そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

原発は危険だから田舎に持ってゆけという意見に反対する

2017-04-13 | 原発と再生可能エネルギー
4月6日の本ブログの、「自己責任でやれというが、事故責任は問わない」のコメント欄が40を超えたのでここで述べることにします。
コメントを熱心に届けてくださる方は、僻地とくに私の住んでいるような根室に原発を集中せよというのである。僻地もそれで潤うというものである。都市の論理、効率優先の考え方で核融合の基本と、僻地へに住む者の感情を逆なでするものという感想を私は述べている。
1975年ころだったか、私の勤める家畜診療所に、「東京に原発を」という広瀬隆さんの本を置いていた。農家の人たちが来ては見て帰り、ボロボロになって結局は行方不明になった。新しく買っては見たがそれもどこかに行ってしまった。
時は泊原発建設を検討していた時であり、推進する社会党の北海道知事に反対の署名を集めていた。広瀬氏の趣旨は明瞭である。原発が安全なら、新宿の広大な浄水場処理施設の跡地利用が検討されているが、そこに作れというものである。送電建設の費用はほとんどいらない。冷却した温水を欲しがる企業は数限りなくある。送電による電気のロスも維持費もかからない。良いとこだらけの、新宿原発である。誰も賛成しない。原発が危険であるからであるし、事故が起きれば被害者が数が天文学的な数字になり、産業への打撃も計り知れない程大きいからである。田舎の人たちは、広瀬さんの意見にすんありと共感したのだと思われる。
この本は皮肉たっぷりに、原発の危険性を洗い出していた。その後原発基本法には、都会で建設できないよう文言が加えられた。交付金をたんまり出すというのである。原発は危険だということを認めてのことである。
現実に根釧地区の地盤まで数百メートルの間に、堆積層がある深さにコンクリートなどに放射性廃棄物を封じて埋めれば、地震の衝撃は産めない。1万年は保障するという地質学者がいる。その方の意見は、その1万年の間に人類は放射性廃棄物処理の知恵と技術を開発せよというのである。名指しされた地域の議会は早々と反対の議決を出している。
これらの多くは、何でも経済効率優先の社会が、僻地を過疎地と同義語にしてしまった現実に基づくものである。僅か5%の土地に、70%を超す人がひしめく日本である。日本の95%は僻地である。そのうち70%近くが山林であるが、僻地が都会に食料や新鮮な水や空気を提供していることを、理解していれば僻地は金さえ出せば、原発を引き受けるだろうというのは、イナカモンである私たちを冒とくするものである。田舎は都会に人的な提供も続けてきた。それもなくなり、都会の人たちはかつては誰も田舎を持っていたが、2代目、3代目になり、田舎を思う気持ちも薄らいできたのだろう。
今や田舎は都会の犠牲者になれと言われることに時代を感じる。核融合は地球上で人為的な制御不能な化学反応である。

コメント (46)
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