味3時間弱のバカバカしいと言えば語弊があろうが、とにかく、リラックスした時間を過ごして演芸場の外に出ると、日が長くなった所為か、まだ、随分明るい。
   一階入り口の資料展示室で、ニューマリオネットの操り人形や版画などが展示されていたので、鑑賞した。
   折角、プラハに、何日も滞在して居たのに、本場でマリオネットを見られなかったことを残念に思っている。
   
   
   


   国立劇場の表に回ると、紅梅が咲いている。
   毎年、3月の歌舞伎公演の時に、鑑賞させて頂くのだが、今回は、まだ、先の話なので、訪れてみたら、ほぼ満開であった。
   30周年記念植樹の紅梅小田紅と白梅貴山白と、他に、紅千鳥などが植わっていて、ほんのり、香っている。
   
   

   
   神田小川町で、イタリアンでの会食の約束なので、まだ、時間も十分にあり、天気も良くて、それ程寒くもないので、久しぶりにお堀端を歩いて千鳥ヶ淵に出て、神保町経由で歩いて行くことにした。
   人通りの全くない静かな公園通りを歩いていると、東京の真ん中とは思えないのだが、コンクリートジャングルの東京としては、皇居の緑地は、極めて貴重だと言うことである。
   お堀端の水仙と千鳥ヶ淵戦没者墓苑横の遊歩道にびっしりと植えられているクリスマスローズが美しかったが、花気のあるのは生垣風の寒椿くらいで、春を待つ桜の大木の真っ黒な並木道が寂しい。
   遠くにビル街が見えるのが東京の風景でもある。
   この千鳥ヶ淵には、こじんまりとしたフェアモント・ホテルがあって、昔、桜の満開の季節に、ブラジルからの一時帰国の時に1週間ほど滞在して、咲き乱れる桜の美しさを満喫したのだが、今は、殺風景なマンションに建て替わってしまっていて、味気なくなってしまった。
   
   
   


   神保町は、九段下から靖国通りを歩いて、古書店をはしごして、三省堂で終わるのだが、やはり、悪い癖で素通りが出来ずに、ナショナル・ジオグラフィックの「いつかは行きたい一生に一度だけの旅 Best500」などを買ってしまって、一挙に、バッグが重くなってしまった。
   イタリアンのブラッスリーでは、親しい大学時代の同窓生と二か月に一度会って、旧交を温めているのだが、政治経済や時事問題が主で、時には口角泡を飛ばすのだが、残念ながら、折角京都で学びながらも、私の古典芸能やオペラなどの文化の香りのする話に乗ってくれる友人は誰もはいない。
     
         



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新歌舞伎座を見て新橋演舞場へ

2013年03月02日 | 今日の日記
   今日は、春一番の吹き荒れた昨日に続いて、非常に暖かい日であった。
   染五郎の舞台を見たくて、三月花形歌舞伎の夜の部のチケットを買っていたので、遅い午後、メトロで東銀座に向かった。
   何時ものように、東銀座で下りて、歌舞伎座の出口の改札を出たら、素晴らしい空間が広がっていて、即、その前が、新歌舞伎座の地下のコンコースになっていて、既に、ターリーズ・コーヒーやセブン・イレブン、歌舞伎茶屋、色々な売店がオープンしていて、沢山の人が集まっている。
   チケット売り場は、15日からオープンと言うことでしまっていたが、これだけ、広い空間があれば、何時も、歌舞伎座前でごった返している開演前の雑踏が一気に解消されそうである。
   歌舞伎座正面右に、メトロ駅へのエスカレーター付きの広いアプローチが出来て、地下広場に通じて、非常に便利になっており、以前の一人通れるか通れないくらいの地下階段への出入り口を思うと、今昔の感である。
   
   
   

   私は、歌舞伎を見に来ると、いつも行っている古書店奥村書店に出かけようと思って右手のビル階のエスカレーターを上がったら、うまく、昭和通り口に出た。
   以前の楽屋口の横で、高層ビル部分のエントランスは、この昭和通りになったようである。
   奥村書店は、東に向かって歩けばすぐで、小さな書店なのだが、歌舞伎関係など古典芸能や美術、芸術、文学関係の本が多いので、歌舞伎役者たちも来ると言う。
   私は、たまには、その方面の本も買うが、主に買うのは、経済経営政治と言った関係の本で、何故か、一角に、場違いのようにそんなコーナーがあって、時には興味のある本もあり、ビジネスとは縁の遠い場所なので、神保町よりは、そのような新古書(新本)が安いのである。
   今日買ったのは、
   ジョージ・ソロス著「ソロスの警告――ユーロが世界経済を破壊する」
   ロナルド・ドーア著「日本の転機――米中の狭間でどう生きるのか」

   その後、新橋演舞場に向かった。
   今夜の歌舞伎は、「一條大蔵譚」で、染五郎の大蔵卿。そして、染五郎と菊之助の「二人椀久」であった。
   開演時間が30分遅れの4時半で、7時15分頃の終演であるから、正味、2時間あるかないかの極めて短時間の公演で、正味5時間くらいもあった昔が懐かしい。
   来月杮落しの新歌舞伎座公演はチケットを取るのが大変ようだが、今日は初日ながら、かなり空席があった。
   大蔵卿のの演技は、叔父の吉右衛門に徹底的に教え込まれたのであろうから、初演ではあるが、様になっていて素晴らしい。
   菊之助との「二人椀久」は、匂うように華麗で素晴らしい舞台で、日頃、舞踊の舞台などは殆ど興味を感じない私だが、十分に楽しませて貰った。
   特に、菊之助の錦絵から飛び出したような美しい艶姿に感動しきりであった。
   簑助の文楽人形の後振りの美しさは格別だが、菊之助の後姿も実に色気があって蠱惑的でさえある。
   鑑賞メモは、次に回したい。
   
   
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国立能楽堂からサントリーホール

2012年12月15日 | 今日の日記
   昨夜鎌倉に来たので、朝、娘宅で、玄関脇の庭花壇の手入れを手伝った。
   シクラメンとパンジーの植え付けなのだが、ガーデニングが苦手で、折角の花壇や植え付けも手抜きをしていて、春の準備も十分ではなかった。
   土つくりから初めて、空いた空間に、増えて大株になっていた都忘れを株分けして植えつけた。

   昼前に、鎌倉駅から、湘南新宿ラインに乗って、新宿を目指した。乗り換えて千駄ヶ谷に向かうのだが、新宿まで、乗り換えなしの一本線なので、非常に便利である。
   国立能楽堂には、1時前に着いたので、開演までには十分時間があった。

   この日は、ユネスコによる「無形文化遺産 能楽」第五回公演と言うことで、中々のプログラムであった。
   金春安明と殿田謙吉の金春流能「恋重荷」、野村万作と三宅右近の和泉流狂言「隠狸」、それに、粟谷能夫と宝生閑の喜多流能「安宅」である。
   「恋重荷」は、先日、観世流の舞台を鑑賞した後だったので、その違いなどが分かって、非常に興味深かった。
   「隠狸」も、数か月前に、同じく万作の舞台を観ていて、この時は、シテ/太郎冠者が野村万作、アド/主が野村萬斎で、今回、万作がアド/主を演じていて、人間国宝の両方の舞台を鑑賞できた訳であるから、幸いであった。

   「安宅」は、歌舞伎の「勧進帳」のオリジナルとも言うべき曲で、非常に興味を持って鑑賞させて貰った。
   能狂言に通い始めた動機の一つが、歌舞伎や文楽の元になっている能や狂言を観て、どのように脚色されていったのか、それを知りたいと言うことであったので、今回の「安宅」は、非常に面白かった。
   まず、歌舞伎には、義経の郎党は4人だが、能では倍以上郎党が登場しており、歌舞伎のように、富樫が、義経と知りながら、武士の情けで関を通すのではなく、能では、命がけの対決をするので、大変な迫力である。
   一寸、意外だったのは、アイの役割で、人間国宝山本東次郎が、義経の郎党、山本則俊が、富樫の家来で登場して、舞台にしっかりと溶け込んでいたことで興味深かった。
   能には、山伏問答がないとか、延年の舞の違いだとか、色々舞台に差があって、その違いが非常に興味深いのだが、稿を改めて、感想を書くことにしたい。
   充実した舞台で、終演は、5時10分で、外は暗くなっていた。

   この日、2月の「式能」のチケットを求めた。昨日から発売だったのだが、会場だと言っても自主公演ではないので、能楽堂チケット・ブースには殆ど残っておらず、ぴあの方が良かったのかも知れない。いずれにしろ、5流派揃っての本格的な能の公演は少ないので、貴重な舞台である。

   7時から、サントリーホールで、都響定期公演があるので、直接劇場に行くことにした。
   北参道からメトロに乗って、永田町で南北線に乗り換えて、溜池山王に向かった。
   ホール前のカラヤン広場には、クリスマスのイルミネーションが点灯していた。

   私の定期公演チケットは、東京文化会館なのだが、11月には、丁度、大阪に行って文楽「仮名手本忠臣蔵」を観たので、行けなくて、振替で、サントリーに来たのである。
   今回の公演は、チェコの若き指揮者ヤクブ・フルシャ指揮で、ピアノ独奏ゲルハルト・オピッツのバルトーク「ピアノ協奏曲第2番」、休憩後、コダーイの「ガランタ舞曲」とバルトーク「中国の不思議な役人」組曲。
   オピッツの舞台は久しぶりで、弱音の美しさは格別で、ダイナミックな演奏の迫力には全く衰えがなく、大変な熱演であった。
   
   「ガランタ組曲」は、ロマの音楽、すなわち、ジプシーの音楽を素材にしたとかで、非常にエキゾチックで、どこか東洋の香りがする美しい音楽であった。
   ブダペストには、ベルリンの壁崩壊前後に何回か行っており、レストランやクラブで、ジプシー・バイオリンなどジプシー音楽を聞いており、非常に懐かしく感じた。
   一度、ブダペストで、ジプシーたちがあっちこっちから集合して祝っていた大掛かりなお祭りを観たことがあるのだが、遠くインドから、ハンガリー、そして、あのカルメンのスペインまで、ジプシーの世界は広がっている。
   ロマの音楽には、東洋の香りは勿論、いろいろな国や民族の音色が含まれているのも当然なのであろう。  

   最後の「中国の不思議な役人」は、3人のならず者が女に客を取らせて金品を奪おうとする娼家を舞台にした不埒なテーマの音楽で、とにかく、エロチックなクラリネットの美しさからして興味深いのだが、私には良く分からないながら、大変な迫力の音楽で、客席は大いに沸いていた。
   全部で、正味1時間20分くらいの演奏会だったが、非常に興味深い公演であった。
   
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桂文治襲名披露公演、そして、能・観世流「玄象」

2012年11月17日 | 今日の日記
   芸術鑑賞を、一日に纏めて鑑賞することが多くなったのだが、この日は、昼に国立劇場の寄席・中席の「十一代目桂文治襲名披露公演」と夜の国立能楽堂での定例公演であった。
   両方とも、満席の盛況で、実に充実した舞台の連続で、芸術の秋を堪能させて貰った。

   いつものように、銀座で一仕事をして、三宅坂の国立演芸場に出かけたのだが、少し、開演まで間があったが、威勢の良い前座が始まっていた。
   遅く切符を手配したので、最前列の端の方だったけれど、臨場感があって良かった。

   
   この日、文治が語ったのは、「鈴ヶ森」。
   間抜けな追剥の話で、親方の指導で、初めて鈴ヶ森に出かけて、泥棒デビューを果たすのだが、当然へまをすると言う滑稽噺。鈴ヶ森は刑場の跡だが、今、隣の国立劇場の歌舞伎で、白井権八と幡随院長兵衛とが遭遇する「鈴ヶ森」の場を演じており、引っかけて聴衆を笑わせる。
   豊かな声量と大きな構えが文治の長所だと言われているが、実に愛嬌のある顔をフルに生かして、迫力十分のスケールの大きな語り口で、引き込まれて行く。


   面白かったのは、三遊亭小遊三の「崇徳院」。
   「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢わんとぞ思う」と言う崇徳院の歌を巡っての若い男女の恋煩いの噺である。
   和歌が主題で、面白かったのは、在原業平の「ちはやふる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」をテーマにした「千早振る」なのだが、この三遊亭小遊三が得意とする演目のようで、『小遊三の千早か、千早の小遊三か』と言われた程だと言う。ぜひ聞いてみたとと思っている。

   
   ところで、襲名披露にも登場した桂右團治(女性初の真打 早大法学部の出身)が、次の披露は、高砂や~で文治と並ぶ時だと言っていたが、嘘か本当か、三遊亭小遊三が、襲名披露でプロポーズは初めてと語っていた。
   文治がダメでも、もう一人独身がいて、春風亭 昇太だが、最近、ハムスターと結婚したと、何か訳の分からないことを言って、笑わせていた。

   とにかく、来月は、この演芸場の改装で、休みとなるのだが、桂伸治の「片棒」、夢太郎の「絹の袈裟」など、非常に充実した中席で、非常に面白かった。
   しかし、鈴ヶ森もそうだし、子供をテーマにした「子ほめ」や「初天神」などにしてもそうだが、まだ、落語に通い始めて間もないのに、同じ演題の落語を聞く機会が多いのには、いくら噺家によってバリエーションがあるにしても、一寸、閉口している。

   いつものように、神保町で時間をつぶして、6時半からの国立能楽堂の定例公演に出かけた。
   狂言・大蔵流の「梟」と能・観世流の「玄象」であった。
   「梟」は、修業が足らない山伏が、梟の霊が乗り移った弟を救うために兄に調伏を頼まれるのだが、ボロロンボロロン、いろはにほへとと怪しげな祈祷をして、兄は勿論のこと、自分まで梟に憑りつかれると言うしまらない話である。
   家の中に、茸が生えて困っているのを、山伏に頼んで解決しようとするのだが、未熟ゆえに、どんどん茸が増えてしまう狂言「茸(くさびら)」と同じような話で、どうも、狂言の世界では、ろくな山伏が出て来ないようである。
   この話は、あのディズニーの「ファンタジア」の魔法使いの弟子と同じで、どんどん箒の数が増えていって困るミッキー・マウスの魔法使いの弟子とそっくりで面白い。

   さて、能「玄象」は、琵琶の名手ツレ/藤原師長(観世清和)が修業のために唐へ渡ろうとするのだが、その前に須磨を訪れて名月を鑑賞する。そこに現れた後シテ/村上天皇(梅若元祥)と梨壷の女御の霊が素晴らしい演奏を奏でるので、恥じいった師長が都に帰る話である。
   観世流の頂点とも言うべき長老能役者玄祥が素晴らしいシテを舞い、観世流の宗家清和がツレにまわって、ワキ/師長の従者に人間国宝の宝生閑、アイ/師長の従者としてアイ狂言を語るのが人間国宝の山本東次郎と言う、非常に素晴らしい役者たちが演じる充実した舞台であった。

   能楽鑑賞一年の私には、シテの舞や地謡や囃子の音色で、越天楽の楽の音や素晴らしい琵琶の演奏などをイメージしろと言われても一寸無理な話で、奥深い能の素晴らしさは、まだまだ、殆ど分からないのだが、後シテの終幕の早舞の優雅さなど、少しずつ、瞬間瞬間だが、はっとする感動を覚えるようになってきた気がしている。
   白洲正子の「お能の見方」に、福原麟太郎の「能の秘密」の一文を引用して、理屈抜きの美しさへの感動について書いてあったような気がするのだが、多くを理解しようと思っても無理なので、少しずつ年季を積んで、美しさに感動する瞬間を重ねて行きたいと思っている。

   私は、どうしても、女性の美しさ優雅さを探し求めながら能を観ているところがあるのだが、前回の「普及公演」で見た「賀茂」の後ツレ/天女(武田宗典)の天女ノ舞は、本当に美しいと思って、感激しながら見ていた。
   もう一つ、この「賀茂」で感じたのは、アイ狂言に、人間国宝の野村萬が登場して、ワキ/室明神の神職の人間国宝宝生閑と対話するシーンで、このような脚光を浴びるような場面ではないところでも、全力投球している能舞台の凄さである。
   これまで、狂言方の演じるアイ狂言を、中つなぎの説明くらいにしか思っていなかったのだが、野村萬や山本東次郎の舞台を観ていて、狂言に対する認識を新たにした思いである。
   
   
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国立劇場、神保町、国立能楽堂

2012年10月19日 | 今日の日記
   昨夜、今日の国立劇場の歌舞伎:塩原多助一代記の予習のつもりで、青空文庫の三遊亭圓朝の落語録を読み始めたのだが、思ったよりも長くて(印刷プレビューで125ページ)、寝るのが遅くなり、何時も録画して見ている7時のNHK BS1のワールドWAVEを見て、パソコンのメールなどをチェックするのがやっとで、家を出て東京に向かった。

   国立劇場は、時々開演時間が変わるので厄介なのだが、今日は、何故か、11時半であった。
   圓朝噺を脚色して歌舞伎化した「塩原多助一代記」は、非常に素晴らしい芝居だと思うのだが、客席は大変な空席状態で、惜しい限りで、新橋演舞場の方も、幸四郎と團十郎ダブルキャストの「勧進帳」でも空席が多いと言うのであるから、芸術の秋も、様相が変わって来たのかも知れない。

   圓朝噺は、18話まである延々と続く長い噺なのだが、この歌舞伎は、かなり上手く纏まった芝居になっていて、多助を演じる三津五郎の好演が出色で、中々、感動的である。
   結構、登場人物も多くて、噺が入りこんでいて、筋が複雑であるのを、休憩込の4時間の舞台に仕上げており、省略されたシーンは、登場人物に語らせて補っているので、それ程、原作とは違ってはいない。
   しかし、注意して筋を追っていないと、はじめて一回観ただけでは、登場人物の関わりや後先が分からず、十分に理解するのが難しいのではないかと思った。
   その点、圓朝噺を、完全に読んで出かけたので、私には、良く分かって面白かった。
   この劇評は、後で書くことにしたい。

   6時半からの国立能楽堂の能・狂言まで時間があったので、銀座から東京駅に出て、書店をハシゴして、いつもの様に、神保町に向かった。
   買った本は、最近出た野中郁次郎ほか編著の「ビジネスモデル イノベーション」。
   昨年HBR5月号にでた「The Wise Leader 賢慮のリーダー」の発展版だと思うのだが、日本製造業のイノベーション力も捨てたものではないと言うことであろう。
   もう一冊は、古書店の店頭で300円で売っていた白井さゆり著「欧州激震」。全くの新本である。
   2010年9月刊だから一寸古いのだが、世界的金融危機後に一気にヨーロッパ経済が悪化しはじめた時期に書かれた本なので、当時はどういう解釈だったのかを知りたくて、帰りの電車の中で読み始めたのだが、結構参考になる。

   国立能楽堂は、狂言「雁大名」と能「花筐」。
   狂言は、宴席を張ろうとした大名が、肴を買う金がないので、太郎冠者と語らって、喧嘩を仕組んで、仲裁に入った雁屋から、その隙に雁を盗む話で、こともあろうに、大名は、故郷への土産にふくさまで盗み取る。
   何時もなら、鷹揚で、多少抜けたところのある大名が、今回は、少し狡猾でさかしい話で、歌舞伎とは違って、家来など一人か二人しか居ない貧乏大名が主人公の狂言であるから、こんなところであろうか。
   大名が石田幸男、太郎冠者が萬斎、雁屋が万作の和泉流で、大蔵流では、鴈盗人となっていて廃曲の中に入っていると言う。
   雁を盗られた雁屋が、「南無三宝、雁を外された」と言って切戸口から去って行き、その後、残った二人が、戦利品を見せ合って喜ぶと言う結末なのだが、何か、しっくりしない終わり方で、私にはフラストレーションが残った。

   能「花筐」は、宝生流で、シテ/照日の前 武田孝史。
   皇子が、継体天皇として即位するために、急に上洛したので、寵愛している照日の前に、使い慣れた「花筐」と玉章(手紙)を残して使者に届けさせるのだが、受け取った照日の前は、悲しみに沈み故郷へ帰る。
   後場では、紅葉狩りに行幸中の前を、物狂いとなった照日の前が通り、家来に、侍女の持った花筐を叩き落されたので、天皇の形見だと非難し恋心を訴えて泣き伏す。天皇の前で、舞を命じられた物狂いは、漢の武帝の寵后・李夫人の物語を歌った曲舞を舞う。
   花筐を見た天皇は、物狂いが照日の前だと気付いて、再び傍近く召すこととなり、”尽きせぬ契り、有難き。”で終わる。

   オペラで言えば、狂乱の場で、凄まじいソプラノのクライマックス・シーンで、観客を魅了するのだが、能は至って静寂で、この能は、囃子片のサウンドも非常に控え目で、しみじみとした情感に満ちた舞台が良い。
   ところで、この能は、世阿弥作だと言うのだが、夢幻能とは違った趣で、十分に、芝居の舞台に転換できそうだと思いながら見ていた。
   
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CEATEC:幕張メッセから新橋演舞場

2012年10月02日 | 今日の日記
   今日、幕張メッセで、シーテック12が開幕した。
   我が国のIT・エレクトロニクス業界最大の展示会で、最先端技術などが紹介されるので、外国のメディアなども沢山詰めかけていて、盛会である。
   今回は、「SMART INNOVATION―豊かな暮らしと社会の創造」で、ITとエレクトロニクス関連のイノベーションを駆使してエネルギー効率の高いスマートな社会構築をターゲットにした展示に意欲的な企業が多かった。

   私は、まず最初に、ゲスト・スピーカーのサムスン・エレクトロニクスのハン・カプス専務の「未来型ヘルスケアIT技術における課題」を聴講するために、国際会議場に入った。竹島問題の余波か、会場は6割方の入りで、少しさびしい感じであったが、フロリダ大のPhDとかで、流暢な英語で、最新の問題意識など興味深い話を語って面白かった。
   

   その後、CEATEC展示場に入って、あっちこっちをハシゴして、2時過ぎに会場を離れたのだが、かなり、見学することが出来た。
   口絵写真は、トヨタの一人乗り小型の電気自動車のデモンストレーションだが、女性スタッフが運転台に座って口頭で指示を出せば、それに反応して色々な操作が出来る様子を実演していて、それを沢山のメディアが取材している様子である。
   結局、最早、自動車も、機械エンジン主体のメカニカルなものではなく、完全にITとエレクトロニクス機器に取って代わられてしまった走る電気機械になってしまったと言うことであろうか。

   今回は、家電企業なども、スマート・シティやスマート・タウン、或いは、スマート・ハウスなどスマート化に向けた企業活動に、かなり力を入れて展示をしていた感じである。
   この写真は、東芝のコミュニティエネルギー・マネジメント・システムの展示だが、コミュニティ単位で、エネルギーを見える化して効率を図ろうと言う試みだが、スマートグリッドとも相通じるコンセプトであるが、まだ、日本には、先日紹介したジェレミー・リフキンの、分散システムで各個別企業や各家庭が、分散型のグリーン・エネルギー発電所となって、第三次産業革命を起こすと言った発想はなさそうである。
   

   ところで、私の興味のあるオーディオ・ビジュアル関連展示は、派手なディスプレイの割には消極的で、昨年主流であった3Dなどは殆ど影を潜めていて、パソコンなども、タブレットなどの陰に隠れて殆ど見えなかった。
   ソニーのブースで、フルHDの4倍の解像度と迫力のあるサウンドの84V型4K対応の液晶テレビが展示されていて、確かに素晴らしいとは思ったが、40インチ程度の家庭用テレビが普通の庶民には、そのイノベーションがどれ程の意味があるのか、良く分からなかった。
   何時も思うのだが、ソニーは、このような技術深掘りの持続的イノベーションばかりに力を入れていては、ダメで、人をびっくりさせてワクワクさせるようなものを生み出さないと明日は暗い。
   

   2時半頃に、幕張本郷駅から東京に向かった。
   4時からの歌舞伎公演に間に合うように、新橋演舞場に向かったのだが、東京駅に着いたのが少し早かったので、運動不足解消のために歩くことにした。
   八重洲ブックセンターに寄りたかったのだが、時間が足らなかったので、銀座を通り抜けて、歌舞伎座の方に向かい、途中で、書店に立ち寄って、土屋恵一郎の宝生閑聞き書き「幻視の座」を買った。
   歌舞伎は、梅玉の「御所五郎蔵」と幸四郎と團十郎の「勧進帳」で、非常に面白かったが、染五郎休演の為か、かなり、空席が目立った。
   4時開演で、上演時間が短かったので、終演が7時45分と言うことで随分早く終わったのだが、トータル4時間以内と言うのが良いのかも知れないと思った。


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国立演芸場から都響定期演奏会

2012年09月20日 | 今日の日記
   残暑も最後だと天気予報が言っていたのだが、9月も下旬だと言うのに、まだ暑い。
   午後のひと時を涼むには、寄席が格好と、中席も千秋楽の国立演芸場に出かけた。
   普通は、インターネットか電話で予約を入れるのだが、インターネットでは空席が多かったので、直接演芸場に行ったら、やはり、端境期と言うのか、かなり空いていて、久しぶりに被りつきに席を占めた。

   落語が主体で、前座、二つ目、真打と続くのだが、年期を積むと、流石に上手い。
   文楽の大夫も、一人で、ナレーションからあらゆる登場人物の声音を演じるのだが、どちらかと言えば、浄瑠璃語りなので芸術的でニュアンスが大分違うのだが、落語の場合には、実生活における実人物の語り口であるから、リアルで臨場感がなければならず、女であろうと子供であろうと方言であろうと、それが、舌を巻く程上手なので、何時も引き込まれて聞いている。
   それに、話術の冴えと言うのか、メインの古典に入る前に、噺家自身が編み出したカレントトピックスなどを交えたまくらが語られ、これに噺家の個性が滲み出ていて面白い。

   
   トリは、三遊亭歌司で、「百川」。
   六代目圓生の作だと言うが、江戸時代の話なので、四神剣などと言う風俗や時代背景など多少分かっていないと一寸難しい。 
   田舎出の百兵衛が、葭町の口入屋・千束屋の斡旋で、浮世小路の百川楼に来た。二階で手が鳴ったが、女中連中は髪をほどいて接客が出来なかったので、主人が、百兵衛に御用を聞いて来てくれと、気の荒い河岸の連中だから丁寧にと釘を差して二階に上がらせたのが、問題の発端。
   「ワシはこのシジンケ(主人家)のカケアイ(抱え)人で・・・」と自己紹介したのを、早呑み込み、早合点した初五郎が「四神剣の掛け合い人」と聞き違えて、去年の祭りで金を使いすぎて、祭具の四神剣を質に入れてしまったのを、隣町から掛け合いに来たのだと早とちり。上座に据えて、顔を潰さないようにするから、すべて飲み込んでくれととクワイを喉に詰まらせるなど騒動が起こるが、雇人と分かる。
   次に、百兵衛は、長谷川町・三光新道に常磐津の歌女文字(かめもじ)を連れて来い、「三光新道に”か”の字のつく名高い人だと言えば直ぐに分かる。」と言われて、やっとの事で三光新道を探し当て、「”か”の字のつく名高い人」と尋ねると「それは外科医の鴨池玄林(かもじげんりん)先生だ」と教えてくれた。「河岸の若い方が、今朝(けさ)がけに4,5人き(来)られやして、先生にちょっくらおいでを願えてちゅうでがすが・・・」と言ったのを、取次ぎ人はこれ聞き違え、鴨池先生に、「若い者が、4、5人袈裟がけに斬られた」と取り次いだので、「手遅れになるといかんから焼酎1升と白布を五六反、鶏卵を20程用意をしておくように」と言い伝えて薬籠箱を持って先に帰えらせる。
   そこへ鴨字先生がやって来て、「怪我人はどこにおる」「なにか、お門違いでは」「「いや、門違いではない。薬籠が来ておる」と頓珍漢の対応。
   百兵衛が間違えたのだと分かり、連中は百兵衛を呼び出し、「抜け作だよ。お前は」、「名前は百兵衛だよ」、「名前を聞いているんじゃない。抜けているから、抜けさくだ」、「どのくらい?」、「どのくらいじゃない。みんな抜けてらぁ~」
百兵衛(指を折りながら) 「か・め・も・じ・・・か・も・じ・・・いやたんとではねえ、たった一字だけだ」

   ところで、この百川は、三越近くにあった江戸屈指の懐石料亭で、黒船来航の折には、江戸城での乗組員全員に本膳を出して、一千両を請求したと言うから驚きである。
   しかし、とにかく、この話は、結構高度な話術の技を使った落語で、生粋の江戸っ子と方言丸出しの田舎者のコミュニケ―ションのトラブルが発端で、作法を知らない田舎者と、何も分かっていないのに早とちりして物知り顔でどんどん話を進めて行く短気な江戸っ子とのボタンの掛け違いなど、非常に面白い。

   歌司は、冒頭に、「また、同じ話か」と言う客がいるが、「また、同じ話を聞けた」と長生きを喜んで噺を聞いてほしいと言っていたのだが、確かに、芸能や芸術では、同じ出し物をもう一度見たい聞きたいと思うのと、そうではないものがある。
   差し詰め、オペラの「カルメン」や歌舞伎の「忠臣蔵」などは、客を呼び込むための恰好の演目だと言うので、前者の部類であろうが、人気絶頂の千両役者の舞台なども、何回も見たい聞きたいの部類であろう。
   オペラの場合には、大体、同じ歌劇場が連続して同じ公演を続けることがなくて、ソリストなどはある程度固定していても、指揮者やオーケストラなど劇団が変わるので、新鮮味が加わり、それ程抵抗はない。
   しかし、最近、歌舞伎の舞台あたりで、マンネリ感が強くなってきたのが気になり始めている。

   
   演芸場を出て、銀座に立ち寄って小休止して、何時ものように、神田神保町に向かった。
   私の歩くのは、メトロの神保町駅の九段下方向の出口から出て、三省堂まで歩くコースで、その間に、行きつけの古書店を何軒かハシゴする。
   買った本は、スチュアート・L・ハートの「未来をつくる資本主義」。ほんの3年をおいての改訂版だが、私の尊敬するプラハラードやクリステンセンを継承する学者の本で、私の講義用にも非常に参考になる本である。
   適当に夕食を済ませて、上野に向かった。

   この日の東京都交響楽団の定期公演の演目は、エリアフ・インバル指揮によるマーラー・チクルスの第一回目で、
   「さすらう若人の歌」と交響曲第1番 ニ長調 「巨人」である。
   最近でこそ、マーラーやブルックナーなどの大曲の人気が高く、全交響曲演奏などが行われているが、もう、殆ど半世紀ほども前に、私が、やっとクラシック音楽に興味を持ち始めた頃には、マーラーでさえ、演奏会のプログラムに組まれることは殆どなかった。
   私は、やはり、ユダ人の血がそうさせるのか、当時は、バーンスティン指揮ニューヨーク・フィルのマーラーのレコードが圧倒的な人気で、「巨人」や「大地の歌」あたりから聞き始めた。
   マーラーの交響曲の演奏会に接するのは、海外に出てからで、フィラデルフィア管弦楽団やロイヤル・コンセルトヘヴォー管弦楽団、ロンドン交響楽団、ニュー・フィルハーモニアあたりである。
   ベルリン・フィルだったか、コンセルトヘヴォーだったか忘れたが、ベルナルド・ハイティンクのマーラーが印象深かったのを覚えている。
   マーラー歌曲「さすらう若人の歌」や「子供の不思議な角笛」「亡き子を忍ぶ歌」などは、演奏会のプログラムに挿入される感じで、オペラ歌手の別な側面からの魅力を味わえて良かった。

   「さすらう若人の歌」は、「ぼくのあの娘が式を挙げる」と言う第1曲からはじまる失恋の歌で、哀調を帯びた悲しくてどこか世紀末的な香りの強い歌を、バリトンの小林輝彦は、実に誠実に切々と歌って胸を打つ。
   「巨人」は、私の青春時代の思い出の詰まった音楽であり、久しぶりに聞くのだが、実に懐かしく感激であった。
   マーラーの指示のように、最初は、ゆっくりと引きずるように、・・・力強い動きを持って、・・・厳かに威厳を持って・・・嵐のように激しく・・・終わる素晴らしい音楽で、金管木管の素晴らしい囁きと咆哮が色彩豊かであり華麗そのもの。
    良くもここまで素晴らしい演奏を!
    インバルの薫陶を受けた東京都交響楽団のまさに圧倒的な名演であった。

    8時40分終演、実に早く終わったので、千葉に帰るのも楽である。
    こう言う気持ちの良い時は、読書も捗るもので、京成の車内で、ジェレミー・リフキンの「第三次産業革命」をじっくりと味わいながら読むことが出来た。
   
   




 
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今日の日記・・・台風襲撃、国立演芸場から都響定期

2012年06月19日 | 今日の日記
   四国沖にある台風4号が、午後、東海地方に上陸して、深夜に関東地方に最接近すると言う。
   しかし、今日は、落語とクラシックコンサートのチケットを手配済みであり、帰りの交通を気にしながら、早朝に仕事を片付けて、遅い午前中の京成に乗って、東京に向かった。
   車中で、HBRのポーターとリブキンの「それでもアメリカ経済は成長する」を読んでいて、非常に興味深かったので、快速に乗っているのを忘れてしまって、船橋で乗り換えるのをミスって、乗り過ごしてしまった。
   どっちでも良いのだが、寄り道の予定があったので、結局、引き返して時間をロスした。
   
   半蔵門で地上に上がったところで、台風接近か、土砂降りの雨となり、這う這うの体で演芸場に辿り着く。
   少し早くて、前座の女講談師の話が終わるところであったが、結構かなりの客は、ロビーで寛いでいるところはやはり寄席で、本舞台が始まっても客席に入らずに、モニターをちらちら見ながら、ここで、知り合いと雑談している人もいて、寄席の楽しみ方の片鱗を見た感じである。
   国立演芸場の定席は、大人2000円、シルバー1300円で楽しめるのであるから、お年寄りにとっては恰好の社交場なのかも知れない。

   この演芸場は、やはり、落語が主体で、漫才人気の方が高い関西と違って、江戸落語と言うか、古典芸能における語りの素晴らしさは、浄瑠璃の世界と一脈通じるような感じで、一人の演者が、七色の声(?)で、多彩なキャラクターを演じ分け、それに、表情豊かに器用に芸も演じ、そして、しんみりと語りかける芸の味わいに、少しずつ魅かれ始めている。
   取りをとったのは、三笑亭可楽で、お馴染みの「笠碁」であった。
   碁敵の老人二人が、今日は待ったなしでやることにしようと言うことで、初めは快調に指していたのだが、一寸間違えたので待ったの口実を並べて頼むが認められないので、腹いせに、三年前の借金の話を持ち出して、互いに感情的になり「出て行け」「二度と来るか」と喧嘩別れ。
   三日ほど経った雨の日、二人とも碁を打ちたくて仕方がない。結局、口実をつけて出かけようとすると、傘は使っちゃだめだとカミさんに止められ、仕方なく、富士登山の笠を被って出掛け、一方も、碁盤を軒先にこれ見よがしに並べて、お茶と羊羹を用意して待っている。
   とどのつまりは、二人は待ちに待った碁盤を挟んで対局。
  「あれ、碁盤の上に雨が漏ってるぞ」「ありゃ、あんた、笠かぶったままだよ」
   もう、70代も半ばの可楽師匠が、実に巧妙に、碁を打ちたくて仕方のない碁敵(他の人ではダメで余人をもって代えがたき相手)の心理の奥底を抉り出して、その対決に、何とも言えない程の滋味があって味わい深い。
   趣味が、ハワイアン、フルートと言うから面白い。

   神田松鯉が、講談で、水戸徳川家の初代徳川頼房の長男徳川頼房の数奇な誕生と幼少の頃の話をしていて、非常に面白かった。
   実際に伝承されている話とは違って、修行の身の頼房が、世話係の美女に生ませた子供が、肉親を失って貧乏長屋で食うか食わずの生活を送るも、頼房の残した蘭奢待の香と短刀と書付が証拠となり出世する話だが、これなど、結構、面白い歌舞伎の舞台になりそうである。
   もう一つ面白かったのは、北見伸&スティファニーの奇術で、一番前の席に座って見ていたのだが、全く、種も仕掛けも想像がつかなくて、奇術や手品を見ると、何時も、フラストレーションが残る。
   それにしても、アシスタントのスティファニーの3人娘は、実に、可愛い美人揃いである。

   帰りに、演芸資料展示室で、「芝居噺と噺家芝居」展示を見た。
   噺家の芝居なのだから、素晴らしいと思うし、今の落語の舞台でも、話によっては、照明の変化で劇的効果を上げているし、舞台のスクリーンやセットを変えれば、芝居のような効果は十分に演出できる。
   圓朝の芝居噺なども非常に興味深い展開だが、先の講談や、他の古典芸能の世界との境界や接点あたりに、面白い芸の空間がありそうに思った。
   最近、能、狂言、落語等に鑑賞機会を広げたのだが、夫々がシナジーと言うか増幅効果的に理解や関心が深まって行くようで嬉しい限りである。


   この後、東京文化会館の東京都交響楽団の定期公演7時開演まで時間があったので、銀座に向かって、都民芸術劇場に立ち寄り、その後、八重洲ブックセンターに行き、東京駅地下街に入った。
   良く行く八重洲古書館が来月閉店すると言う。かなり固定客が居たようだが、やはり、営業不振なのだろうが、どんどん、書店が消えて行く。
   新古書の司馬遼太郎対談集「東と西」を300円で買ったが、どこか探せば私の書斎にある筈だが、まず出て来ないであろうし、桑原武夫やライシャワーとの対談を読むだけでも値打ちがある。

   その後、神保町に向かった。
   雨が激しいので、店頭のワゴンは出ていないが、何時もの通り、三省堂から、行きつけの古書店を回るだけだが、これが、結構楽しくて情報源にもなっているのである。
   小宮山書店の店頭で、ウォルター・アイザックソンの「キッシンジャー 上下」を見つけた。
   今一世を風靡しているベストセラーの「スティーブ・ジョブズ」の著者で、詠み忘れていた本であり、完全な新古書なので、文句なく手が出た。
   定価5800円が、800円だから考えられない特価だが、この本屋では、店の専門ではない本が、時々、間違ったように並ぶことがあり、先日も、ミンツバーグの戦略的経営論の「戦略サファリ」が、1000円で売っていた。
   古書店での楽しみは、新本の書店では殆ど売っていないような貴重な本で、読み忘れていた本を、何かの拍子に見つけられることである。

   東京文化会館に着いたのは、6時半。
   この日の演奏は、大野和士指揮、ヴァイオリンは庄司紗矢香、曲目は、シェーンベルク「浄められた夜 作品4」、シマノフスキ「ヴァイオリン協奏曲第1番 作品35」、バルトーク「管弦楽のための協奏曲」であった。
   どちらかと言うと、私には馴染みの薄い曲だったが、興味深かったのは最初のシェーンベルクで、昔、コンセルトヘボーの近代曲シリーズ定期公演以降、ロンドンに移ってからでも、12音階のシェーンベルクばかり聞いて嫌気が差していたのだが、これは、初期の作品とかで、至って古典派的ですんなりと聞けたのである。
   シマノフスキは、ピアノやハープが活躍する面白い協奏曲で、庄司紗矢香のヴァイオリンが、実に豊かに歌っていて美しい。
   
   今、小澤に次いで、最も世界的な評価の高い大野和士の演奏だから、観衆の方も乗っていて、熱気さえ感じる。
   休憩後のバルトークだが、オーケストラの各セクションのソロが協奏曲風に演じる興味深い曲だったが、終わりが予定の9時10分を過ぎたので、マナー違反であり、全く申し訳ないと思ったが、私は席を立った。
   出来れば聴きたいが、どうしても中座せざるを得ない、こんなことは、欧米に居た時には、結構沢山あったので、両方の妥協点まで、居るのだが、何時もは、休憩の時に断念して切り上げる。この日は、終演9時10分と書いてあったし、いつも、タクトを振りおろして指揮者が退場するとすぐに席を立つことにしているので、多少それよりは早いであろうと思って甘えてしまったのが悪かった。
   幸い、1階の最後列で、私の横片側は全部空席だったので、殆ど迷惑をかけずに退出できたと思う。後数分くらいだったと思うのだが、
   外は、台風接近の大嵐で、あっちこっちで運転を見合わせる交通機関が出ており、9時20分発のスカイライナーに乗れなければ、風雨に弱い京成であるから、何時運転停止となり、いつ帰れるか分からなくなる。大体、平日は、銀座、日本橋、新橋方面優先で、上野本線など、夜9時以降は、まともに八千代や佐倉方面に向かう急行さえ殆どないと言うダイヤの組み方で、全く顧客軽視・サービス欠如の営業なのである。

   文化会館から京成上野まで、傘など差せる訳がないのでびしょ濡れになってスカイライナーに駆け込み、席についてほっとして、先ほどの「東と西」の桑原武夫の章を読みはじめた。
   最も風雨の激しい時に、どうにか大過なく帰れた。
   今までは大体、台風来襲の予報があれば、余程の事がなければ、すべてキャンセルして出かけなかったのだが、まさか、今回のようにはるか遠方にあった台風が、まともに、そんなに早く来るとは思わなかったのである。
   
   
   
   

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今日の日記・・・東大から国立能楽堂

2012年05月24日 | 今日の日記
   今日、午前中は、書斎に篭って、論文作成のために、パソコン相手に資料整理に没頭し、早い昼食を済ませて東京に出た。
   京成とメトロを乗り継いて、本郷三丁目に着いたのは、午後一時をはるかに回っていて、東大法文1号館25番教室にたどり着いた時には、杉本和行(元財務事務次官)氏の「ユーロをめぐる問題についての法的側面を含めた考察」の講義は、始まっていた。
   この講義は、「東京大学ビジネスローセンター(BLC)公開講座」で、殆ど毎月一回くらいのペースで、法学関連の時宜を得たトピックスで、その道のオーソリティが登壇して講義を行なっているので、時折受講して勉強させて貰っている。
   東大では、他にも、色々な組織が公開講座を開いていて、非常に勉強になるので、若い学生たちに混じって勉強しているのだが、京都やフィラデルフィアでの学生生活を思い出しながら、その雰囲気を楽しんでいる。

   この日の杉本和行氏の講義は、正に、超一級と言うべき密度の高い内容で、経済学的な講演が多い中では、法的な側面をも重視した両面からの分析と掘り下げ、それに、実際にヨーロッパでの経験を交えての講義なので、非常に勉強になった。
   私は、いずれにしても、ギリシャの将来については、絶対に必要な経済成長を実現する能力を殆ど喪失してしまっていて、いくら足掻いても、今のままでは、プライマリバランスさえプラスに出来ないような状態に陥ってしまっているので、自力での再生は無理で、EUが、ギリシャ問題を抱えている限り、相当長い間、EU経済の好転は有り得ないと思っている。

   東大から本郷三丁目までの間で、目立つのは、古本屋(医学書等難しい本が多い)、古風な喫茶店、和菓子屋、それに、よく分からないが、これで商売になっているのかと思うような店が、結構あることである。
   一度時間があれば、神田明神や湯島天神を抜けて、上野の杜あたりまで、歩こうと思っている。

   18時開演の国立能楽堂での企画公演「老体で見る高砂」まで、時間があるので、神保町に出た。
   時間があると、いつも間違いなしに、神保町に出て、三省堂から古書店をハシゴするのである。
   経済、経営、政治、社会、歴史、文化と言った関連本に興味があるので、いつも行く店は決まっているのだが、最近は、能楽や狂言、それに、落語関係の本にも興味を持ち出したので、歌舞伎や文楽関係で行っていた店で、過ごす時間が長くなった。
   今日買った本は、
   エリック・リース著「リーン・スタートアップ」 これは、今話題の経営学書である。
   北康利著「吉田茂の見た夢 独立心なくして国家なし」 あまりにも、政治が貧困なので、サンフランシスコ講和条約で日本独立を達成した骨太の宰相を忍びたいと思ったのである。

   いつも、遅刻をするので今日は早めに、能楽堂へ向かった。
   国立劇場には、夫々の独特の雰囲気があるのだが、能楽堂が、やはり、一番、日本的な佇まいが濃厚で、気持ちが良い。
   中庭の日本庭園等、休憩の時間等に出て寛ぐのに、格好である。
   展示室で、「能楽入門」と言う特別展示をしていて、能装束や能面、扇等が沢山並んでいて、興味深く鑑賞させてもらった。

   この日の公演は、本来の後シテの住吉明神は若い神なのだが、世阿弥が、高砂(相生)を老体にジャンル分けしていたので、老体で演じようという新趣向の意欲的な舞台である。
   シテを演じるのは、重鎮の梅若玄祥。私は、このブログでもブックレビューを書いたが、玄祥氏の本「梅若六郎家の至芸」と「まことの花」を読んでファンになっており、是非、実際の舞台を観たいと思っていたので、今回は、正にチャンスであった。
   能「高砂」は、昨年の12月に、金春流の櫻間右陣のシテの舞台を観ているのだが、何しろ、殆ど最初の能楽鑑賞なので、殆ど覚えていない。
   今回は、事前に、馬場あき子さんの「能の世界」の「祝禱の舞 高砂」林望の「これならわかる、能の面白さ」の「名曲に匿された意味「高砂」」などを読んで多少勉強して行ったし、それに、公演の前半で、馬場あき子と天野文雄の対談があって、解説されていたので、大分、舞台をじっくり観ながら、楽しませてもらった。
   どこが、本来の「高砂」と違っているのか、その差については、良くわからなかったが、特に、後シテの玄祥の住吉明神の終曲の舞の輝くような荘厳さ、その気迫と優雅さに感激して見ていた。

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