「さびしさと愛 新美南吉の人生」(小学生用自作教材)

「ごんぎつね」を学習した後に、学年で学んだことを生かして、まとめの学習を行う小学校4年生のために、作者である「新美南吉の人生」を資料を元に書き下ろしてみました。小学校4年生の国語のまとめ学習では、「ごんぎつね新聞」を作ったり、紙芝居を作ったり、音読劇をしたりと、様々な活動が考えられますが、作者のことを知ることも物語の読解には大きな力となる。私はそう考えています。
このブログに載せることで、目にした4年生担任の先生方や4年生のお子様のいる保護者の方々にコピーしていただき、子どもの学習資料としていただける。そんなことを期待しています。

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(以下の文章はコピーフリーです。万が一、記述に間違えがあった場合は、お手数ですがコメント欄でご指摘下さい。)


『さびしさと愛 新美南吉の人生』 井上光広 作


 「ごんぎつね」の作者である新美南吉は、小さい頃の名前を「渡辺正八(わたなべしょうはち)」といいました。今から97年前の1913年(大正2年)、愛知県半田市のたたみ屋の父・渡辺多蔵(わたなべたぞう)と母・りゑ(りえ)の子として生まれました。りゑは正八を生んだ後、体が弱くなってしまい、入院することが多かったので、正八の世話をすることがむずかしかったのです。そして、正八が4才の時、29才でなくなってしまいました。


【2013年に新美南吉生誕100年を迎える】

 お母さんがいなくなってしまった正八は、近所の森はやみさん(小学校4年生)に子もりをしてもらいながら育ちました。6才のころ、お父さんは新しいお母さんとして、「志ん(しん)」をむかえました。そしてすぐに弟の「益吉(ますきち)」が生まれました。


【南吉の生家】

 1920年(大正9年)、正八は半田尋常(じんじょう)小学校へ入学しました。おとなしい子でしたが、勉強はとてもよくできました。小学校2年生の夏のこと。正八は、なくなったお母さん(りゑ)の生まれた家がおばあちゃん(志も)一人になってしまったため、後つぎになるために養子(ようし)にさせられました。名前は「新美正八(にいみしょうはち)」と変わりました。
 おばあさんの家は、村の一番北のさびしい場所にありました。家のうらには深い竹やぶがあり、まわりは畑ばかりで、となりに一けんの家があるだけでした。家の中はがらんとして大きく、うら口を出たところには、まっくらな井戸があり、子どもの正八には不気味(ぶきみ)なふんいきでした。おばあちゃんは、このような家でずっと一人で生きてきたためか、正八がそばによっても心の温かさを感じさせることはなかったようでした。
 正八は、あまりのさびしさからノイローゼ(心の病気)のようになってしまいました。そのため、半年後の12月にはお父さんのいる家に帰りました。


【南吉養家】

【南吉養家の井戸】

【南吉養家の庭から】

 正八は頭の良い子どもでした。小学校の成績はずっと学年トップでした。先生からは作文をほめられ、
「正八はきっとおとなになって、小説家(しょうせつか)になれるだろう。」
と言われていました。
中学生になったころから、童謡(どうよう)や俳句(はいく)などをたくさん書くようになりました。
1929年(昭和4年)、16才のころには、「新美南吉」というペンネームを使い始めました。中学校の友だちと協力して、「オリオン」という雑誌(ざっし)をつくって、童話や詩を発表していきました。南吉は日記にこのようなことを書いています。
「わたしの作品は、私の理想をふくんでいる。今から何百年、何千年たっても、私の作品がみとめられるなら、私はその時代にまた生きることができる。だから私はじつにしあわせだと言える。」

1931年(昭和6年)、18才の南吉は、先生になるための師範学校(しはんがっこう)を受けました。しかし、体が弱かったため、不合格となってしまいました。その時の気持ちを短歌にあらわしています。

体かくの 検査にわれは はいられず
      電車の火ばな 見つつ帰るも
(身体検査の結果、私は入学することができなくなり、電車が走るときに出る火花を見ながら、悲しい思いで家に帰った。)

 しかし南吉は、その年の4月、母校の半田第二尋常小学校の代用教員(正式の先生ではない)となることができました。小学校の先生になった南吉は、担任している2年生のために、次々と童話を書いていきました。6月には、自分が作った「ごんぎつね」を子どもたちに話して聞かせました。
 代用教員であったでの、半年後の8月に、小学校をやめました。


 1932年(昭和7年)、南吉が19才の年です。「赤い鳥」という童話雑誌の1月号に「ごんぎつね」がのりました。日本中に新美南吉の童話がしょうかいされたのです。この年の4月に、南吉は東京にある「東京外国語学校」に入学することができました。

 東京の学校で学んでいた時の南吉は、友だちと映画を見たり、童話について話し合ったりして、楽しくすごしました。そのころ有名だった詩人の北原白秋(はくしゅう)にもめぐりあい、文学について勉強しました。こうして新しい作品を次々と生み出していきました。その中には「手ぶくろを買いに」というきつねの母と子どもの童話も書かれています。
 ところが、このころから南吉は病気がちになっていきました。もともと体が弱かった南吉ですが、死ぬことのこわさも感じるようになっていきました。


【手ぶくろを買いにの記念碑】

 1936年(昭和11年)、23才で東京外国語学校を卒業した南吉は、東京で英語を生かした仕事につきました。しかし、病気が重くなってしまい、11月には愛知県の自宅に帰って、治療(ちりょう)しなくてはならなくなりました。

 1937年(昭和12年)、24才の南吉は、4月から河和(こうわ)小学校の代用教員になりました。子どもたちに勉強を教えることが大好きだった南吉は、その喜びを東京の知り合いへの手紙で、こう書いています。

「ぼくは、4月から河和(こうわ)という海ぞいの小さな町で、代用教員をしています。」
「ここでぼくは、かりそめのささやかな幸せを味わっています。こんなところに、こんな幸せがあろうとは、つゆ知りませんでした。生きていることは、むだばかりではないことが、これでわかりました。」
病気でなやんでいた南吉にとっては、子どもたちといっしょにすごす学校生活は、心のオアシスとなっていたようです。しかし、南吉は、代用教員であったため、7月31日で河和小学校をやめました。その後、会社につとめましたが、仕事に喜びを感じることはできなかったようです。

1938年(昭和13年)4月、25才の南吉は、正式な教員として、安城(あんじょう)高等女学校につとめられるようになりました。1年生56人の担任となり、英語や国語を教えました。南吉は作文を教えることがじょうずで、一人一人の書いた作文にていねいにアドバイスを書いていきました。生徒たちといっしょに詩集を毎月作りあげてもいきました。きっと南吉は、生徒といっしょに学んでいける「心のつながり」を大切にしていたのでしょう。


【矢勝川】

ところが、29才になった1943年(昭和18年)1月、南吉の体はとうとう病気にたえられなくなり、ねこんでしまいました。2月には大好きだった安城(あんじょう)高等女学校もやめなくてはならなくなりました。
 思い病気になった南吉は、まるで、その命の最後の灯(ひ)を強くともすようにするかのように、童話を書いていきました。そのひとつに「狐(きつね)」という童話があります。

文六ちゃんという小学3年生が、「夜に新しいげたをおろすと、キツネになってしまう」という迷信を聞いて、自分がキツネになってしまうのではないかと不安になってしまいます。その文六の不安で泣きたくなるような気持ちを、お母さんが、あたたかいふとんの中でいっしょにねながら、やさしく受け止めてあげるという童話です。
幼いころに、実の母をなくし、母の優しさを感じることができずに育った南吉。あたたかくて優しい母にあこがれ、さみしさを分かってもらいたいという強い気持ちから、「優しい母」が登場する童話を生みだしたのかもしれません。


【権現山】

【キツネのはくせい】

【南吉の出身校・岩滑(やなべ)小学校の壁画】

どんどん病気が悪くなり、死ぬことを覚悟した南吉は、知り合いにあてた手紙の中に、こんな言葉をのこしています。

「わたしは、毎日、のどの吸入をかけたりして、正午までねています。」

「のどがわるいので、いっさいのお見まいをおことわりして、ふせっています。たとい、ぼくの肉体はほろびても、君たちがぼくのことを長くおぼえていて、美しいものを愛する心を育てていってくれるなら、ぼくは、君たちのその心に、いつまでも生きていられるのです。」

「医者は、もうだめだと言いましたが、もういっぺん、よくなりたいと思います。ありがと、ありがと。」

 3月22日。部屋に太陽がさしこみ始めた午前八時。南吉は実のお父さん・多蔵と育てのお母さん・志んにみとられて、ねむるようにして短い一生を終えました。実の母・りゑが亡くなった年と同じ29才でした。


【新美南吉記念館】


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小学生のためのマインドマップで作文すらすらワーク (ドラゼミ・ドラネットブックス)
クリエーター情報なし
小学館

このワークブックの最後に、新美南吉「狐」の読書感想文・書き方ワークがあります。
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『(㈱)ワコム』さんのサイトで紹介していただきました

私は昨年から、㈱ワコムさんが開発した「液晶タブレット」という教材提示装置のモニターとして授業活用を進めてきました。7月には授業の取材をしていただき、算数の「垂直と平行」の単元で、子どもたちに平行線をかかせ、液晶タブレットで発表をする授業を行いました。

その記事がワコムさんのサイトで紹介されています。
どうぞご覧ください。



[教育ソリューション] 導入事例 Vol.10

『平行~全員が並行な直線を引くことができる』



さて、これからのICT教育・掲示機器活用にはどんなことが求められるかについて、私の考えをひとこと申し上げておきましょう。

1、準備が簡単であること
ICT機器を活用した授業を教師向けに公開すると、ベテランの先生に必ず言われることがあります。
「配線するのが大変そう」
「井上先生だから使いこなせるんだよ」
確かに現状の多くのシステムでは、パソコン・プロジェクター・電子黒板などの機器をコードでつなぐ手間がかかります。これを解決するには、教室内に固定してしまって、スイッチひとつで動かせる状態を作れば良いのですが、その状態にできる学校はなかなかありません。

2、操作が簡単であること
とにかく操作が簡単であればあるほど、教育現場にICT機器は使われていくでしょう。
車の運転に例えると、マニュアル車ではなく、オートマ車、さらには最近開発され始めた、危険を察知して車自体がブレーキ判断をするとか、もっと言ってしまえば、運転者の声かけで動いてしまうような。
そんな簡単な操作性で、しかもいろんなことができる機器が出てきたらすごいでしょう。

3、軽くて持ちやすい
おそらく2015年頃には、けっこう多くの学校で「デジタル教科書」の活用が始まることでしょう。紙ベースの教科書にかわって、タブレットPC的な機器に教科書をインストールして使う学校が出始めるはずです。
この時に求められることは、とにかく『軽い』ということです。300gくらいにはしてほしいですね。

4、場所を取らない
教材提示装置でけっこうやっかいなことは、場所を取るということです。
プロジェクター型は、40人いる学級の狭い教室だと場所がなくて使えません。そのため、先日私が主張した「薄型大画面デジタルテレビ」の導入が必要になってくるわけです。私の勝手な予想ですが、デジタルテレビとの連動をさせたICT機器がこれから生き残るのではないだろうかと思っています。

5、細かく画面操作できる
子どもたちに作図の発表をしてもらったり、提示教材に意見を書き込んでもらったりする場面があります。また授業する先生が細かく書き込んでいく場面もあります。そんな時に、従来のアナログ黒板に書く時と同じくらいに細かく操作できることが重要なポイントです。



以上、5点に限って意見を書いてきました。
まだまだ求められることはありますが、それは機会があったらまた書くことにします。



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芭蕉の地元・江東区の俳句

今日は勤務校の中学年の取り組みを紹介します。

今年、勤務校には俳句に情熱を燃やしているS先生が赴任しました。江東区は芭蕉の地元。芭蕉記念館を持つ区であります。そんな日本の先駆を切るべき区に、深い意味あって俳句の得意なS先生が来たわけです。

そのS先生のご尽力で、今日は3,4年生全員が「現代俳句協会ジュニア研修部」の先生方に来ていただき、出張俳句教室という授業を受ることができました。

授業は「俳句のリズム、二つの約束、俳句の種探し、俳句作り、選句」という流れで3時間行いました。その間、子どもたちはみんな楽しく俳句を学ぶことができました。その授業の様子をできるだけくわしく再現します。


【全体指導】

(1)俳句についての説明
①俳句のリズム
 俳句は「五・七・五」という十七音からできていること、小学生は“十七文字”と勘違いしやすいが、音であることをくわしく説明していただきました。

②二つの約束について
 俳句には必ず「季語」を入れなくてはならないこと。また、季語を二つ入れてはいけないこと。十七音で表現すること。

③俳句の種
 季語はあるけれど、ジュニア俳句はそういう細かいことを気にしすぎることなく、小学校3年生や4年生でしか作ることのできない、子どもらしい感性で取り組むことが大事だということを教わりました。


【俳句の種さがし】
今日は雨が降っていましたが、俳句には天候は関係ありません。子どもたちはみんな傘をさして、校庭を散歩しながら俳句の種を探しました。歩いて心が動いた時のキーワードをメモして教室にもどってきました。


【クラス指導】
今日は8名もの講師の先生が来て下さったさったので、学年2学級ある本校では、3,4年の4学級に2名ずつの先生が入ってくださり、俳句指導をしてくれました。
子どもたちが作る俳句に、
「ここはもう少し工夫してみましょう。」
「良いところに気づきましたね。そのままの気持ちを俳句にしてみましょう。」
「たくさん作って、その中から良いものを3つ選んでみましょう。」
といったアドバイスをしていただき、全員が熱心に俳句作りに取り組みました。


【選句】
教室に貼り出された俳句の数は、私の学級では六十句にもなりました。その中から良いと感じられるものを、教師陣も子どもたちも選びました。教師陣から複数の票が入った句には、プレゼントが贈られました。中でも一番の句に選ばれた子の俳句は「リンゴ賞」となり、本当のリンゴがプレゼントされました。



今回の出張授業を良いきっかけにして、我が勤務校も芭蕉の地元である江東区の一角から、ジュニア俳句の流れを起こしていければ素晴らしいことだなぁと感じました。


俳句・・・これを取り組んでいけば、子どもたちの中に「季節」に関する感覚が育まれ、さらに「言葉」に対して深い感性が磨かれるのではないかと、今日1日の授業を見ていても感じさせられました。



ところで、同じ江東区には、校長先生のお立場で「十分間俳句」という取り組みを続けてこられた小山(おやま)先生という方がいらっしゃいます。私自身も様々にお世話になり、小山先生の取り組みに学ぶ点が多いのです。

小山先生は校長を退官された後も、多くの学校を回って俳句の指導をされています。ぜひ一度でも、二度でも、三度でも、私の勤務校にお招きし、俳句を指導していただければありがたいなぁと個人的には思っています。

興味のある方は下記の小山先生のブログ「十分間俳句」をご覧ください。


十分間俳句


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区小研の研究授業

今日は区小研・情報教育部の研究授業を公開しました。

このブログ内でも公開授業を行うと予告していましたので、多くの方々に参観して頂きました。ありがとうございました。

私のような主幹教諭が研究授業を行うということは、けっこう珍しいことだと認識しています。どうしても研究授業は若手が受けるものだという慣習が、多くの教育現場にあるように感じます。しかし、今の東京都の状況から考えると、経験者が授業を見せるということが必要だと私は思っています。

最近の東京都の教員採用試験は、小学校で年間1300名もの新任教諭を採用しています。東京都の小学校総数が約1300校ですから、1校に1人以上、新人教諭が存在している計算になります。それが何年も続いているので、教育現場は一気に若返っているのです。

だからこそ、経験者が持てる力をふりしぼって、授業を見せるという行動が必要だと思うのです。

今日、参加してくださった若手教諭の皆さんからは、授業後の研究協議会で、
「子どもの意見を引き出す方法が参考になった」
「子どもたちがどんなことを考えているのかを、どのように把握していくのか参考になった」
「マインドマップを使ってみたいと思った」
「本時の授業案を全脳思考モデルで書いてあったので、授業の流れが分かりやすかった」
というような意見を頂きました。
私の授業から、たくさんの授業イメージをつかみ取ってくれれば、研究授業を行なった甲斐があります。


子どもたちは本当に楽しそうに授業を作ってくれました。
「私たちは学校の看板だ」という意識がみなぎっていました。


とっても嬉しかったのは、授業後の帰りの会で、
「先生は明日の6時間目、出張でいなくなります。」
と伝えた瞬間に、
「え~っ!先生いないんですか~!つまんないよ~!」
と口々に言ってくれたことです。

担任がいなくて、ノビノビできると喜ぶだろうと予想していた私は、意外な反応に素直に喜びました。
「先生がいないとつまんない」なんて言われたら、またまた楽しい授業をしちゃおう!と張り切ってしまいますよね。

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ところで、今回の公開授業には、ずいぶん長い間お会いすることのなかった、私の「親戚の叔父さんご家族」が参観してくれました。

来て下さると知らされていなかったので、授業が終わってホッと参観者を見た瞬間に、「え~っ!叔父さんたちが来ている!!!」とビックリ。このブログで情報を流したからこそ実現した参観でした。

こういうことが、ジョン・ネスビッツ氏が『メガトレンド』の中で言っていた「ハイテック・ハイタッチの共存」というコミュニケーションなんだと思います。



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公開授業のお知らせ

江東区小学校教育研究会・情報教育部 研究授業

9月8日(水)

【会場】江東区立香取小学校

授 業 13:45~14:30

協議会 14:45~

【授業者】

井上光広(トニー・ブザン公認マインドマップ(R)フェロー)

【内容】

4年生・道徳 「人間とは何だろう?・・・ビーバーについて」

*人間とビーバーを比較し、人間の特徴について迫ります。

*林竹二先生(元・宮城教育大学学長)の授業の追試にマインドマップを活用をコラボレーションした授業を行います。

*「気づき」が生まれる授業を目指しています。

*授業者がマインドマップを生で板書していくので、授業への活用方法が分かります。



江東区小研の授業はすべて公開が義務付けられておりますので、どなたでも参加することができます。
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体育がつぶれると学級はもっと楽しくなるような学級経営

昨日の夏のような気候から一転して、今日は10度以上も気温が下がり、さらに冷たい雨が降るという天候。さすがに体調を崩している子が増えています。


今日は体育の授業予定があったのですが、雨天ですから中止にするしかありませんでした。朝、職員室で同僚がため息まじりにつぶやいていました。

「う~ん、体育ができない不満をどう解消していこうかな?」

井上、耳にしてしまいました。ご本人も気づいていない“マイナスワード”を。
それでついついレクチャーをスタート。

「教師のその考え方が子どもたちの不満を増幅するんだなぁ(笑)。体育は楽しい、他の授業はそうじゃないという価値観を教師が持っているから、子どもたちもその影響を受けるんだよ。『雨で体育が中止になった。これでもっと楽しい勉強ができる!』と子どもたちに言わせられるような実力を持てるようにするんだよ。」

「だいたいさ、『体育をしていれば子どもたちの心が落ち着く』なんていうのは『私は学習指導力がありません』と自分から言っているようなものなんだよ。体育だって学習だし、他の教科だって同じ学習なのに、なぜ体育だけ特別視するの?おかしいと思うんだよね。」

「どの教科でも、子どもたちに『楽しい!』って言わせられるように授業力をつけるのがプロ教師でしょ。そこから逃げちゃだめだと思うよ。」



こういったからには自分のクラスで証明してみせないとホラ吹きになってしまいますよね。そこで、中止になった体育の時間を学活の時間に変更して、教室で「クラスレクリェーション」を思う存分行いました。

教えたレクは「王様と乞食」というゲーム。昔から子ども界では大人気のゲームです。昨年度担任した6年生もこのゲームが大好きで、時間制限をしなかったら2~3時間はぶっ続けで遊ぶ状態になります。

残念ながら、このゲームをくわしく文章化する気力が今日はないので、子どもたちの様子だけを記録しておきます。

何しろひと言でいうと「教室騒然」でした。
スタートから最後まで全員が楽しみ切っていました。
中には「今度も体育やらなくていいから、このゲームをしたい!」と言ってくる子までいました。みんな最高の笑顔でレクリェーションをしていました。この子どもらしい「笑顔」を引き出してあげることが、今の私のクラスには一番必要なことなのです。保護者の皆さんに見せてあげたかった~!



今、井上学級の子どもたちは、毎時間の授業で、「衝撃的な楽しさ」との出会いをしているはずです。きっと学校が面白くて面白くてたまらないはずです。でも、まだまだこんなものではありません。もっともっと面白くしてあげます。5月には運動会もあるので、今度は「強い達成感」のある楽しさを味わってもらいます。


保護者の皆さんは、いつでも授業を見に来てくださいませ。
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アニマシオン「二十一世紀に生きる君たちへ」(司馬遼太郎)

3月18日(木)、道徳の時間に司馬遼太郎先生が小学生の子どもたちに向けて書かれた名著「二十一世紀に生きる君たちへ」を使って授業をしました。

二十一世紀に生きる君たちへ (併載:洪庵のたいまつ)
司馬 遼太郎 (しば りょうたろう)
世界文化社

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この授業は「アニマシオン」という手法を使ってやりました。

「アニマシオン」にはいろいろな方法があるのですが、その中で「質問をする」という方法を使い、読み聞かせを聴いている子どもたちの思考をフル回転させたのです。


司馬遼太郎先生が書かれた「二十一世紀に生きる君たちへ」は、一時代前には国語の教科書に載っていたくらい名文なのです。21世紀になって10年もたった今では、国語の教科書からは消えてしまいましたが、私は文学というものは、時代を超えて子どもたちの心に訴えるものがあると確信していますので、卒業を前にして「卒業記念授業」のひとつに取り上げてみました。

アニマシオンとしての質問は以下の通りです。

①歴史とは何?
②あなたの歴史上の友達は誰?
③21世紀はどんな世の中?
④今も昔も変わらないこととは何?
⑤20世紀、人間は自然に対して何をしたのか?
⑥あなたは今、どんな自分?
⑦君の心の中の一番美しいものは何?

このような質問の答えを考えてもらいながら、最終的に学びや本への興味に結び付けていく指導をしました。


何人かの感想を紹介します。

「ぼくは21世紀をふつうにすごしていました。でも、この授業をして、21世紀に来たくても来れなかった人もいるんだなと思いました。ぼくは21世紀をいっしょうけんめいいきたいです。」

「ぼくは、この質問を受けて、⑥、⑦を答えた時、家族にいろいろやってもらってるくせに、なんでおれはこんなにでかい態度をとっているんだろうと?思いました。この司馬遼太郎さんが書いた『二十一世紀に生きる君たちへ』を読んでよかったと思いました。」

「今まで考えたこともなかったような質問が出てきて、最初はなんて書いたら良いのか迷いました。けど、⑥、⑦の質問では、自分が自分に対して質問をしたら色々なことが書けた。世の中の事や地球の事もスラスラ書けて楽しかった。」

「私はいつもこんなこと(歴史とはとか、歴史上の友達など)を考えたことは一度もありませんでした。でも、今日考えてみたり、自分のことをふりかえってみると、分かっているようで分かっていませんでした。でも私は、この本で自分のことが全部分かったような気がします。なので司馬さんはすごいと思いました。」

「今までぜんぜん考えた事がなかった、自分に対する問いかけや、自分の事を考えてみると、自分の事が少し分かったから良かったし、おもしろかったです。二十一世紀はけっこうあぶないんだなぁと実感しました。これからも見たいに対する気持ちを大事にしたいと思います。」


子どもたちは授業の中で自分自身を見つめ、新しい発見をしてくれたようです。授業の中で自己変容をしているわけです。私たち教員はファシリテーターとして子どもたちに「新たな気づき」を導き出してあげる役目があります。学校で行う授業とはそういうものではないでしょうか。
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【授業】 人間について 第3回目 「人間の可能性」

授業「人間について」の三部作の最終章、「人間の可能性」を知る道徳授業を本日行いました。道徳公開講座の中で授業を公開し、6名の方が参観して下さいました。

公開した1時間ではおさまらない内容なので、非公開の3時間目に前半を行い、後半を5時間目に設定しました。そのため、参観して下さった方には、けっこう大切な前半の授業を見せることができず、申し訳ありませんでした。


授業の中で子どもたちは、「人間というのは生きるために命がけで学んだら、人間以外の動物にも成れてしまう」ということを強く感じ取ってくれました。そして、自分自身が幼い頃から人間として育てられてきたことに感謝すると共に、今後も真剣に学んだら、ものすごく大きな可能性に満ちている人生なんだということを学び取ってくれました。



さて、今日の授業の後は、道徳に関する講演会を開催し、各学級担任から参考図書の紹介もありましたので、ここで紹介します。

ごろりんごろんころろろろ (ひさかた絵本傑作集)
香山 美子
ひさかたチャイルド

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わたしのせいじゃない―せきにんについて (あなたへ)
レイフ クリスチャンソン
岩崎書店

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授業 人間について (現代教育101選)
林 竹二
国土社

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ぼくだけのこと
森 絵都
理論社

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【授業】 人間とはなんだろうか?

昨日私が行った授業の記事です。
来週の道徳公開講座に向けての第2段目のステップとなります。

今回は林竹二先生の授業を私なりに構成しなおした内容でした。ビーバーの習性と人間の知性を比較することによって、人間の持っているものはいったい何なのかを考えていく授業です。この林先生の著作はぜひとも読んでみて下さい。林先生は『授業による学習者の変革』ということをテーマにして日本各地の学校で授業を続けてきた実践の鬼だと私は思っています。

授業 人間について (現代教育101選)
林 竹二
国土社

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まず、授業の構成を簡単に書きます。次に授業を受けた子どもたちの様子、そして子どもたちの感想をいくつか紹介します。


(1)授業の構成

①ビーバーという動物がどんな動物なのかを電子黒板に写真を映してイメージ化する。

②小さな動物なのに、川にダムを作り上げ、そこに大変立派な自分の巣を作ることを知らせる。ビーバーの能力の高さを心にとめる。

③もしも川の増水で巣やダムが流されたらビーバーはどうするのかを考える。そして何度でも全く同じ巣を作り上げることを知る。

④もしも人間が災害で自分たちの家が壊れたら、次はどうするのかを考え、ビーバーと人間を比較する。

⑤ビーバーは「本能」で巣を作るが、人間は「学習」によってより良いものを作る。このことに子どもたちが気づけるようにナビゲートする。

⑥子どもたちが人間の素晴らしさを感じられるように意見交換をファシリテートしていく。

⑦授業の感想を書く。

⑧感想を交流する。


(2)子どもたちの様子

①ビーバーのことをあまり知らなかったので、その巣作りの習性を知った時は、素直な驚きがあったようだ。そんなすごい生き物がいるのかとビーバーの能力の高さに感心していた。

②ところが作った巣やダムを流されても、ビーバーは悲しまないし、驚かないし、何も考えることはないだろうという意見を引き出し、そのことを子どもたちの頭の中でイメージ化していくと、何人もがニヤニヤと可笑しそうにしていた。河原で流されたダムを見ながら“ボー”“ホゲー”っとしているビーバーの姿が目に浮かんだようで、オモシロカワイさに思わず笑ってしまった感じだった。

③ビーバーと人間の違いを比較していった時に、人間の「学習する力」に気づき始め、目の色が変わっていった。自分たち人間の力はすごいし、これまでに人類の文化を作り上げてきてくれた先人への感謝の意見まで飛び出した。

④感想を書く10分間は、まさにフロー(深い集中)状態だった。

⑤感想交流でも、普段は発言をするのが苦手な子まで、自ら感想発表した。


(3)子どもたちの感想

「確かにビーバーはすごく高い能力を持っているけど、それを本能的にくり返しているだけで、おもしろいような、かわいいような、かわいそうな感じでした。私たち人間は、同じ失敗をくり返さないように学習してきたので、今のこうした生活にガスや電気があるんだなぁと思いました。」

「最初はビーバーは巣を作れてすごいと思っていたけれど、ビーバーは巣が流されてしまった時に、また同じ物を作ると聞いて、あんまりすごくないなあと思いました。なぜなら人間は、家がこわれたら、次はこわれないような家に住もうと考えられるからです。他のくらべると、考えることのできる人間もすごい生き物だなと思いました。だからやっぱり自分は人間でよかったと思いました。
 ビーバーに考える力があれば、もっと楽にくらせるのに、なんで考える力がないんだろうと思いました。人間は考える力を悪い方に使わないようにした方がいいと思いました。」

「人間という生き物はすごいと思いました。ビーバーは本能で巣を作るけど、人間は本能以外でいろんな事が出来るのがすごいと思いました。火を起こし、電気を人工的に生み出し、石油をほり当て、さまざまなエネルギーを生活に活用し、快適にくらしている人間がすごいと思いました。
 火を起こすのも、他の動物には出来ない事なのに、今はガスで簡単に火がつきます。最初の人間は火の起こし方は知らなかっただろうけど、学習して火の起こし方を知り、今は宇宙に行けるまで学習を重ねてきた人間は、とてもすごいと思いました。快適に暮らせるのは奇跡みたいな事だなと思いました。」

「始めに巣作りの様子を見た時は、すごく頭がいいと思いました。でも、台風や嵐がきてこわれてしまっても、また全く同じ巣を作るということを聞いて、自分で考えて動いているのではなく、ただたんに本能がすごいんだなと思いました。
 それにくらべて人間は、地震などの災害で家などがこわれてしまったら、次にきた時にこわれないようにするためにはどうしたらいいのかなどを考えます。なので人間は、1回1回学習して生きているんだなと思いました。」

「ビーバーは巣をつくる能力が高いけど、こわされても感情がほとんどなく、学習もせずに同じ物を作るなんてふしぎだなと思いました。でも人は作るのに時間がかかるけど、考え工夫し、二度とこわれないように学習するので、人はすごい動物なんだと思います。人は何千年も前から工夫をつづけてきて、今、コンクリートやビルなども建てられるようになっていて、その進歩の仕方がとてもすごいと思いました。
 今、自分がコンクリートの家に住めるのは、あたりまえだと思っていたけど、ほんとうは昔の人の学習のおかげだと思います。」
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学級レクリェーションでホットなクラスにしています

先月から卒業に向けての最終段階に入りつつある井上学級です。

何しろ仲良く穏やかな気持ちで卒業してもらいたいと願っています。そのために学級活動を工夫している最中です。

エンカウンターとか道徳的なアプローチをするという正統派な指導はこれまでしてきまして、かなりお互いのことを考えるように成長してきた子ども達。そこで、次のステップはですね!

学校はチョー楽しい所だ!!!

という気持ちをもってもらいたいわけです。
だいたいですね、私が教師になった理由の中でも大きなものは「学校は楽しい」ということですから、楽しくなかったら井上学級ではないと思っているのです。

楽しければOK!
そこで、私が小学生時代にクラスメイトとよく遊んで、いまだに鮮明に記憶しているレクリェーションを3回計画で行いました。

1回目・・・フルーツバスケットと震源地
2回目・・・王様と乞食
3回目・・・リズム4ゲーム

2回目の「王様と乞食」では、1時間中ずっとハイテンションで熱中してくれましたし、3回目の「リズム4」はV6の番組「学校へ行こう」の中で「休み時間向上委員会」として紹介されていた全国的にもよく知られたゲーム。確実に休み時間が楽しくなったはずです。


何にしてもですね、子ども達の笑顔がどんどん増えているのですよ!

今年の井上学級の子ども達は、笑って学校生活を送れることが、いかに幸せなことだったのかを、親になったときに味わうことでしょう。


この学級レクリェーション企画、もっともっと続けていこうと思っています。

そのうちに子ども達から「こんなレクをやりましょうよ!」と提案が出てくれば学級は完成の域に入った証拠となります。
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「平和のとりでを築く」の研究授業

今日は校内研究会で授業を公開しました。

どんな計画で授業を構成したのか、指導計画を掲載しておきます。

(第1時)学習の見通しをもつ
平和に関するイメージを交流する。自分の考えを持ち、文章で情報発信することを知る。

(第2時)「平和のとりでを築く」を読む
筆者の訴えを考え合う。

(第3時)「第五福竜丸の歴史」を読む
地元の平和財産である第五福竜丸のことを知り、水爆被害について考え合う。

(第4時)ビデオ「ヒロシマ~母たちの祈り」を鑑賞する
原爆の映像資料を見て、その悲惨な被害の実態を知り、考え合う。

(第5~6時)先輩達の書いた文章を読んで参考にする
「香取小こども情報局」に残されている過去2年間に書かれた先輩の文章を読み、自らの考えを深め、情報発信の参考にする。

(第7~8時)平和についての意見をマインドマップでまとめる
これまでの学習で深めてきた自分の考えをまとめ、文章化の構想をする。

(第9~10時)自分の考える平和について下書きを書く
ブログへ発信するための文章を書く。

(第11~12時)推敲しながらブログに情報発信をする。
自分の文章をブログ記事にしていく。

(第13時・研究発表の本時)コメント交流をする
友だちの書いた文章を読み、感じたことや気づいたことをコメント欄に書き、意見交流をする。

(第14時)学習をまとめる
今回の学習で学んだことをグループマインドマップにまとめる。


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児童の書いた文章やコメントはこちらにあります。
こども情報局

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今回の授業はPISA型読解力の流れである「解釈」「熟考」「評価」「発信」という展開に合わせて構成しています。

読んで下さった方からのアドバイスをいただければ幸いです。
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本日の国語の研究授業にウェブ参加しませんか

本日、私の学級では「平和のとりでを築く~インターネットで発信しよう~」という国語単元の研究授業を行います。

子ども達が書いた平和への意見文はけっこう読みごたえがあります。もちろん作文構想はマインドマップで立てられています。それを文章化してブログで情報発信をし、さらにコメント機能を使って意見交流を行うことをします。

ブログを使うので、教室にいなくても授業に参加ができます。
そんな学外協力者の参加可能性も探ってみたいと思っております。

この記事を読んだ方で関心を持って下さった方、よろしければ子ども達の意見文に励ましの感想コメントをお寄せ頂けますと嬉しいです。

記事が次々と公開される時間は11時30分~、コメント欄での意見交流が行われる時間が13時30分~となる予定です。


授業で使っている児童用ブログはこちらです。

こども情報局

なお、学校の公式ブログですから、内容によってはコメントの公開ができない場合もあります。(誹謗中傷的な内容や子ども達に理解しにくい内容など)
ご理解頂けますと幸いです。
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苦しんでいます・・・

11月末に学芸会があります。

担任二人としては、この大きな行事を通して、子ども達にさらに大きく成長してほしいと心の底から願っています。

どんな劇を演じさせたら良いのだろうか?
少しでも良い思い出を作ってもらいたい。
そのために6月の「日生劇場演劇鑑賞教室」に申し込み、日生劇場さんや劇団四季さんの御好意で、『エルコスの祈り』という劇を鑑賞してもらったりしました。


担任二人はギリギリまで悩みに悩んで、子ども達に「この台本でいきたい」と提案しました。ところが子ども達の反応が今ひとつ。やりたくないというのではありません。どうも子ども達の心にフィットしないようなのです。

これは困りました。


現時点でも、どうしたら子ども達が生き生きと活動する演劇を提案できるか迷っています。

大上段に「この劇をやるんだ。」と押し切れば良いのかもしれませんが、私たちはそういうことはしたくないわけです。子ども達も担任も納得の上で取り組みたい。





このブログは毎日、前向きなことしか書かないようにしているのですが、今日は我ながら珍しく、お悩み記事になりました。

でもですね、それだけ6年生の子ども達が成長してくれたことは確かなんですね。

それに応えてあげたいわけなのです。
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公立小学校教員は受験にも役立つ授業リズムを

今年度、受験生の多い学級を担任することになり、きちんと進路指導もしながら、より効果的な学習を進めていく必要が出てまいりました。私は子どもの悲しむ顔を見たくないので、受験に関してもしっかり指導していきたい教員です。

小学校の教員の口からよく聞かれる言葉に、
「中学の入試内容は公立小学校の授業内容とはまったく違うので、受験勉強は塾に任せるしかない。」
というものがあります。それはそうですね、入試指導を職業にしているプロ集団に、私たち公立教員が受験情報でかなうわけがありません。

しかし、公立小学校の授業が入試と関係ないと言い切るわけにはいきません。実は大きな関係があるのです。

小学校も高学年になると、実の父親よりも担任の方が1日の時間のうち、数倍は多く子どもに接しています。この担任がボ~っとしていたら、その影響をしっかり受け取るのが子ども達です。

卒業学年の担任は、子ども達の能力を最大に引き出すために、「1日で一番多く接しているのは学校の先生だ」という認識を持つべきです。たくさんの受験生の「脳力」をあげるためには、まちがいなく日頃の授業が大きな影響を持ちます。

受験だけでなく、様々な問題を解決していける人材を輩出するために、
「思考力」「判断力」「表現力」
を持った子ども達を育てるべく、残りの夏、自己研鑽に励みたいと思う井上でした。
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2年生の研究授業「どきどき わくわく まちたんけん」

(画像は授業記録のマインドマップです)

今日は校内の授業研究会でした。
2年生の生活科、指導するのは2年目の若手女性教員。

授業は、学級のフィリピン出身の保護者の方々をゲストティーチャーにお招きして、フィリピンの学校や遊び、文化について学ぶこと。そしてその学びを共有することで生まれる「かかわり」によって、自分や友達の良さを感じることができていました。


今日の授業はとても素敵な内容でした。

まずは担任からクイズ。
「この国旗はどこの国のものでしょう?」
「先生が来ている服はフィリピンの服なのですが、いったい何で作られているものでしょうか?」
このクイズになった服、結婚式の時に男性が着る服らしいのですが、パイナップルの繊維で編まれているそうで、それだけでも子どもも参観している教員もビックリです。つかみは完璧!!!

次の指示が彼女の教師センスを象徴していました。
「人の話を聞くときの注意は何でしたか?」
「はい、耳でしっかり聞くことです。」
「目で話している人を見ることです。」
「口はおしゃべりをしたりしないことです。」
「心で聞くことです。」
というように五感に関連させて話を聞く姿勢を身につけさせている。2年目の教員になかなかできることではないと私は思います。同じ学年のベテランの先生の指導がとても良いのと、彼女が指導を素直に受け入れて、さらに実践に移せる人なのでなせる技だと思いました。


ゲストティーチャーに来てくださった保護者の皆さんは、緊張しながらもとても楽しそうに子ども達にかかわってくださいました。フィリピンの学校のこと、子ども達が日常的にしているゲームを紹介してくださり、ゲームは実際に教えてくれました。

「ピテック」
輪ゴムを使ったおはじき遊び。自分の輪ゴムが相手の輪ゴムの上に乗ったら自分のものにできる。それをつなげていって、次にゴム飛びやゴムを使った遊びに発展させていくこともOK!
日本でも流行らせましょうか!!!休み時間向上委員会を作ってね(笑)

「ブーラックラック」
みんなで輪になって手をつなぐ。みんなで歌を唱う。真ん中に一人が入ってダンスを踊りながら並んでいる人一人一人順番に回っていく。歌が終わったときに当たった人がダンスを踊る役と交代して真ん中に入って踊る。


協議会では子ども達の気づきや、ゲストティーチャーの思いが話されました。

「子ども達は『ブーラックラック』って、日本の『ひらいたひらいた』みたいだね!」と言っていました。私たちは『かごめかごめ』と同じかなと大人の感覚で冷静に分析していたけど、子ども達は素直な感性で『ひらいたひらいた』と言い出していた。この感じる心を大切にしていきたいです。」

「ゲストティーチャーの皆さんは、日本の子ども達にフィリピンの文化を紹介することができてすごく嬉しかったと言っていました。慣れない異国で、自分達のことを認めてもらえたという喜びが大きかったようです。言葉があまり分からなかったので、これまで学校にもなかなか来ることができなかったのですが、この授業を通して学校に来やすくなったようです。」


今回の授業はこうした異国文化を通した「かかわり」が、子ども達だけでなく外国出身の保護者の皆さんとも結びつきを深めたわけです。素晴らしいではないですか。生活科の目標である「かかわり」を通して自分の良さや町の人々の良さに、大人も子どもも気づくことができたのです。


協議会でもうひとつ井上が心から感心した発言がありました。
それは、特別支援の先生の発言でした。

「『かかわり』ということが生活科の目標になっているけれども、その『かかわり』から何が生まれたのかをしっかり見ていくことが大事だと思います。」

(確かにそうだ!私が言ったことを一歩深めてくれた!)と井上、思わずニコッとしていました。双方向性の発言で協議を深めるのが研究ですからね!!!

良い授業を参観して、実のある協議会ができて、うちの校内研も捨てたものじゃないぞ!と嬉しくなりました。


小学校セルフエスティームを育てる道徳授業 低学年編
清水 保徳,和井内 良樹
明治図書出版

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