北海道日本ハムファイターズが、クライマックスシリーズを無傷で勝ち抜け、日本シリーズへと歩を進めた。北海道民として、ファイターズを応援しているが、これは思ってもみなかった結果である。
毎年20勝近くし敗戦数も一桁の、圧倒的エースのダルビッシュが抜けた今年は、Aクラスいいとこだと予測していた。しかも監督は、経験のない未知数の栗山が就任した。
昨年終盤に、梨田監督の退任が報道され、ダルビッシュの大リーグ移籍が現実を帯びるや連敗を重ね、クライマックスシリーズ進出をも逃した。
こうしたことを総合的にみて、今年の日本ハムは惨憺たる成績に終わると予測していた。ところが終わってみると、リーグ制覇し日本シリーズ進出である。なぜだろう。
昨日の試合終了後に行われた、引退を決めた最後の公式戦になった、敵軍の小久保に花束を贈りを胴上げしたことに、ヒントがある。日本の野球は変わったのである。
現在「死闘 昭和37年阪神タイガース」河出書房新社刊、塩澤幸登著、という本を読んでいる。阪神最強時代の年を綴った本である。
阪神最強の時代、小山と村山という稀代の二人のエースを率いての優勝である。村山は、小山が登板する試合は、負けろと念じていたと後日語っているように、全員が個性の塊のような、野武士軍団であった。気に食わない選手は球団が勝手に退団させるし、選手は自分のことしか考えていない。次につなげる打席、監督のためになど誰も考えない。
翻って、昨今の日本ハムを見てみると、お互いが非難し合うこともなく、とても仲の良い選手たちばかりである。稲葉を見るように、同僚はもちろん他球団選手をも非難することがない。
そういえば、最近は乱闘もついぞ見なくなった。監督や選手の退場もほとんどな見られなくなった。観客も選手を非難しない。ひそかな楽しみが消えた。
これは、野球に限ったことではなく、日本社会全体が、個人の力量によるのではなく、お互いに支える、あるいは絆などという言葉で、諍いをなくす社会になっていたのではないか、と思われる。
日本社会は良くなったのか、成熟したのか?
個性をなくした社会は、面白味がなくなり、新たな発想や発展のきっかけもなくしてしまっているように感じるのは、私だけであろうか?
だから生きている幸せを感じます。