何時もの様に、歌舞伎座のホームページからチケットWeb松竹で7月の予約を入れようとしたら、昼の部は完売で、夜の部だけ幾日かチケットが残っているだけで、今回は夜だけしか行けなくなってしまった。
通常の大歌舞伎と違って実質1時間くらいも公演時間は少ないのだが、特色と言えば、玉三郎が猿之助一門と協力して監修演出で泉鏡花の世界を華麗に創出した事、それに、昔の玉孝時代にも匹敵する玉三郎・海老蔵の夢の饗宴が見られると言う事であろうか。
とにかく、雰囲気と言い演出と言い、通常の歌舞伎と違って、モダンで幻想的で美しく、時代的にも明治以降なので、非常に身近な感じがして見ていて直に感激が染込んで来る、そんな舞台であった。
夜の部は、「山吹」と「天守物語」、雰囲気は大分違っているが、両方とも、やはり、幻想の世界と現実の世界との綯交ぜで、不思議な舞台を作り出している。
天守物語など、ワンシーンと言うか同じセットを最初から最後まで使って演じておりながら、舞台展開に豊かなヴァリエーションを加えて華麗で美しく、同じワンセットで通すことの多い舞台展開でもイギリスのシェイクスピアとは大分違っていて興味深かった。
山吹は、現実生活に耐えかねた子爵夫人の縫子(笑三郎)が家出して、娘時代に恋焦がれた洋画家島津正(段治郎)に出会って助けを求めるが断られて世を儚み、うらぶれた人形遣辺栗藤次(歌六)と生活を共にする数奇な運命の話である。
死んだ池の鯉を袋に入れていとおしく腰に巻いて持っている藤次に、死ぬことは諦めたが人生最後の決心をしている縫子は、お金でも何でもあるので叶えて欲しいものがあれば言いなさいと言う。
かって美女を死なせてしまって一生悔恨にしいなまれている藤次は、罪滅ぼしの為に美人の縫子に徹底的に打擲してくれと頼む。
恨みたい人を思って打てと言われて縫子は狂ったように藤次を打ち据える。
これを見ていた島津が、縫子の独白を聞いて、その気持ちを察して自分に少し時間をくれと言うのだが、煮え切らない島津に待てないと言って縫子は藤次を連れて島津を残して去って行く。
感動的なのは、藤次の苦悶の独白と縫子の島津への片思いの激しくも悲しい恋心の告白。
私は、笑三郎の優雅で気品のある佇まいと切々と語る熱い思い、そして、夢二の世界を髣髴とさせるあの明治大正時代の独特な上流夫人の生き様など実に上手く演じていて、感動しながら見ていた。
歌六は、何回読んでも役作りが分からないと言っているが、無骨で重い十字架を背負って生きてきた老人形遣を悲しくなるほど切なく演じていた。
何故、それほどまでに女性の死に対して作った罪障に罪を感じるのか、鏡花の心の中には、幼い時に亡くなった母への深い思いと悔恨が色濃く影響しているように思う。それを、藤次の心に投影したのである。
島津を演じた段治郎であるが、非常に難しい役作りだと思うが、余りにも無表情な演技が一寸気になった。
縫子の恋の独白など、目を閉じて中空を仰いで聞くとかやりようがあったと思うのだが。
女系図で、何ともぎこちない団十郎の舞台を見たことがあるが、泉鏡花の舞台の二枚目は難しいのであろうか。
高貴な夫人としがない老人との何とも数奇な出会いと心のふれ合い、そんな話は西洋の物語にもあるが、どこか日本伝統の怪奇物語の雰囲気を濃厚に漂わせた泉鏡花のこの舞台は、しみじみと胸に響く。
この山吹の舞台だが、パステルカラー調の舞台セットが非常に幻想的で美しくて素晴らしい。
通常の大歌舞伎と違って実質1時間くらいも公演時間は少ないのだが、特色と言えば、玉三郎が猿之助一門と協力して監修演出で泉鏡花の世界を華麗に創出した事、それに、昔の玉孝時代にも匹敵する玉三郎・海老蔵の夢の饗宴が見られると言う事であろうか。
とにかく、雰囲気と言い演出と言い、通常の歌舞伎と違って、モダンで幻想的で美しく、時代的にも明治以降なので、非常に身近な感じがして見ていて直に感激が染込んで来る、そんな舞台であった。
夜の部は、「山吹」と「天守物語」、雰囲気は大分違っているが、両方とも、やはり、幻想の世界と現実の世界との綯交ぜで、不思議な舞台を作り出している。
天守物語など、ワンシーンと言うか同じセットを最初から最後まで使って演じておりながら、舞台展開に豊かなヴァリエーションを加えて華麗で美しく、同じワンセットで通すことの多い舞台展開でもイギリスのシェイクスピアとは大分違っていて興味深かった。
山吹は、現実生活に耐えかねた子爵夫人の縫子(笑三郎)が家出して、娘時代に恋焦がれた洋画家島津正(段治郎)に出会って助けを求めるが断られて世を儚み、うらぶれた人形遣辺栗藤次(歌六)と生活を共にする数奇な運命の話である。
死んだ池の鯉を袋に入れていとおしく腰に巻いて持っている藤次に、死ぬことは諦めたが人生最後の決心をしている縫子は、お金でも何でもあるので叶えて欲しいものがあれば言いなさいと言う。
かって美女を死なせてしまって一生悔恨にしいなまれている藤次は、罪滅ぼしの為に美人の縫子に徹底的に打擲してくれと頼む。
恨みたい人を思って打てと言われて縫子は狂ったように藤次を打ち据える。
これを見ていた島津が、縫子の独白を聞いて、その気持ちを察して自分に少し時間をくれと言うのだが、煮え切らない島津に待てないと言って縫子は藤次を連れて島津を残して去って行く。
感動的なのは、藤次の苦悶の独白と縫子の島津への片思いの激しくも悲しい恋心の告白。
私は、笑三郎の優雅で気品のある佇まいと切々と語る熱い思い、そして、夢二の世界を髣髴とさせるあの明治大正時代の独特な上流夫人の生き様など実に上手く演じていて、感動しながら見ていた。
歌六は、何回読んでも役作りが分からないと言っているが、無骨で重い十字架を背負って生きてきた老人形遣を悲しくなるほど切なく演じていた。
何故、それほどまでに女性の死に対して作った罪障に罪を感じるのか、鏡花の心の中には、幼い時に亡くなった母への深い思いと悔恨が色濃く影響しているように思う。それを、藤次の心に投影したのである。
島津を演じた段治郎であるが、非常に難しい役作りだと思うが、余りにも無表情な演技が一寸気になった。
縫子の恋の独白など、目を閉じて中空を仰いで聞くとかやりようがあったと思うのだが。
女系図で、何ともぎこちない団十郎の舞台を見たことがあるが、泉鏡花の舞台の二枚目は難しいのであろうか。
高貴な夫人としがない老人との何とも数奇な出会いと心のふれ合い、そんな話は西洋の物語にもあるが、どこか日本伝統の怪奇物語の雰囲気を濃厚に漂わせた泉鏡花のこの舞台は、しみじみと胸に響く。
この山吹の舞台だが、パステルカラー調の舞台セットが非常に幻想的で美しくて素晴らしい。