東京国際フォーラムで日経主催・日立共催のe-Japan 2006で、全日空の大橋洋治会長が「アジアNo.1の航空会社を目指して」と言う演題で、1時間に亘って講演を行った。
先に、日航が株主のみならず会社法まで無視して公募増資の暴挙に出た後なので、非常に新鮮な気持ちで大橋会長の講演を聞くことが出来た。
2009年には、羽田の滑走路が増設され1.6倍に拡張されるのでこれを「航空ビッグバン」と捉えて、この年に「アジアでNo.1の航空会社」になるのだと中期経営計画をぶつ。
クオリティで一番、価値創造で一番、顧客満足で一番を目指して、今は、シンガポール航空やキャセイ・パシフィック、タイ航空にさえ遅れをとっていて4~5番だが、これ等を追い抜いて一番になるのだと言うのである。
私がアジア各地の国際事業で飛び回っていた時には、確かにこの3社は、サービスが良くて気持ちが良かったが、やはり、国際線20余年の歴史の浅い全日空には、キャッチアップが大変だったことに気付いた。
大橋会長の話で印象的だったのは、全日空に衝撃を与えた外部要因として、
2001年 9.11世界同時多発テロ、日航の合併
2002年 SARS
2003年 鳥インフルエンザ
2004年 原油高騰
を指摘して、特に、2001年の危機の時が一番深刻で、日航の合併で、羽田でのNo.1航空会社の地位を失うなど、全社大変な危機意識を感じて、必死になって対応したと言うことである。
この時、合併して大きくなった日航と全日空の危機管理意識と経営改革の差が、その後の両社の明暗を分けたと言うことであろう。
もう一つ印象的だったのは、スターアライアンスに加盟して世界の競合航空会社と協力する一方、先輩のルフトハンザやカナダ航空などから、協同しながら胸を借りて彼らの進んだ経営や運営方法を学んだと言うことである。
ITの話で、彼らが既に活用していた最適機材配置のためのFAMや、最適な座席配置のためのPROS等積極的に導入した。
国内航空業では、ダントツでもあくまで井の中の蛙で、国際事業は別物、日航から学ぶ訳にも行かず、全日空の国際ビジネスは2004年にやっと黒字になったが、長い間、よちよち歩きで手探りの経営を行っていたのであろうか。
航空機は、747等の旧型は廃却したので、今後は、効率の極めて良い大型は777、中型は787、小型は737-300、等次世代機に入れ替えて機首を4機種程度に整理してコスト削減、経営の合理化を図るのだと言う。
現在は、歴史を引き摺って国内旅客の比重が高いが、2015年に向けてトリプルセブン計画を推進して、国内旅客、国際旅客、航空貨物の夫々の売り上げを7000億円にして均衡の取れた2兆1000億円を売り上げる航空会社にする計画のようである。
安全については、ステイション・コントロールとオペレイション・コントロールについて詳細に語っていたが、特に印象的だったのは、経営トップとのコミュニケーションで、毎日一回、社長とオペレーション・ディレクターと電話会議をして安全を確認し、毎週一回、社長・副社長とオペレーション代表の会合を持ってチェック確認・対策会議を持つなど万全を期していると言う。
人生には、3つの坂がある、上り坂と下り坂、そして、マサカだと言う。
大相撲は13勝2敗でも優勝するが、会社は、14勝1敗でも、最後の1敗で吹っ飛んでしまうことがある、安全とはそういうものだとも言う。
それにしても、不良品を売ってまだ懲りない会社が跡を絶たないのはどう言う事であろうか。
トップがしっかりしないと、航空会社の経営はダッチローリングしてしまう、名だたる航空会社が歴史から消えてしまう、それ程競争が激しく儲からない産業である。
あのイノベーションの大家クリステンセンも、二級空港間を足がかりにして成功したサウスウエスト航空やローエンドの破壊のイノベーションの格安航空会社や地域航空会社、エアータクシーなどについては書いているが、全国規模の大航空会社が業績を上げて起死回生するためのイノベーションについては何も書いていない。
今回は大橋会長の説明を無検証でそのまま記述するに止めたが、妙手などないのである。名実ともに日航を抜いた全日空だが、次にはどんな戦略を打つのか。
私は、業務をIT技術を駆使して徹底的にインテリジェンス化、合理化する一方、JRなどの交通機関、旅行会社、サービス産業等異業種とのアライアンス,コラボレーションで大連合を組んで、観光・交通を中心とした文化産業として囲い込むことだと思っている。知的で質の高い豊かな生活とは何なのか、旅と文化を通じてヒューマン・タッチのサービスを発信出来る会社である。
先に、日航が株主のみならず会社法まで無視して公募増資の暴挙に出た後なので、非常に新鮮な気持ちで大橋会長の講演を聞くことが出来た。
2009年には、羽田の滑走路が増設され1.6倍に拡張されるのでこれを「航空ビッグバン」と捉えて、この年に「アジアでNo.1の航空会社」になるのだと中期経営計画をぶつ。
クオリティで一番、価値創造で一番、顧客満足で一番を目指して、今は、シンガポール航空やキャセイ・パシフィック、タイ航空にさえ遅れをとっていて4~5番だが、これ等を追い抜いて一番になるのだと言うのである。
私がアジア各地の国際事業で飛び回っていた時には、確かにこの3社は、サービスが良くて気持ちが良かったが、やはり、国際線20余年の歴史の浅い全日空には、キャッチアップが大変だったことに気付いた。
大橋会長の話で印象的だったのは、全日空に衝撃を与えた外部要因として、
2001年 9.11世界同時多発テロ、日航の合併
2002年 SARS
2003年 鳥インフルエンザ
2004年 原油高騰
を指摘して、特に、2001年の危機の時が一番深刻で、日航の合併で、羽田でのNo.1航空会社の地位を失うなど、全社大変な危機意識を感じて、必死になって対応したと言うことである。
この時、合併して大きくなった日航と全日空の危機管理意識と経営改革の差が、その後の両社の明暗を分けたと言うことであろう。
もう一つ印象的だったのは、スターアライアンスに加盟して世界の競合航空会社と協力する一方、先輩のルフトハンザやカナダ航空などから、協同しながら胸を借りて彼らの進んだ経営や運営方法を学んだと言うことである。
ITの話で、彼らが既に活用していた最適機材配置のためのFAMや、最適な座席配置のためのPROS等積極的に導入した。
国内航空業では、ダントツでもあくまで井の中の蛙で、国際事業は別物、日航から学ぶ訳にも行かず、全日空の国際ビジネスは2004年にやっと黒字になったが、長い間、よちよち歩きで手探りの経営を行っていたのであろうか。
航空機は、747等の旧型は廃却したので、今後は、効率の極めて良い大型は777、中型は787、小型は737-300、等次世代機に入れ替えて機首を4機種程度に整理してコスト削減、経営の合理化を図るのだと言う。
現在は、歴史を引き摺って国内旅客の比重が高いが、2015年に向けてトリプルセブン計画を推進して、国内旅客、国際旅客、航空貨物の夫々の売り上げを7000億円にして均衡の取れた2兆1000億円を売り上げる航空会社にする計画のようである。
安全については、ステイション・コントロールとオペレイション・コントロールについて詳細に語っていたが、特に印象的だったのは、経営トップとのコミュニケーションで、毎日一回、社長とオペレーション・ディレクターと電話会議をして安全を確認し、毎週一回、社長・副社長とオペレーション代表の会合を持ってチェック確認・対策会議を持つなど万全を期していると言う。
人生には、3つの坂がある、上り坂と下り坂、そして、マサカだと言う。
大相撲は13勝2敗でも優勝するが、会社は、14勝1敗でも、最後の1敗で吹っ飛んでしまうことがある、安全とはそういうものだとも言う。
それにしても、不良品を売ってまだ懲りない会社が跡を絶たないのはどう言う事であろうか。
トップがしっかりしないと、航空会社の経営はダッチローリングしてしまう、名だたる航空会社が歴史から消えてしまう、それ程競争が激しく儲からない産業である。
あのイノベーションの大家クリステンセンも、二級空港間を足がかりにして成功したサウスウエスト航空やローエンドの破壊のイノベーションの格安航空会社や地域航空会社、エアータクシーなどについては書いているが、全国規模の大航空会社が業績を上げて起死回生するためのイノベーションについては何も書いていない。
今回は大橋会長の説明を無検証でそのまま記述するに止めたが、妙手などないのである。名実ともに日航を抜いた全日空だが、次にはどんな戦略を打つのか。
私は、業務をIT技術を駆使して徹底的にインテリジェンス化、合理化する一方、JRなどの交通機関、旅行会社、サービス産業等異業種とのアライアンス,コラボレーションで大連合を組んで、観光・交通を中心とした文化産業として囲い込むことだと思っている。知的で質の高い豊かな生活とは何なのか、旅と文化を通じてヒューマン・タッチのサービスを発信出来る会社である。