昨日の朝『じゃ○るた新聞』の見出しを見ておりましたところ (購読料を払っているわけではありませんので、閲覧出来るのはトップ記事の全文とその他記事の見出しのみ……^^;)、インドネシア政府 or ジャカルタ特別州が80兆ルピアの予算を確保してジャカルタ市街の北東にあたるクマヨラン一帯を大々的に再開発する旨が伝えられておりました。クマヨランというところは基本的に下町で、環状東線のクマヨラン駅を中心として昔ながらの商店街や庶民の家 (スラムというほどではない) がゴチャゴチャと建ち並ぶところですが、既にクマヨラン駅からみて北東に1km少々行ったところに大規模な交易会などを開催可能なエキシビション・センターの類があるほか、駅の西側1km少々のところにはジャカルタの銀座通りとして知られるパサール・バルがあり、さらにそのすぐそばにはジュアンダやガンビールといった官庁街が控えていますので、何故これほどの場所に手つかずの下町がまったりと広がっているのか不思議ですらありました。そこで、まさに昇り龍の如き経済発展が続く中、絶好の立地を誇る新たな商業集積地をつくるための白羽の矢がクマヨラン一帯に立てられたことになりますが、個人的には……環状東線とタンジュン・プリオク線の分岐駅として余裕ある構内を持ちつつ田舎然・まったりとした空気が漂うクマヨラン駅、そして駅北側のなかば沿線住民の生活空間と化した複々線区間の雰囲気が大好きですので、これら全てが再開発の中で激変する可能性を寂しく思うものです……。 とくに駅の大規模改築があるとすれば悲しすぎ・・。
というわけで、1枚目にクマヨラン界隈を走るカットを掲げつつ、ジャカルタのエコノミー電車の続きとして、1997年・日立製のVVVF車 (通称、ずばりそのまんま「HITACHI」) をアップしてみましょう。既に過去2回の訪問でも、4両編成×4編成しか製造されなかったHITACHIの、少数派ながらも健気に走る光景に大いに魅せられたものですが、実際に稼働可能な編成は4+4の8連1本しかない状態が久しく続き、いつ突然消えてしまうか分からないことから、毎年見かける度にホッとするとともに「この先も大丈夫だろうか」とヒヤヒヤする存在でもあります。
そんなHITACHI、ボゴール線の運用に入ることもありますが、基本的に東線~ブカシの運用に入ることが多いような気がするのは私だけでしょうか。というわけで、本数が少ない中央線高架~ブカシ線のエコノミーにHITACHIが入ろうものなら (2枚目の画像。訪れたことがある人のみしか分からない説明で恐縮ですが、高架[画面右奥の茂みのさらに右奥]から駆け下りてきた後ポイントを渡らずに直進する列車は全てブカシ行き&長距離列車)、「ぬをを~何という激レアシーン!」と叫びたくなります (マニアック過ぎるなぁ……笑)。
ちなみに今回HITACHIは、空いている時間に中央線~ボゴール線で乗ったほか (HITACHIのVVVF音を聴きながら、ドアの手すりをつかんで体を外に反らせ、朝風を全身に浴びながら独立記念塔界隈の展望とガンビール通過を楽しんだのは何とも痛快でした……笑)、帰国日の朝、骨折しているとはつゆ知らず、ジャカルタ・コタからクマヨランまで「撮影地への通勤」で乗車しました。ジャカルタ・コタ駅の東線経由ブカシ行電車が発着するホームは地表と同じ高さでしかなく、HITACHIのステップに足をかけて乗車するのは最高に痛く面倒だったのを思い出します (ちなみに、撮影終了後メトロ05系でジャカルタ・コタに戻り、ステップを使って地表面ホームに降りるのはもっと激痛……)。というわけで、1枚目の画像も骨折した状態で痛みをこらえつつ撮影したのでした (爆)。既に医者から目出度く「一応全治」を告げられ、目下大手町駅の半蔵門線~丸ノ内線をつなぐ長い階段を上り下りしてリハビリしまくりですので (笑)、最早どうとでも自虐笑いネタにできます、えぇ (^^;;)。
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