
公党としての責任も存在意義も自ら捨てることになる。政党として体をなしていない政党に、候補者を丸投げすることは政党交付金の横流しにもなる。金と地盤のない、希望の党にとってはまことにありがたい前原の行動である。
丸投げを前原はやりたいと申し出たようではあるが、小池に選別をすると釘を刺される始末である。結果的に、自民党の補完政党となるであろう一連の動きは、民進党の解体をすることと同じである。いや、解体が目的のようでもある。つい先ごろ行われた代表就任演説で、前原は民進党を解体するとは全く言ってはいない。
そもそも臨時国会の冒頭解散こそが違憲であり、首相の個人的な身の保全のものでしかない。北朝鮮問題や、消費税の使い道を問うというのはとって受けた理由でしかない。消費増税の使い道などは、アベノミクスの破たんを前提に考えるべき問題である。北朝鮮問題は自らが火を放って大きくした問題であり、韓国と中国以外の国を俯瞰する積極的平和主義が問われるべき問題である。
安倍晋三の違憲法案の数々、論争すらやらない政治姿勢、平然と嘘をつきまくる発言、無知とそれに伴う愚行を問うまたとないチャンスであるが、野党第一党が割れているようではそれも心もとない。第一、小池に集まった多くの国会議員は安保関連法(戦争法)に賛成している。小池自身もそれを民進党候補の踏み絵にするようである。新党の出現はいずれは自民党を強化することになる。健全な野党がこの国では育つ素地すらなくなってしまった感がある。
しかし一体、日本にはいつになったらまともな政治家が出現し、まともな政治が実現するのだろうか。利権と私利私欲と不正不届きする者のあまりに多い日本政界は単にこの国の人々の金を吸い上げるために存在しているのと同じだ。いつまでもこんな政治状況が続く日本なら、政府も議会も議員もないほうがよい。はるか昔あった、村とその寄り合いだけで十分である。何しろ、人々の民度も所詮その程度ということでもあるのだから。
小池の進出は安部にとっては好都合なのだ。自民党が獲得議席数の目標数を減らしている事には訳がある。
こうして、多くの善良だが本質や正体を見抜けぬ有権者は騙され欺かれ、いつもと同じジミンコーメの終わることのない支配と滅茶苦茶デタラメ政治ゴッコにこれからも裏切られ絶望させられ続けられるのだろう。