6月の1ヶ月間、喫茶店で絵を展示していました。5月になって、急遽誘われたグループ展。私が出したのは水彩スケッチ4点と30号の油絵。
情けない癖で、絵を出しておきながら、その1ヶ月、その喫茶店に近づけず・・・。
後になって、評が、ひとつふたつ、三人、四人から入ってきて、照れくさく返事しながら、家に帰って嬉しがっている自分。
アホだなー。
なにやってきたんだろ。
描きたくて、描く自分でありたくて、ヨチヨチ歩きの子供が寝た間に描いていた絵を「いい絵だったよ」「なかなかなものだネ」と、声を掛けていただくことを、今感慨深く受け止めています。
その絵、実は今残っているので一番好きな一枚です。
ものを表現することは、自分の感性の問題なのに、目移りすると、あっちへ行ったり、こっちへなびいたり、そのくせ、いつも心に響くのです。
あの中野重治の詩の一節「トンボの羽やあかまんまの花を歌うな」と。
描きたいのは、自分の心が振れるもの、私を揺さぶるもの。
おしゃべりで、絵のことを語ることもないわけではないけれど、自分の絵については、極端に自己主張を押さえてしまう情けなさ、でした。
評を下さった中には、存じ上げない方々もいらっしゃいます。
ありがとうございます。
あの頃の自分を少し誉めていただいたようで、嬉しいです。
そして、今、いただいた評に勇気をいただいて、描きたいものを表現する気持ちに、少し真剣みを増して、やっていこうと思います。
次の機会がいつになるか、判りません。自分の感性の発露としての絵でないと、いけませんね。
これくらいなら描けるよ、という絵になってしまっていました。
実は、今も町民会館の喫茶店に一枚のスケッチを掛けてもらっていますが…、大人し目の風景スケッチです。
情けない癖で、絵を出しておきながら、その1ヶ月、その喫茶店に近づけず・・・。
後になって、評が、ひとつふたつ、三人、四人から入ってきて、照れくさく返事しながら、家に帰って嬉しがっている自分。
アホだなー。
なにやってきたんだろ。
描きたくて、描く自分でありたくて、ヨチヨチ歩きの子供が寝た間に描いていた絵を「いい絵だったよ」「なかなかなものだネ」と、声を掛けていただくことを、今感慨深く受け止めています。
その絵、実は今残っているので一番好きな一枚です。
ものを表現することは、自分の感性の問題なのに、目移りすると、あっちへ行ったり、こっちへなびいたり、そのくせ、いつも心に響くのです。
あの中野重治の詩の一節「トンボの羽やあかまんまの花を歌うな」と。
描きたいのは、自分の心が振れるもの、私を揺さぶるもの。
おしゃべりで、絵のことを語ることもないわけではないけれど、自分の絵については、極端に自己主張を押さえてしまう情けなさ、でした。
評を下さった中には、存じ上げない方々もいらっしゃいます。
ありがとうございます。
あの頃の自分を少し誉めていただいたようで、嬉しいです。
そして、今、いただいた評に勇気をいただいて、描きたいものを表現する気持ちに、少し真剣みを増して、やっていこうと思います。
次の機会がいつになるか、判りません。自分の感性の発露としての絵でないと、いけませんね。
これくらいなら描けるよ、という絵になってしまっていました。
実は、今も町民会館の喫茶店に一枚のスケッチを掛けてもらっていますが…、大人し目の風景スケッチです。