日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

わたしの立ち居地からみえてくるもの。晩婚化の流れ

2006-07-09 09:48:03 | 私の雑感あれこれ
◎専業主婦をやってきた50代の主婦の場合

もう、朝昼晩、ずっとご飯の用意しなくちゃならないの。たまったものじゃないわよ。
いろいろ話し合ってね、お昼は外食してもらうことにしたの。
外に用事があるなしに関らず、夫の昼ごはんをわたし作らないことに。

そしたらね、自分自身のお昼ご飯を手抜きするようになっちゃって…。
ほら、そんなにお腹すかないし、残ったものをつまむとか、お菓子でいいや、とかになっちゃって、わたしの体調がおかしくなって…。

で、やっぱり、今はお昼もわたしが作ることになったの。
でもね、わたしが外に出かける用事のときは、夫の昼ごはんのことまで心配しないでいいことになっているから、自分で外食なりなんなり、好きにすることになっているの。

◎専業主婦をやってきた60代女性達の場合

ねぇ、ご飯の準備って、嫌じゃない?
面倒なこと、最近さっぱり嫌になっちゃった。
手抜き、手抜き。
ふたり、三人と相槌を打つ。

子育てが済んで夫婦2人になった主婦達。
かつて、賢くなるには栄養がどうの、手作りのおやつがどうの、元気であっただろうのに、夫婦2人になって、結論は面倒。

あのエネルギー源は、なんだったのだろう。『こども』だったのか。
無意識のうちに抱えていた「理想の女性(母親)像」だったのか。
確かに、かつての食欲がなくなったことも事実なのだろう。

役割分担をしっかりしてきた、しっかり者の奥さん達は、夫の仕事に対応するのが、子育てや食事作りと、長年理解してきた節があるものだから、夫が定年になると、自分の役目にも一区切りつきたい、のが本心か。
ようやく家でゆっくりできる思う夫と、殆ど家にいなかった夫が、気ままに過ごせた自分の城(家)に、いることの違和感を感じる奥さん。

給料収入なしの年金生活の感覚はまだ判りませんが、入ってくる収入が夫の毎日の仕事によるものでなくなり、その感覚に慣れてくると、専業主婦稼業側もむくむくと本音がでてくるのでしょう。

昨今、晩婚化・少子化問題が話題になるけれど、さて、こん親達をみて、20代30代のこどもらは、どう選択するのでしょうね。
長い間、殆どが夫婦ともに働かないと食べられなかった時代が続いてきました。
豊かになって、夫の収入で家族を養えるようになると、それが女性の理想、男性の力量とみなされてきました。
江戸時代で言うならば、ほんのわずかな割合の階層であったはずの武士階級の生活。
この国が豊かになって、かつての武士の妻にあたる夫の仕事にはノータッチの専業主婦層が大量に生まれたけれど、それは夫に生活基盤を依存する生活だということ。この60年、平等を教え、教えられながら、他方では扶養される生活を理想とするダブルスタンダードが現実だったのではないでしょうか。
扶養される生活が理想ではないと気づいている人は、少数派だったのが、最近はすっかり様変わり。均等法もなかった時代の親達とは発想が違います。
晩婚化・少子化問題は、ここのところから根本的に問うていかないと、付け焼刃になるのでしょうね。
おんなこどもの問題だからと、簡単に片付けられません。
若い人たちが「理想とする生活」自体に大転換が起こったから、発生している問題なのです。







コメント (4)
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