1985年アメリカ映画「キリング・フィールド」。1975年頃のカンボジアの内戦状況を描いている。75年だったか76年だったかの記憶は定かではないけれど、当時購読していた週間朝日の記事でカンボジアのポルポト政権が、知識階級を惨殺していた実情報道に接したときの驚きは記憶にある。グラビアでは、政権交代で紙くずとなった紙幣の散乱した光景が印象に残っている。
映画はその時代です。ニューヨークタイムズの記者シドニーと通訳として行動を共にするカンボジア人プラン、強硬派クメール・ルージュが市内になだれ込み、抵抗勢力が撤退、戦争が終わったと喜んだのも束の間、知識人であることは抹殺の対象、隷従の日々がやってくる。
アメリカ軍の撤退、アメリカ大使館の閉鎖、外国人は安全確保をフランス大使館に求めるのだけれど、それも時間の問題。保護対象ではない現地人プランは、クメール・ルージュ政権下に、知識人であることを隠して生き延びようとする。
現場体験した米人ジャーナリストと生き延びた現地記者の体験があっての映画制作、圧政もここまでしたのかと、映画に引き込まれると同時に、あのジャーナリスト本多勝一さんの週刊朝日の記事がダブって、体験を記憶し、残し、伝えることの意義を実感した2時間余りでした。
映画はその時代です。ニューヨークタイムズの記者シドニーと通訳として行動を共にするカンボジア人プラン、強硬派クメール・ルージュが市内になだれ込み、抵抗勢力が撤退、戦争が終わったと喜んだのも束の間、知識人であることは抹殺の対象、隷従の日々がやってくる。
アメリカ軍の撤退、アメリカ大使館の閉鎖、外国人は安全確保をフランス大使館に求めるのだけれど、それも時間の問題。保護対象ではない現地人プランは、クメール・ルージュ政権下に、知識人であることを隠して生き延びようとする。
現場体験した米人ジャーナリストと生き延びた現地記者の体験があっての映画制作、圧政もここまでしたのかと、映画に引き込まれると同時に、あのジャーナリスト本多勝一さんの週刊朝日の記事がダブって、体験を記憶し、残し、伝えることの意義を実感した2時間余りでした。