地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

美濃路歩き鉄 (10) ワイン色の養老鉄道

2017-11-14 12:40:00 | 地方民鉄 (中京北陸)


 大垣夜行に乗って東海道線を西に向かう際、一体どこから「関西」をビンビンに感じ始めるのか……人によって基準は様々でしょうが、個人的には名古屋駅の手前や大垣駅で近鉄の電車がチラ見えした瞬間に「西へ来た……」という印象を抱いたものです。実際に関西を「関の西」たらしめているのは、関ヶ原の南西にある不破の関であるといわれますが、鉄ヲタは関ヶ原に達する前に、如何にも近鉄な21m級大型車体を通じて関西を意識するとは、まさに近鉄の巨大な存在感の成せる技と言えましょう。



 このたび中山道を西へ西へと歩いてみた中でも、やはり養老鉄道を横切り近鉄ボディと御対面したことで、「うおぉぉぉぉ~っ!ついに西国に来たぜ!」と思いましたです……(笑)。
 美江寺駅の西に広がる往時の美江寺宿の街並みを楽しんだ後、次の赤坂宿=美濃赤坂駅界隈までが非常に長く、残暑の午後に田んぼのど真ん中を歩き続けてヒィィ~という気分であったのですが、少しずつ近づく伊吹山、そして辛うじて揖斐川の上を吹く川風を楽しんでると、やがて石灰石採掘でハゲハゲ山となった金生山が近づき、家並みの先に東赤坂駅前の踏切が……(^O^)。そこで内心「養老!養老!」コールが湧き起こっていたところ、何と踏切が鳴り、目の前で揖斐行きが中山道を横切って行くではありませんか! というわけで、一旦踏切が上がるとすかさず斜光線のド順光側に回り込み、交換シーンの並びと大垣行の発車シーンを有り難く激写しました☆。そして、揖斐行きが北へ走り去るのを見送りながら、ついに近鉄南大阪線のお下がりが走る世界に徒歩で達したことの喜びを静かに噛みしめつつ、暮れなずむ赤坂宿へと進み、赤坂支線に乗って宿泊地の大垣(アパホテルのトレインビューの間 w) へと向かったのでした。

美濃路歩き鉄 (9) 樽見鉄道ハイモ330

2017-11-13 12:00:00 | 地方民鉄 (中京北陸)


 岐阜駅の南に広がる加納宿から中山道をたどって行きますと、東海道線をくぐってからしばらく、かつて岐阜市内線・鏡島支線が走っていた古い街並みを進みます。岐阜バスの西鏡島線が10分間隔でやや狭い旧街道を行き交っていることから、鏡島支線はそこそこ繁盛していたのでは?という印象を得ると同時に、この路線がいち早く消えたのもモータリゼーションへの迎合のためだったのか……とトホホな気分になりました。
 鏡島の町を抜けると、中山道は河渡(ごうど)大橋で長良川を渡り、金華山の眺めを楽しむ間もなく河渡宿に入り、さらに西へ西へ、住宅街を進みます。やがて糸貫川を渡ると家並みも次第に途切れ、水田の眺めが広がると、樽見鉄道・美江寺駅南の踏切に到着です。ちょうど、大垣方面からホイッスルが聞こえてきましたので、「をっ♪こりゃドンピシャでラッキー☆」ということで、線路脇で連写態勢に入ったところ……あらら、やって来たのは「モレラ岐阜」ラッピング……(号泣)。



 あ〜あ、この踏切を通過する際には、樽見鉄道標準塗装車が来ればサイコーだ!と期待していたのですが、そう簡単にギャンブルに当たるはずがありません (笑)。本巣へと走り去る「モレラ岐阜」を見送りつつ、「次の大垣行きまで待ってキメてやるぅ……」という思いが一瞬脳裏をよぎりましたが、この先の美濃赤坂まで結構宿場の間隔が開いており、出来るだけ時間に余裕を持って歩きたいのも事実。そこで、どうしようもない残暑の中、駅の自販機で買ったコカコーラを一気飲みして気合いを入れ直し、引き続き西へ、京へ……と歩き出したのでした。
 ちなみに、樽見鉄道の形式名「ハイモ」は、High Speed Motorcarの略で、これに機関の出力値を組み合わせているのだとか (Wikipediaによる)。そして、ハイフンの後の3ケタ数字が日常的な呼称となっているのでしょうか? この702号車は2015年に製造された最新増備車ということで、今後ますますの活躍に期待したいところですが、やっぱり標準塗装の方が良いなぁ……。
 そういえば恥ずかしながら、樽見鉄道は客車列車が走っていた当時、名鉄揖斐線と組み合わせて14系の客レに乗ったことがあるだけでした (汗)。貨物輸送の片手間に、通学需要や薄墨桜輸送に対応した客車をそれなりに揃えていた時代は遥か遠く、単行のワンマンカーで間に合ってしまうというのも時代の流れでしょうか……?

美濃路歩き鉄 (8) 追憶の岐阜市内線

2017-11-12 10:11:00 | 路面電車


 茶所駅前から中山道の加納宿をしばし進みますと、やがて加納天満宮を経て、岐阜駅南口に通じる大通りを横切ります。普通の街道歩き屋さんでしたら、岐阜駅には目もくれず直進するところでしょう。しかし、私は腐っても鉄ヲタの端くれですので、寄り道と称して北進し、岐阜駅前〜新岐阜もとい名鉄岐阜駅前〜明町界隈をぶらついてみました。そう……今はなき名鉄岐阜市内線の雰囲気を少しでも嗅ぎ取るために。
 しかしまぁ、そこに路面電車が走っていたことを示す形跡は、ものの見事にほとんど払拭されてしまっています……。これもまた、路面電車には冷たかった岐阜市らしい成り行きであるのかも知れません



 そして、かつては四方から電車が集って繁華を極めていた徹明町がすっかり寂れ、名鉄のデパートがドンキに変わっていたことこそ哀しけれ。僅かに金園町のアーケードにて、街区表示の看板に電車が描かれていることのみ、そこがかつて電車通りだった歴史を伝えていました。
 というわけで、強者どもが夢のあとを偲びつつ、当ブログの開設前にデジタル撮影していた揖斐線直通用770形の画像をアップしてみたいと思います。とりあえずカテゴリは「路面電車」としましたが、果たしてこれらの画像、既に「懐かし画像」の範疇に入れても良いものでしょうか??
 また、510・520形に代わる揖斐線直通用として名鉄が気合いを入れて造ったはずの、路面電車新時代を象徴していた70形も、今や登場からちょうど30年。一見すると福井鉄道の主力として活躍しているように見えても、実はそれなりに「古株」だったりするという……。時の流れの早さに呆然とします。


美濃路歩き鉄 (7) 名鉄茶所検車区

2017-11-11 00:00:00 | 都市民鉄 (中京圏)


 名鉄有数の撮影名所である犬山橋界隈にて、めくるめく名鉄電車と犬山城の絶景を楽しんだあとは、宿場町の雰囲気を今に伝える鵜沼宿(鵜沼宿駅からは少々北になります)を見物し、あとはひたすら西へ西へ、各務原市を貫く国道21号線を歩き続けます。中山道の各務原市ゾーンは基本的にロードサイド的光景や工場・住宅街の連続で、誠に面白くなく……明るい時間に歩いても仕方がないため、各務原市役所近くのビジホを予約して、暗く涼しい時間帯に強行突破したのでした。途中、工場群に埋もれたかのようにひっそり佇む三柿野駅前を通ったことが最大の印象でしょうか (汗)。
 その翌朝、まだ暗いうちに宿を出発し、新加納・高田橋・切通といった駅の南側の宿場町を眺めながらガンガン進むと、朝6時頃に東海道線をくぐり、名鉄本線の茶所駅前踏切に到着しました。



 この踏切の先から岐阜駅の南にかけてが中山道の加納宿一帯となりますが、ここに踏み込む前に折角ですので、名鉄茶所検車区の北にある人道踏切に寄り道し、茶所に集う名鉄電車を眺めつつ朝食のパンをかじることにしました。
 ところが何と……今や茶所所属の電車は3200系や3500系(それぞれ二代目)といったVVVF車ばっかり! この世代の車両は、個人的に非鉄で名鉄への興味が薄れていた頃にいつの間にか増えていたという印象が強いため、「何だかなぁ〜」という感じの眺めです (汗)。
 そんな中、6時を過ぎれば本線を行く営業列車も増え、茶所で寝ていた車両たちも次々に出庫して行きます。というわけで、踏切上でアングルを少々考えているうちにすぐ踏切が鳴る……の繰り返し (^^;)。そしてテキトーにカメラを振っていると、こういうときに限って流し撮りがドンピシャで決まるという……(笑)。結局手持ちのパンを、踏切の上でのんびりと車庫を眺めながら食すというわけには行かなかったのでした。

美濃路歩き鉄 (6) 名鉄5000系

2017-11-08 09:02:00 | 都市民鉄 (中京圏)


 犬山橋の傍らで行き交う列車を手当たり次第に撮っていますと、どうしても2000・2200系といったセントレア世代の車両 (そういう表現ってあるのか?)、あるいは新3000番台のVVVF車両が多く出現します。AL車やHL車の時代は遠くに去りにけり……ということで、そんな最近の名鉄は頭の固い余所者ヲヤジにとってどうしても馴染みが薄く、自分だけが置き去りにされたまま、名鉄は何もかも変わった、という印象を抱かざるを得ません。とゆーか……最近は他のヲタの皆様や、鉄ヲタ&チャリヲタ街道驀進中な甥っ子(中3)の前で「名鉄AL」「名鉄HL」という単語を並べても「?」という反応をされることが多く、自分が中坊だった頃は寝ても覚めても『私鉄電車のアルバム』やRP誌名鉄増刊号をしゃぶるように眺め続けていたという経験が実は極めて特異で偏執ものであったことを思い知らされます (汗)。



 そんなことを、犬山橋の真下で逆巻く木曽川の流れとともにつらつら思いながら、数分ごとにいろいろ激写していたのですが、そこに5000系 (2代目) が姿を現すと、3150・3300系と近似な車体の「新型」であるにもかかわらず、思わず「キターッ!」と叫んで激写モードに入ってしまうのは何故でしょうか……。
 それは何よりも、この車両が機器流用で誕生したことによります。誰もが圧倒される存在感のパノスパ4連特別車は、特急営業施策の変更のため、まだまだ車齢は古くない段階で全車解体の憂き目に遭ってしまいましたが、界磁チョッパ制御の主要機器はまだまだ十分利用でき勿体ないということで、この5000系が生まれました。そこで走行音も自ずと、直流モーターのとても良い音がします☆ 最近は機器流用車というジャンルが年々減っている中、今後こういう組み合わせは結構貴重なものになるのかも知れません。
 また、栄光の高速・急行用SR車5000系(卵形ボディ)と同じ「5000」を名乗っているのもグッと来ます。車内インテリア的にみれば、初代の転クロと二代目のオールロングでは同列に論じられないかも知れませんが、名鉄3150・3300・5000系の座り心地と内装は上質で、これらが優等で来てもとくにハズれた気分にはなりませんし……。それでも、同じ5000番台なら5700系が来る方が良いですが (^^;)。
 何はともあれ、頻繁に名鉄に通った80年代・00年代とはすっかり様変わりしてしまった名鉄車両界にあって、5000系には是非今後も末永く「マニアックなキャラ」として活躍を続けて欲しいものです。