熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

梅雨に映える綺麗になったわが庭

2006年07月04日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   梅雨の合間を利用して、恐れ多くも日本植木協会の会長をしている友人に頼んで、庭木の剪定など少し大掛かりな庭仕事をして貰った。
   最も本人がやるのではなく、彼の会社の職人さん達がやるのだが、いわば、植木を育てる農業と植木職人を兼ねたプロの仕事である。
   これまでに近所の植木屋さんやシルバーセンターの植木屋さん等にお願いして少しずつ庭の手入れをしていたが、小手先だけでは手に負えず、ジャングルのように鬱陶しくなったので、思い切って本格的に、手を入れて貰うことにしたのである。

   第一に、小さな苗木を植えたのだが、民家の庭にクスノキを植えたのが大きな間違いで、切っても切っても大きくなってしまって、クレーン車を使ってとうとう太い幹近くまで切り戻した。
   
   もう一つは、門被りのマキの木や松、ツゲ、金木犀、伽羅、もっこく等最初に植木屋さんに植えて貰った庭の主木の剪定で、素人の私でもたまにテキストを参考に行うが、これは、やはりプロの世界で、本格的な本職の植木屋さんにやって貰わないと様にならない。

   海外生活8年間の空白はあるが、この千葉の田舎に移り住んで、もう20年、その間に、植木店やガーデニングセンター等で買い求めて庭に下ろして植えた花木が密集しているのだが、夫々に思い出があって切るに切れずそのままに成ってしまっているのだが、季節季節に美しい花を咲かせてくれると堪らない。

   田舎なので多少庭が広いだけで、邸宅でもないし普通の庶民のありふれた庭なので、育ち放題伸び放題にほったらかしていて、別に気にも掛けていなかったのだが、結局は総ての庭仕事をお願いして、終わってみると丁度散髪後のあの爽やかな頭と同じ。
   剪定が終わった後の出来栄えは流石で、こうでなければ成らないと、日頃の手抜きに痛く反省をした。
   マキとマツだけで一人の職人さんが一日がかりで、一本一本の葉を労わる様に鋏を入れていたのには頭が下がった。

   ブラジルの思い出にと思って20年も前に植えたファジョアだが、乱れた枝が伸び放題に広がって樹形を乱すので大きく剪定し、今年は派手なうす紫と白の肉厚の花弁に赤い柱の先に黄色い頭を持った蘂の花が、心なしかおとなしく咲いて散った。
   大きなフランス生まれのイチジクの木や派手な花木は、殆ど切り倒したが、椿の木だけは、多少は切ったが剪定だけで殆ど残してもらった。

   今庭に咲いている花木は、アジサイ、クチナシ、花ざくろ、バラ。草花は、ゆり、ホタルブクロ、グラジオラスetc.

   ところで、困ったことは、植木屋さん達が帰った後に、軒下に植えていたキンメイチクが、何年も経つのに急に地下茎を伸ばして、玄関口から門口辺りまでたけのこを出し始めた。
   黄金色のすっくと伸びた竹稈に緑の美しい縦じまの入った美しい竹なのだが、あっちこっちから飛び出してくると恐怖である。
   分かっていながら、根の動きを遮断する遮蔽壁を作らなかった所為なのだが、素人が庭をいじるととんでもないことになると反省している。

   庭のイスに座って、木陰で涼風を受けて、好きな本を広げながらダージリンを楽しむのもこの庭だが、それなりに色々なことがあるのもこの庭、少し前まで足元で遊んでいたシーズーが居なくなってしまったのを愛しく思い出すのもこの庭である。
コメント
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