沖縄戦での「集団自決」に日本軍の関与を認めたものの、「強制」は認めなかった。この教科書問題は、明らかに阿倍晋三前総理の復古的国粋主義思想を受けて、教科書記述が改変させられたものである。
やっとまともになるのかと思ったら、、主要部分は譲らないままである。戦争を美化し、軍隊の不名誉な記述を削除し純潔性を守ろうとする姿勢は、守られたままである。
文科省のメンツを守るだけではない。検定調査審議会が、検討内容が非公開なのである。右翼の脅しを意識したのか、15時間の審議を尽くしたとしておきながら、議事録は公開されていないのである。
沖縄の、前市長村議会と県議会の反対決議と、県民集会の動きを政治的に判断したのである。だから不透明な審議内容になったのであり、どちらともつかないような、表現にならざるを得なかったのである。
簡単に外圧によって、教科書の記述内容を変えることも問題である。教科書とは、一体事実を伝えないで何を記載しようとしているのか。
個々の集団自決に関して、それぞれ個別に軍隊が指導していようがいまいが、そんなことは論外である。この戦争は、東条英機の「戦陣訓」が、戦争を鼓舞して敗北を容認しなかった。
太平洋戦争は、すでにミッドウェー海戦で敗北が決まっていた。それを、引きずったのが「戦陣訓」である。沖縄戦の敗北を受けて、本土決戦が残っていると準備していた、陸軍の存在を忘れてならない。
沖縄は、国土と国民を犠牲にした無為の戦いだったことを、歴史に明記し後世に伝える義務を履行したにすぎない。それに比して、なんと哀れで浅薄な国粋主義者たちであることか。