靖国参拝を巡って、馬脚を現した国粋主義者の安倍晋三である。閣僚らの靖国神社参拝に関して、「国のために尊い命を落とした英霊に尊崇の念を表するのは当たり前だ。当然だろう」と述べた。
更に、「韓国は盧武鉉政権になって初めて、靖国参拝を問題にし始めた。なぜなのか調べる必要がある」と述べた。中国に対しても「A級戦犯が合祀(ごうし)されたとき、首相の参拝に抗議せず、ある日突然抗議をしはじめた」とも発言した。
これらの発言は、重大な事実と靖国神社の問題、さらには先の戦争の正当化を主張して曲げることのない、安倍晋三の右翼思想、国粋主義者の満目躍如というところである。
私の父も含めて、多くの戦死者は、国に騙されて命を奪われた、一介の国民であって英霊などではない。国家に命を捧げたとする表現は、戦争を正当化するための虚偽の発言である。戦死すれば神になると、戦意を鼓舞し死を称えるのが、靖国神社の存在である。
時の宮司が内密に、A級戦犯の合祀を行っていて翌年それが発覚した。それまで合祀をしなかった理由や、隠密に行ったことがその本質の一端を示している。しかも戦後33年も経ってのことである。
中国が問題視しなかった理由の一つがここにあって、日中関係が順調な時である。順調であった理由も、戦前から懸命に友好関係を保っていた先人たちの労苦が支えてのことである。
靖国神社の本質的問題は、遊就館の再建に見て取れる。1985年、中曽根内閣の時代に、戦争を具体的に称賛すする施設として、再開されたのである。こうした流れを受けて、中国や韓国が反発をしているのである。
安倍晋三の言うところの突如という見方は当たらない。突如は靖国のA級戦犯合祀であり、遊就館の再建である。
靖国神社が世界各国の施設と異なるのは、個人を悼む施設ではなく、国家の戦闘性を鼓舞し称える施設であることである。安倍晋三がやっと本質を露わにしてきた、今回の反応である。