国民栄誉賞は福田赳夫が、王貞治の顕彰方法として、学術文化以外で内閣の判断で授与できる賞として、1977年に創設したものである。その後は、時の内閣が人気取りのために、国民的な評判良いアスリートたちを気ままに選ぶ傾向にある。受賞者たちには申し訳ないが、時の為政者の気ままな政治的なツールの感が強い。
とりわけ今回の、長嶋茂雄と松井秀喜に関しては、経過を見ても浮いた感じがする。成績だけなら、長嶋より野村克也や張本勲それに金田正一や落合浩満の方がうんと優れている。連続出場で表彰された衣笠は、選手としては平凡な実績しか残していない。
長嶋と松井は巨人軍という人気球団にいたためであろうか? それとも読売のナベツネの差し金ではあるまいに。とりわけ松井に関しては、アメリカメジャーでは僅か数試合のワールドシリーズのMVP以外、何のタイトルも取ってはいない。実績なら野茂の方が勝っているし、開拓者としての評価も高い。日米4000本安打が迫っているイチローは、丁重に断っている。
高橋尚子に至っては、オリンピック女子陸上初とはいえ、たった一度の金メダルである。柔道では3大会も金メダルとった人物もいれば、体操や水泳では複数個を2大会以上とっている人物あるいは団体もいる。
大鵬が生前、千代の富士が国民栄誉賞を受賞した時に、「私の時にはそんな賞はなかったから」と大鵬らしからぬ、羨むと思われるような発言をしている。死後の表彰には、奥さんも言外に異論をにじませていた。
これまで31人(団体一つを含む)受賞しているが、死亡してからが、なんと12名もいた半数を超える。更に2人は受賞まもなく亡くなっている。死後の表彰にどのような意味を持たせるのであろうか?
もう一つお役所的なのは、本名による表彰である。美空ひばりは表彰されていない。政府は加藤和枝を表彰しているのであって、美空ひばりは表彰していない。いかにもお役所的ではある。
今回の長嶋と松井の表彰に異論を唱えるメディアが皆無であるのも、異常な気がしてならない。中身がない分2名にした節もある。生前の表彰にこだわるような発言もあるが、今回の顕彰は実績も乏しく奇異に感じるものである。表彰基準もなく内閣の人気取りの道具に堕した感がある。