昼の部は、何と言っても仁左衛門の菅丞相が突出した舞台で、この神性を帯びた崇高とも言うべきキャラクターが、最も重要であろう。
菅原道真については、史上、色々な解釈があり、死後に、天変地異が多発したので、朝廷に祟りをなしたとして、天満天神として信仰の対象となったとされているが、神様であることには間違いないので、観客にとっては、やはり、俗物的な舞台であってはならないのであろう。
京都北野の天満宮や大宰府天満宮を訪れたことがあるが、梅の季節には、境内は輝いているし、学問の神様でもあるので、多くの受験生が訪れて、熱心に絵馬を書いて奉納している。
ところで、「筆法伝授」や「道明寺」のように神様のような丞相ではなく、この「菅原伝授手習鑑」でも、今回は省略されているのだが、「天拝山の段」が、「道明寺」と「寺子屋」、正確に言えば、「桜丸切腹」と「寺入り」の間にあって、丞相が、落ちぶれた都落ち姿で白太夫にともなわれて安楽寺に向かい、その途中で、時平の謀反の企みを知って、形相を一変させて、帝を守護するために雷神となって都へ飛んで行くシーンがある。
先の文楽の通し狂言では、雷神と化した天神様を、玉女が、高みに上って猛々しく豪快に演じていて、ニュアンスの違った丞相を見て興味深かった。
半世紀前に、国立劇場の舞台で、市川中車がこの天拝山の菅丞相を演じたようだが、仁左衛門なら、どう演じるであろうか、興味のあるところである。
さて、夜の部は、「車引」「賀の祝」「寺子屋」であり、昼の部と同様に、非常に中身の詰まった重厚な素晴らしい舞台が演じられていて、楽しませてくれる。
特に、夜の部は、ベテラン歌舞伎俳優の出演が少なくなって、菅丞相の染五郎を筆頭にして、梅王丸の愛之助、桜丸の菊之助、武部源蔵の松緑、八重の梅枝、戸浪の壱太郎などの中堅・花形が、大車輪で大活躍する非常にフレッシュで意欲的な舞台が展開されていて、非常に面白い。
「賀の祝」は、
白太夫(左團次)の七十歳の賀を祝う宴に、三つ子の兄弟が夫々の妻を伴って集まる筈だったが、桜丸だけ現れない。宴が終わって、桜丸の妻八重だけを残して両夫婦が帰った後で、悲壮な面持ちで桜丸が登場する。
斎世親王と苅屋姫の逢引きをアレンジして、それが発覚して菅丞相の追放の因を造った罪を感じて、切腹するつもりで、暇乞いに来ていたのである。
断腸の思いで運命を悟った白太夫と動転する八重を残して、従容と死に着く桜丸。
悲劇の舞台である。
この「桜丸の切腹の段」を、引退狂言で、住大夫は、一世一代の名演を残して舞台を去った。
心の動揺を押し殺して従容と死に直面する菊之助の立ち居振る舞い、そして、確かな発声法と話術の冴え、大きく羽ばたく大役者の貫録と器量の片鱗を見せた素晴らしい舞台が感動的である。
それに、梅枝の八重が、また、瑞々しくも情感たっぷりの芝居で応えていて、魅せてくれる。
「賀茂堤」での二人の新鮮な演技にも、ほんわかとした夫婦の触れ合いを感じて興味深かったが、菊之助と梅枝の進境著しい舞台を観た感じであった。
勿論、白太夫の左團次の円熟した芸のサポートヨロシキも得た。
「寺子屋」は、いわば、「菅原伝授手習鑑」の代名詞のような代表的な舞台で、「寺入りの段」から、悲痛ないろは送りの終幕まで、正に、感動的な舞台で、いつ見ても、非常によく書かれた舞台だと思って観ている。
三兄弟の内、松王丸だけが、時平の舎人で、敵方であり激しく梅王丸や桜丸と諍うのだが、心の底では、ご恩のある菅丞相に報いることが出来なくて悩んでいる。
しかし、この「寺子屋」で、松王丸は、菅丞相がいみじくも認めてくれた「何とて松のつれなからうぞ」を証明して、恩を返す。
時平の家来が襲おうとした北嵯峨の隠れ家から、園生の前(高麗蔵)を、救い出して匿っておき、菅秀才に対面させると言うのは、菅丞相に対する忠義の証だが、
この舞台では、菅秀才の首を差し出せと命じられた源蔵に、身替わりとして、実子小太郎を寺子として差し出すと言う子供を犠牲にして、菅秀才の命を救って、忠義を果たす。
今の世の中では、「あほとちゃうか」と言うことだが、忠君愛国の封建時代では、美徳であった。
この芝居で、主の御曹司の首を差し出せと言われて、傷心して帰って来た源蔵が吐く「せまじきものは宮使え」と言う名せりふに対応して、
松王丸が、「松はつれないつれない」と世間から言われ続けて、源蔵に語るのが、倅がなくば何時までも人でなしと言われんに、「持つべきものは子なるぞや」と言う言葉。
これが、この芝居のメイン・テーマであるだけに、名調子のいろは送りの葬送シーンが、実に悲しくて切ない。
この「寺子屋」については、幸四郎や吉右衛門の舞台や、文楽の舞台について書いて来たので、蛇足は避けたい。
父幸四郎や叔父吉右衛門の得意とする松王丸を染五郎が演じたのであるから、微妙な差はともかく、その伝統と決定版とも言うべき芸を継承した舞台は、流石である。
お小姓弥生を演じ、近松の大坂の優男を演じて名優ぶりを発揮する染五郎が、先の弁慶に続いて、スケールの大きな松王丸を演じ切っているのであるから、流石である。
武部源蔵を演じる松緑だが、これまで見ていた富十郎はじめベテラン俳優の重厚な演技と比べて、非常に芝居がかった演技で、一寸違和感を感じたのだが、後で、松緑のこのようなその場その場のシチュエーションをメリハリを付けて強調した演技の方が、正解なのかも知れないと思い始めた。
とにかく、新鮮な感覚の芝居であった。
先日も書いたが、源蔵の妻戸浪を演じた壱太郎も実に上手い。
染五郎や千代の孝太郎などは、これまでの伝統的な演技だが、今回の松緑と壱太郎のモダンと言うかフレッシュな夫婦像も面白かった。
菅原道真については、史上、色々な解釈があり、死後に、天変地異が多発したので、朝廷に祟りをなしたとして、天満天神として信仰の対象となったとされているが、神様であることには間違いないので、観客にとっては、やはり、俗物的な舞台であってはならないのであろう。
京都北野の天満宮や大宰府天満宮を訪れたことがあるが、梅の季節には、境内は輝いているし、学問の神様でもあるので、多くの受験生が訪れて、熱心に絵馬を書いて奉納している。
ところで、「筆法伝授」や「道明寺」のように神様のような丞相ではなく、この「菅原伝授手習鑑」でも、今回は省略されているのだが、「天拝山の段」が、「道明寺」と「寺子屋」、正確に言えば、「桜丸切腹」と「寺入り」の間にあって、丞相が、落ちぶれた都落ち姿で白太夫にともなわれて安楽寺に向かい、その途中で、時平の謀反の企みを知って、形相を一変させて、帝を守護するために雷神となって都へ飛んで行くシーンがある。
先の文楽の通し狂言では、雷神と化した天神様を、玉女が、高みに上って猛々しく豪快に演じていて、ニュアンスの違った丞相を見て興味深かった。
半世紀前に、国立劇場の舞台で、市川中車がこの天拝山の菅丞相を演じたようだが、仁左衛門なら、どう演じるであろうか、興味のあるところである。
さて、夜の部は、「車引」「賀の祝」「寺子屋」であり、昼の部と同様に、非常に中身の詰まった重厚な素晴らしい舞台が演じられていて、楽しませてくれる。
特に、夜の部は、ベテラン歌舞伎俳優の出演が少なくなって、菅丞相の染五郎を筆頭にして、梅王丸の愛之助、桜丸の菊之助、武部源蔵の松緑、八重の梅枝、戸浪の壱太郎などの中堅・花形が、大車輪で大活躍する非常にフレッシュで意欲的な舞台が展開されていて、非常に面白い。
「賀の祝」は、
白太夫(左團次)の七十歳の賀を祝う宴に、三つ子の兄弟が夫々の妻を伴って集まる筈だったが、桜丸だけ現れない。宴が終わって、桜丸の妻八重だけを残して両夫婦が帰った後で、悲壮な面持ちで桜丸が登場する。
斎世親王と苅屋姫の逢引きをアレンジして、それが発覚して菅丞相の追放の因を造った罪を感じて、切腹するつもりで、暇乞いに来ていたのである。
断腸の思いで運命を悟った白太夫と動転する八重を残して、従容と死に着く桜丸。
悲劇の舞台である。
この「桜丸の切腹の段」を、引退狂言で、住大夫は、一世一代の名演を残して舞台を去った。
心の動揺を押し殺して従容と死に直面する菊之助の立ち居振る舞い、そして、確かな発声法と話術の冴え、大きく羽ばたく大役者の貫録と器量の片鱗を見せた素晴らしい舞台が感動的である。
それに、梅枝の八重が、また、瑞々しくも情感たっぷりの芝居で応えていて、魅せてくれる。
「賀茂堤」での二人の新鮮な演技にも、ほんわかとした夫婦の触れ合いを感じて興味深かったが、菊之助と梅枝の進境著しい舞台を観た感じであった。
勿論、白太夫の左團次の円熟した芸のサポートヨロシキも得た。
「寺子屋」は、いわば、「菅原伝授手習鑑」の代名詞のような代表的な舞台で、「寺入りの段」から、悲痛ないろは送りの終幕まで、正に、感動的な舞台で、いつ見ても、非常によく書かれた舞台だと思って観ている。
三兄弟の内、松王丸だけが、時平の舎人で、敵方であり激しく梅王丸や桜丸と諍うのだが、心の底では、ご恩のある菅丞相に報いることが出来なくて悩んでいる。
しかし、この「寺子屋」で、松王丸は、菅丞相がいみじくも認めてくれた「何とて松のつれなからうぞ」を証明して、恩を返す。
時平の家来が襲おうとした北嵯峨の隠れ家から、園生の前(高麗蔵)を、救い出して匿っておき、菅秀才に対面させると言うのは、菅丞相に対する忠義の証だが、
この舞台では、菅秀才の首を差し出せと命じられた源蔵に、身替わりとして、実子小太郎を寺子として差し出すと言う子供を犠牲にして、菅秀才の命を救って、忠義を果たす。
今の世の中では、「あほとちゃうか」と言うことだが、忠君愛国の封建時代では、美徳であった。
この芝居で、主の御曹司の首を差し出せと言われて、傷心して帰って来た源蔵が吐く「せまじきものは宮使え」と言う名せりふに対応して、
松王丸が、「松はつれないつれない」と世間から言われ続けて、源蔵に語るのが、倅がなくば何時までも人でなしと言われんに、「持つべきものは子なるぞや」と言う言葉。
これが、この芝居のメイン・テーマであるだけに、名調子のいろは送りの葬送シーンが、実に悲しくて切ない。
この「寺子屋」については、幸四郎や吉右衛門の舞台や、文楽の舞台について書いて来たので、蛇足は避けたい。
父幸四郎や叔父吉右衛門の得意とする松王丸を染五郎が演じたのであるから、微妙な差はともかく、その伝統と決定版とも言うべき芸を継承した舞台は、流石である。
お小姓弥生を演じ、近松の大坂の優男を演じて名優ぶりを発揮する染五郎が、先の弁慶に続いて、スケールの大きな松王丸を演じ切っているのであるから、流石である。
武部源蔵を演じる松緑だが、これまで見ていた富十郎はじめベテラン俳優の重厚な演技と比べて、非常に芝居がかった演技で、一寸違和感を感じたのだが、後で、松緑のこのようなその場その場のシチュエーションをメリハリを付けて強調した演技の方が、正解なのかも知れないと思い始めた。
とにかく、新鮮な感覚の芝居であった。
先日も書いたが、源蔵の妻戸浪を演じた壱太郎も実に上手い。
染五郎や千代の孝太郎などは、これまでの伝統的な演技だが、今回の松緑と壱太郎のモダンと言うかフレッシュな夫婦像も面白かった。