地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

ジャカルタ炎鉄録 (7) 国産冷房車KRL-1

2009-08-28 20:20:00 | インドネシアの鉄道


 ボンバルディアや日立の技術を取り入れたVVVF車(一応、韓国の現代重工業から部品の供与を受けた車両もあったそうですが、調子が悪過ぎて早々に離脱・放置となってしまったそうな。さすが台湾に故障続出のPP自強や通勤電車を売りつけて、アフターサービスで知らぬ顔をした韓国メーカーらしいエピソードだなぁ……と)を製造し、非冷房エコノミーの主力の一角を占めさせるに至ったインドネシアの鉄道車両会社・INKA社は、さらに今世紀に入りVVVF冷房車の製造に乗り出しました。その作品がこの車両、KRL-1形です! まぁずんぐりとした流線型ボディに派手な色彩感覚ということで、恐らく日本人ウケはあり得ないかも知れませんが、少なくとも「一つ目小僧」ではなくHITACHIとの連続性があるデザインとなった点は評価しても良いのではないかと思っています。
 しかし、この車両の誕生はちょうど日本の国際協力による都営6000系の譲渡の時期と重なってしまい、日本製中古冷房車は導入費用が格安で使い勝手も格別だという評価がインドネシア国鉄内部で固まったためでしょうか、結局この車両は4連2本の製造にとどまり、生まれながらにして悲運の継子扱い (?) が決定づけられてしまったようです。とくに、当然のことながら非冷房エコノミーと都営6000系双方との混結も出来ないことから、運用面での制約が極めて大きいようで……現在では以下の運用で細々と使用されているようです。
  (1) マンガライ→環状西線→カンプン・バンダン→環状東線→ジャティヌガラ→マンガライというルートで、ジャカルタ中心部の外周を時計回りに一周するエコノミーAC「チリウン号」(「チリウン」は、ボゴール南東の標高3000m近い山に源を発して、ボゴール植物園を経てジャカルタに至る川の名前ですが、ジャカルタ市内では残念ながらドブ川 -_-;)。ちなみに、時計と反対回りの「チリウン」は乗客僅少につき没有了……。
 (2)タンジュン・プリオク(ジャカルタの外港として、かつては恐らく多くの列車で賑わいながら、しばらく旅客列車が消滅、最近復活)から環状東線を経て、ジャティヌガラで本線に合流してブカシに至る区間を2往復するエコノミーAC。



 というわけで、日本製中古冷房車が目当てでジャカルタ初訪問を果たした私でしたが、KRL-1の乗り心地や、山手線よろしくジャカルタの街をグルッと一周する気分は果たしてどのようなものか……という興味もありまして、訪問の2日目(13日)、マンガライ駅で朝の撮り鉄祭りを終えたのち、環状運転エコノミーAC「チリウン」に乗ってみることにしたのでした。
 まず出札口にて……「チリウン」という固有名詞をすっかり忘れていたのと (^^;)、環状運転を意味するインドネシア語を知らなかったことから、指でグルグル環を描きながら (爆)「サークルライン、ジャティヌガラ!」という何とも情けない表現で (^^;) 環状列車に乗りたいのだ!という意思表示をしてみますと……出札氏は「ああチリウンね」と言いながら4500ルピアの切符を売って下さったのでした (それで「この列車の名前はチリウンだ!」ということを思い出した次第 ^^;)。そこでいざ、駅本屋の脇に停まっているKRL-1の車内に入りますと……クーラーがキンキンに効いて清潔に保たれた車内は快適そのもの。駅の待合い椅子のようなプラスチック製椅子はさておき、肌色の化粧板や塗りドアを基調とする車内の雰囲気は……下ぶくれの車体と相俟って、ソウルメトロ3号線の旧3000系 (小田急9000のような顔) を思い出すのは私だけでしょうか (^^;
 午前10時、ラッシュアワーも終わってまったりとした空気が漂うマンガライ駅1番線を発車した「チリウン」は、ジャカルタ・コタ方面への線路を横切ってタナ・アバン方面へと入って行きましたが……何と、そんなシーンを撮っているインドネシア人「鉄子」サンが2名!! (@o@) しかも一眼レフを構えているし……。いやはや、鉄道趣味をたしなむ余裕がある中間層が増えつつあることは知識として分かっていましたが、そんなインドネシアの鉄道趣味勃興にあたって最初から女性陣がしっかりと加わっているというのは、ある意味で健康的で、ある意味でスゴいことなのかも知れません。
 それはさておき、タナ・アバンまでは新都心としての開発が急激に進むジャカルタ南西部の一角を走り、ボゴール・デポック・ブカシから来た一部の通勤列車は中央線経由ジャカルタ・コタ行きではなく、そんな新都心へ通うサラリーマンを乗せてタナ・アバンへ向かっているわけですが……線路周辺だけは著しくスラム化が進み、貧富の格差を痛感せずにはいられません。そして、スルポン線(今回乗りそびれ。残念!) との分岐にして一部客車列車の始発駅でもあるタナ・アバンを過ぎますと、さらに沿線のスラム度は強烈に……。次の、タンゲラン線との分岐にあたるドゥリ駅の南側は、鉄道用地全体がにわかバザール化し、列車が来るときのみ荷物を退かせるという光景が広がっていました (汗)。その次はアンケ駅。やはり低所得者層が密集して住む中にある超下町の駅ですが、日中ここで折り返してボゴールに向かう唯一の列車として東急8613Fが停車している風景は……何と申しますか、異次元的な組み合わせでした、はい (^^;;;
 アンケを過ぎてしばらく走りますと、かつてジャカルタがバタヴィアと呼ばれていた当時の、オランダによる支配の栄華を伝える一角として、洋館が数多く残る一帯をかすめます。保存された跳ね橋も目の前に見えて、なかなか風雅なものです。ここらへんに駅を設置すれば、多少は歩くことになるかも知れないものの、観光やジャカルタ・コタ駅周辺へのアプローチとして便利になりそうなものですが……(いやその前に、建物がことごとく老朽化して空洞化した洋館群の保存と街並み再生の方が先のような気がしますが、植民地時代の遺物に政府・市当局や世論がどれだけ歴史的遺産としての価値を認めるかがカギでしょうか。例えば台湾と韓国ではまるっきり違いますし)。
 そんなことを考えていると、やがてジャカルタ・コタ駅からの線路が合流し、東線に入ってカンプン・バンダンに到着。ジャカルタ・コタからこの駅の高架部分を通ってタンジュン・プリオクに向かうルートは列車が途絶えて久しく、線路上がスラム化する一方だったところ、今年中の運行再開を目指して移転作業や工事などが進められているそうですが……パッと見、どうしてもそれが実現しそうには見えない……(苦笑)。その後は東線をタラタラと進みますが、東線のスゴい世界につきましては別の記事で改めてご紹介することにします (^^;
 というわけで、山手線と同じく約1時間の旅を終えた電車は、マンガライ方面からの本線と合流してジャティヌガラに到着、乗っていた客(といっても大した数ではありません) のほぼ全員が下車した後、回送同然の姿でマンガライまでの残り一駅分へと踏み出して行ったのでした……。ジャティヌガラは、ジャカルタ市街の南東にあり、長距離優等列車も停車する主要駅でもありますので、ホーム上は列車待ちの客で常に賑わっていますが、駅の建物やホーム上屋はあくまで昔気質。何とものんびりした雰囲気が好ましいです (^^
 こんな感じで、KRL-1の環状列車「チリウン」のプチ旅を楽しんだのですが……この列車、とにかく乗客が少な過ぎ (-_-;)。原因の一つは、山手線のようにそれぞれの駅の周辺が一大商業・ビジネス地となっている環境では全くなく、環状運転の列車への需要が極めて少ないためだと思われますが(山手線の開業当初が超空気輸送だったのも同様の理由による)、もう一つの原因として考えられるのは……遅れが発生すればいつ何時運転自体が取りやめになってしまうかも分からない頼りなさ。マンガライ7:40発の「チリウン」がマンガライを約20分遅れで発車して行ったのを目撃したことから、「それでは次の8時50分頃の便と10時発の便はそれぞれ20分ほど遅れそうだなぁ……」と思っていたのですが、何と!9時頃にマンガライに戻って来たKRL-1は、そのまま約10分遅れの8時50分発「チリウン」として運行されるのではなく昼寝 (?) モードに入り、何と8時50分発は完全に運休……!!(爆) これでは、駅で待っていても仕方がないので、利用客離れが進むのもやむを得ない気が……。何とか4連冷房車と環状運転を活かす方策はないものか……という思いがしばらく後を引いたのでした。
 というわけで、インドネシア・オリジナルの電車のご紹介はこれにて完結。この連載の次回以降は第2部として、日本の海外援助がらみで入線した「贈り物(Hibah)」電車=都営・メトロ・東葉編となります。お楽しみに~(って、期待している方はそんなに多くないか。笑)。