地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

近江路歩き鉄 (3) 「お〜いお茶」編成

2017-11-19 23:59:00 | 地方民鉄 (近畿)


 かつて多くのゲテモノ系鉄ヲタ (どーゆージャンルだ?) を魅了した近江220形の一部は広告ラッピングを纏っており、そのうち一両は黄緑一色の「お〜いお茶」姿となっていたものです。勿論、ライオンズカラーの標準塗装車が来ればベストであったのは言うまでもありませんが、「お〜いお茶」もこれはこれで「まいっか」という感じでした。



 そして今や、「お〜いお茶」は811編成に引き継がれており、沿線に日々お茶の香りを振りまきつつ (?) 活躍しています。そんな姿を、八日市で一泊した翌朝、五箇荘にて後追い連写してみました (下車後反対側ホームにダッシュ ^^;)。
……う〜む、個人的にはどうしても、米原方のクハ1811「濃い味」の方に惹かれてしまいますなぁ〜。何故なら、ヤンゴンで活躍するミャンマービール・ラッピングのキハ38や、社会主義圏の特色ある緑皮塗装を連想してしまうからであります (*^^*)。そういう比較の基準はどう考えても特殊かつ病的なのですが……(笑)。

近江路歩き鉄 (2) 高宮の西武3000系

2017-11-18 12:00:00 | 地方民鉄 (近畿)


 近江鉄道の高宮といえば、単に本線と多賀線が分岐するのみならず、構内横断踏切や三角形の分岐ホームを擁するなど、(いくら駅舎が新しくなっても) 昭和な駅の雰囲気を今に伝える存在として隠れた人気があると思うのですが、とりわけごく一部の侘び寂び系ヲタの間で高宮の名を高からしめているのは、かつての貨物列車ヤードをそのまま利用した車両放置スペースでしょうか。かつてここで長年雨晒しになっていた西武401系は、彦根工場の匠の技によって完全に再生され (一部は部品取り?) 今や近江鉄道の主力となっていますが、今やここには、将来の近江鉄道の主力となることが期待されている西武3000系が放置されています。



 このたび、せっかく徒歩で中山道を歩き、ついに高宮宿に達するからには、そんな西武3000系の現状も当然確かめなければならないと思いまして、垂れる稲穂と彼岸花の組み合わせが美しい小径を歩いて多賀線&ヤードの踏切に着いてみますと……をを!何と素晴らしい青草の海♪ 完全に3000系の下回りを覆い隠しまくっています……(*^^*)。こんなシーン、横瀬でも絶対に撮れないよなぁ……。もし安比奈線が完全に崩壊しつつある休止線ではなく、たとえば大井川鐵道の大代川側線のように遊休車両を突っ込んで放置するための路線として「活用」されていれば、安比奈のヤードにこんな感じで車両が放置される光景が展開したのかも知れません。
 それにしても、彦根のミュージアム区画に放置されている新101系もまだまだ改造待ち在庫がある中、3000系は一体いつ改造されデビューするのでしょうか……?

近江路歩き鉄 (1) 桃色のガチャコン

2017-11-17 13:00:00 | 地方民鉄 (近畿)


 中山道も近江路に入りますと、さすが近代日本の商業振興にも大いに与った近江商人の本場だけあって、柏原・醒ヶ井・番場……と非常に見事な建築の宿場が現れます。このうち番場は、線路が里山を一つ越した米原に敷かれてしまったため、往時の賑わいも見る影もありませんが、柏原と醒ヶ井はそれぞれゆっくりすれば2〜3時間は軽くつぶれるほど素晴らしい街並みです☆
 伊吹山を背にしながら、そんな近江路北東端に別れを告げ、ひとしきり名神高速の脇を登って行きますと摺針峠に達し、目の前には新幹線からも良く見えるフジテック (株) のエレベータ試験塔と琵琶湖の遠望キターッ! そして僅かに森の中を下りますと、中山道は突如ガチャコン近江鉄道の脇に出て、少しの歩きで鳥居本宿に到着します。



 鳥居本は、この駅を探訪されたついでに、電車が来るまでの暇つぶしでブラブラしたことがある方でしたらご存知の通り、非常に見事な街並み……。古典的で素晴らしいのは駅舎だけではないのです! もっとも、街道歩き専門の方が、その逆でガチャコン鳥居本駅を訪ねることは余りないようです。しかし私は鉄ヲタのはしくれを兼ねていますので、鳥居本、否ガチャコン沿線に着いたら先を急がずに、是非撮り鉄もしようと思いまして、ド順光のもと米原行きを後追い撮影しようとしたところ……あらら、やって来たのは健康診断宣伝ラッピングの810編成でした……。
 しかもこの編成、その後多賀大社に寄り道したついでに多賀線撮り鉄も楽しもうと思ったところ……日中は高宮〜多賀間を機織りする運用に入ってしまいました (-_-;)。う〜む、ついてない……ですけど、ピンクをベースにデザインの統一感はあり、キャラもそこそこカワイイからまぁいいや (^^;)。
 220形が定期運用から離脱したのちの近江鉄道といえば、あかね号700形、濃紺の900形 (西武新101系)、そして復活赤電など、個人的超お楽しみ編成は複数あるのですが、この先果たしてウマく撮れるのか……。そんなモヤモヤ感を抱きつつ、この先中山道は高宮〜五箇荘間で近江鉄道と平行することになります (と申しますか、この区間は中山道の宿場を結ぶルートとして敷設され、後で新幹線も並走することになったという次第)。

美濃路歩き鉄 (12) 313系は偉大なり

2017-11-16 15:20:00 | JR発足後の車両


 長野県境の馬籠峠からチンタラ歩いて計5日半をかけた中山道・美濃路の旅は、関ヶ原を過ぎてしばらく山の中を歩いたところにある今須宿で終わります。今須宿界隈の東海道線は急勾配の連続につき、垂井・関ヶ原・柏原・醒ヶ井とは違って鉄道駅が設けられず、不遇としか言いようのないほどの寂れ方をしていますが、そんな今須宿を抜けて緩い坂を登ったところに、県境手前の踏切があり、ここから1〜2分の歩きでついに近江国・滋賀県に突入します。そんなタイミングで、30分間隔の米原行きがやって来たのは、美濃路完歩の御祝いとして実に嬉しいものがありました。



 そう……美濃路の旅は、313系といいキハ75・25といい、JRC世代の近郊型車両を愛で、その魅力をいっそう認識する旅でありました。やはり鉄道車両たるもの、きっちりと風格を突き詰めた完成度であって欲しいものです。そして、何気に国鉄フォントを継承した形式・車番表示からして、JRC一般車両は国鉄近郊型車両の最も正統な後継者であることをひしひしと感じたのでした。
 ちなみに、美濃赤坂〜大垣間にも乗りましたので、この区間で主力として使われている313系3000番台にも触れるべきかも知れませんが、夕方美濃赤坂から乗った際には平日と土曜休日の時刻表を見間違え、余裕を持って駅に着き駅舎スナップ写真を撮り始めたと思ったら発車のアナウンス (滝汗)。大垣駅も美濃赤坂行きは撮りにくい位置に停車するため、結局画像は省略です (^^;

美濃路歩き鉄 (11) 西濃鉄道乙女坂駅

2017-11-15 12:00:00 | 貨物列車 (民鉄)


 中山道の宿場町であった美濃赤坂駅の周辺には、その繁栄を伝える見事な建築がそこかしこに残っています。しかし、今や美濃赤坂の街における最大の産業は、すぐ北にある石灰石の巨大な塊である金生山を切り崩す採石業に移行しており、街の一等地には石灰石ホキの所有者である矢橋工業の本社が陣取っています。
 というわけで、鉄ヲタが中山道を歩いて美濃赤坂を訪れるにあたっては、そんな赤坂宿の今昔をビンビンに感じる最良のネタとして、恥ずかしながら初めての西濃鉄道撮影を試みることにしました。大垣に泊まって揖斐行きの一番列車に乗り、東赤坂から15分ほど西に歩けば、早朝6時過ぎに美濃赤坂を出発する乙女坂行きの運転には間に合わないとしても、乙女坂駅で罐と貨車を撮れるだろうと思いまして……。



 しかーし!このプランは所詮西濃鉄道初心者の無謀な試みでした (苦笑)。東赤坂から必死に歩いてようやく線路に近い街並みに迫ると、奥の方でホイッスルが鳴り……あ〜あ、本線走行には間に合わん。揖斐行きがあと10分早く大垣を発車してくれれば間に合ったものを……(苦笑)。まぁ仕方がないので、とりあえず乙女坂駅に向かったところ (駅の大部分は積み出し工場の中ですが、南端と北端は公道に面しています)、既に罐の入換は終わり、美濃赤坂寄りのホキから順に積載作業に入っているという……。
 というわけで、罐は全く撮れず、単にホキ2000を撮るだけに終わってしまいましたが、ホキ2000-1を撮影する偶然に恵まれましたし (→ムリヤリ嬉しがる -_-)、入換の要領が分かったのも収穫でした。ここは美濃赤坂からの到着時と、積載作業をほぼ終えるタイミングが華ですな……。