”美しい”国などと、自らの政策を形容詞で語り、概念を提示する安部総理は、結局はムードだけで乗り切ろうとしているかに見える。政治家は理念を語らなければならない。形容詞は概念でしかない。
「戦うと政治家」いいながら、靖国神社については曖昧にしたままである。中国も韓国もこれ以上我慢できなかったのであろう。それでもいいから、話し合いたかったのである。経済交流の最も盛んな近隣国家と、首脳がいがみ合っていてはやっていけない。彼は運が良いだけである。
この総理のいい加減さは、アメリカ中間選挙結果にも「他国の選挙ですから」とコメントしない。コメントするだけの、分析力もなければ理念もないのである。ここにも、いい加減なままで曖昧にしておこうとする姿勢がありありである。
美しい国は、総理の頭の中には戦う国家のことのように思える。かつて、早稲田大学で、 無役の頃とはいえ、日本の核装備を唱えた人物である。
棺をいくつも並べなが らも、アメリカな戦争をしている。戦うということは、大量の死者を作り死者を受け入れることでもあるのである。それが果たして美しい国なのであろうか?
いい加減さが売り物の政治家の賞味期限は知れている。