本日は台湾の目出度い(?)双十国慶節というわけで、早いもので4ヶ月少々前の台湾出張鉄ネタのつづき……キョ光[くさかんむり+呂、ウェード式ローマ字でChukuang]号です!!
そもそも1895年から1945年まで日本統治下にあった台湾にとって、双十国慶節などどうでも良い(とりわけ独立派にとっては)ものかも知れません。「満洲人を追い払い、清を倒すぞ!」と気勢を上げた中国人が1905年、今や鉄ヲタのむさ苦しい人いきれが鉄道雑誌正式販売日2日前になると渦巻く(笑)神田神保町を拠点に革命地下活動に乗りだし、1911年10月に武昌(現在の湖北省武漢市)で鉄砲玉の如く武装反乱を計画していたところ、計画がうっかりバレてしまい、慌てて10日、ヤケっぱちで挙兵……。ところが中国全土であら不思議、各地の将軍が呼応してクーデタ宣言をしてしまい、憐れ幼子の宣統帝(俗にいうラスト・エンペラー)は退位し、約20年後には日本の使い走りになるという運命をたどることに……。双十節=辛亥革命記念日とはそういう日ですので、台湾とは本来関係ないのです、はい。
しかし、1945年に日本が敗戦し、清の領土を継いだ中華民国に台湾の統治権が移り、さらに蒋介石が毛沢東に敗れて台湾に引っ越してきたばっかりに、台湾は台湾人のための台湾ではなく、中国大陸を取り返すための台湾に……。まぁそれを言い始めたら、1945年までの台湾も日本人のための台湾だったわけですが、それでも今日台湾の人々が日本に対して極めて好意的であるのは、蒋介石が台湾のために大したことをしていない(むしろ酷い目に遭った)のに対し、日本は少なくとも今日の台湾の土台を作ったと思って下さっているからであります。有り難いことです。
そんな蒋介石の時代の末期、1971年に登場したキョ光号は、まさに「中国大陸を取り返すための台湾」を最も象徴するネーミングであると言えます。「光」は字の意味そのものであるとして、ではキョとは何ぞや? 春秋戦国時代、周りを敵に囲まれたキョの国を指しており、実際この頃から台湾は中共に日和った米国や日本との国交が断絶してしまいましたので、「毛匪を追い払い中国全体に光を取り戻すぞ!」と念願していた蒋介石にとっては一層「台湾はキョである……」と思ったに違いありません。キョという固有名詞にはそんな、「毋忘在キョ」(キョに在るを忘る毋[なか]れ→台湾は孤立無援だが大陸を回復するために頑張れ!)という怨念がこもっており、ますます台湾そのものとは関係ありません。「自強」「復興」の方がまだ台湾と関係があり(とくに前者は、「もう大陸なんて取り返せないので、台湾を育ててここで生きて行くしかない」と割り切った息子・蒋経国の時代と大いに関係があるでしょう)、さらに台湾原住民族の固有名詞から名を採った「タロコ(太魯閣)」「プユマ(普悠瑪)」に至っては、ゴリゴリの大中国主義の権化ともいうべき「キョ光」とは真逆の文脈にあるわけです。
しかし、そんな台湾にとってどうでも良いネーミングの列車であっても、出現してみれば何と!日本国鉄新性能特急・急行電車のグリーン車と比べても何ら遜色ない豪華絢爛なアコモデーションに加え、台北と高雄の間を5時間で走破するという革命的な存在……。当初こそ「アジア四小龍」として大いに経済発展し始めた頃だけに、運賃を負担できるのはごく一部の国民党幹部や富裕層に限られ、一般庶民は黙って見ているだけであったようですが、「是非乗りたい!」という人気は凄まじいものであったようで、まさに「オレもキョ光号に乗れるようになろう」という強い願望が台湾社会の発展を促したのかも知れません(さすがにこれは極論か ^^;)。
そして個人的にみるところ、未だにキョ光号を超える総合アコモデーションを誇る列車は台鉄には現れていないように思います(キョ光号にたまに連結される、1+2列シートの豪華観光客車[ツアー会社が販売し、自強号運賃]はさておいて)。もちろん、タロコやプユマの椅子も見てくれはデラックスかも知れませんが、イマイチ構造的にチープさを禁じ得ないという……。シートピッチもさほど広くないですし、何と言っても日本グリーン車に比肩する大きさのフットレストがありません。そしてキョ光号のもう一つの売りは……車体構造やブレーキなど、基本的には日本の旧型客車そのままであること♪ 高い天井、蒲鉾切妻、手動ドア、「シャーッ!」という音が絶妙なブレーキ音……それに加えて巨大横長窓や豪華椅子が組み合わさっているのですから、もしも日本のスロ54など特ロ客車が電車や気動車に押されず正統進化を続けていれば、多分キョ光号のような感じになっているに違いない……と信じます。台鉄といえば藍色普通車(特に日本製・スハ44風の対号快車用客車)や東急車輌製の非冷房DCであるDR2700、そして最新のプユマやタロコに関心がややもすると二極分化しているように感じられますが、実はキョ光号こそあらゆる意味において最も濃厚で奥が深い……と思うのは私だけでしょうか(否、それを言い始めたら、キョ光人気を受けて登場したスペックダウン列車・復興号の方がもっと奥が深いかも。現在僅かに残っている車両は新造車グループかも知れませんが、激減前は旧型客車の下回りを流用したため乗り心地がかなり悪い車両も多数あったようですので……)。
そんな、台鉄の中でも最も優雅で風格あるはずのキョ光号も、その後高速な列車がどんどん登場し、とりわけ高鉄の開業によって長距離列車削減→復興号の西部幹線からの撤退や、東部幹線における長距離平快車の消滅の結果、今や鈍足列車となったキョ光号は停車駅が大いに追加され、ますます鈍足に……。ガイドブック等では単なる「急行列車」と紹介されているのを眼にするたび「違う!キョ光号は単に鈍足で古いだけの豪華特急なんだぁぁぁっ!」と思うのは私だけでしょうか。
それでも何のかの言って、キョ光号は相変わらず長距離列車として、のんびり旅行したい客と通勤通学客をともに乗せて、今日もまったりと台湾全島を漫遊しています。独裁時代の超豪華最速特急から、自由で豊かな時代のシブい急行列車へ……その性格は「中華民国」の国家としてのありようと全く同じく変わってしまいましたが、それでも基本的なアコモデーションは何一つ変わらないあたり、キョ光号約40年のプライドを表しているのでしょう。そんな、ある意味で如何にも「守旧派」な列車をも未だに台湾の人々が愛用しているあたり、台湾という国のユルくて何でもありな雰囲気も感じられるものです。
……をっと、キョ光号への愛を激しく綴っていたらすっかり長文になってしまいました (^^;)。なお、今回の出張鉄でキョ光号に乗ったのは、七堵を出庫して高雄に向かう列車を激写した後、そのまま台北まで約20分間乗ったのみ……(滝汗)。まぁ究極のキョ光号気分をガラ空きな車内で満喫して御満悦でしたが (^o^)、やはり欲求不満が残りますなぁ~。やはりいずれ久しぶりに、台北~台東間を乗り通すとかしなければ……。
なおキョ光号のうち、時刻表に車椅子マークが付いた列車には乗ってはいけません。PP自強と同じショボ目なアコモの横開き自動ドア客車・FP10400系列ですので……。一方、車椅子マークが無い手動ドア客車はまだまだ健在ですが、転落死亡事故が度々起こっているため、台鉄はドア閉めに非常にナーバスになっています。ホームにも、黄色いベストを着たドア閉め要員がいるほどです。したがって、そう遠くない将来に台鉄は手動ドアのキョ光を廃止したいともいわれており、都市間高速輸送も念頭に置いて通勤車としては異例の流線型マスクを持つEMU800が今後どれほど増えるかが一つの鍵となることでしょう……。
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