安倍首相が靖国神社に、内閣総理大臣の肩書きを付けて、真榊とやらをを贈っていた。明らかな宗教行事である。
安倍ボンはとにかく何とかして、靖国神社に参拝したいのだろう。泰樹に神社に行きたくて行きたくて仕方ないけど、首相でいたい気持ちが上回っているために「行くか行かないかは言わない」などとした発言に見られる。今回は本心を隠した苦肉の策である。
なんとも”セコイ”話である。これくらいなら、韓国も中国も見逃すだろうと思っているようである。彼には、復古的国粋主義の臭いがプンプンする。これが美しい国の本体であろう。
対外的には、アメリカとうわべは同盟国とした従米主義を貫いている。その頼りのアメリカも、靖国神社の存在を歓迎はしていない。
私の父も靖国に祭られている。本ブログの昨年8月28日にも書いたが、靖国神社には、真摯の愛国心で祭られている国民がいる一方で、
靖国神社は、1976年(昭和51年)ころからら急に変質した。A級戦犯の合祀をひっそりと行なったり、遊就館を戦前の愛国心や軍国主義で塗り固めたり、遺族会に拡大整備したりしてしまった。
昭和天皇がこのことに不快感を表したのはある意味正常な感覚であったろう。なぜ自民党などには、こうした靖国に何時までも固執するのであろうか。