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日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

先輩達の子産み・子育てエピソード

2006-07-22 08:36:02 | 私の雑感あれこれ
思考は容易に時代をさかのぼることができます。言葉には出さないけれど、なんども脳裏を去来する話があります。
そんな中のひとつです。

30年程前、私が住んでいた集合住宅の周りを、はじめての乳飲み子をあやしながら散歩していた時に、語りかけてくださった50代の女性の話。
「赤ちゃん、お母さんに抱っこされて幸せね。うちの子はね、親不孝な子だったわよ」と。
嫁ぎ先の農家の田植え時、赤ん坊は土手の籠(赤ちゃんを入れておく専用籠、名前があったと思うが…)に、入れて、私も田植えをしなくてはならなかったの。慣れない田植えで、しんどくてたまらないのに、土手の赤ん坊が泣いてくれたら、お乳をやるために休めるのに、まったく、うちの子は泣かないの。私辛くて、土手で休みたいのに…。お乳をやること、子供と一緒にいられることが楽しみだったものよ」彼女は過ぎ去った2,30年前を新米ママの私に語ってくださった。
「奥様お幸せね。赤ちゃんを存分に抱っこできて」

もっと、以前に聞いたこれも嫁の話。
3人目の子供を妊娠中、あまりにもつわりがひどくて、少し横になったの。
そしたら、お姑さんが、そんなに辛いのなら、○○医院で堕ろしてもらって来い。
戦争中の生活を支え、精一杯しのいできたのに、少し横になることも責められたと。あの時は悲しかった。と、その言葉が耳を離れない。

妙にこんな記憶ばかりはいいものだから、何の役にも立たないかも知れないけれど、ここに書き残しておきます。
私たちの国の母達は、こんな中で子供を産み育ててきたのだという記憶として。

先日、自分のかかわっているボランティア団体で、インドの暮らしで女性が知恵を絞って貯金することができるようになると、一家の中でも発言権が…、との文章を編集していたら、インドの女性の地位は、どうなのかしら、そこを説明してもらわないと、判らないのでは…、という意見もでる。
そりゃ、(本で情報を仕入れたり)インドのニュースを30年見聞きしてきた私たちと、白紙状態の若い世代では、語っていても通じないのだろうなと。
自分の暮らしを平均とするところから理解が始まっているから、不足することを知らない日本の若い世代には、私たち以上に想像が困難なのでしょう。
そんな「かみ合わなさ」は、いつの時代も、同時代であっても、たどった経験や本などで仕入れた情報の違いで、当然のことなのかもしれない。
次々と世代が若返り、かつての生活があり、今があるということがなかなか伝わらない。

どなたが読んでくださるかわからないけれど、先にあげたふたつの話。
私より更に以前の、2,3世代以前の、この国の女性が体験した現実です。
その世代があって、今がある、そう考えたものです。
ちょっと小耳に、の先進国ではなかった頃の話です。






コメント (5)
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