そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

コザ騒動から50年、何も変わっちゃいない

2020-12-20 | 沖縄問題

今日12月20日は沖縄の、いわゆるコザ騒動から50年経つ。珍しく今年は同じ日曜日である。1965年の当時はベトナム戦争の真っ盛り、沖縄返還の2年前である。ベトナム戦争はアメリカの戦況が不利になり、沖縄は戦場の最前線に送られる緊張した兵士や、激戦の前線から帰還した兵士の休息する場所であった。兵士にとって休息の場であっても、沖縄県民から見ると彼らが羽目を外す場でもあったといえる。
アメリカ占領下ではアメリカ軍人や軍属が犯した犯罪の、捜査権も逮捕権権も裁判権も日本にはなく、アメリカ軍人や家族などが犯した犯罪は、多くは証拠不十分として殺人などの重罪であっても無罪放免、アメリカ本土転属となり被害者保障すらされることがなかった。
例えば事件前年の1069年には、交通事故は年間1000件を超え、死傷者は422人であった。加害者の多くが基地内んげ込んで逮捕もされていないが、実際の事故はこれをはるかに上回っている。
事件深夜1時過ぎ酔っぱらったアメリカ兵が沖縄県民をはねたが、MPが加害者を基地に返そうとしたことに、集まった大勢の市民が激怒し数百人にもおよび暴徒と化した。市民は米軍関係者の黄色いナンバープレートを付けた車を次々ひっくり返し火をつけ始めたのである。6時間続いた騒動で燃やした車は82台になった。
基地で働く人や米軍相手の飲食店の従業員も多数加わった、偶発的な徒手空拳の美気すら持たない非組織市民の集まりであった。沖縄県民の怒りはたまりにたまっていたのである。MPは銃を発射している。騒動の最中に逃げようとした米兵の車にはねられて、3日間意識不明になった市民もいた。
翌日の地元紙は一面に大きく、「起こるべくして起きた」と報じた。騒動に加わり車に人つけた人たちも、すっきりしたと述べている。行政主席の屋良朝苗は、「早々を支援するわけではないが、沖縄の置かれている立場を理解してほしい」と述べている。

コザ騒動の2年後本土返還されたが、米軍基地は全く変わらず残り、地位協定が残されてアメリカ軍関係者の起こす無謀な事件は保護対象になっている。米軍関係者の沖縄人、日本人を見下す事件は絶え間なく起きている。
この事件はアメリカ統治下で起きたが、返還後の日本の法律で裁かれている。弁護側はアメリカ憲法の定める抵抗権を主張したが、起訴された4名は日本御法律の器物損壊で裁かれている。
そして半世紀を過ぎた現在、沖縄は辺野古新基地建設反対を数度にわたって表明されたが、今度はアメリカではなく日本政府身踏みにじられて、標的にもなろう基地建設を進めるのである。

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