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そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

クナシリ・メナシの戦いの教訓が、明治以降の海外侵略の手本となった

2023-03-29 | 先住民族

日本の歴史教育では、アイヌのことを正確に教えることはない。本ブログでも、アイヌの抑圧について、アイヌの反乱などについて述べたことがある。
幾度もアイヌの反乱の中で、最も大きな影響を国に残したのが、「クナシリ・メナシの戦い」である。1789年(寛政元年)現国後島の北海道側と現羅臼町と標津町と別海町と根室市で散発的に起きたが、明らかに計画的なものであった。武器を持たないアイヌ人たちの反乱は、相当な覚悟がないとできないと思わる。
和人(日本人)は71名(から89名)が殺害された事件である。明治維新のほんの79年前の出来事である。松前藩は制圧に乗り出したが、戦いを続けても敗北は明らかと各地の首長たちがおさえにかかった。お味方アイヌと揶揄されながらも、首長たちは安寧を選択した。アイヌの反乱者は幕府によって、37名処刑された。
その後のアイヌの平定には、南下するロシアの存在が大きかった。アイヌ人の同化政策はこうした背景で始まった。明治以降の海外進出や平定に、このクナシリ・メナシの戦い大いに参考になった。
アイヌの同化政策は、名前や言葉や狩猟などや宗教など文化を奪い、土地を奪って日本文化に迎合させたのである。この同化政策は、台湾で、朝鮮半島で、満州地域で積極的に取り入れられた。
現在、チベットやウイグル系民族に対する、中国の同化政策が全く同じである。あれ程暴力的であったとは思えないが、先住民族の宗教や文化や言葉を奪うのは同じである。
北辺のアイヌを日本の同化させることは、北辺の防衛にも役に立ったが、アイヌ人の差別政策は明治政府が「旧土人保護法」(明治32年:1899年)として、更に強めることになる。これはほぼ100年間我が国のアイヌ人を支配した。
国連の、先住民族の権利に関する国際連合宣言(2007年)によって、アイヌ人は先住民族に認定されたが、日本国内ではすっかり同化政策は成果を上げせしまっている。戦闘的でないアイヌ人は和人との交雑も進んで、我々周辺にも言葉も文化も知らない方々が多く住んでいる。
アイヌの方々は、現在でも9月にアイヌと和人の100名を超す霊を弔っている(イチャルパ、上図)。和人は何もしていない、
強権国家は世界中で、少数民族の同化をドンドン進めている。それが叶わぬとみた、プーチンのように暴力的、軍事的に支配しようとするのである。
コメント (3)
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